第166話 蜻。
港街を一通り歩き回って楽しみ、この街のギルドにちょっとだけ顔を出し簡単な報告だけをして、私達はその日の内に街の外へと出てしまった。このまま次の街へと向かうつもりである。
……なんと言うのか、この街も決して悪くは無かったのだが、街が交易船の話題一色に染まっている現状が少しだけ居辛く感じてしまったのだ。
この国の王都方面はもちろん行きたくないので、私達はそれとは別の方向へと歩き出した。
こちらの大陸は流石に涼しい。歩くのには心地良い気温だ。エアの足取りも若干軽い気がする。
この先の街へと魔力の探知を行ないながら道中に危険が無いかを探りつつ歩いていくのだが、それによると今までの大陸と違い、この大陸は街と街の間の距離がかなり離れている事が分かった。
これまでの大陸だと、大体三日から五日の距離には何らかの街や集落、国によっては砦や関所などが設けられていたのだが、こっちだとそれがどこも十日以上かかってしまう。とても広い。
今までよりももっと準備に手を掛けておかないと、途中で食事が無くなり困る事態に陥ってしまう事も十分にありえるだろう。
当然、馬車などを使っている商人なんかは馬の分の水や食料も確りと確保していないといけないし、乗り合いの馬車なんかに乗っている者達でも、食事はそれぞれで準備しなければいけないのは当然の事、常識、最低限の生存マナーである。
「ぅぅぅぅ……おなかが空きすぎて、いたい……ちからが、でない……せめて、みずを……」
そして私達は今回、馬車で街から街へと人を運ぶ事を生業にしている者達、所謂『乗合馬車の一団』と夜営地が毎夜一緒になり、少し会話を交わしたりもしていたのだが、その乗客の中で一人だけ若いソロの冒険者だと思われる女性が、五日目を過ぎたあたりでそんな異変を訴えだしたのであった。
備えを怠った新人冒険者であろうか。まあ、よくある話とは言え、なんともなんとも。
頑張れば少しは飲まず食わずでも生きていられるかもしれないが、身体を動かしているのであれば限界は直ぐに来るだろう。
身体が資本である冒険者としては絶対に避けなければいけない状態の一つである。
せめて野営中に、何か狩りでもしてくればいいのだが、そのつもりもないらしく、彼女は五日間じっとひたすら我慢し続けていた。
当然、周りの者達もそんな雰囲気の悪い馬車に同乗するのは嫌だと思って、最初は色々と声を掛けて食料を分けようとはしたらしいのだが、彼女は頑なに『他人の施しは受けない!』と言って断ったらしい。
それならばと、商人の一人が『売ってもいいですよ?』と話を持ち掛ければ、彼女は『金などない!』と言って怒り出すのだそうだ。
それから更に彼らの零れ出た会話をちょくちょく聞くに、どうやら彼女は相方だった男性冒険者といざこざがあって、感情的になって飛び出してきてしまったらしい。
『あいつにあんなことを言ってしまったからには、今更もう戻れない』と、何やら痴話げんかめいた雰囲気を感じる。
彼女は今、自己嫌悪の真っ最中であったらしい。
まあ、感情的になって言いすぎてしまう事は誰にだってある。
大事なのはその後だ。
大切な人に心無い一言を言ってしまい、そんなに落ち込むくらいならば、ちゃんと謝って早く仲直りした方が良いだろう。
「ごめんなさいは、大事だよ?」
最終的に、干からびかけた彼女には救いの女神エアが降臨した。
私はこの手の輩は冒険者失格だと思っている為、最初から力を貸す気はない。
命がかかっている職業なのだ、いかなる状況であろうと、最低限守らなければいけないルールというものがあるのである。
そう言うのを大事に出来ない人は、私的にはあまり好ましくない。
だが、エアの方は彼女の話が気になったらしく、彼女に魔法で水球を出してあげて水を飲ませると、私が出したパンを彼女の口に突っ込んで話を聞いてあげている。……ん?今、彼女にパンを出して力を貸したんじゃないかって?いやいや、何をいう。私はエアに渡しただけである。べつに、かのじょにたべさせる気なんて、これっぽっちもなかった。
『旦那……』『分かり易いっ!』『うそがへたっぴ』『本音と建前は違うと言う訳ですね』
──ゴホン。彼女の話に戻ろう。
どうやら彼女と相方の男性は幼馴染と言うやつらしい。
聞けばお互いにまだ成人したてだと言う。……ほう。成人したてだったのか。それにしては彼女はかなり背が高い。恐らくは既に百八十センチは軽く超えているではないだろうか。
小さい頃から彼女は冒険者になりたくて、相棒の男性と一緒に野山を駆け巡っては体力をつけ、木の棒をいつも振り回しては剣術の真似事をして鍛え、互いに切磋琢磨して成長し、成人になって一緒に冒険者の登録をして、一緒の仕事場を斡旋して貰い、念願の冒険者生活を始めた所だったらしい。
……だが、理想と現実の違いは大きく。彼女はもっと切った張ったの世界を思い描いていたのだが、実際にやっている事と言えば、酒場でお酒を運ぶだけだったのだとか。
それもランクが上がるまでは、もう好きに討伐すらやってはいけないと言う話まで聞かされて、彼女は少しだけ気がそがれてもしまったらしい。
──ふむ。その気持ちは私も少し分かる。
ただ、街での仕事をちゃんとやってランクが『緑石』まで上がれば直ぐに討伐の仕事も出来るようになると聞き、最初は嫌々ながらも我慢して二人で頑張る事に決めたのだと言う。
けれど、お酒を運んではお客にいやらしい目で見られて、時々お尻を触られる事もあって、彼女は嫌な思いを沢山した。
それなのに、一方相方は厨房で楽しそうに仕事していて、ムカついて、いっそ剣を振っているよりもいい顔していて、他の従業員のちっちゃい女の子達とは仲良く話したりして、言い寄られて赤くなってて、更にムカついて、嫌みの一言も出てしまったりする。
そうしたら当然、相方の方もムッとして言い返してきて、なんか少し雰囲気が悪くなって、それでもまだランクは上がらないから、酒場でお酒を運ばなきゃいけなくて、段々とムカムカが積み重なってきて、相方は相も変わらず楽しそうに厨房で働いてて、ちっちゃい子達とイチャイチャして、本当にムカついて──。
──それでつい一言、嫌みのラインを大きく越えた発言をしてしまい……それで全てを投げ出してここまで来てしまったと。
「……はい」
ふむ。途中からはエアよりも私の方がガッツリと彼女の話に聞き入ってしまったが、もはや問題の焦点は食料のあれこれではなくなっていた為、細かい事は気にしない事にした。
彼女は、大事な相棒である男性に、言ってはいけない言葉を、自分でもあり得ないと思える様な発言をしてしまった事を嘆いていた。
『わたしがホールで困ってるってのに、あんたはなに女の子達とイチャイチャしてんのよっ!一人だけずっとニコニコニコニコ楽しそうにして、バカみたい!あんた、冒険者よりこっちの方が向いてるんじゃないのッ?このままずっとここで働けば?天職なんじゃない?どうせ私より力も無いし、頼りないし、他の子に色目使うか厨房でお皿洗ってるかしか能がないんだからっ!……これだから、背の小さい男って本当に役に立たないし、信用ならない──』
──みたいな内容の事を、どうやら言ってしまったらしい。
かーっとなって一気にまくし立てて喋った為、これ以上の事を言った気もするというのだから、なるほど、彼女の落ち込み具合も納得できると言うものであった。
彼女はそんな全部を言い切った後、ハッとして『言い過ぎた!』と気づいたのだが、その時には既に相棒はもう腕をだらんと垂らして、見た事もない青い表情をしたあと、彼は自分の両手をひたすらジッと見つめていたと言うのだ。
彼女は自分が言ってしまった事の重さと、彼のその傷ついた姿を見ていられず、罪悪感から逃げ出して街を飛び出してきてしまったのである。
そうして今、最大級の自己嫌悪で食事も喉を通らず、周りの声も聞こえず、終いには本当に脱水症状で自分の命が危なくなる程なのだから、よっぽど心の底から自分の言動を悔いているのだろう。
「ならばさっさと帰るぞ!まったくっ!エア、御者の方や他の乗客には迷惑をかけた事を代わりに謝っておいてくれ!私はこのお馬鹿な子を連れて直ぐに街へと戻る!」
「うんっ任せてっ!直ぐにわたしも追いかけるっ!」
「えっ!?ちょっ、なにをっ」
言ってしまった事をそれほど悔いる位ならば何故謝らない。
自分が悪いと思って、相手の事を大事に思っているのならば、それをそのまま伝えれば良いだけだろうに。
このまま逃げ出して何が変わるのだ。さらに落ち込むだけではないか。
口下手の私だって謝る事くらいは出来るのだぞ。
それに、それほど一気にまくし立てられるなら、謝罪もちゃんと喋れる筈だ。
……ん?なに?相方にはもう許して貰えないかもしれないだと?そんなのは相方の男性が決める事だ。君が今決める事じゃない。
うちの女神も最初に言っていただろう。
『──ごめんなさいは、大事だよ』と。君は今、それだけを考えていればよい。
私がその相方の元まで連れて行ってやる。直ぐにだ。少しだけ待っていろっ。
──そうして、私達は出てきたばかりのあの港街へと、直ぐにまた引き返したのであった。
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