第156話 苦楽。
「ロムー!手ーー!」
鬼人族の少年と別れてから数日経ち、私達は少し『走る』と言う行為に面白さを感じていた。
今は、エアと二人で海を目指して走ってはいるのだけれど、エアは髪を綺麗な緑色に染めて、頭を下にしたまま走っている。
つまり、私の頭の直ぐ上にはエアの頭があるのだ。
……何故、そんな事になっているのかというと、簡単に言えば慣れる為にである。
『天元』に風の魔素を通したエアは、こんな状態になっても普通に走り続ける事が出来る。
だが、訓練をしていないと逆転した視界の中で戦うのは意外と難しく、慣れない内は違和感から上手く戦えないのだ。
逆立ちをした状態で世界を反転して見たまま、普段している事を何か試しにやってみるとその違和感も良くわかるかもしれない。
だから、その状態で戦う事になる場合を想定して、反転したまま相手と戦う事になっても困らない様に、今の内にから練習しているというわけなのだ。
まあ、それに慣れる為の"訓練"と言うと堅苦しく聞こえてしまうかもしれないが……実際はもっと緩く遊びの様なものである。
上を見るとエアの顔がある。エアも上を向くと私の顔があるのだ。
エアも私も、それがなんか『良くわからないけど面白い』と感じてやっているだけなので、あまり訓練と言う気もしていない。
そもそも私達は魔法使いだ。
それは走っている今この瞬間であっても変わらない。
最近では訓練として『水球的当て』は常に行っているし、『行動制限』としてかつて道場青年に使ったのと同じ魔法を、エアの身体の動きを止める為に使っては、エアに解除させてもいた。
そんな事をしてても、エアは普通に走って笑える位に成長してきているのである。
ここ最近は誰かしらに関わる事が多かったが、ちゃんとエアの訓練も欠かしてはいないのだ。
それに、こんな状態でも私が腕を上に挙げると、エアはそれを掴むようにして私の事を空へと引っ張ろうとじゃれ付いてくる。
他に誰かがいる場合は自重しているみたいだが、そうでない場合のエアは相変わらず甘えたがりになる事が多い。もちろん、私も精霊達もエアを沢山甘やかす事を忘れはしない。
この成長を傍で見ていれば、頑張っていないなど思うわけがない。エアは本当によくやっている。
褒めたくなるし、甘えさせたくなるのは当然であろう。
恐らくは世界で一番頑張って魔法の練習をしているのは誰かと尋ねられれば、『それはうちのエアである!』と、私は自信を持って胸を張り高らかに答える事が出来る。
『……いや、そこは旦那だろう』『だね!』『うん』『間違いありませんね』
いや、エアが一番である。……君達、ここは空気を読んでウンと言って欲しい。そう言う場面なのである。
『いや、嘘は吐けないし』『だね!』『そう』『その世界で一番頑張っているエアちゃんの訓練に付き合いながらも、ご自身では例の魔力のスーハ―(?)をしているんでしょう?』
……それはもう私の呼吸と同義なので、していて当然。何も大した事ではない。
だからこれは訓練の内にも入らないだろうと私は考えている。
『あの少年が旦那達について来ないって言ったのも分かるな』『控えめに言って、やばいもんねっ!』『あの子は助かった』『深淵とはもしかしたらお二人の為にある言葉なのかもしれませんね』
……なんて凄い言い草であろうか。まったく君達は。もー。
だがしかし、そんな事を言ってくる精霊達も普通にしているのかと問われればそうでもなかったりする。
だって、忘れているかもしれないけれど、私とエアは今走っているのだ。
だから当然、それについて来ている彼らも走っているのである。
それも、精霊達同士の微妙なマウントがあるのか、私達の事を話しているようで、その実自分たちの競争を誤魔化している雰囲気さえあった。
いや、これは心理戦を行っている様にしか見えない。
さも『私達は、走る事になんか興味ありませんよー』と言う顔をしているくせに、その内心では本気で走っている事が、私には全部お見通しなのだ。
……因みに、現在の彼ら四人の順位は、トップが『いつも元気いっぱいなふぅちゃん』こと風の精霊、二位が『説明不要のかーくん』こと火の精霊、三位が『無口キャラみっちゃん』こと水の精霊、四位が『母性溢れるつっちゃん』こと土の精霊である。
まあ、元々の性質と言うか、気質と言うか、攻撃寄りの二人が前方の二人で、防御寄りの二人が後方の二人である。
特に、風の精霊と火の精霊の熾烈な先頭争いは、先ほどからずっと一進一退を繰り返している。
片方が前に出たら、直ぐにもう片方が速度を上げて抜き返す、と言うのを先ほどの発言をしながらも必死にやっているのだから、まあなんとも面白い子達なのだ。
それに、後方の二人もそのままの順位に決して甘んじているわけではなく、前方の二人が疲弊した所を狙って一気に前に出ようとしているのが、ひしひしと伝わって来る。
それも、こちらはこちらで『どのタイミングで行くのか』というのを互いに探り合っているらしく、表情に変化は見せないものの、互いに視界の端で相手の動きを絶対に見逃さないようにしているのが直ぐに分かった。……まあ、抜け目がないと言うかなんと言うか。
彼ら四人は、私達が鬼人族の少年の付き添いで訓練をしている時に一緒に走っているのを見ていて、実際に見るだけではなくやってみたら、かなり楽しくなってハマってしまったらしい。
そのハマり具合は、今度『お野菜イベント』の合間には『かけっこイベント』をやりたいと既に相談されている程である。
それに、大樹の方でもみんな着々と身体づくりから入っているらしい。
『やるからには全力でやるぞ!』と皆やる気満々なのだとか。
『精霊達らしいな』と、それを聞いた時には私も心の中で笑ってしまった。
そして、エアと私の『訓練兼甘やかし』と、精霊達の『心理戦込かけっこ』は、結局夕暮れになって、海上で私が『土ハウス』を出すまで続いた。
精霊達のかけっこも、『土ハウス』が出た瞬間が本日のゴールと言う事で決まり、トップは僅差で水の精霊となる。どうやら海に来た事で若干の有利を得て、ラストスパートにも成功したようだ。
因みに、二位は飛び出しのタイミングが若干遅れてしまった土の精霊、三位は最後までは元気が続かなかった風の精霊、四位は燃え尽きてしまった火の精霊である。
全員、ほぼほぼ平静を装ってはいるものの、そこには勝者と敗者の姿が確かにあった。
満足そうな水の精霊とそれ以外の三人の少し悔しそうな雰囲気は、言葉にせずともちゃんと周りには伝わって来るものである。
だが、私からすると君達はみんな素晴らしい。
ほらほら、魔力ましましで渡すから、ぐったりとしてないで確りと回復しなさい。
……そんなに疲れるまで、皆よく頑張ったな。
おまけにもう少し多めに魔力も分けておこう。後はもう家に入って休んだ休んだ。
『ちょっ旦那押さないで』『魔力がしみるーっ!』『勝利の美酒』『次はもう少しタイミングを……(ぶつぶつぶつ)』
私に押されるようにして精霊達は皆それぞれ『土ハウス』の中へと入って行き、薄っすらとその様子が感じられたのか、エアも微笑ましそうに笑いながら私の後へと続いた。
──そうして、海上には不思議な土の家が、波に揺られて次なる大陸へと流されていくのであった。
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