第149話 放。
注意・本作品はフィクションです。実在の人物や団体や出来事等とは関係ありません。また作中の登場人物たちの価値観も同様ですのでご了承ください。
突然、腰に抱き付いて来た少女に私は驚いた。
それも『お父さん!お帰りッ!』と明らかに人違いをしている。
だが、その人違いに対して、私は『いいえ、違います』とは直ぐに返せなかった。
……その瞬間の少女からは、言いようのない必死さ、みたいな雰囲気を感じとったが為である。
もしかしたら、本人も間違っていると分かっている上で、そう尋ねて来たのかもしれない。
そう考えると、そこには何かしらの理由がありそうだと、私はこの瞬間に察する事が出来た。
──何よりも、こういう時に人を一番傷つける言葉とは、"本音"なのだ。
正直な言葉こそが、一番避けようのない現実として、人の心を抉る時がある。
人にとって大事なものは違い、身体的な特徴、能力、才能、生まれ、育ち、種族、そう言ったものは変えようと思っても本来は変えられるものではない。受け入れなければいけない現実であるとも言える。
そこを、他者から見たまま、感じたままを告げられ、まざまざと突き付けられる事を、時に人は恐れる。
それは本人が心から隠したい事だったり、気にしている部分であったりするのならば、尚更その突き付けられた言葉はとても深く心を抉っていく事だろう。
人として成長していけば、時としてその言葉を言う前に相手がそれを言われる事でどんな気持ちを抱くのか察して、言い留まる事も出来る。今の私の様に口を閉ざす事が。
だがそれは、素直さや好奇心が強い子供の場合、途中で言い留まると言うのは難しい事で、悪気はないままその傷を知らず知らずのうちに他者へと刻んでしまう事は多いのである。
「お父さん?ロムは、あなたの──」
そして、エアもまた未だ無邪気さが先に立ち、普段は美徳である純粋さや素直な部分が、こういう機微には少しだけ疎くもさせていた。
だが、今回は私がそれに直ぐ気付けたので、エアの言葉を少しだけ【消音】し、私は口元に一本指を立てて『それ以上は言わない様に』とジェスチャーで伝える事が間に合った。
エアは、直ぐに私の伝えたい事が分かったのか、コクンコクンと頷くと頷いている。
こういうのはやはり経験を積まなければ分から無い部分だったりもするので、今回を通してエアはまた一つ成長して欲しいと思った。
──さてさて、一方、このまま無言のままやり過ごすと言う訳にもいかないので、私は少女に色々と尋ねてみる事にする。
それによると、この少女は私達が今入っているお店の子供で、店主である女性と二人で店を支えているのだとか。
本来、この店はお父さんとお母さんが開いたもので、そこそこ人気のあるお店であった。
だが、少女が生まれて数年が経った所で、お父さんは旅に出かけてしまったのだと言う。
お父さんは凄腕の魔法道具の職人だったらしく、時々こうして旅に出かけては新たな素材や知識を仕入れて画期的な新商品編み出して来たのだとか。所謂天才だったらしい。
それに、お母さんの話だととてもカッコいいエルフの男性なのだとか。……ほう。
魔法も超一流で、運動神経も抜群で、凄く優しい人でもあるのだと言う。……ほうほう。
ただ、そのせいでちょくちょく浮気もある女癖の悪さもあるのだとか。……ほう?
でも、やっぱりこの世の中で一番愛しているのはお母さんなんだと、お父さんは最後にはちゃんと戻って来るのだそうだ。……ほうほうほう。
そして今回、店内の魔法道具の製作法にも詳しく、それを自慢げに見知らぬ若い女性と和気あいあい語っている私を見て、『この人はお父さんに違いない!』と少女は直感的に悟ったのだと言う。……なるほど。
お父さんが前回旅に出たのは少女が物心つく前の事で、暫く会っていない為に顔が思い出せないとも言っている。それで、私と間違えてしまったのだろう。
するとそこで、おそらくは現この店の店主であろう少女のお母さんが見せ奥からひょこっと顔を出してきて、私に抱き付く自分の娘の姿を数秒眺め……しばし固まり、そして現状を把握すると、急いで出てきて私達に深々と頭を下げて来た。
店主曰く『ごめんなさい!私の旦那は私達と一緒でただ普通の人で、エルフの人じゃないんです!ちょっと願望入ってました!ご迷惑をお掛けして申し訳ございません!』と言う事である。
当然、少女はショックを受けた表情をしていた。
どうやら、少女もエルフには好感を持っていてくれたらしく、自分にも密かに美男美女揃いの種族の血が入っている事で、自分の将来は決まったものだと思っていたらしい。
それに、周りの友達にも密かに自慢しようと思っていたところだったらしいので、本当に言う前で良かったと、本人はホッともしている。
『もし間違って言っていたら、お馬鹿だと思われるところだったよ!』と少女はお母さんに少しだけプンスカと怒っていた。
それに対してお母さんは、『ごめんね』と言いながらも少し思案気である。
「…………」
そして、暫く考えていると、急に少女の方へと真剣な顔を向けて『あのね大事な話があるの』と彼女は更に語りだした。
──それは、この際だからと、少女にお父さんの事について、本当の事を説明し始めたのである。
そして、お母さん曰く『お父さんは、旅先で行方不明になった』のだそうだ。
それも、昨日今日の話ではなく、もっとずっと前から。
それこそ、少女が物心つく前に旅に出て、そのすぐ後にもう行方知れずになったのだとか。
それは、戻りたくても戻れない状況に居るとか、そんな淡い希望のある話ではなく、もう生存自体が絶望的な話であった。
行方不明になってから、既に数年経過している。そして、それだけ経とうとも、未だに帰って来ないのだ。もはやその結果は言うまでも無い事であった。
お母さんは、いつまでも誤魔化せるとは思っていなかったらしい。
だが、幼い少女に説明を求められた時には自分もまだ気持ちの整理がついていなかった時で、自分も信じられなくて上手く説明できず、どうしようもなく誤魔化してしまったのだと言う。
「ごめんね。本当の事を言うのが遅くなっちゃって」
と少女に謝るお母さんは瞳を少し潤ませはしていたが、確りと少女の目を見て真剣に話していた。
もう涙を零し切ったと言う表情である。それだけの時間を過ごし、受け止められるだけの強さを得て来たようでもあった。
彼女は少女と二人で生きていくと言う覚悟を決めて、弱音を吐かずに前を向けるようになったのだろう。その表情にはそれだけの気持ちが込められている様に見える。
──だが、いきなりそれを聞かされる方の少女にとっては、さっきまでのエルフどうこうとは比較にならない程のショックが訪れていた。
……時に、本音こそが一番、残酷なのである。
だが、それでも少女にお母さんは話した。
いつまでも偽り続ける道ではなく、それを受け止めて前を向き、少女と共に一歩を踏み出していこうとしている。
本音とは残酷だと私は思う。
そして同時に避けようのない現実なのだと。
人にとって大事なものは違い、身体的な特徴、能力、才能、生まれ、育ち、種族、それらにもまた避けようのない現実がある。
人は、それを受け止めてどうにか乗り越えるにしろ、受け止めきれず崩れ落ちていくにしろ、いずれは自分の中でそれを噛み砕き、飲み込み、その結果、選ばねばならない。
改善するか、妥協するかを。
生きるならば、何時までも目を逸らし続けるのは困難な道なのである。
だから、お母さんは選んだ。二人で受け止め、乗り越えていきたいと。
例え少女がどんな結果を選ぶとしても、彼女を支えて共に生きていく覚悟を決めたのである。
──それに対して、少女は意外な事に一切取り乱したりはしなかった。
知らなかったけれど、知ってはいた。そんな気はしていた。
ずっと妥協し続けていた。誤魔化し続けていた。
いつかは帰って来ると信じて居たかった。
……だけど、本当はずっと分かっていたのだと、その表情は語っている。
「大丈夫。お母さん。そんな気はしてたよ」
お母さんがそうであるように、少女もまた同じだけの時間を共に過ごしてきたのである。
ずっと協力してこのお店もやって来たのだ。支え合って来たのだ。
ずっと苦楽を共にしてきたのである。
たまたま、私と言うエルフが来た事で、身体は自然と動いてはしまったが、少女がお母さんを大事に想っている事もまた変わらない現実なのであった。
悲しい気持ちは確かにあるが、伝えるのが遅れた事でお母さんを詰る気持ちなど少女には一切湧かなかったのである。
それよりも、少女の心に浮かんだのは、『それじゃあ、これからの新商品の事考えなきゃ』と言う前向きな思いだった。
今更かもしれないが、この少女とお母さんのお店は、私とエアからすると"ハズレのお店"である。
ここでついさっき購入したばかりの『雷石改三』と『雷石改五』は未だ私達の手の中にあるのだ。
「お母さん接客は上手いんだけど、新商品の開発はダメダメだからなー。わたしが確りしないと」
少女は私達の手に握られているそれらの石を見つめてそう言った。……どうやらこの魔法道具はお母さん作だったらしい。店主ェ……。
少女はこの国が変わったことで、来年から学園に通う事が出来るようになったらしく、そこで沢山魔法の事を学んで立派な魔法道具職人になるのが今の夢だと語ってくれた。
ただ、それを聞いていた私達からすると、少女が大人になり立派な魔法道具職人になるまではまだまだ時間がかかる話だな、と思わずにはいられない。
その間、ずっとお店がこの状態だと、その内経営が危うくなるのはなんとなく想像がつく事だったので、今回もまた気まぐれで私は一つだけ力を貸す事にした。
そうして、元の商品である『雷石改五』の更なる改良商品と言う事で『雷石改六』とし、これを更に魔法道具とする為、意味のある言葉へと置き換えて石へと刻み込んだ。
私の刻んだ文字は少しだけ特殊なので、他の者には分からないと思う。
「あの……それは?」
そうして、私がいきなり魔法道具を作り出し始めた事に、エアも含めて皆が首を傾げていた。
それに、それほど時間もかからず出来上がったそれは、これまでの『雷石改』と何かが変わったようには全く見えないだろう。
実際、大した魔力も使わないので、エコな部分は変わっていない。元はただの石だし。
だが、一応その効果はちゃんとしたもので、その魔法道具に言葉を当てはめるとするならば、元々商品名を多少もじって『磊積懐録』とでもなるだろうか。
その効果は、『懐かしき記録を心に広く積み重ねる』と言うもの。
つまりは、自らの記憶の一部をその石へと映して、一枚の絵の様に残して置けると言うものである。
魔力を通す事で、何時でも懐かしい光景を心の中に思い出す事が出来るようする魔法道具。
忘れたくない大切な人の顔を、いつまでも忘れないでおける様にと、思いを込めて作った。
私達が以前に、自分たちの画を画家タマの女性に描いて貰った時の感動を、他の人達にも感じて貰えたら嬉しいなと思ったのである。……これもまた、ただの気まぐれだ。
「???」
だが、言葉だけではいまいち少女とお母さんには伝わらなかったようなので、実際に私はお母さんにその魔法道具を渡して魔力を通してもらい、大事な人を思い浮かべて欲しいと言ってみた。
すると、彼女は大きく目を見開き、まるで水を求める魚の様にパクパクと口を開いては驚いている。
きっと今、彼女の頭の中には思い浮かべた大事な人の姿がはっきりと浮かんでいる事だろう。
多少ぼやけた部分も魔法道具が補強してくれるので、自分で想像していたよりもきっとくっきりとした姿で見えている筈である。
ただ、それは効果の一つ。
効果はもう一つあり、そのまま魔力で固定したいと願えば、その石にはその光景が焼き付くのである。
そして、そうして一度焼き付けた光景は、他の人にも見せる事が出来るようにしてあるので……。
私はそれをお母さんから少女に渡してもらい、そのまま魔力を通してみる様に伝えた。
──すると、少女の口からは自然と言葉が溢れてきた。
『お父さん。……お帰り』と。
同じ言葉の筈なのだが、涙ぐみながら告げられたその言葉には、沢山の思いが込もっている様に、私には聴こえた。
時に、現実は残酷なばかりではない。
こうも温かくて優しい時もあるのだ。
彼女達ならばこれを前を向くための支えの一つとして、上手く使ってくれるだろうと私は思った。
またのお越しをお待ちしております。




