第118話 走。
「うあー、ロムいっぱいいるね」
「ああ、いるな」
タッタッタッタッと軽くジョギングするかのような速度で私は走り続けている。
背中にエアが居るので、全力で走ると乗り心地が良くないだろうと思い、この速度に抑えているのだ。
現在地は海が見える小さな丘の様な場所で、ここからだと海を背にした大きな街が見えた。
その街はいま、数万はいるだろう人の群れに完全に襲い掛かられていて、外門は今にも破壊されそうになっており、外壁には沢山の長い梯子が立てかけられて、どんどんと下から人が上っている。
一見して、かなり手遅れにしか見えないが、まだなんとか街中の店などは無事だろう。
外壁の上では守りの小国の兵士達と攻めの大国の兵士達が激しい戦いをしており、まだ水面下で街への被害は出ていないようであった。
このまま全員を眠りに掛ける事も出来るが、あの上から落ちると大ケガをしそうである。
……という事でとりあえずは、こちらに全員の注意を引き戦闘そのものを一旦止めてしまおうと思った。
尚且つ、私達がここに来た目的も確りとここで主張しておく事により、急な介入にも両者共混乱せずに済むだろう。もしかしたらそのまますんなりと受け入れてくれるかもしれないので、私は今回この場で『音』を使う事にした。
「エア」
「なに?ロム」
「私達がここに来た目的をあの人達に教えてあげたいのだが、普通に話す位の声量で良いので言ってみてくれないか?少し声を貸して欲しい」
「ん?普通に言えばいいの?いいよ!ゴホン……んー、んー、こほん。『お魚を食べに来ましたー!』」
私はエアがその言葉を出した瞬間、自分達の周りだけ魔法で【消音】し、それ以外には羽トカゲ以上の声量で響く様に【拡声】して前方へと発動する。
『お魚を食べに来ましたー!』
戦場に鳴り響く大音量の、エアのんびりボイス。
その瞬間、彼ら全軍の時間は確かに固まった。
……ふむ。ほぼ全員の注意を引く事は出来たらしい。流石エア、良い声だ。
『お魚を食べに来ましたー!』
あとはこれを定期的に連続して発動し続け、あの者達の注意を引きつけつつ、私があの街へと入って行けばいいだけである。
……因みに、【消音】の方は私を円の起点にして、薄い膜の半球状態で発動しているので、円周より外の音はほぼ入って来ないが、エアと二人で互いに会話する事は出来るようになっていた。
『お魚を食べに来ましたー!』
「ロム?なんかわたしの声(?)がたぶん聞こえる気がする」
今回の【消音】はほぼ遮断しているだけなので、完全には消してはいない為にエアにも少しだけ聞こえたらしい。
ただ、どうやら自分の声を聞くのが初めてだったらしく、『わたしってこんな声してるの?』と、なんか少し変に感じているようだ。私は良い声だと思うが、本人は少しだけ首を傾げている。
まあ私も自分の声を初めて聞いた時は同じことを思ったものなので、『同じだな』とそう話すとエアは微笑んだ。
『お魚を食べに来ましたー!』
……おっと、そうこうしていると、街に外に布陣している大国側の兵士達が、数人私達の方へと馬に乗ってやって来ていた。所謂、騎兵達である。
ただ、その顔は明らかに怒り心頭に発しており、片手には既に剣を抜いている事からも穏やかな話し合いで済まない事は見て分かった。
──なので、とりあえずは全員眠らせて、馬から浮かべ道端に彼らはポイしておいた。馬たちは解放されて、そのまま走り抜けてどこかへといってしまう。
ついでに、戦場が止まっている今の内に、沢山外壁にかかっている梯子とか、門にドスンドスンとぶつけていた丸太の改良版みたいなものも空へと浮かべておいた。外壁の上に居る兵士達もついでにそれぞれの仲間達がいる方へと地面にポイしておく。
当然、そんな事をすれば、犯人は私だと、あの良く分からない登場をしやがった白銀の耳長族に違いないぞと、皆が目の色を変えてこちらを敵視し凝視している。
『お魚を食べに来ましたー!』
それに、先に送った騎兵が戻って来ない事と、未だ鳴りやまないこの、のんびりボイスにどうやら全員がお冠であった。
だが、そんなことをいちいち気にする私ではない。
君達が勝手に戦争なんかしているのが悪いのである。
私はちゃんと親切心八割、悪戯心二割の気持ちで、『これからそちらへ行きますよー。でも危なく無いから攻撃しないでくださいねー』という主張をし、その目的を簡潔に告げているだけなのである。
邪魔をしなければこちらからは本当に何もするつもりがない。
梯子と破城槌はこれから行く街をめちゃめちゃにされたくないので、仕方なく没収しただけなのだ。襲い掛かって来た騎兵さん達も、道端でスヤスヤとおやすみしているだけである。
だから、そんなに目を血走らせないで欲しい。
「あの馬鹿な二人組を、さっさと殺して首を持ってこいッ!!」
恐らくは大国側の指揮官に当たる人物のそんな怒鳴り声が聞こえてきたところで、私はエアの『お魚を食べに来ましたー!』を一旦止め、周囲の【消音】も解除した。
もう充分に敵の釣り出しには成功しただろうと判断する。
私がそのままジョギングペースで走って行くと、今度は十人程がかかって来たが、そんな彼らも眠らせて道端にポイ!していった。
十人の次は二十人、二十人の次は三十人と、随分、戦力の小出しが好きな指揮官だとは思ったが、次第にエアの声の代わりとでもいうかの如く、今度はあちらの厳つい怒鳴り声が鳴りやまなくなっている。
「たった二人が何故捕まえられんのだっ!ふざけているのかッ!」
周囲の兵達にその声が効いたのか、今度は百人程の集団が来たが、それも一瞬で眠らせて、浮かべて、道端にポイ!。
「敵は明らかに魔法使いだろうがっ!貴様らはそんな事も分からんのかっ!ええいっ!攻城部隊から我が軍の魔法使いを数人連れて行けっ!それであの敵魔法使いへと攻撃を仕掛けよ!そしてその隙に騎兵を接近させるのだっ!」
相手が魔法使いだろうとも、あまり抵抗は感じなかったので、同じように眠らせて、浮かべて、道端にポイ!。続く騎兵たちもまた同様で、私達の傍を再び馬たちが解放されてどこかへと走り去って行く。森へお帰り。
「なにをしておるか~~~~っ!敵に攻撃を放てと言ったのだ!魔法を使わずに何をしている!ええいくそっ!魔法使い共を集めよ!あの白いエルフめ、ナメ腐りおって。目にもの見せてくれるッ!!」
そして、敵の指揮官の近くには魔法使い達だけが集まったかと思うと、何か彼から指示を受けているようだ。『いいかっ!一斉にあの二人組の馬鹿共に向けて一斉に攻撃魔法を放てっ!敵がそれに対処している内に、我が軍の精鋭歩兵を突撃させてあの頭のおかしい奴等の首を取って来るっ!良いなッ!貴様らは魔法を放つのだぞッ!放つ前に倒れる事は絶対に許さ──』
……軍隊では声の大きいものが重宝されると聞いたことがあるけれど、さすがに彼の声は大きすぎる。私の耳には全部丸聞こえであった。
なので、折角だからと彼が説明している途中で魔法使い隊を次々にコテンコテンと眠らせていき、怪我をしない様に綺麗に並べて置いたら、『ぷちんッ』と遂に彼が切れてしまった。
「あいつらを絶対に捕らえよッ!絶対にだっ!全軍で突撃っ!突撃だ!数で押せ!絶対に奴を生きたまま捕獲せよ!逃がすなっ!あいつにはわしが直々に尋問をしてくれるッ!」
……おやおや、それではそもそもの目的が変わってしまってるぞ?
こんな指揮官の命令でも聞かなければいけない兵士達が可哀想であった。
だがまあ、所詮万を超える人数は居たけれど、抵抗出来る者は一人も居なかったので、そんな彼らにはみんな揃ってゆっくりと寝て貰う事にする。
「──っ!?」
なので、もうあの指揮官以外は全員が綺麗に浮かんでおり、ポイ待ちされている状態になった。
何気に困ったことに、ポイ!する道端が無くなってしまったのである。どうしようか。
結局、仕方がないからと大国側の陣営の天幕の所に兵士達を綺麗に並べて置いた。
天幕前の地面が人で埋まっている。少し怖い光景になってしまった。
当然、そんな光景は小国側の外壁の上からも見えているらしく、なんとなくだが向こうでも驚いている気配がここまで伝わって来た。珍しい光景なので、驚くのも無理はないだろう。
因みにエアは、ずっと顔を赤くする程大笑いしている。『ろむ、おなかいたい、しんじゃう』と言って笑いすぎて呼吸が出来なくなるほどであった。エアが幸せそうで私も嬉しい。
そして、そのままタッタッタッタッと、私は変わらぬジョギングペースで走り続けながら大国側の陣幕の傍をのんびりと通過していった。
「き、貴様だけは絶対に許さ──」
その途中、あの指揮官の目の前を通ったら彼は怒髪冠を衝くかのような表情で、剣を抜いて全力で襲い掛かって来た為、私はエアの『お魚を食べに来ましたー!』を彼の耳元で発動してあげた。
そうしたら漸く彼も私達の来訪目的が分かったらしく、その音に気絶して仲良く天幕外の兵士達と同様に睡眠についてくれたのだ。『諸君、おやすみ』。
──さあ、これで街の外は静かになったので、落ち着いてお魚を食べに行くことにしよう。
またのお越しをお待ちしております。




