第112話 眩。
「ねえ、ロム。この海の先には何があるの?」
捕まえた魚を食べようと思いエアと相談した結果、どこかの食事処へと魚を持って行って料理して貰うのはどうだろうかという話になった。
そこで、今は一番近かった食事処へと入って事情を話し、その料理ができるのを待っている所である。
料理を待つ間、エアが尋ねて来たその質問に、私は『こことは別の大陸がある』とだけ答えた。
「大陸?」
「そうだ。私達が今居るのもそんな大陸の一つ。大地があり、街があり、人が居て、森がある」
私達が今居る大陸と一緒で、そちらにも別の人達が済んでいるのだと教える。
そして、その人達もまたこちらの大陸の事を『別の大陸』があると同じように思っているのだと。
一部の地域では交流もあるようだが、海には巨大な魚や気性の荒い蛇魚がいたりして、時々船は沈んでしまう。
だから、冒険者と同じく船乗りも命がけであり、とても大変な職業なのだと私はエアに説明した。
「そうなんだよ。お嬢さん。それも天気にもかなり左右されるのさ。今日みたいな天気もかなりあぶねえ。波が凄く高いんだ。こんなんじゃ幾ら操船が上手くても、沖に出た途端にあっと言う間にひっくり返っちまう。狩りに出たくても出られないってのが地味に冒険者さん達よりも辛い生業なのさ」
本来は漁師であり、それ以外の時は料理屋を開いていると言う店主の話に、エアは『へえー!』と興味深そうに相槌を打っている。
この男性店主は気の良い人物で、いきなり持って行ったエアの魚を一目見て、喜んで料理してくれたのである。それも料理に使った部分以外をくれたら代金もタダで良いそうだ。
ただ、可食できる部分をほぼ料理にしてくれたら残るのは不可食ばかりになるだろうに、本当にそれでもいいのだろうか。
「──いいんだよ。食えなくとも捨てる所がないってのが居るんだ。種類によっても違うが、魚ってのは骨まで確りと味が出るもんでな。これも後で粗汁なんかにして仲間達で食おうと思ってな。エルフの兄さんも流石に海の事までは詳しくなかったようだな」
ふむ。流石に勉強になる。私はあまり海に長居した事が無かったからな。
それに、海がと言うよりは『お料理』については私は相性が悪くて知識の収集すら諦めた。……え?簡単だって?魚を三枚におろす?いや、すまん。ちょっと何を言っているのか分からない。
どうにもそれを学ぼうとすると拒否反応が出てしまう程なのだ。これもきっと相性の問題なのであろうか。
「へ、へえ、そりゃ知らねえが難儀なものだな」
店主は引き攣ったような笑みを浮かべるが、それでも美味しそうな魚の料理を沢山作ってくれた。新鮮だからこそ食べられると言うので、生で魚を食べると言うのにも挑戦してみる。
『ンーー!』と美味しそうなエアを見ていると、なるほど美味いのかとは分かったが、中々挑戦する事が出来なかった。……どうにもお腹を壊してしまう気がしてしり込みしてしまう。まあ、エアが食べたそうならエアに今回は全て食べて貰えばそれで問題はな──
「──はいっ、ろむもっ!食べてっ!」
エアさんが、フォークに刺して、魚の生の切り身を私の口の前まで持ってきてくれていらっしゃる。
……ぐぬぬぬぬぬうぬぬぬううぬうぬうぬぬうぬぬぬううんううううぬううぬぬうん。
私は数秒固まって悩んだ。
だが、やっぱりその笑顔には勝てずゆっくりと口を開く。ただし、背中には冷汗が既にビッシャリだった。口に入った瞬間も思わず浄化を最大速度で連発発動してしまっている。きっと今の私は光の槍並にキラキラと光っているかもしれない。
「うわっ眩しっ!なんだっ、いきなりエルフが光り出したぞ!」
「ろ、ろむっ!?だいじょうぶ?」
……もぐもぐ、してからの、ごくん。
私は確りと咀嚼した後、その生の魚を飲み込んでみた。
「……ふむ。わるくない?」
いや、むしろ美味しいかもしれなかった。
生肉を食べるよりも全然臭みも無く、弾力も良い。
それも恐らくは柑橘系のソースがかかっており、口の中に広がるこの爽やかな香りが心地よかった。
海に居るのに、まるでここが森の中であるかのように錯覚出来てしまう。
そこで、私は思った。
「店主殿は、魔法使いだな?」
「いや、漁師だが」
それもかなりの腕前だと理解した。「漁師だぞ」。
この幻惑系統の魔法を私に一切関知させない魔力隠蔽技術の高さも素晴らしい。
見た目のごつさとは裏腹に、相当な切れ者だとお見受けした。
いやはや、これだから世界は広い。上には上が居るものである。
……私もまた、より一層魔法に励むことにしよう。
『やべー。また始まっちまった。旦那のこの病気が』『落ち着いて!それ以上励まないでっ!』『向上心の塊』『まあ、いつも通りの事ですね』
生の魚の切り身を一つ食べて私が感動している間に、エアが残りの料理を美味しそうに全部ペロッと食べてしまった。また魚が取れたらここに持ってくることにしよう。私もエアも納得する大満足な食事となった。
食後、私達は冒険者ギルドへと向かった。
久しぶりの海と言う事で、少し浮かれていたらしく、立ち寄るのが遅れてしまったのだ。
ただ、今日はギルドの方もだいぶ閑散としていて、みな他の街へと行くか、宿で大人しくしているのだろうと察せた。
私達はいつも通り『新人用窓口』へと足を運び、そこで他愛も無い話に花を咲かすエアと受付嬢の傍で、私ものんびりとお茶を飲んで楽しんで居る。この時期は他に人が居なくて受付嬢もかなり暇だったらしい。
「えっ、じゃあ、ロムさんとエアさん、お昼はお魚とって食べたんですか?」
「うんっ、凄く美味しかったよ!」
「ああ、あれは良いものだった」
私は自分の人生経験に新たに書き加えたばかりの生魚の美味しさの情報を物知り顔で、それも地元の人間を相手に少しだけ語ってしまった。
当然、受付嬢は指摘してこないがニヤニヤと笑っている。序でにエアもニヤニヤと私を見て笑っていた。……美味しかったんです。
「おっ、居たな!あいつらか。勝手な事しやがりやがってっ!おいっ、そこのお前ら!」
──だが、そうやって和やかにしていると、突然ギルドの入口から酒焼けした様な少し聞き取り辛い声の大男がやって来て、ドスドスと大股で私達の方へと近寄って来た。
「げっ」
その大男の方を見ると、途端にエアと話していた受付嬢は顔を顰めてそんな声を上げた。
エアがすかさず、『どうしたの?』と尋ねると、受付嬢はひっそりと『あの人、この街の商業ギルドのギルドマスターなんですけど、かなりケチでがめつくて、性格も捻じ曲がってんのかって思う程に嫌な人なんですよ』と教えてくれた。
……おやおや、どうやら穏やかな話ではなくなってきたようだ。
そして、よく見るとその大男の後ろには数人の男性の姿があり、その内の一人が先ほどの料理屋の店主であった。
そんな店主は商業ギルドの責任者らしいその大男の方を面白くないように、いっそ忌々し気に背中を睨みつけている。……ふむ、本当に面白い話にはならなそうだな。
「おいっ、お前らか。勝手に魚を取りやがった阿呆共は。うちの管轄する場所で勝手に魚を獲るのはルール違反なんだ知っておけ馬鹿がっ!お前らが魚を取ったことは既にちゃんと裏をとっている。違反自体の罰金と無断使用の賠償金を確りと払ってもらおうか」
──なるほど、そういう話か。だいたいは分かった。
……だが、『何のことか分からないな。お前は何を言っている?』と私はその男に返事を返した。
「白銀の男エルフと、青髪の女鬼人族が魚をとったのは、この後ろの料理屋の馬鹿が知ってんだ。言い逃れは出来ねえぞ。……全く、地元のが確りと余所者に注意しねえから、この俺が態々こんな場所まで来なきゃいけねえ。……あっ、そうだな、俺に対する迷惑料も追加だ。この犯罪者共、確りと金を払うまではどこにも逃がさねえからな」
そういう大男の後ろにいる男達はどうやら店主の仲間の者達だったようで、先ほどの店主同様にムカついた表情で大男を後ろから睨みつけていた。
その中で先ほどの店主が、申し訳なさそうな顔で私達に向かって頭を下げてくれている。……大丈夫だ。そんなに心配せずとも問題はない。
「再度告げるが、本当に何の事か分からない。お前は何を言っている」
「馬鹿が、しらばっくれて逃げるつもりか?」
「お馬鹿はお前だ。なんだ、この海は全てお前のものだとでもいうつもりか?」
「ああ!俺の管轄する場所の魚は俺の管理下だ。商人舐めてんじゃねえぞ!お前らが『釣り穴』の方に向かったって事は分かってんだ。あの場での漁は昔から商業ギルドの管轄なんだよ!この無恥な間抜けめっ!」
「間抜けはお前だ。そんな事はお前が生まれる前から知っている」
「はっ?」
「そもそも、何故あの場所で魚を取ったと勘違いしたのか分からぬが、全てはお前の早とちりだ」
「……そいつはどういうことだ?お前は『釣り穴』以外であの魚を取ったとでも言いてえのか?」
「その通りだが?」
「最大級の馬鹿が!今の時期に船を出す漁師はいねえ。海上にある『釣り穴』を使うならまだしも、この波の高さじゃ、海に入る事なんて出来ねえんだよ!なんも知らねえ余所者が!これだから海を知らねえ愚か者は困るっ!」
「愚かなのはお前だ。私達は魔法使いだぞ。それ相応の方法があると、何故考えぬ?」
「はっ、それじゃあ何か?お前は陸地に居たまま、あの海の状態で、あの魚を取れるとでも?」
「容易いが?」
「はんっ、口だけ達者だな。じゃあ見せて見ろ。出来なきゃ偽証で更に罰金追加だ」
「良かろう。だが、その代わり」
「あん?」
「私が出来た時、お前この世から消える事になるが、それで構わないな?」
「……は?」
「言った筈だ、私は魔法使いだと。そんな魔法使いと対してここまで会話したのだ。これら全ては既に契約と変わらず。そしてそれを反故にした場合、貴様の首は自然と胴体から離れる事になる。こればかりは全てお前自身の業と割り切れ」
「な、なにを言ってやがる」
「分からないか?暴言と言うのは相手ばかりに傷を負わせる便利なものでは決してない。それは自ずと跳ね返ってくるのだ。そんな暴言をお前は何度、私に対し吐いたか。それは全部契約が成った瞬間にお前に跳ね返る。その際、一つでも履行できてなければ、お前の首は吹き飛ぶぞ?こればかりは私にもどうにもできぬ。私達の言葉には魔力が宿る。その魔力によって、お前の身体が、勝手に、お前の身体から首と胴体を分けるのだ」
「…………」
「普段の口癖なのかは知らぬが。暴言を容易く考えるな。それは言葉の剣である。当然、振るえば反撃されるのが当たり前だろう。慎め。……だがまあ、もうお前は死んだようなものだ。既に関係ないな。──さて、それでは証明とやらに行くことにしよう」
「……ま、まてっ。いや、待ってください」
「知らぬ」
「……すまなかった。俺がわ──」
「──その先は言わぬ方がいいだろう。認めたことになり、勝手に首が吹き飛ぶぞ」
「…………」
「もう手遅れだ。安らかに死ぬと良い」
「……嘘だ。どうして、そんな」
「日頃の行いの結果である」
もちろん、この大男本人に私以上の力があれば、私との契約を反故にしても、問題は無かっただろう。
だが見た所、この男は商人と言う肩書の通り、精々腕っぷしは有りそうだが、魔力は殆どない。
私はかつて、これと同じ状況を何度か経験したことがあった。
とある国の王都にて、私の事を言葉で騙そうとした商人も、今のこの男と同じ状況になり、そして勝手に弾け飛んだのである。
……なので私からもう、この男に言えるのは一つだけであった。
「さよなら」
またのお越しをお待ちしております。




