第13章
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その日。
その日も。いつもと何の変わりない、一日の。始まりの、はずだった。
おれは、いつもの通り。いつもの場所で。父ちゃんの船を見ながら、ただ海を、ぼんやりと。・・・眺めていた。
石巻の水産加工場は、今日もフル稼働で。
忙しそうに。ちっこい人がせわしなく、波止場を行き来するのを。少し離れた、灰色の堤防の上に座って。・・・・煙草をふかしながら、ただそれを、のんびりと、眺めていた。
どこからか、上がる白い煙。漁港や店の喧騒、皆がみな。忙しそうに、働いて、いる。
「・・・・。」
この時期、毎日漁に出る、父ちゃんに付いて、一緒に、船に乗る日もあれば。そうじゃない、日もあった。
底曳きをやる、その船を、継ぐとも、継がないとも、まだ。・・・ちゃんと、言っては、いなかった。
跡取りは、おれ一人だ。
漁師になる、・・・・つもりでは、いた。
でも。その覚悟は、何ひとつ。できてはいなかった。
心のどこかで、逃げたい、気持ちもあった。いつまで経っても、決められない、自分がいた。きっかけがな。・・・なんて。自分の気持ちひとつ決めるのにも。言い訳して・・・
そういう、おれの性格や考え方、全部。・・・・父ちゃんも、母ちゃんも、きっと、わかってて・・・おれには。煩いこと、あまりまだ。何も、言わずに、いてくれた。
だから、ぼんやりと、その日も。
おれは、昼前に起きて、母ちゃんに言われて。置屋に、父ちゃんを車で送り迎えする準備をしていた。
珍しいな、・・・つぅか。怪しいな。・・・・
そう思ったら案の定、運転手ついでに、協会の寄り合いに、おれを出させようって。魂胆だった。
父ちゃんが言う。
「仕事してねぇんだから、人さまの役にぐらい、立てんだろ。」
「・・・。仕事、してんじゃんかよ。」おれは、口答えする。
「あんなでいっちょ前に仕事してるなんて、気になってんじゃねぇわ。」
「・・・・。」
父ちゃんは、おれが本気になってねぇ事。・・・よく、わかってた。
「めんどくせぇなぁ。」おれは唇を、尖らせて。文句をつぶやく。
「たけし、」
「・・・。?」
「人の嫌がることやっとくと、」
「・・・。」
「あとで、いい事あるぞ。」そんな事言って。父ちゃんは白い歯見せて、・・・優しく、笑った。
今でもその顔を、よぉく、覚えている。
だって、それが。おれが笑った父ちゃんを見た。・・・・最後の、記憶になったから。
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その時刻は、あとから知った。
午後二時四十六分。
まさに。晴天の霹靂、だった。よくね、おれ叱られたの、ちっちゃい頃は。
悪ガキだったからさ。何も、普段は何も言わない両親だったけど。
母ちゃんは、こら!たけしって。よく、イタズラ仕掛けるおれに、よく。・・・そう、言ってたっけな。
父ちゃんはそんなおれを、見て、見ぬふりをして。
それでさ、ここぞと言う時に。でっかい雷、落とすんだよ。
急に、近寄って来て、さ。
やべぇ、と思った時にはもう、遅いの。
それが、すげぇ。・・・・・ものすごく。怖くてさ。
げんこつひとつ、落とされんだけど。
それが、すごく。痛くてさ、当たり前なんだけど。痛くて、怖くて。おれ、
すぐ泣いちゃうの。
そう。・・・そのくらい。
そのくらい、凄かったな。あの、一撃は。
地面の。下の・・・・ずっと、ずっと下の方から。
どーーーーん!!!!!!!!!・・・・・って。・・・・・・
ものすげぇ、・・・音が、
したんだ。
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すぐに、堤防の上からずり落ちて。ぐらぐらと、横に、縦に。大きく揺さぶられる身体を、支えようと、必死になって岸壁に、しがみついた。
そうしてないと、地面に叩きつけられそう、だったから。
鳴り響く、サイレンの音と。激しく揺れる、水面。・・・・・
・・・地震、だ。・・・・・すげぇ、でかい。
そう思いながら、海を見ると、あっと言う間にもう水面が、こんもりと山なりに、盛り上がり、始めて、いた。
「・・・・。」不気味に、ゆっくりと、曳きながら、ますます盛り上がる、その、水面・・・・沖に出ていた船が、それと同時に静かに。
まるでひとつの波が、返す前にも似た、その大きなうねりに船体を、乗り上げては、またそれを、やり、過ごす・・・・
・・・・波。・・・・・・
・・・。津波、・・だ。
ヤバイ!!!
津波が来る。
すぐに、体勢を立て直した。
沖に出ていた船は、けたたましく、エンジン音を鳴らし、更にその沖の方に急ぐのもあれば、陸を目指す、ものもいた。
それを横目で見ながら。
やべぇ、やべぇ、・・・・・・
この時は。でも、今思えば。言うほど、それ程。・・・焦っても、いなかった。
ただこんな、近くにいたら、下手したら、波に飲み込まれちまう。
そう、思って。とりあえず。港を目指して猛ダッシュで、駆け出し、そのまま必死に地面を蹴ってカーブを曲がった。
途中携帯を取り出して、電話をかける。
この時一度だけ。繋がったんだよな。
「たけし?」のんきな。母ちゃんの声が聞こえた。
「そう、だいじょぶ?」
「大丈夫だけど、家がすごい有様だよ、あんたは?」
「いま、置屋に向かってる、とりあえず、父ちゃん連れてそっち帰る。」
「気をつけなよ。」
「警報鳴ってるよ、津波来るだろ。」
「こっちまでは来ないわ。」そう少しだけ、笑って。母ちゃんはそう言って。
電話を切った。そのあとは。何度も、何度掛けても。
かけてもかけても。母ちゃんに電話が繋がる事は、二度とは、・・・なかった。
置屋に、飛び込む。部屋はからっぽで。
奥で片付けしてる、女将さんの背中が見えた。その間、おっきな余震が二回、来た。
海がどんどんと、曳いていく。・・・・その異様な、光景に。
おれはちょっとだけ、初めて、怖ぇな、そう、思った。
「父ちゃんは?」おっきな声で、女将さんに、声を掛ける。
「たけちゃん!どこ行ってたの?!」
「・・・ごめん、父ちゃんは?」おれはまた聞いた。
「船、見に行ったよ、」
「おばさん、大丈夫?津波来るよ?」
「あぁ、すんごい、地震だったもんねぇ、今、支度して。」
「・・・。」
「早く、高いとこ行かんとね。」
「急いでね。おれ、港行って、家戻るから。」
「気をつけなよぉ!」
「おばさんもね!」
置屋を飛び出す。散々世話になった、その女将さんにも。
ちゃんとした、礼さえも言えないまま。二度と、会う事は、なかった。
急いで、父ちゃんの船に向かう。
父ちゃんは仲間のみんなと、作業着のまま、定置船に船を連結させる、作業をしていた。
津波が来ても、船が流されないようにする為だ。
「父ちゃん!!」おれは声を張り上げた。
「早く!!逃げないと、」
父ちゃんは、おれを見て。
「おまえぇ、何やってたぁ、今ごろ。」ロープを引き上げながら、言う。
その間にも、警報と放送がけたたましく、町中に鳴り響く。
「すげぇ、波曳いてんだよ、でっかい。津波が来るかも、」
「わかってんよ、」
「・・・。」
「だからやってんだろ。」父ちゃんの。命より大事な、船。
船は命だ。よく、父ちゃんはそう言っていた。
飽きるほど、飽きるほど。その言葉を聞かされた。
単純な、言葉だけど、その重みを、現実として。そのあと、おれは嫌と言うほど目の前に、突きつけられる事になる。
その時。・・・・船になんて、構わずに。一緒に、車に乗っていたら。
おれみたいに。助かったかも、しれなかったのに。
「おまえ先に帰ってろ。」
「・・・。」
「母ちゃん、心細いだろぅから。」
「父ちゃんは?」
「幹さんとこの軽トラ乗って、帰るから。」
「・・・。」
「あと五分で終わる。」
「警報出てるよ?避難警報・・・」
「家までは、来ないだろぉ、」
作業は、続けられる。
「・・・おれも、手伝うよ。」
一歩、脚を踏み出す。
「おまえいたって、邪魔んなるだけだわ。」
「・・・・。」
「母ちゃんと一緒にいてやれ。」
「・・・わかった。」
すぐに走って、駐車場に向かうと。エンジンを駆けて車を発進させた。
港の駐車場を出ると、もうすぐに渋滞に捕まった。
「・・・っくしょ、」
おれは、車をUターンさせると、町とは反対方向の、松林の方向に向かった。
イチかバチか、抜け道を抜けて行くつもりだった。家までの道のりは、車で十分。
こっち抜ければ、二十分以上は、かかるだろう。
・・・・しまった、すぐに思い直す。万が一。・・・・水に浸かって、車が動かなくなったら。幹線道路のほうが、動きやすい。
・・・まぁ、その時は。その時だ。
ただひたすらに、車を飛ばす。
運転は得意だったから。細い松林の間の道を、細かくハンドルを操作しながら、通り抜けた。
・・・・え?
ふと視界に入った、海面を。
見たときの。・・・・衝撃、・・・・を。
今でも、忘れることができない。
多分一生。・・・・忘れない。
黒い、海が。・・・・・壁みたいな、海が。静かに、思うより、静かな。・・・・音を響かせて、まさに。港に襲いかかろうとする、ところだった。
「・・・・・。」
その高さは遥か、堤防よりも高く、あって。せいぜい津波が来たって、二~三メートルだろうと、頭のどこかで踏んでいたおれは。
その光景を映画か。・・・・何かの、出来事のように。
妙に現実離れした、気持ちで眺めて、いた。
プップーーーー!!!!
後ろから猛々しく、鳴らされた、クラクションで、我にかえる。
後から来た車は、おれが車を動かそうとした、そのすぐ脇を、猛スピードで、すり抜けて行った。
ミラーを擦る。
「ぁ!!ぶねぇよ!!!」おれは叫んで。
また。・・・・海を見た。
・・・あ、れ。・・・・津波、か。・・・・・?
どきん、どきんと、胸が鳴る。アドレナリンが放出される。頭の中で、警鐘が、鳴る。
やべぇ、事になるぞって。
おれも、急いで車を発進させた。
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