02.陽奈子の破滅フラグと毛糸のパンツ
前世の知識では、ゲーム開始予定日は始業式の今日から。
私は気を引き締めて新しいクラス、二年A組へ向かっていた。
二年生の教室は北校舎の三階。朝から全速力で走って体力をほぼ使い果たした私は、ぜはぜは荒い息を吐きながら階段を上る。
四階建ての北校舎にエレベーターは設置してあるが、基本生徒は使用禁止。一年生は四階の教室、二年生は三階、三年生は二階の教室となっている。四階よりはマシとはいえ、疲れた脚に三階まで上がるのは少々キツイ。
息を切らして階段を上りきり、教室へ続く廊下の歩き曲がり角を曲がろうとした時、突如目の前に黒い人影が現れた。
ドシンッ!
早歩きで来た黒い人影に弾き飛ばされるように、よろめいた私は後方へ尻餅を突いた。
「うぎゃっ」
硬い廊下に強か尻を打ち付けてしまい、色気の全く無い悲鳴を上げる。
「陽奈子っ大丈夫?」
後ろから駆け寄る亜稀の息を飲む音が聞こえた。
「いたたた......」
強か打った尻を擦りながら私は顔を上げ、ビシッと固まってしまった。
「君、大丈夫?」
廊下の窓から射し込む陽光が煌めいて、心配そうに私の顔を覗き込む男子生徒を装飾する。
色素の薄い茶色がかった髪、切れ長の瞳に高い鼻梁、意思の強そうな薄い唇。ファンタジーの世界だったら、王子様だと思ってしまうくらいの正統派美青年が目前に立っていた。
幼馴染みの総一郎を見馴れていて美形への耐性が無ければ、そして彼が誰か知らなければ、きっとこの王子様に見惚れてしまっていただろう。
「大丈夫、です」
動揺のあまり上擦った声が口から出た。
引きつった表情と床に投げ出した両脚の震えは、痛みと羞恥からだと誤魔化せているだろうか。
「えっと、その、きみ」
動揺を必死で抑える私に対して、彼は気まずそうに視線を逸らした。
何だろうと首を動かすと、困り顔の亜稀と目が合う。彼女は口をパクパク動かして私の足元を指差した。
「え?」
亜稀の指先が示す方、下を向いた私は絶句した。
床に投げ出した両脚は剥き出し状態......スカートが捲り上がって太股の間からは苺柄の毛糸のパンツがバッチリ見えていたのだ。
状況を理解できずに三秒程固まった私は、次いで羞恥に全身を真っ赤に染めるとスカートの裾を慌てて直し、苺柄の毛糸のパンツを隠した。
「す、すすすいませんっお見苦しいものをお見せしてっ、生徒会長」
ぎゃあー!と絶叫したいのを堪えて、私は真っ赤に染まり涙目になりながらも必死で謝った。
そう、ぶつかったのは王子様な外見をした三年生の生徒会長、花京院凪沙。
毛糸のパンツを履いていて良かったと思う反面、何故此処に生徒会長が一人で居て、自分がパンチラを披露しているのか分からず、脳内を大量のクエスチョンマークが飛び交う。
パンチラの目撃者が、亜稀と生徒会長だけで良かった半べそになった私は、一刻も早くこの場から離れようと右足に力を入れて立ち上がろうとした。
「いっ」
力を入れた途端、右足首に鈍痛が走る。腰を浮かせて立ち上がれずに、二度座り込む。
生徒会長は涙目になっている私の様子で、足首を痛めたと気付いたらしく眉を顰めた。
「捻ったみたいだな。急いで保健室へ行こう」
心配してくれている生徒会長が痛む右足首へ手を触れる前に、私は左足に力を入れて気合いと根性で立ち上がる。
「い、いえ、何とか自分で、歩けます。新しいクラスなのに初日から遅刻は、ちょっと、なので」
無理矢理笑みを作って言えば、生徒会長は困惑した表情になった。
......バスの中で前世の記憶を整理しておいて良かった。
ゲームのメインヒーロー、生徒会長の花京院凪沙は私が一番関わりたくない危険人物である。
彼を見上げていると、思い出しきれてなかった花京院ルートのゲーム画面が脳裏に甦ってくる。
彼の表の顔は、由緒正しい華族の血を継ぐ清廉潔白で教師生徒から信頼される生徒会長。
しかし、巧妙に隠された裏の顔は、人心操作に長けた冷酷な一面を持ち、所謂不良や暴走族との繋がりも持っていて気に食わない相手を裏の友人達に潰させる、とんでもない男。
ゲームでの彼は、物珍しさから最初は総一郎をペット扱いでちょっかいをかけるが徐々に絆されていき、恋愛感情を抱くというある意味王道な悪党俺様キャラだ。
デレた彼は別人のように可愛らしくなるのに、自分のお気に入りに手を出された時の行動が強烈過ぎて私は恐怖を抱いた。
自分のお気に入りに手を出した、悪役令嬢 西園寺皐月と鈴木陽奈子に対して、一番鬼畜で残酷な制裁を与える攻略対象キャラでもある。
生徒会長ルートエンドでは、裏の繋がりをフルに使った彼の指示により、愛しい総一郎を苛めた悪役令嬢と悪役女子は男達に拉致されて強姦、輪姦されるのだ。
いくら見目麗しい王子様な生徒会長でも、関わりたくもなく破滅フラグしか無い相手との出会いに私の全身は強張っていく。
消化しきれてないカツ丼がぐっちゃぐちゃになって、胃の奥から吐き気が込み上げてきた。
「あの、朝のHRが終わったら保健室へ行きます。大丈夫ですからっ、ありがとうございました」
半べその私の怯え様から、これ以上の関わりは駄目だと感じ取ったのか生徒会長は優しく微笑む。
「そこまで言うなら、分かったよ。無理はしないでね」
あくまでも心配そうに私を気遣いながら、生徒会長は私の横を通り抜けて去っていった。
生徒会長、花京院凪沙の優しい微笑みが胡散臭いものだと知っている私は、擦れ違った瞬間に冷たいものを感じて身震いしてしまった。
「大丈夫?リュック持つよ」
亜稀に声をかけられて、一瞬忘れかけていた右足首の痛みが甦る。
「ありがとう。とりあえず教室までは辿り着かなきゃ」
初日から遅れて教室へ行くのは嫌だ、という思いで私は痛む右足首を引き摺りながら歩く。
二年A組の教室は廊下の一番奥。離れた階段を使ったことを後悔した。
「陽奈子? どうした?」
亜稀には「大丈夫」と言っていたのに、男子トイレから出てきた総一郎の顔を見た途端、涙腺がゆるんでいく。
何で此処に? と思いつつ、強制力が働いたのなら彼が此処で登場するのも仕方無いと納得した。
少しタイミングが早かったら、ゲーム通り生徒会長とぶつかったのは総一郎だったかもしれない。ズレが生じたのは、女装していないから?
「えっと、転んじゃって」
足を捻った、と口にしたら涙が零れてしまいそうで、ぎゅっと私は下唇を噛む。
「西川、陽奈子を借りるぞ」
ひょいっと、私の肩と腰へ腕を回した総一郎によって抱き上げられてしまった。
「ちょっちょっと、総ちゃん? わぁっ」
お姫様抱っこ状態で運ばれた私は、トイレ横の多目的ホールのベンチに座らされる。
肩に担いだリュックを下ろすと、総一郎は中から肌色のテーピング用テープとハサミを取り出す。
「簡単な固定くらい出来る」
総一郎の指先が右足を掴み、するりと上履きを脱がされていく。
上履きを脱がされて、総一郎の膝の上に足を乗せられた私は焦った。
「ま、待って。いっぱい走ったせいで足が蒸れて臭いし湿っているから。って聞いてる? 足臭いから靴下脱がさないでっ」
「はぁ? 足が臭いのはしょうがないだろ」
「しょうがなくないっ。臭いのは乙女のプライドにかかわる」
真っ赤になって焦る私と、呆れた様子で半眼になる総一郎のやり取りを見ていた、横に立つ亜稀はブハッと吹き出した。
「馬鹿陽奈子。臭いを気にする前に自分の足の状態を気にしろ」
苛立ち混じりに言う総一郎は、私の右足首へ触れる指に力を込める。
「いたっ鬼ぃ~!」
私の上げた悲鳴で、ホールに居た数人の同級生が一斉に振り向く。
せっかく総一郎が目立たない隅のベンチに下ろしてくれたのに、注目を浴びてしまい私は恥ずかしくなって俯いた。
メインヒーロー生徒会長登場。
学生用の上履きって蒸れると思う。