06.陽奈子は留年を免れる
ちょっと短いです。
留年がかかった課題代わりの教材室掃除は、総一郎ともう一人の幼馴染みの太一という助っ人のおかげで一日で終了した。
清掃用具倉庫へ箒とちり取りを片付けに行った総一郎と太一を見送り、私は水洗いした雑巾を絞って窓の柵へ掛ける。
「鈴木」
呼ばれて振り向くと、真後ろに立っていた杉山先生と目が合う。
何だかんだ言いながら一緒に片付けをしてくれた杉山先生の、ジャージの袖を捲って露になった意外と筋肉質な腕が伸びてきて、私のポニーテールに纏めていた髪へ触れる。
指に髪を絡ませる仕草に大人の色気を感じて、さすが攻略対象キャラと私の胸がざわめく。
「髪に絡まっていた」
人差し指と親指で埃を摘まんだ杉山先生は髪に絡まっていた埃を見せる。
「あ、ありがとうございます」
埃を掴んだ際うなじを掠めた指先がくすぐったくて、私はへにゃりと口元をゆるめながらお礼を伝える。
微妙な笑みがおかしかったのか、杉山先生は目を細めた。
「鈴木、お前と佐藤総一郎は」
バンッ!
「鈴木陽奈子!」
突然、杉山先生の声を掻き消す勢いで、半開きになっていた教材室の扉が音を立てて開かれる。
名前を呼ばれた私は、驚きのあまり「うえっ?」と大きく肩を揺らした。
「短期間でよく課題を終わらせた。全部見たぞ! これで晴れて二年に進級できるな!」
満面の笑みでやって来たのは、黒髪を短く刈り上げた所謂スポーツ刈りでジャージが似合う体育会系国語教師、遠藤先生。
「遠藤先生。ボリュームを下げてください」
眉間に皺を寄せて目付きが悪くなった杉山先生に怯むこと無く、「悪い悪い」と笑う遠藤先生を私は尊敬の眼差しで見詰めてしまった。
「えっと、私はこれで失礼します」
「じゃあまたな~次は二年になってから会おう」
頭を下げて退室しようとする私へ遠藤先生は片手を上げて応える。
何か言いたそうに口を開いた杉山先生は、遠藤先生に背中をバシバシ叩かれて痛かったのか小声で呻く。
チラリと顔を動かして振り返ると、苛々した様子の杉山先生に笑顔で何かを言っている遠藤先生の仲睦まじいやり取りが見えた。
性格は真逆なのに、同い年だからか仲良しな二人のじゃれ合う姿を横目に、私はゆるむ口元を押さえた。
このやり取りが何度も見られるならば、教材室掃除が一日で終わってしまうのは少々惜しい気もする。
(いいものみたなぁ~、あっ)
清掃用具倉庫へ向かう途中、清掃用具を片付け終わったらしい太一の後ろ姿を見付けて私は駆け寄った。
「太一君」
「ひぃ陽奈ちゃん」
声をかければ、太一は悲鳴に近い声を出して振り向く。
幼い頃から声をかけると、私に対しては怯えた態度をとるから眼鏡をかけていることも相俟って、猫型ロボットに頼りきっている少年と太一の姿は重なって見える。
こうも彼を怯えさせるのは、覚えていないが何かトラウマを植え付ける体験をさせてしまったのかもしれない。
「太一君、総ちゃんは?」
「総一郎は顧問に見付かって職員室に行ってるよ」
ふぅんと応えて、私は太一の後ろの壁にかかっている時計を見上げる。
「ねぇ太一君はこの後は暇? 手伝ってくれたお礼をしたいからどっか寄ってかない?」
「えっ!? えと、僕ちょっと今日用事があって、早く帰らなきゃならいんだ」
「そ、そうなの? じゃあ今度お昼にジュース奢らせてね」
顔を引きつらせて、飛び上がる勢いで動揺する太一に私は首を傾げた。
「陽奈子」
低い声と共に肩を軽く叩かれ私と、何故か太一もビクリと身体を揺らす。
「何、太一をナンパしているんだ」
「吃驚するから気配を消して近づかないで。ナッ、ナンパしていないって。ただ、お礼をしたくて」
振り向いて文句を言う私の肩へ手を置いたまま、総一郎は太一へやけに爽やかな笑みを向けた。
「礼なら、俺がするからいい。なぁ太一」
「あ、うん。じゃ、じゃあ行くねっ!」
完全に腰が引けた状態の太一は小走りで去っていった。
毎回こんな感じだから、やっぱり私は太一に苦手だと思われているのかと不安になる。
「太一にお礼をするのに、俺には無いのか?」
小さくなっていく太一の背中を見送る私の頭上から、不満そうな声が聞こえてきょとんとして総一郎の方へ向いた。
「総ちゃんに? そうだよね。お礼は何がいい? 山本惣菜のコロッケ?」
時々寄り道する山本惣菜店の名前を出せば、総一郎は大袈裟なくらい深い息を吐いた。
「陽奈子は本当に色気がないよな。今日は部活が休みだから、デート(仮)に付き合えよ」
「何その(仮)って。じゃあ、お腹空いたしイベント広場でやっている餃子フェスタ行きたい! 餃子の食べ比べして全国制覇しよう。二人で半分こなら制覇出来るよ」
ぶはっと、総一郎は激しく吹き出した。
「ぎゃあっ汚い!」
至近距離で吹き出したものだからもろに唾が私の顔にかかる。
悲鳴を上げた私は、身体を仰け反らせた勢いで尻餅をついてしまった。
「くっ、馬鹿陽奈子」
涙目で睨んだ私が怒りの声を上げる前に、顔へタオルハンカチが押し付けられる。
雑に顔を拭かれた後、ゴツゴツした大きな手で乱れた髪を手櫛で整えられると、苛立ちが収まってしまうから不思議。
これは幼い頃からの積み重ね、条件反射としか考えられない。
「食い意地優先かよ。相変わらず陽奈子は」
「お腹空いたんだもん。相変わらず馬鹿だって言いたいんでしょ。もう帰ろう」
フンッと鼻息を荒くして、私は振り向きもせずに昇降口へと歩き出した。
「違う。単純で、可愛いんだ」
歩き出して距離が空いた私の耳には、苦笑した総一郎の小さな呟きは届かない。
遠藤先生と杉山先生は同い年です。
仲良しな二人のやり取りは、妄想好きな女子生徒達に人気だったりする。