04.チョコレートと二人の距離
短編を加筆した話。少女漫画のような展開を目指してみました。
至近距離から漂うチョコレートの甘い匂いに、机に向かって課題を解いている私の集中力は何度も遮断される。
よりによって持ち込んだのはチョコレートか。しかも個包装がいっぱい入っている徳用大袋。
スナック菓子を食べてポロポロ食べかすを落とされるよりはマシとはいえ、甘党の自分を誘惑する物を持ってやって来るとは、絶対に彼は勉強の邪魔をする気満々で来たんだろう。
ギロリと振り向いて睨んでも、勝手に人のお気に入りのソファーベッドにうつ伏せに寝転んでチョコレートをかじっている男、幼馴染みの佐藤総一郎はイライラオーラに気付いているだろうはずなのに、何処吹く風といった様子で漫画を読んでいる。
勉強机にソファーベッドに漫画がギッシリ詰まった本棚と、ぬいぐるみとか可愛らしい物が皆無な面白味も無い自室だけど、毎週少年週刊誌の発売日には決まって幼馴染みは週刊誌目当てにやって来るのだ。
我が家とお隣さん、佐藤家の総ちゃんこと総一郎の部屋と私の部屋は向かい合わせ。
お互いの部屋の窓から窓の距離はほんの40センチくらい。
そのため、物心つく前から総一郎は用がある度に窓を叩いて合図をする。
迷惑きわまりないことに、暇な時は今みたいに窓から私の部屋に遊びに来るのだ。
玄関から来いと何度も言っているのに、彼は玄関からやって来るのは滅多に無い。
無視して窓を開けないと、物を投げて窓を割りかねないから仕方なく部屋に入れてやっている。
仲良しでも、まだ高校生のうちは油断はできない。
中学校までは仕方がないとはいえ、高校は被らないように総一郎が受験しそうな高校は避けていたのに、両親や教師の勧めで受験した高校を彼も受験していたのだ。
しかも、入学前オリエンテーションには攻略対象キャラのバスケット部爽やか同級生がいて、私は気が付いた。
回避したと思っていたのに回避出来ていない。
これがゲームの強制力ってやつなのか。怖すぎる。
目立つのは私にとって破滅フラグ。
以降、なるべく目立たないように陰キャラを演じている。
だて眼鏡をかけようとしたら総一郎に止められたけど、学校生活は控え目にしているつもりだ。友人もあえて派手な子には近付かないようにしている。と言うか、ゲームでの陽奈子は派手な装いを好んでいて似たような友人と仲が良かったが、今の私としたら自分が派手な装いをしていなければ、大人しい子の方が話が合うのだ。
がさがさ音が聞こえ、私は後ろを振り向く。
(もぉ! 人の部屋で寝転んでお菓子食うなよ)
内心大きな溜め息を吐いた時、漫画を読んでいた総一郎が顔を上げた。
そのタイミングの良さに、一瞬だけ重なった視線を私は慌てて逸らす。
「ねえ、さっきから何? 課題やらなきゃ遠藤先生に怒られるんじゃないの? あの人授業とか課題提出に関したら女子だろうと容赦ないよ。ウザいくらい熱血だから。説教くらうのは嫌でしょ?」
「総ちゃんがチョコレート食べているから悪い。一個ちょーだいよ」
ぎしり、椅子の肘掛けに両手を置いて立ち上がりかけた私を見ながら、総一郎は意地の悪い笑みを浮かべる。
「やだ」
キッパリと言い、見せびらかしながら彼はチョコレートを一粒自分の口に放り込む。
カリッ、チョコレートの中にあるアーモンドを音をたてて噛む意地悪っぷり。
アーモンドチョコが好きなのを知っていてのこの仕打ちに、自称温和な私も心が穏やかでは無くなる。
「遠藤先生に叱られたら総ちゃんのせいだ」
言いながら、眉間に皺が寄るっているのが自分でも分かった。
滅多に怒らない私の苛立ちに気付いたのか、総一郎は漫画を開いたまま表紙と裏表紙を表にしてベットに置き、上半身を起こした。
見開いたまま置いたら雑誌が読みにくくなる。文句を言おうと口を開いた時、総一郎は立ち上がった。
「集中力が無いせいじゃないの? そういや、春休み杉山の手伝いしなきゃならないーって言っていたけど、あの時も今みたく悲壮感が全く感じられなかったよね」
「悲壮感? そんなのあるわけないじゃん。カッコイイ先生に叱られたら恐いより嬉しいし! ウザくても遠藤先生は生徒思いで優しいし、鬼でも杉山先生に至近距離で叱責されるなんて、私にとったらむしろご褒美!」
一気に言い放てば、何故か総一郎は呆れ混じりの溜め息を吐いて横を向いてしまった。
「君って......遠藤とか杉山みたいな、ああいう面倒なのがタイプだっけ?」
いきなりの問いに、私は「コイツ何を言っているんだ?」ときょとんとしてしまった。
「えー? タイプ? 先生相手に付き合いたいとか恋愛感情があるわけないじゃん。妄想のオカズには、イケメンの大人の男が一番なんだよー」
「大人の男ねぇ」
「総ちゃん?」
呆れた声なのに総一郎の表情は真顔。
だが、どうした?と声をかける前に、何時も通りの“総ちゃん”の表情に戻った。
「君が妄想癖のある馬鹿だって知っていたけど、ここまで来ると本物の馬鹿なんだね。アイツら見て妄想とかキモイ」
「馬鹿でキモくていーもん。馬鹿だから杉山先生の手伝いをやれるし、遠藤先生から課題出されて名前と顔を覚えてもらえるんだよ~」
杉山先生と遠藤先生は前世でプレイしたBLゲームでは攻略対象キャラだ。二人とも若くて美形なだけあって、アクが強いキャラでも女子生徒からの人気は高い。
赤点を取った罰で、授業の度にノート運びの手伝いを頑張った甲斐があり、杉山先生と廊下や職員室で顔を合わせた時に声をかけられる様になったのだ。
男女問わず恐れられている杉山先生にも顔と名前を覚えられて、職員室や教材準備室への荷物運びの手伝いに呼ばれる様になったのは嬉しい。だって、授業外の表情も知ることが出来て妄想のオカズになっているのだ!
思い返して、私の頬はだらしなく弛みまくり笑顔になる。
「馬鹿だから」
「んー?」
未だに弛みまくりの笑顔を浮かべている私の顎を、総一郎の指が掴む。
「何でもないよ。ほらっ」
文句を言おうと開いた口に、勢いよく何かが放り込まれた。
舌の熱で溶け出したそれは、甘い待ち望んだ味。
「おいひー総ちゃんありがとうっ」
「馬鹿だから、気が付かないんだな。くそっ」
呟いた台詞は小声すぎて、やっとありついたチョコレートにご満悦な私の耳には届かない。
ご機嫌で机へ向かった私は総一郎に背を向けたから、全く気付けなかった。
彼が苦虫を噛み潰したような表情で、私を見詰めていたことに。
ギシッ、私が座る学習用椅子の背凭れを総一郎が掴む。
背凭れに背中を預けていた私は、椅子の揺れに驚いて足をバタつかせてしまった。
「陽奈子」
背凭れを掴む手と逆の手を学習机に置いて、総一郎は仰け反る私に覆い被さる体勢をとる。
迫られているような圧迫感もあるし、互いの距離が近過ぎて恥ずかしくなった私は視線を逸らした。
「冬休みにやる杉山の手伝いのやつ、俺も行くよ」
「えっ? 総ちゃんが? 部活あるでしょ?」
吃驚してそう言えば、総一郎は作った笑いと分かる笑みで笑う。何故、そんな顔で彼は私を見るのか分からなくて困惑してしまった。
「部活の奴等も連れていけば直ぐに終わる。もしかして、」
真顔になった総一郎の整った顔が、吐息を感じるくらいの距離に近付く。
彼の吐息から感じたのはチョコレートの香り。きっと私も同じ香りのはず。
一気に恥ずかしくなってきて、顔を背けたいのに距離が近過ぎてそれは叶わない。
「陽奈子は手伝いが早く終わるのは嫌なのか?」
「ううん、そういう訳じゃないけど」
何だか杉山先生と親しくしていることを咎められている気分になって、私は仰け反っていた上半身を起こした。
一瞬だけ、総一郎の少しかさついた唇が私の唇を掠める。
ただの偶然の触れ合い。
それまでは息を感じるくらい近付いていたのに、私達は同時に目を見開いた。
幼い頃はじゃれ合いとか、頬っぺたにチューはよくしていたのに、何で今このタイミングでお互い意識してしまうんだろう。私はつい総一郎を見上げた。
「っ、決定だな」
学習机の上へ置いていた手を下ろし、私の上から身体を離した総一郎は横を向く。
片手の甲で口元を押さえた彼の顔は見えないが、耳朶は赤く染まっているように見えて、恥ずかしくなった私まで赤面してしまった。
ジレジレな二人になったかな。