03.陽奈子はしみじみ思う
ぼんやりと夕陽で色っぽく染まった総一郎を見上げる。
部活を途中で抜け出したのか、剣道着姿の総一郎はとても凛々しい。
八歳の時から始めた剣道は全国大会上位に入るまで上達し、ゲームスチルでは手足は細く身長も低くて女の子みたかった体つきは、鍛え続けたおかげで引き締まり、背も私より頭一つ以上高い。
サラサラの栗色の髪と色素の薄い緑がかった瞳、甘めの整った顔立ちはそのまま、まさに総一郎の外見は女の子憧れの王子様そのもの。
総一郎はひょいっと私の手からノートの山を奪う。
「これ何処へ運ぶの?」
「職員室に、って持ってくれるの?」
「当たり前だろ」
ノートの山を持つ胴着の袖から覗く腕は、前世の記憶にあるBLゲームの主人公男の娘“総ちゃん”の女子顔負けの細腕とは違い、薄付きながら
引き締まった筋肉がしっかり付いた男子を感じさせるもので、見る度に私は安堵する。
前世の記憶が甦った幼い頃から、総一郎が女装趣味の男の娘にならないように鍛練に付き合い頑張った結果、彼は「女装なにそれ美味しいの」と鼻で笑えるくらいの立派な青年になっていた。
今のところ総一郎は男子の格好で過ごしてくれている。
対する私は、地味系女子まっしぐらに育った。
ゲームの陽奈子は、吊り目で綺麗だけどキツイタイプのずる賢い女子。
総一郎を目の敵にして苛めたのは、好きな男の子をことごとく彼に奪われたためで、ゲームをプレイした私は「そりゃ嫌いになるよな」と陽奈子に同情したものだ。
中身が私の残念陽奈子は、悪役女子にならないことに重点を置いて生きてきたため好きになる男の子も出来ず、総一郎に好きな男の子を奪われることもなく特に波風立つこと無く過ごしていた。
男の娘から爽やか剣道男子へと成長した総一郎とは、兄弟みたいにアニメや漫画の幼馴染みの二人のような、仲良し関係となれている。
ただ、私達がアニメや漫画と違うのは、総一郎は男女ともにモテモテイケメン超リア充で私は地味女子の非リア充だという事と、お互い特別な感情は抱いて無いという事。
家が隣で幼馴染み、その上学校まで同じとか乙女なら『これって運命!?』とか勘違いしそうだが、私達には特に何も無い。
仲良しでも、まだ高校生のうちは油断はできない。
中学校までは仕方がないとはいえ、高校は被らないように総一郎が受験しそうな高校は避けていたのに、両親や教師の勧めで受験した高校を彼も受験していたのだ。
しかも、入学前オリエンテーションには攻略対象キャラのバスケット部爽やか同級生がいて、私は気が付いた。
回避したと思っていたのに回避出来ていないやつじゃないか、と。
これがゲームの強制力ってやつなのか。怖すぎる。
目立つのは私にとって破滅フラグとなるため、オリエンテーション以降もなるべく目立たないように陰キャラを演じている。
高校時代は自分らしく伸び伸び過ごすというささやかな夢が破れた私は、せめて眼鏡キャラになろうかとだて眼鏡をかけようとしたのに何故か総一郎に止められた。
正統派美少年、キラキラ眩しい総一郎と一緒にいるのは目立つから学校では構うなと何度も頼んでいるのに、彼は時間が合えば一緒に登校しようとする。
勘違いした女子には呼び出されるし先輩には睨まれて怖いし、周りが勝手に推測する誤解を解くのは大変だと、訴えても全く聞いてくれない。
外面の良い総一郎の裏の顔を知っているから、彼と恋人関係になるとか想像しただけで吐きそうになるくらい身体が拒否反応を表すのに、こっちの都合はお構い無しに絡んで来る。
今回は助かったとはいえ、一緒に居るのを総一郎ファンの女子に見られたら......色々面倒臭い。
「失礼します」
躊躇無く職員室へ入った総一郎は、杉山先生の机上にノートの山を置き、事務仕事をしていた男性教師と二、三言会話をしてから頭を下げて退室した。
幼い頃は引っ込み思案で私の後ろに隠れていた総一郎が、愛想笑いを浮かべて話せているなんて成長したんだなぁと、私は成長を喜ぶ親戚のおばちゃんみたいな気持ちで廊下から見ていた。
「総ちゃんありがとう」
笑顔で声をかければ、総一郎はまだ赤みがひかない私の指先に触れる。
「何で、陽奈子は杉山の手伝いをしていたんだ」
「テストで大転けしたペナルティで呼び出されて、杉山先生のお手伝いしているんだよ」
触れるだけだった総一郎の指が私の手を包み込み、ぎゅっと握る。
「春休みも学校に来て杉山先生のお手伝いすることで、補習と課題を免除してもらうことになったの」
いきなり手を握られたことへの動揺を抑えて私は周囲を見渡す。放課後の職員室前は生徒は誰も居らず、ほっと胸を撫で下ろした。
さすがに、誰か居そうな昇降口へ行く前に手を放してもらわなければ。
頭上からチッと舌打ちの音が聞こえ、私は総一郎を見上げる。
顔を上げれば眉間に皺を寄せた、嫌悪感を堪えているような苦い表情の総一郎と視線が合う。
へっ?と目を丸くする前に直ぐに何時もの表情へ戻る。
「総ちゃんは、留年の方が良かった?」
もしや、仲良い関係を築けていると思っていたのは私だけで、総一郎は私を疎ましいと思っていたのか。
確かに乗り気じゃなかったのに「一緒に通おう」と剣道や体操教室に入会させたり、マラソン大会前は毎朝一緒に走ったり筋トレに付き合わせたり色々やったけど、留年して欲しいくらい嫌われていたなんて。
破滅フラグを折るためには距離を置いた方がいいかもと考えていたけれど、嫌われていたんだと実感すると悲しい。
視界が歪み、じわりと涙の膜が貼っていく。
「なんっ、そっ、そんなことあるか。馬鹿陽奈子」
珍しく目を見開いて焦る総一郎は、上擦った声で何度も「馬鹿だ」と呟く。
下を向いた私の髪をぐしゃりとかき混ぜるように撫でると、耳元へ唇を寄せた。
「陽奈子が居ない学校なんか通う意味無い。つまらないだろ」
囁かれて感じた息が擽ったくて、顔を上げると側にいた総一郎は既に離れて私に背中を向けていた。
「総ちゃん?」
「部活の片付けしてくるから、昇降口で待ってて」
首を動かして軽く振り返る総一郎の歩みは止まらず、スタスタ格技場の方へ向かっていた。
「まだ部活の練習中でしょ? 一人で帰るよ」
「今日は顧問居ないし、もういい」
今度は振り返らず答えると、戸惑う私を置いて足早に行ってしまった。
返事を待たずに総一郎はさっさと格技場へ向かってしまったものだから、私は仕方なく昇降口で彼を待つことにした。
朝練が無い日、週二回は一緒に登校していても一緒に帰宅する日は部活が無い日、月に一回有るか無いかくらいだから昇降口で待っているのは慣れなくて何だか落ち着かない。
「鈴木さん? 誰か待ってるの?」
声をかけられた方を振り向くと、リュックを右肩に掛けた今時高校生といった雰囲気の背の高い男子生徒が立っていた。
何となく見覚えがある男子生徒だが、名前までは分からない。ネクタイの色から同級生、私の名前まで知っているからクラスが近いか友達の友達とかなんだろう。
「待っているというか、」
何て答えようかと迷う私へ、彼はニカッと歯を見せて笑う。
「もし良かったら、途中まで一緒に帰らない?」
なかなか格好良い男子に声をかけられてときめくところだろうが、名前も知らない男子に声をかけられても戸惑いしか抱けず、私はどうしようかと口元をひきつらせる。
正直に待ち合わせをしていると言おうか。でも、待ち合わせ相手が剣道部エース、インターハイで全国上位に入り校舎に横断幕まで掲げられている佐藤総一郎だと知られたらどうなるんだろう。
文武両道、運動も成績も優秀で美形な総一郎は女子だけじゃなく男子にもモテる。そんな彼と仲良く下校していたと知られたら、学校生活が大変になるのは容易に予測できる。
「陽奈子」
「そ、総ちゃん」
「え、なんだよっ!?」
棘を含んだ硬い声が聞こえ、振り返った男子生徒の肩を掴んだ総一郎は彼を引き摺り私の前から退かせる。男子生徒は抗議の声を上げかけて、口を噤んだ。
無言の総一郎から発せられている圧力に、男子生徒は竦んでしまい動けない。
「帰るぞ」
短く言い、私の手首を掴んだ総一郎は止めとばかりに固まる男子へ射殺さんばかりの圧力を込め、睨んでいく。
何もそこまで威嚇しなくてもいいのではと、私は先を歩く総一郎を見上げた。
「今の、サッカー部の桐部。アイツは女関係が激しい最低野郎なんだよ。彼女と別れたって話しているの聞いたし、陽奈子はボーッとしているからチョロイと思われたんだろ」
校門を出て、ようやく足を止めて振り返った総一郎の表情は不機嫌一色に染まっていた。
「チョロイって失礼な。私ほど観察力と注意力がある女子はいないよ」
「無自覚の馬鹿だから......目が離せないんだよ」
「ん? なに?」
手首を掴んでいた手が滑り落ちて、私の指を絡めとる。
所謂、指と指を絡ませ手を繋ぐ恋人繋ぎとなり、これじゃ思いっきり誤解されるじゃないかとムスッと見上げた。
「総ちゃん、手」
「駄目」
ムッとする私を見下ろして、総一郎は諦めろとばかりに首を横に振った。
総ちゃん視点は後程。