95話 就職活動 後編
「うむ、貴公の頭がおかしいのは、よくわかった」
「へ?」
「貴公が全ての貴族に偏見を持っていることは理解した。とにかく、その危険物をさっさと仕舞え!」
「……はい、社長」
フィリップは俺が苦労して確保した毒がお気に召さなかったようだ。
ロドスも若干引いているな。
エドガーは……意外にも俺が魔法の袋に回収してしまったのが残念そうな表情だ。
いい年をして毒物が好きとは、中二病だな。
いや、本気で抹殺したい奴が居るのかもしれない。桑原桑原。
「イェーガー殿、毒はともかくとして、他に何か無いのであるか? できれば物騒な話以外で」
「そうですねぇ、俺の方がフィリップより顔を繋ぎやすいのっていうと……やはりランドルフ商会とアラバモですね。ランドルフ商会では南部のアブラナ油とオリーブオイル、マヨネーズやドレッシングなどの生産量を依然として増やしていますし、トラヴィス辺境伯の領地の産物も含めて新しい食材と料理の提供に力を入れています。運送ギルドを通しての流通の強化は必須でしょう」
こうして考えると、俺が手を出したビジネスに関しては本当にありきたりな表現になるな。
俺ってば意外と手堅いのかな。
「広い範囲への食糧の供給に貢献できるとなれば、運送ギルドとオルグレン伯爵家の株は上がりますな。何せ、我が国の食料事情は周辺各国に比べれば総じてマシですが、格差が大きいのです。庶民の食事ならば銅貨で済みますし、安酒ならば賎貨で買えます。しかし、少しいいワインや高級食材を買おうとしたら金貨が飛びますから」
エドガーは家宰だけあって、経済や家計にも詳しいようだ。
なるほど、ワイバーン亭のように庶民価格で美味い料理が食える店は珍しいんだな。
俺の場合も、はっきり言って普段の食事よりもミゲールの店でお茶をする方が高くつく。
しかし、これは不誠実でも何でもない。
むしろミゲールは良心的な商売をしている。
この世界の食材で必需品でないものや高品質なものを買おうとすると、一気に値段が跳ね上がるのだ。
「エドガーさん、ランドルフ商会は当然ながら高級品も扱っていますが、庶民でも手が出せる食材の流通にも力を入れているのですよ。例えば、去年から俺が主導で始めたサンドバッファローの内臓は、間違いなく低価格で供されるはずです」
「おお、素晴らしいではないですか。正しく、安物と超高級品の間を埋める食材です」
「そうでしょう、そうでしょう。儲かりまっせ~」
その後は、簡単に運送業に関する知識を試すような質問――とは言っても、需要と供給による価格の変動や輸送コストなどの簡単なこと――をされ、話は一段落ついた。
調子に乗って、ギルドの馬車の改良について言及したら驚かれてしまったくらいだ。
運送ギルドの馬車は中世に似つかわしくないサスペンションや、ブラックスライムから採取したゴムで作ったタイヤを装備している。
そこで俺はスノータイヤについて少々語ってみたわけだが、フィリップどころかエドガーもギルドマスターのロドスも絶句するような話だったらしい。
俺のスノータイヤの知識なんてスパイクタイヤとチェーンくらいだ。
スタッドレスタイヤは溝が深いことしか知らない。
まあ、前世のアスファルトでも削ってしまうバナジウム鋼のスパイクは、こっちの石畳ではまず使えないので、すぐに実装するのは諦めてもらった。
しかし、この時代を先取りした技術を持つ運送ギルドならスタッドレスも再現してしまうのだろうか?
あとは車軸にベアリングを使って車輪の動きを軽くすることができればいいが、こいつは千分の一ミリであるミクロン単位――現代では一万分の一ミリであるサブミクロン単位のこともある――の作業が要求される。
武器屋の親父さんならどうにかしてしまいそうだが、少なくとも今の技術力では、王国有数の技術者集団である運送ギルドといえど、そう簡単に実用化はできない。
とりあえず概要だけは話してみた。
ロドスは通常業務と並行して研究と試作をする価値はあると言っていたが、こういう話になるとフィリップもエドガーもちんぷんかんぷんのようだ。
「ふむ、人脈に関しても知識に関しても、これからの運送ギルドの発展に貢献してもらえる可能性は極めて高いのであるな。お館様、ギルドマスターとしても家臣としても、イェーガー殿の仕官は大歓迎である」
「私もクラウス殿がここまで博識だとは思っていませんでした。武官として迎えるつもりでしたが、これほどの頭脳の持ち主ならば文官としても即戦力でしょう。オルグレン伯爵家でも武力と知力の両方で活躍してくれるに違いありません」
「おお! それでは……」
「決めるのは、お館様です」
エドガーとしては俺の仕官を歓迎するようだが、やはり家宰としてフィリップの判断を最優先するという姿勢は徹底している。
俺はエドガーに促されフィリップに向き直った。
「へっへっへ。旦那、あっしを雇ってくれれば売り上げアップ間違いなしでさぁ」
「……パウルの真似か?」
インチキコンサルタントの小悪党風だったのだが、完全にキャラ丸被りの奴が居たな。
運送ギルドの御者の一人であるパウルは、実家から王都に来るときに彼の馬車に乗ったことで知り合った。
今日は仕事に出ているようで見かけていないが、元気にしているだろうか。
「……はぁ、わかった。色々と根回しは面倒なことになるであろうが、頑なに拒む理由は無い」
「マジか!? オーケー、ボス。俺にドンと任せておくんなせぇ」
言質は取った。
フィリップが一度口にした以上、俺の仕官が認められたことは覆らない。
思えばこれが初めての就職か。
前世ではバイト以外に働いた経験は無いし、こちらに転生してからも狩りや冒険者ギルドの依頼にランドルフ商会の顧問と、どれも正社員として働いた感覚は無い。
転生して十三年。
ようやく就職が叶ったことには感慨深いものがある。
「むぅ……」
「お館様、何か気掛かりなことでも?」
未だに煮え切らない様子のフィリップにエドガーが声を掛けた。
「いや、クラウスを雇うことには二人とも賛成なのであろう? ならば利益は確実に見込めると見てよい。クラウスは私にとっても信用に足る相手だ。これだけ条件が揃っているのであれば、仕官は受け入れてもよかろう。ただ……」
「ただ?」
「貴公に相応しい役職は何か、考えていたのだ」
「う~ん、料理長?」
「……さっきの売り込みはどこへ行ったのだ?」
そうは言っても、貴族の役職のことにはあまり詳しくない。
エドガーのような家宰が当主一族に次ぐ伯爵家の責任者であることや、ロドスのようなギルドマスターが担当ギルドの総括であることは想像できる。
しかし、俺がオルグレン伯爵家に仕官したとして、振られる仕事は先ほど話した商売と技術開発で間違いないはずだが、肩書きとしてどのように呼ばれるかなど考えたこともなかった。
しかし、こういう形式的な話でフィリップと話し込んでも碌なことにならない気がする。
妙に仰々しい肩書きなどを考えられても後々面倒だし、一度フィリップが決めたらエドガーもロドスも異論は挟めない。
「ま、まあ、お館様。家宰殿もギルドマスターも私の採用には乗り気なようですし、そこら辺はおいおい考えていただければと。先ほど申し上げた通り、武力の面でもギルドの技術開発の面でも貢献するつもりですし」
「……そうだな」
こういった仕官に関する細かい話はフィリップ本人よりエドガーと話した方がいいだろう。
「さ、エドガーさん。とりあえず仕官の手続きなり契約書の作成なりを済ませたいのですが……」
「わかりました、すぐにご用意いたします」
その後、エドガーが作成した契約書は簡単な仕官の証明書のようなものだった。
話し合いの通り、俺の仕事は武官として当主一族の護衛と、運送ギルドの技術開発と整備関係、ランドルフ商会などを通しての商務などに決まった。
これだけ見れば多岐にわたる業務で大変そうだが、何も俺一人で二十四時間フィリップをストーカーして護衛するわけではないし、オルグレン伯爵家とランドルフ商会本部を毎日往復するわけではない。
これなら戦闘が起こったとき以外は、適当に引きこもって開発や商売などの仕事をしながら、のんびりとやっていける。
営業や話し合いは、先輩のエドガーと主君のフィリップを立てて一歩引くという名目の元に押し付ければいい。
仕事が捗るというものだ。
「クラウス、悪い顔をしておるな」
「やだな~、そんなことありませんって、オヤカタサマ」
「貴公の企んでいることくらいわかる。我々の後ろに居れば勅命やタカりを躱せるなどと考えているのであろうが……」
「お~っと! フィリップ、今はこんなことをしている場合ではない」
俺は邪推するフィリップを遮った。
「……今度は何だ?」
「おいおい、末席の家臣の事情を根掘り葉掘りするより大事なことがあるだろ? 君の勇者就任パーティーの準備、進んでいるのか?」
「くっ……面倒なことを思い出させおって……」
王都の復興も進んだ今、千年ぶりの勇者の誕生を祝わないわけにはいかない。
本来なら、国を挙げてお祭り騒ぎになるのであろうが、エンシェントドラゴン戦の影響はまだ残っている。
他国に付け入る隙を与えないためにも、間者が多い今の時期に王都の警備をザルにするわけにもいかない。
結局、勇者本人の主催で、オルグレン伯爵家で行われることになった。
小規模な宴会では逆にプライドお大事マンな王侯貴族として恥なのではないかと思ったが、どうやら前例が無いのをいいことに近しい者だけで祝う形式にしたそうだ。
フィリップに負担を押し付けたとも言える。
さすがにフィリップのエンシェントドラゴン戦の報酬が吹っ飛ぶようなことはなく経費は出たらしいが、本来ならば運送ギルドの運営に使う時間や労力を割くことで損害は生じる。
政府にしてみれば軍の再編成と警備の強化に注力でき、フィリップに追加の迷惑料を払っても安く上がると。
迷惑な話だ。
「まったく……式典に出席するだけなら直前まで雲隠れして、当日は愛想笑いをしていればよいだけだがな。私本人が根回しに動かなければならないとは……」
そりゃ大変だ。
擦り寄ってくる連中をあしらいつつ、招待客の厳選と招待状の作成など、エドガーのサポートがあったとしても俺は絶対にやりたくない。
「まあ、今回の功労者にはレイアも入っているんだ。彼女と並べば君に集中することもないだろう。二人で仲良くゼロ円スマイルを振り撒くんだな」
「レイアはヘッケラー殿に指導を受ける名目で逃げおったぞ」
何だと!
レイアの奴に先を越されたか。
普段なら、フィリップの横に控えてフォローする役割は、メアリーとファビオラが居れば事足りる。
むしろ不愛想なレイアは喋らない方がいい気がするが、エンシェントドラゴンの件に関しては別だ。
第一功はフィリップで、俺やヘッケラーに次ぐ功労者としてレイアの名も挙げられる。
それだけの活躍をした人物を無視するなどあり得ない。
当然、レイアもフィリップと一緒に挨拶回りに行くはずなのだが……。
「飛行魔法で飛び去られてはどうにもならん」
「ガチだな……」
「仕方あるまい。クラウスを召し抱えたことを正式に通達する前だが、私の家臣として貴公も同行して補佐を……」
「お館様! 私はお館様の栄光を祝う大切なパーティーのため、食材を調達してきます。エドガーさん、仕官の件はよろしく」
「ぬ、待て! 逃げるな!」
間一髪、俺はオルグレン伯爵家を飛び出し、ランドルフ商会本部に向かった。
今日は会頭のグレッグ・ランドルフが南部に行くとのことで、俺も馬車に乗せてくれるよう頼んでいたのだ。
逃げる準備をしておいてよかった。