91話 粛清
「陛下! これはどういうことですか!?」
「王都のど真ん中に上級竜が出現するなど。前代未聞の不祥事ですぞ!」
「然り! 陛下には何らかの形で責任を取ってもらわなくてはなりませんな」
王城の一室では、宮廷貴族たちが薄気味悪い笑みを浮かべながら、ここぞとばかりにリカルド王の責任を追及していた。
先ほどまではクラウスの放った雷の音や地響きが王城まで届いていたので、彼らも顔を蒼くして震えているだけだったのだが、戦闘が終わったと見るやこの有様だ。
戦いの結果や被害の詳細はこの場所には未だに届いていない。
貴族や官僚ならば何よりも先に事態の詳細の把握と復旧に力を割くかと思いきや、彼らにとっては王や側近を批判する機会でしかない。
民が何人死のうが関係ないのだ。
それに、王や役職持ちの政敵を引き摺り下ろそうとするならまだしも、彼らにそこまでの度胸は無い。
ただ弱みを握ったことを強調し、みみっちい利権を掠め取ることが唯一の目的である。
まさに王国の癌のような連中だ。
「王国軍を総動員など……。民が不安になるではありませんか」
「何と慈悲深いシリッゴミィ子爵! 下賤の民まで気に掛けるとは」
「まあ、軍部の独断専行は私が止めて見せたがな」
「おお、さすがはチキン侯爵! 英断ですぞ」
リカルド王の鋭い目線が軍事行動に横槍を入れたというチキン侯爵を射抜いた。
宮廷魔術師団の補給物資の輸送部隊が妨害を受け、現地に届かなかったことはリカルド王も把握している。
王都の防衛のために出動した軍の補給物資を嫌がらせや思い付きで止めるなど、反逆罪もいいところだ。
しかし、今リカルド王が糾弾したところで、他の宮廷貴族たちが庇い立て、数と声の大きさを以て逆に王を批判するだろう。
王権で処刑を強行すれば、それもまた第二第三のチキン侯爵やシリッゴミィ子爵が湧いて出てくるだけである。
体は弛み魔術の心得も無いチキンはリカルド王に睨まれていることにすら気付かなかったが、リカルド王は明確な殺意を滲ませもう一睨みすると視線を戻した。
「まったく、ヘッケラー侯爵にも困ったものだ」
「上級竜とはいえ所詮は獣風情、さっさと片付けられないようでは聖騎士の名が泣くというものですぞ」
「然り然り! 思うに、彼は筆頭宮廷魔術師の器ではないのかもしれませんな」
「私もあの方には分不相応な役職だと思っていまして……」
自分は雷の音ごときにビビっておいて、この物言いである。
これにはリカルド王だけでなく、傍に控えていたニールセンも能面のように表情を失くした。
侯爵家の当主でありながら、槍の腕を買われて近衛騎士団に入団し、団長にまで出世したニールセンの殺気は半端なものではない。
調子に乗る宮廷貴族たちは気づいていないが、ニールセンの部下は彼の無表情を装う顔とは裏腹に膨れ上がる殺気の圧力を感じて顔を蒼くしていた。
「デ・ラ・セルナはいとも簡単に暗殺されたそうじゃないですか」
「うむうむ、やはり聖騎士などとはいっても所詮は下賤な平民に過ぎませんか」
「そもそも、このような事態を引き起こしておいてあっさりと死ぬなど、どう責任を取るつもりか!?」
「あの者を重用したのは陛下ですぞ!」
リカルド王は無言を貫いたままだが、最早彼の中ではこの場に居る貴族たちの大半は排除の対象になっていた。
取り合うまでもない連中だが、これ以上放置するとまた突拍子もないことをやらかす可能性がある。
今回の宮廷魔術師の妨害のようなことを、再びやられては溜まったものではない。
「役に立たない連中だ」
「イェーガーとかいう平民のガキも同類だ!」
「あの……イェーガー将軍は士爵家の直系だそうで……」
「ふん、田舎の小領主であろう。貴公は、そんなものが我らと同じ青い血だとでも言うのかね?」
「め、滅相も無い……」
「とにかく、陛下もあのような者どもを取り立てた責任を……」
その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。
最初に足を踏み入れた人物に視線が一斉に注がれるが、次の瞬間には数名の貴族が情けない悲鳴を上げて腰を抜かした。
「ひぃ!」
「血!?」
「く、曲者!?」
真っ先に部屋に踏み込んできたのは、血まみれのローブコートを着た男だった。
赤黒い血の痕には埃と煤が付着しており、どう見ても王城に入れる格好ではない。
侵入者や暗殺者という単語が頭には浮かびつつも、自分が戦場に立つことや剣を振るうことなど微塵も考えていない貴族たちは、情けない悲鳴を上げることしかできなかった。
しかし、リカルド王は取り乱すことなく、部屋に入ってきた人物に声を掛けた。
「イェーガー将軍、首尾は?」
ベヒーモスのローブも頭も返り血に染まったクラウスは部屋全体に威圧を振りまきながらゆっくりと口を開く。
「仕留めました」
ヘッケラーやフィリップとレイアより先に部屋に踏み込んだ俺は、不機嫌な表情を隠しもせずに宮廷貴族たちを見回した。
どいつもこいつも欲と傲慢さに満ちた醜い目をしている。
こういう連中なら、責任を被せるついでに少しくらいでっち上げた罪を上乗せしてやっても良心は痛まないな。
「い、イェーガー将軍。何だ、その服は!?」
「そんな汚い格好で……ここをどこだと思っている!?」
「陛下! この者は不敬罪では?」
俺は濃密な殺気を魔力に混ぜて放出しながら宮廷貴族たちを睨んだ。
「黙れ!! 酸素が無駄だ」
リカルド王の隣に立つニールセンも緊張するほどの殺気だ。
荒事に縁の無い弛んだ連中も、これには鈍感さを発揮できないようだ。
中には股間を湿らせ悪臭を漂わせている者も居る。
「まあまあ、クラウス君。こうして陛下は無事だったんですから、落ち着いてください」
ヘッケラーが俺の肩に手を置いて、わざとらしく諌める。
俺はヘッケラーとの打ち合わせ通りの展開にほくそ笑みながら演技を続けた。
「そうですね、師匠。今はそれどころではありません。陛下、突然の訪問をお許しください。実は気掛かりなことがありまして、こうして着替える時間すら惜しんで戦場から駆けつけた次第でございます」
俺はリカルド王に目線だけでヘッケラーを示した。
それだけで彼はこちらの意図を汲んだように頷き、先を促した。
「ほう、気掛かりとは?」
「国賊です。陛下を害することが目的かと」
俺の言葉に部屋の気温が数度落ち込んだような空気が張り詰めた。
「イェーガー将軍、どういうことだ? 詳しく説明せよ」
「陛下、それに関しては、私が最初からお話ししましょう」
ヘッケラーが俺から引き継いで説明を始めた。
エンシェントドラゴンの討伐を終えた後、俺たちはドラゴンの死骸と近くの素材を俺の魔法の袋に回収し王城に向かった。
その途中、俺たちは王国軍の簡易拠点で結界を張り、事の顛末に僅かな脚色を添えてリカルド王に報告するための打ち合わせをしたのだ。
今ヘッケラーがリカルド王にしている説明も筋書き通りである。
「なるほど、デ・ラ・セルナは自らの魂を犠牲にそこまでのことをしてくれたのか。彼が長きに渡りその強化されたエンシェントドラゴンを封じ、力を削り続けなければ、そなたたちでも危なかったと?」
「ええ、その通りです。イシュマエルもハナからあのドラゴンを屈服させる気など無く、操ることを目的としていなかったのでしょう。封印が解ければ、ただ本能に従って世界を灰燼に帰さんと暴れ続けるのみ。万全の状態で解き放たれていたのならば中央大陸が消えていてもおかしくはありません」
これは少々脚色してある。
実際は、あのエンシェントドラゴンが全快状態で解放されていても、精々俺たちとの戦闘が長引いた程度らしい。
しかし、ここの宮廷貴族たちに真実がわかるはずもない。
「し、しかし! そのような危険な獣を魂?に飼っている者を我が国に置くなんて!」
「そうだ! どちらにせよデ・ラ・セルナの責任じゃないか!」
ヘッケラーは悪い笑顔で反論した。
「彼が対策を講じていないわけがないでしょう。本来なら、デ・ラ・セルナ校長が不慮の事故で死んだところで、封印は解けないようになっていましたよ」
これは事実だ。
「では、何故ドラゴンが解き放たれたのだ?」
「デ・ラ・セルナ校長の暗殺及びミアズマ・エンシェントドラゴンの解放を実行したのは『黒閻』の幹部で『影帝』の異名を持つロベリアと思われます。そして、どうやらその犯行に加担したものが居るようでして……」
ここからが脚色の本題となる。
「ほう、そなたは我が国の内部に裏切り者が居ると?」
「その通りです」
部屋の雰囲気が痛いくらいに張り詰めた。
デ・ラ・セルナの死を無駄にしないため、少しでも彼の犠牲を活かすためとは方便だが、ここで計画が頓挫するようではデ・ラ・セルナの死体に石を投げる連中を放置することになってしまう。
ヘマはできない。
「デ・ラ・セルナ校長の暗殺と封印の解除。これは綿密に計画された犯行です。目的は、最終的には陛下の殺害及び王国の……いえ、世界の滅亡という規模です。周囲に動きが無いわけがない。事態の悪化を助長する行いをした者を調べさせた結果、いくつかの名前が浮上しました」
「誰だ?」
「それは彼女が教えてくれます」
ヘッケラーの合図で一人の女性が部屋に入ってきた。
俺とヘッケラーの後ろにはフィリップとレイア、その後ろに居たので今まで目に付かなかったのだ。
「そなたは確か……カーライルの娘か」
「はい、キャロライン・デヴォンシャーでございます」
先日の俺とカークの決闘の際、立会人として軍務局から派遣された女性官吏だ。
宰相カーライル・デヴォンシャー公爵の令嬢で、ドSのお姉さんである。
「キャロライン、お前……」
リカルド王の隣に座る中年の貴族が呟いた。
恐らく、彼がキャロラインの父親で宰相か。
何とも地味な人だな。
「エンシェントドラゴンと討伐隊が戦闘を開始してしばらく後、宮廷魔術師団の補給物資を輸送する部隊の出撃が、何者かに妨害されたとの報告がありました」
「っ!」
先ほど軍の独断専行を止めたなどと自慢げに話していたチキン侯爵に視線が集中した。
しかし、キャロラインは蒼白になったチキンの顔を一瞥しただけで続けた。
「国賊によって引き起こされた、大陸全土に被害を齎しかねない危機に、突拍子もない妨害行為。これだけならば、ただの間抜けなブタ……失礼、短慮で済ませられるでしょうが、この妨害行為に及んだ者たちには、デ・ラ・セルナ校長のエンシェントドラゴンの封印の解呪に加担した疑いがあります」
一気に捲し立てたキャロラインは、手に持った資料を素早くニールセンに手渡した。
あの紙に書いてあるのは、リカルド王を糾弾することが予想されていた宮廷貴族の名前だけだ。
キャロラインの話はほぼ完全に作り話だが、宮廷貴族たちがでっち上げだの証拠を出せだの喚いたところで、文書がニールセンを経てリカルド王に渡った以上、彼らにはどうすることもできない。
既にキャロラインの手に資料が無い以上、自棄を起こして彼女に襲い掛かっても意味は無いわけだ。
まあ、そんなことがあれば、俺やヘッケラーがこれ幸いとばかりに惨殺するけどな。
「チキン侯爵、コシヌケー伯爵、ビビール子爵、シリッゴミィ子爵、カマセ男爵、ガラクター士爵、ゴクツヴシ士爵、イヌゥジニ士爵……」
リカルド王が粛々と資料を読み上げる。
「そなたたちが宮廷魔術師団の輸送部隊の出撃を妨害したということで間違いないな?」
質問というよりも恫喝に近いリカルド王の声に、腰抜け貴族たちは冷や汗を流して震え始めた。
金魚のようにパクパクと口を動かすものの全く声が出ていない者も居るが、発言を許される空気ではない。
今回の件は、完全に宮廷貴族たちの嫌がらせを、逆手に取った形だ。
本当に『黒閻』との繋がりがある者を炙りだすのは、ハイゼンベルグ伯爵一門のように気付かずに利用されるケースもあって難しいが、今回のような短絡的な行動に出る連中を特定することはそう難しくない。
事前にキャロラインと会えたことも僥倖だった。
そこにヘッケラーが加われば、頭の足りない貴族たちを追い詰めることなど朝飯前である。
「沈黙は肯定と受け取る。ニールセン、この者たちは反逆者だ。捕らえよ」
「はっ」
リカルド王の横に立つニールセンの目配せで、捕縄を持った近衛騎士が反乱派閥の筆頭であるチキンに近づいた。
俺たちの威圧で黙らしておいて沈黙は肯定とは酷い話だが、こいつらには同情の余地は無い。
「くっ、こんなところで終われるか!」
騎士に捕縄を掛けられる寸前、カマセ男爵が短剣を抜いた。
鈍重な体にしてはなかなかの速度で椅子を弾き飛ばし、リカルド王に一直線に迫る。
人質にするつもりか?
俺は一瞬“放電”を放とうと思ったが、リカルド王の御前で魔術をぶっ放すのは少々躊躇った。
しかし、ちょうどカマセ男爵に便乗して逃げ出し、会議室の出入り口であるこちらに向かってくる者が居たので、近い方から制圧することにした。
「ええい、どかぬか……ぴぎっ!」
俺の横を走り抜けようとした男に裏拳を放つ。
かなりの魔力を込めた強化魔法を伴っているので、頬骨にクリーンヒットした俺の手の甲に何かを砕いた嫌な感触がした。
「ゲハッ!」
そして視界の隅で捉えたカマセ男爵も、ニールセンにあっけなく捕縛されていた。
向こうはどうやらニールセンが左腕の腕甲に装備した小盾規模の魔法障壁を展開する魔道具で短剣を防がれ、そのままニールセンが抜いた剣の腹で顔を殴られ昏倒したようだ。
狭い室内なので愛用の槍は持っていないが、さすがは近衛騎士団長。
剣の扱いも様になっている。
傷も少ないスマートなやり方だ。
「ひぃ! イヌゥジニ士爵が!」
「やめてくれ! 殺さないでくれ!」
「イェーガー将軍、どうかお慈悲を!」
見ると、俺がぶちのめした貴族の首が百八十度回転し、顔の半分が潰れていた。
どうせ死罪なので、あまり生かして捕縛することを考えていなかったが、下っ端の士爵だったのは不幸中の幸いだ。
侯爵のチキンほど重要な情報は持っていないだろう。
「クラウス君……下っ端とはいえ情報は余さず漁らなければなりません。武芸大会のときとは違って、王城の一室でパフォーマンスは必要ないのですから、“記憶復元”の手間は掛けさせないでください」
「あ……すんません」
ヘッケラーに苦言を呈されてしまった。
そういえば“記憶復元”は魔法陣がいくつも必要なコストが高い魔法だったな。
何はともあれ、迷惑な貴族の始末はついた。
あとはエンシェントドラゴンの死骸の解析と、フィリップの覚醒の件だ。
俺たちの表彰と王都の復興もあるな。
デ・ラ・セルナのことと、念のため北のロベリアたちの隠れ家の件にも対応しなければならない。
やることは盛り沢山だ。
愉快な名前付きモブ雑魚たち。
再登場や過去編は、今のところ予定していません。