86話 エンシェントドラゴン戦2
「やったのか……?」
耳鳴りから一番早く回復したと思われる兵士が疑問を口に出すが、それはフラグというものだ。
死体を確認する前に言うべきではない。
事実、次の瞬間、先ほどまでエンシェントドラゴンが居た位置で魔力が膨れ上がるのを感じた。
「っ!」
「“魔法障壁”」
ヘッケラーの杖から緻密に制御された魔力が流れ出し、王国軍と魔力反応があった場所の間に、青く透き通った魔法障壁が展開された。
魔法障壁は無属性なので、覚醒魔力を持つ者が発動すると薄っすらとその属性を纏ったものとなる。
俺の場合は、僅かに紫電が走る障壁になるわけだ。
水属性に覚醒したヘッケラーだと、魔法障壁は青く滑らかに流動する形状となる。
そして、青く美しい魔法障壁は繊細な見た目にも拘わらず、土埃と瓦礫の奥から放たれた赤黒い閃光を受け止めた。
閃光で土埃が吹き飛ばされたはずみで、奥に佇む黒い巨体が徐々に露になる。
「グルォアアァァァァ!!!!」
「あの野郎……」
そこには五体満足のエンシェントドラゴンが居た。
閃光は奴が放ったドラゴンブレスだ。
それにしてもデカい。
全長は八十メートルくらいか?
エビルドラゴンなどの下級竜が三十メートル、レッドドラゴンなどの中級竜が五十メートル前後だということを考えれば、奴がさらに格上の上級竜だということが嫌でもわかる。
百メートル級で胴体が大きく幅も広いベヒーモスに比べれば小柄かもしれないが何の慰めにもならないな。
「くぅ……なかなかやりますね」
黒い閃光はすぐに止んだが、ヘッケラーも先ほどの魔法障壁でそこそこ消耗したようだ。
いつもの澄ました笑顔が無い。
何にせよ、ヘッケラーがフォローしてくれて助かった。
彼が居なければ、ドラゴンブレスをカウンターで食らって焼き払われていた。
俺たちは切り抜けられたとしても、騎士団や宮廷魔術師団は壊滅しただろう。
今のドラゴンブレスもヘッケラーが受け止め切れず逸れた部分が、兵士の一部に損害を出していた。
「嘘でしょ……クラウスの攻撃をあれだけ受けておきながら、無傷なんて……」
「いえ、無傷ではないでしょう。封印が解けた直後と比べると、間違いなく消耗しています。それもかなり激しくね。それだけの損耗にも拘わらずブレスがリヴァイアサンのものより強力とは……理不尽な話です」
ヘッケラーはこういう場面で事実以外は口にしない。
俺の魔術が効いているようで安心したが、それでもヘッケラーが討伐したSランクの魔物であるリヴァイアサンより強いブレスとは……。
「クラウス君、奴はイシュマエルによって何かされたか、復活の際に何か弄られたか……とにかく通常のエンシェントドラゴンとは比べ物にならない強さを持っています」
「え? マジっすか?」
「マジです。上級竜が皆あれほどの強さと魔力を持っていたら、聖騎士であろうと討伐なんてできませんよ。過去に討伐された個体はもっとマシな相手です」
そうなのか……。
道理で俺の魔術を寝起きに連続で受けても無事なはずだ。
「『黒閻』の手の者による改造なのか、長らく封印されていた影響なのかは今のところ不明ですが、あのエンシェントドラゴンは闇属性と瘴気に非常に高い親和性を持っています。差し詰めミアズマ・エンシェントドラゴンと行ったところでしょうか」
「瘴気に親和性……アンデッドなのですか?」
「微妙なところです。見た感じ、身体に関しては生命力がしっかりと残っています」
まあ、そこら辺は後で学者が調べればいいさ。
新鮮な素材が取れるなら美味しい話になりそうだが、それだけだ。
大切なのは戦闘に有用な情報だ。
「師匠、奴の戦闘力を具体的に教えてください。強化と瘴気への適応によるプラス、俺の先制攻撃による消耗から来るマイナス。加味してどんな具合です?」
「客観的と言うとなると難しいですね。ですが……そうですね。ダメージは確実に蓄積されています。身のこなしやパワーなどの身体のスペックは通常のエンシェントドラゴンと同じでしょう。ドラゴンブレスなども本調子ではないはずです。しかし、瘴気を纏うことによる防御や再生、攻撃への上乗せは健在です。奴を仕留めるのは至難の業ですよ」
なるほど、厄介だな。
「グオオオオォォォォ!!!!」
「っ!」
マズい。
ドラゴンが動き出した。
前線の戦士たちも咆哮のせいで腰を抜かしており、撤退は間に合いそうもない。
「くそっ! “落雷”――“業火”」
俺はすぐにドラゴンの注意を逸らすべく攻撃を仕掛けた。
発動が早い雷魔術の中でも精度と威力に秀でた“落雷”、聖魔術が使えない俺のカードの中で最もアンデッドに効果が高い火魔術。
両方食らえば、さすがのミアズマ・エンシェントドラゴンもこちらに対処するだろうと思ったが、目の前の地上部隊への攻撃は止まらなかった。
「うあぁぁぁぁぁ!」
「ゲァっ!」
「ごあぁっ!!」
「撤退! 撤退だ!!」
空中に飛び上がったドラゴンの巨大な前脚が振るわれ、放たれた瘴気を纏った衝撃波が兵士たちを薙ぎ倒す。
巨体からは想像できないほどの敏捷性で尻尾を振り回せば、周辺の建造物は粉々に粉砕され瓦礫や破片も周囲の人間に降りかかった。
俺の魔術は瘴気のシールドを削りはしたものの、ドラゴンの本体にダメージを与えるには至っていない。
このままでは王国軍は全滅だ。
それに今攻撃を受けている部隊の人間が穀潰しばかりとは限らない。
俺は大剣を握り直し、ヘッケラーとレイアの元を飛び出した。
「クラウス君!」
「待って、クラウス!」
「俺の魔術は奴の瘴気に効きが悪い。直接叩く!」
「ッラァ!!」
俺が魔力を最大出力で込めた大剣を振り抜くと、白銀の雷の柱が天を穿つように顕在しドラゴンの側面に迫った。
「グルァ!?」
さすがに至近距離で食らうには脅威度が大きいと判断したのか、ドラゴンは瘴気を収束した爪を振るって俺の雷の剣閃を相殺した。
「しっ!」
そのまま瘴気を切り開くように、魔力を通した大剣を連続で振るう。
強化魔法もフル出力で発動しているので、両手剣の速度どころか一般人なら目で追えない剣速だろう。
「ふっ! “放電”」
大剣を振るいながら全方位に電撃をばら撒き、瘴気を吹き飛ばす。
ドラゴンの本体を守っていた瘴気が薄れ、魔力剣の刃が届く兆しが見えた。
そのまま大剣を袈裟斬りに振り下ろし、ドラゴンの胸元を一閃する。
しかし、エンシェントドラゴンは危なげなく振り上げた前脚の爪で俺の大剣を受け止めた。
俺の大剣から発せられる紫電に交じって、耳障りな摩擦音とともに火花が飛び散る。
「ぐっ……でぃりゃああぁぁぁっ!」
予想以上の膂力に遮られ一瞬動きを止めてしまったが、ようやく本体に攻撃が届いた好機を逃してたまるか。
飛行魔法で滞空しているため地上に比べて踏ん張りの効き具合が違って違和感があるが、それでも空中戦の心得が無いわけではない。
俺の飛行魔法は強化魔法の要領で魔力を体に纏い、風魔術と複合して複雑な軌道での飛翔も可能とする。
速度と挙動の両方を兼ね備えた動きも、俺の身体の内と外どちらでも魔力を操れるセンスを以ってすれば不可能ではない。
そのまま空中を蹴るように飛び、続けざまに斬撃を放つ。
接近戦の技量でも速度でもパワーでも、エンシェントドラゴンは俺と互角以上に打ち合っている。
瘴気によって防御力が強化されていなくても、そう簡単には仕留められない強敵だろう。
しかし、今回の攻防に限っては側面から一気に攻勢をかけた俺に軍配が上がった。
「ガァ!!」
斜めに斬り上げた斬撃がついに衝撃を受け流せないタイミングで入り、エンシェントドラゴンの前脚と胴体をかち上げるように決まった。
「どりゃ!」
強化魔法の魔力を集中させた脚でドラゴンの胸に横蹴りを叩き込み、僅かながら鱗を陥没させることに成功する。
そのまま蹴った勢いでドラゴンよりさらに高い場所まで高度を上げ、雷の魔力を収束させた大剣を振り下ろした。
「うおおぉぉぉぉ!!」
「グゲェェァァアアアオオォォォォ!!!!」
強かにドラゴンの首筋に打ち込まれた剣の衝撃は、俺の手首や腕にもなかなかの反動を齎した。
掌から上腕部の感覚が一瞬消えるレベルで痺れたほどだ。
しかし、かつてないほどの衝撃力を伴った斬撃を食らったドラゴンも無事では済まない。
首を刎ねるには至らなかったが、項から背中にかけての鱗をいくつか吹き飛ばされ、本体も地面に叩きつけられた。
轟音が鳴り響き、眼下の建造物は完全に粉砕され、石畳もドラゴンの落下地点を中心に吹き飛んだ。
瓦礫の破片が降り注ぐ中、俺はドラゴンの落下地点に警戒しながら接近した。
先ほどの一撃は見事にドラゴンの延髄を捉えたが、首を刎ねることは叶わなかった。
骨は少々イカれてるかもしれないが、あの程度で致命傷になったとは思えられない。
土埃も収まり、エンシェントドラゴンの姿を視認した俺は、止めを刺すべく降下を始めるが、奴の口に膨大な魔力が収束するのを感じて、背筋が凍る思いをした。
「マズい! ブレスだ!」
射線上に居るのは逃げ遅れた王国軍の兵士や冒険者たちだ。
今のドラゴンの体勢から放たれるブレスは地面と平行に進む。
貴族街を抜けて王都の端まで吹き飛ばすだろう。
死を覚悟して参戦した兵士や冒険者だけならまだしも、一般人に多大な犠牲を出すのは防がなければ。
「おおぉぉぉ!」
ドラゴンブレスの射線上に割って入って俺は、そのまま大剣を唐竹に振り下ろす。
魔法障壁は張っているが、それだけで耐えられる可能性は限りなく低い。
何せ俺の魔術で寝起きを狙われた腹いせに放ったブレスでさえ、リヴァイアサンのブレスを超える、ヘッケラーが防ぐのに苦労する代物なのだ。
「させるかぁ!」
赤黒い禍々しいドラゴンブレスと激突した俺の剣閃は、視界の全てを呑み込むようなブレスと拮抗し相殺することに成功した。
不安定な足場から慌てて放ったにしては上出来だ。
「キュルォォォォ!!」
しかし、上空から聞こえたエンシェントドラゴンの咆哮に、俺は冷や汗を流しながら大剣を構えなおした。
視線を上げれば、ドラゴンブレスと土埃で視界を塞がれている間に飛び立ったと見られるエンシェントドラゴンが、前脚を振り上げて迫っていた。
「くっ」
「(――“聖槍”)」
レイアの中級聖魔術が命中するが怯む様子は無い。
回避は間に合わないな。
よしんば直撃を避けても衝撃波や瘴気の奔流で吹き飛ばされるだろう。
ならば取るべき選択肢は一つ。
俺は地面を蹴って飛び立ち、大剣を斬り上げるようにして斬撃を放った。
「ぐぁっ!」
頭を潰され地面に叩きつけられるのは防いだ。
エンシェントドラゴンと俺が激突した空中では、凄まじい剣戟の音と魔力の奔流が広がる。
しかし、今度は上から打ち下ろしたのはエンシェントドラゴンだ。
体重を乗せた一撃を放った奴の方が圧倒的に有利になる。
真っ直ぐに叩き落されるのは回避したが、強化魔法を発動した俺でなければバラバラになっていたような衝撃を受けた以上、こちらも無事では済まない。
あり得ない速度で弾き飛ばされた。
ラファイエット謹製のベヒーモスのローブを衝撃が貫通し、体中の骨が悲鳴を上げる。
さらには前脚と爪の攻撃に上乗せされた瘴気が肌を焼く。
「ぐっ……」
露出している顔や、ありふれた既製品のシャツやズボンでしかガードしていない体の前面に黒紫色の炎のような靄が纏わりついた。
「(クラウス!)」
「(クラウス君! レイアさん、彼の救援を。――“聖域”)」
ヘッケラーが上級の聖魔術を行使して、エンシェントドラゴンの追撃は阻止してくれたようだが、俺が体勢を立て直すことは叶わなかった。
瘴気で肌を焼かれる痛みに悲鳴を上げる間もなく、俺は木造の建物に背中から突っ込み、肺の中の空気を絞り出した。