85話 エンシェントドラゴン戦1
「お師匠様、そのイシュマエルの隷獣って一体何なのですか?」
できれば聞かずに済ませたい話だが、必要な情報だ。
レイアの質問にヘッケラーは一呼吸おいてから噛み締めるように告げた。
「エンシェントドラゴンです」
はい、来ました。
最悪のパターン。
「よりにもよって上級竜かよ……」
災厄と言われる魔物であるレッドドラゴンなどの属性竜は中級竜だ。
それでも人里に近づいたときはSランク冒険者でも匙を投げ聖騎士が出動する案件なのだが、エンシェントドラゴンやエルダードラゴンなどの上級竜は脅威度がもう一段階は上だ。
聖騎士は全員招集、軍は総動員、辺り一面が更地になることや莫大な人的被害も覚悟しなければならない。
ヘッケラーは過去にデ・ラ・セルナと共にエルダードラゴンを討伐したことがあるそうだが、場所はフロンティアの平原だった。
周辺への被害を気にする必要も無く、準備に時間も取れたので軍の展開もスムーズで魔法陣や罠も使いたい放題。
それでも軍は半壊したらしい。
「討伐隊をまともに編成する間も無く、王都のど真ん中にエンシェントドラゴンが出てくることになるわけですか。しかも上級竜の討伐経験がある聖騎士が一人お陀仏で戦力は激減、軍の士気も下がると……。最悪だ」
「ヘッケラー侯爵! 警備隊の配備通達は完了しましたぞ!!」
「ご苦労様です、バイルシュミット少佐、マイスナー大尉」
駆け寄ってきたのは、警備隊隊長のバイルシュミットとマイスナーだった。
どうやら周辺住民の避難誘導と、火事場泥棒の中でも質の悪い強盗から市民を守るために、警備隊は人員を全て投入したようだ。
まあ、上級竜が相手では並の警備隊員など盾にもならないので妥当な判断か。
例の黒い霧が発生してから俺たちはすぐに王城まで飛んできたのに、既に対応に動いていたのはさすがだ。
「偶然、王城の近くに来ていたんだよ。不幸中の幸いってやつさ」
普段より憔悴した表情のマイスナーが呟いた。
「隷獣の封印が解けるまで時間がありません。できることなら陛下の元に戻って一度情報を整理したいところですが、そんな悠長なことをしている暇は無さそうです。クラウス君、すぐに出現地点に向かいますよ」
正直、上級竜を相手にして無傷で済むとは思えない。
リスクとリターンを考えれば、将軍や聖騎士の地位と身分を返上してでも逃げた方が賢明かもしれない。
しかし、この王都にはワイバーン亭の大将夫妻や武器屋の親父さんなど、守りたい人間も居る。
それに逃げたとしても、エンシェントドラゴンが野放しになる危険性を思えば、ヘッケラーという強力な味方が居る今こそ、後顧の憂いを断つ千載一遇のチャンスだ。
「了解です。上級竜の素材の売り上げは山分けですね」
「ええ、楽しみですね。さて、我々と警備隊の動きはそれでいいとして、フィリップ君とレイアさんは……」
「あたしはクラウスとお師匠様の支援に回ります」
レイアが唐突に割り込んだ。
一瞬、俺は言葉を失ったが、すぐに止めに入った。
「待て、敵はエンシェントドラゴンだぞ。危険すぎる」
「危険は承知の上よ。それに、あたしは何も二人に交じってエンシェントドラゴンを仕留めようなんて思っていないわ。他の宮廷魔術師でも下手をすれば足手纏いだもの。でも、有効打になり得る攻撃ができるのがクラウスとお師匠様の二人だけなら、あなたたちを支援しつつ敵の牽制と自衛もできる人員は欲しいでしょ? 魔術の同時展開に秀でたあたしにはうってつけよ」
言われてみれば、その通りだ。
レイアが支援してくれるのならば、俺とヘッケラーは攻撃に専念できる。
「わかりました」
ヘッケラーもすぐにレイアの有用性に気づいたらしく、彼女の同行を認めた。
「ならば私も行くぞ!」
「ダメよ」
熱く宣言するフィリップに冷水を浴びせるように告げたのはレイアだった。
「何を言っている? お前が危険な最前線に赴くというのに、置いていけるわけが……」
「あなたは足手纏いなの。相手は上級竜なのよ。ただ、剣で刺したり斬ったりすれば倒せる相手なんかじゃない」
「レイア、お前……」
フィリップから視線を外し、沈痛な表情に顔を歪めるレイアは見ているこっちが辛くなる。
しかし、彼女の言うことにも一理ある。
大型の魔物に対する有効打となり得るのは、俺の魔力剣のような一部の例外を除き、ほとんどが高火力の魔術だ。
近接武器で戦うのならば、数の暴力か圧倒的な技量が必要となる。
フィリップほどの腕利きの剣士ならば、最終的に生きて戦場を切り抜けることはできるかもしれないが、戦いへの貢献度で考えれば彼一人が加わったところで大した違いは無い。
フィリップが上級貴族家の当主という時点で、剣士としての参戦はどう考えても割に合わないのだ。
レイアにしてみても、未来の旦那を後方の魔術師部隊よりさらに危険な前線に行かせたくないという思いがあるだろう。
フィリップが、それでも行くと言うのなら、完全にエゴで見栄と見なされても仕方ない。
しかし、それをレイアの口から言わせるのは良くないな。
「フィリップ、俺もレイアに賛成だ。今回は相性が悪すぎる」
「クラウス……」
フィリップが俺を悲しげに見てくるが、こればかりは譲れない。
「君はメアリーとファビオラを守れ。魔法学校に居るはずだろ?」
フィリップはしばらく顔を顰めていたが、俺たちが折れることは無いとわかったのか踵を返した。
「……わかった」
沈痛な面持ちで立ち去るフィリップを見送り、俺はヘッケラーに向き直る。
「それじゃあ、行きましょうか」
「ええ」
俺は続けてレイアにも声を掛ける。
「レイア、行けるか?」
「大丈夫……」
レイアはしばらくフィリップの去った方を見ていたが、どうにか俺たちの元に歩いてきて、杖を持ち直した。
「(ごめんなさい、フィリップ……)」
レイアの口から洩れた言葉は、俺たちの耳に届くことは無かった。
貴族街の上空を飛行し、慌ただしく移動する兵士たちを追い越しながら、俺たちは黒い霧が竜巻を成して噴出する場所に近づいた。
今回は王都内での移動なので、サヴァラン砂漠での行軍や街の外から帰ってくるときほどの速度は出していない。
下に王都の住民が居る以上、風圧による被害を出したら問題なので仕方ない。
この速度なら、レイアもどうにか付いてこられるようだ。
よかった……。
さすがに、俺がお姫様抱っこで運ぶのは遠慮したい。
体重をベヒーモスと比べられたことを根に持って、刺されないとも限らないからな。
それが無くてもフィリップにあらぬ疑いを掛けられるのはご免だ。
「凄い人数ですね。騎士団を総動員ですか」
俺は地上の兵士たちを見ながら呟いた。
黒い霧の噴出場所に向かう歩兵部隊は、戦争でも始まるのかと思うほどの数だった。
貴族の私兵や冒険者も混じっている。
「陛下や王族の警護を担当する近衛騎士団以外、王宮騎士団のほとんどは現場に向かっています。宮廷魔術師団も大半を動員しました。しかし、これでも上級竜と戦うのであれば不安ですね。何せ準備不足です。我々との連携など望むべくもありません」
「まあ、参戦しただけでも大した度胸ですかね。箔付けのために来た脳内お花畑野郎も居そうですが……」
「居るでしょうね。人的被害が出るなら、せめてそういった穀潰しから犠牲になってほしいものです」
同感だな。
ビビッて逃げる連中はただのゼロだが、人を巻き込んで死なせる奴はマイナスの価値だ。
「…………」
「フィリップが心配か?」
俺は先ほどから一言もしゃべらないレイアに声を掛けた。
相変わらず沈痛な表情で見ていられないな。
「え?」
「世話焼きな女房もいいが、ある程度はフィリップのことを信じてやれ。あいつだってSランクの魔物を相手にしても生き延びるくらいはできる腕を持っている」
フィリップを追いやっておいて今更な話だが、あまり心配し過ぎるのも考えものだ。
フィリップ自身も頭ではわかっていても、レイアや俺が戦力として召集される中、自分が何もできないのは辛いに違いない。
「でも……」
「男ってのは守られるより守る側で居たいものさ。見栄も張りたい年頃なのよ」
現代ならフィリップは中学生か。
そのくらいの歳の男の子なら、守られるよりは守る立場に憧れるものだ。
近年では変化も見られるのだろうが、強い女性の人気が高いのはアニメやゲームの中の話が多かった。
やはり野郎どもの心理として、尊敬され守る側でありたいと思うものなのだろう。
俺が前世で生きたのは二十数年。
おっさんから見ればまだまだガキであろうが、それでも十代前半の心情くらいは客観的に見ることができる。
レイアはしばらくポカンとしていたが、クスクスと笑い出した。
「何か……クラウスって年寄りみたいね」
「失敬な!」
レイアの言葉に憤慨してみせたが、実は内心ビクッとした。
俺が転生者であることは誰にも話していないが、感づかれているのではないかと不安になった。
「まあ、とにかくエンシェントドラゴンをぶっ倒したら、フィリップの胸に飛び込んでやりな。あいつは単純だからな。そうすりゃすぐに鼻の下伸ばして嫌なことは忘れる」
レイアは何か言いかけたが、割り込んだヘッケラーの言葉で前を向いた。
「この辺で待機しましょう。各自、戦闘準備を」
「来ますよ」
ヘッケラーの言葉に俺は雷の魔力を高濃度に練っていつでも“落雷”や“プラズマランス”を放てるように準備した。
俺の身体から発せられた紫電を纏った魔力が、足場にしている誰かの家の屋根を焦がすが、後に住民が気づかないことを祈ろう。
貴族街の家なので弁償するとなったら大変だ。
横目に見たレイアも、杖の七つの魔力結晶にあらゆる属性の魔術を準備して、いつでも発動できるようにしている。
最後にヘッケラーを確認した。
「通常の封印よりも瘴気の濃度が濃い気がします。何が起きるかわかりませんが、望ましいことにはならない可能性が高いです。防御やフォローは私たちがやりますので、クラウス君は私の合図でありったけの攻撃魔術をぶつけてください」
「了解しました」
俺は地上の王国軍の様子を視界の片隅に入れつつ、黒い霧の様子をじっくりと観察した。
先ほどまで天を突くような黒い竜巻を成していた霧は徐々に小さくなり、一か所に凝縮され始めている。
魔力の強さは相変わらず上がり続けており、不穏な気配は増すばかりだ。
「まだかしら……」
レイアの呟きが耳に届いた瞬間、黒い瘴気の塊は眩い光を放ち、強烈な魔力の波動を辺りに撒き散らした。
「っ!」
俺はどうにか焦って攻撃するのを堪えたが、他の家の屋根の上や後方の地上に陣取る魔術師の中には、慌てて詠唱を始める者も居る。
しかし、エンシェントドラゴンはまだ姿を現してはいない。
タイミングは合わせなければ。
次の瞬間、空中に漆黒の渦が出現したと思ったら、巨大な黒い塊が姿を現した。
噴出する黒い霧で輪郭ははっきりしないが、膨大な魔力を内包していることは感じられた。
間違いない。
あれがエンシェントドラゴンだ。
「クラウス君! 今です!」
俺はヘッケラーの合図で、練っていた魔力をさらに収束させ、自分が放てる最強の雷の魔術を発動した。
「“雷の裁き”」
俺の身体から膨大な魔力が抜け、凄まじい勢いで空へ吸い込まれる。
発動したのは、俺が雷属性の覚醒魔力を手にしてから編み出した最上級魔術だ。
通常の“落雷”とは桁違いの威力を誇る。
銃声など比較にならないほどの爆音が響いた。
耳をつんざく轟音と共に降り注ぐのは数条の白銀の光。
雲を切り裂き、目が眩みそうになるほどの閃光が広範囲の空から放たれ、無数の稲妻が太い一筋の光に収束しエンシェントドラゴンを上から貫く。
次いで、重苦しい轟音と共に、俺の魔術の着弾地点から石畳やら建造物の破片が土埃と共に巻き上げられ、地上の前線に居た兵士たちにも降りかかった。
「「「「「うわぁぁぁぁ!」」」」」
「何だこれ!?」
「ひぃぃぃ!」
「皆、伏せろ!!」
「退避! 退避ぃ!」
敵に近い位置に居た兵士たちには申し訳ないが、これだけでは終われない。
俺は自分の後ろに待機させてあった次なる魔術を連続で放つ。
「“プラズマランス”――“火槍”」
百本近い高温の白い槍が瘴気の霧を引き裂きながら着弾し、次いで通常の中級魔術とは桁が違う魔力を内包した“火槍”がさらに百発ほど撃ち込まれて大爆発を起こした。
爆炎を中心に再び土埃と瓦礫が舞い上がり、兵士たちは悲鳴を上げる余裕も無くなったようで、耳に届くのは未だに鳴り止まない爆発音のみとなった。