84話 撤収
キメラはAランクの魔物で、ライオンと羊と毒蛇と蝙蝠の合成獣だ。
ライオンの強靭な牙と爪に変則的な軌道で噛み付いてくる毒蛇の尻尾、さらにはブレスを吐き魔力を操る羊の頭を持ち、巨大な蝙蝠の翼で空を飛ぶ。
真っ向勝負でもAランクの格付けに恥じない強さを発揮する。
しかしキメラのAランクたる所以は単純な戦闘能力ではない。
静かに滑空し、音も無く忍び寄る高い隠密性を持ち、奇襲を得意とする。
体長五メートルほどの巨体からは想像もつかないほどのステルス力だ。
実際、キメラに敗れて死んだ冒険者は、ほとんどが奇襲によって殺されている。
とはいえ、一般的な冒険者にとっては奇襲で死ぬことを免れたとしても、そうそう勝ち目など無い相手だ。
これほど強力な魔物が近くに居たのならば、野生動物の少なさも頷ける。
「こいつは見過ごせないな。ここで仕留める」
王都から日帰りで来ることができる場所にAランクの魔物を野放しにするわけにはいかない。
冒険者のAランクといえば一握りの高ランクだ。
数は決して多くない。
ここでキメラを見逃せば、対処できる人間が集まるまでに相当な数の犠牲者が出ることだろう。
何としても、息の根を止めなければ。
しかしレイアの準備を待っている時間は無いな。
キメラは既に臨戦態勢だ。
「フィリップ、俺がやるからレイアの護衛を。もし逃げ出したら追撃を頼む」
「心得た」
「ガルルル……」
真正面から見据える俺に、キメラは威嚇するように唸り声をあげ、毒蛇の尻尾をゆらゆらと漂わせる。
再び闇に紛れ、奇襲を繰り返すことは諦めたようだ。
俺の“探査”が既に隠密など微塵も考えない濃い密度で広範囲に張り巡らされていることも感じ取って、正面から挑む覚悟を決めたのかもしれない。
「しっ!」
強化魔法を発動させた俺は地面を蹴ると、最短距離で大剣を唐竹に振り下ろした。
先ほどまで立っていた場所から土埃が舞い上がり、一瞬で距離を詰められたキメラは即座に回避行動に移る。
「ふっ!」
「グァァアアアァァァァァァァ!!」
雷の魔力を帯びた刀身が、キメラの展開していた魔法障壁を叩き割り、ライオンの顔を切り裂く感触を僅かに感じながら、返す刀で横に薙いだ。
俺の斬撃はまたしてもキメラの身体を完全には捉えていないことがわかったからだ。
羊の頭からそれほど複雑な魔力を感じなかったことから推測するに、魔法障壁で勢いを削がれたり幻影で的を外されたりしたわけではなく、歩法で距離感を狂わされたようだ。
しかし連続して放たれる剣閃を躱すことはできなかったらしい。
俺の大剣はキメラの喉と爪を振るおうとしていた前足を切り裂いた。
「ギョォォアアアァァァァァッ!」
キメラは不利を悟って大きく後退りながら羊の頭に魔力を収束させた。
ブレスが来る。
「“プラズマランス”」
眩い光を放つ白い槍がキメラの羊部分の口に飛び込み、収束した魔力をかき乱して後頭部から抜けた。
普通の魔術なら無詠唱とはいえ、魔物のブレスに勝るほどの早撃ちはできない。
カウンターには到底間に合わないところだが、俺の雷魔術は違う。
覚醒した属性の攻撃は、魔力を練り上げる速度も段違いなのだ。
「シャァァァッ!!」
「ふんっ!」
キメラは最後の足掻きとばかりに血の滴る体をどうにか支え、尻尾の毒蛇が俺に食らいつこうとするが、俺は落ち着いて半身を引き、大剣を振るう。
毒蛇の頭がポトリと落ちた。
万策尽きたキメラは喉からの出血に耐えられず、ついには脚を折った。
横倒しになった巨体の痙攣が収まったとき、キメラの目には既に力は無かった。
「クラウス、やったか?」
「ああ、片付いた」
俺はフィリップに返事をしながらキメラの死骸を魔法の袋に回収した。
生命活動を完全に停止した遺体は最早ただの素材なので、人間だろうと回収できる。
「そっちは無事か?」
「うむ、問題ない」
「ええ」
レイアは戦闘が終わるや否や、早速自分の魔法の袋から魔法陣を取り出して複雑な操作をしている。
「レイア、何をしているんだ?」
「校長先生から貰った分析用の魔法陣よ。魔物の誘引とか精神汚染の効果がある魔道具や術式を探知する物なのだけど……何も無いわね」
なるほど、こんな近くにヘルハウンドやキメラが出現した理由は謎のままか。
妙だな。
自然現象にしては生態系への影響が大きすぎる。
しかし、俺たちだけならともかく、デ・ラ・セルナが前から調査していて何も見つけられないとなると、この野生動物の減少や高ランクの魔物の相次ぐ出現は、意図的な操作によって引き起こされたものではないように思えてくる。
「ふーむ、ということは、だ。人為的な介入によって引き起こされた現象で且つ意図したものではない、とは考えられぬか?」
俺はフィリップに顔を向けた。
「どういうことだ?」
「例えば、キメラやヘルハウンドを人里へ誘導することが目的ではなく、自然と追いやられた可能性がある、ということだ」
俺はフィリップの言葉にしばし逡巡し、一つの結論に辿り着いた。
「つまり、俺たちは深読みし過ぎていたのか。『黒閻』が関与している可能性があるという時点で、王都の北部周辺に決め手になる何かがあると睨んでいたわけだが……」
「でも、そうなるとこの自然ではあり得ない現象はどうして起こったのかしら?」
レイアの言葉に再び考え込むフィリップだが、俺はヘッケラーと話した時のことを思い出した。
「デ・ラ・セルナ校長から師匠への要請では、騎士団と連携して王都の防備を固めるように、となっていた。敵は王都内部で工作している可能性がある。今まで聖騎士である校長相手に尻尾を掴ませなかったことを鑑みるに、警備隊や騎士団を動員しての人海戦術で対応できるとは思えない。恐らく、北部の件は囮か、ただ奴らが簡易的な拠点にしていただけだ」
それでも高ランクの魔物なら強者が長く居座っている場所は、野生の勘なり何なりで避けてきたのだろう。
ヘルハウンドやキメラが出現したことにも納得がいく。
さらにデ・ラ・セルナたちが手がかりを発見できなかった理由も説明がつく。
大規模な術式を行使したりして意図して魔物を誘導したのなら簡単に見つかるだろうが、ただのねぐらでは目に入ったところでスルーしてしまう。
他の盗賊の拠点や世捨て人のボロ小屋と見分けがつかないからだ。
徹底的に隠すのであれば、それこそ違和感が無いように隠蔽する高度な術式を用いた魔法陣や魔道具を使うだろう。
「大変! すぐに戻らないと。王都で既に動きがあるんでしょう? お師匠様と校長先生にこのことを……」
「うむ、目立たない敵の拠点の捜索となると人海戦術しかない。しかし王都で何が起きるかわからない以上、防衛に割く人員との兼ね合いもある。指揮を執れる人間に早急に報告せねば」
俺たちは文字通り王都まで飛んで帰ってきた。
フィリップの飛行魔法は旋回能力や操作性に関しては今一つだが、直線的な動きなら空中を蹴るようにしてある程度の距離を滑空できるようになっている。
成長したものだ。
長距離飛行はまだ不可能なようだが、それでも時折着地して地面や木々を蹴れば、俺の飛行に付いてくることは可能だ。
空中では直線的な挙動になるだけで、速度に関しては全く問題ない。
ちなみにレイアは、ほぼ“浮遊”のみの制御で飛ぶため速度が圧倒的に足りないので、フィリップが抱えて運んできた。
「あの……フィリップ、重くなかった?」
「ん? 全く問題なかったぞ。空を飛ぶのでなければ強化魔法も要らないくらいだ」
「そ、そう……よかった」
そりゃ、レイアは軽いだろうさ。
何たって貧にゅ……ヤバッ、睨まれた。
「い、いやぁ、そりゃ軽いだろうなぁ~。ベヒーモスを投げるのに比べたらレイアなんて羽を持っているのと変わらない……」
「ベヒーモスですって!?」
「クラウス! いくら何でも失礼だぞ!」
「いや、今のは言葉の綾で……」
失敗した……。
俺は気を遣って何か言おうと頑張っただけなのに……。
「と、とにかく! まずは師匠を見つけ……っ!」
俺がフィリップたちから視線を外した瞬間、王都の中心部で巨大な魔力が噴出するのを感じた。
「な、何だ!?」
背中から冷たい汗が噴き出すような感覚を覚え、俺はすぐに臨戦態勢に入った。
かつてないほど嫌な予感がする。
去年、ボルグと戦ったとき以上だ。
「ちょっと見てくる」
俺はフィリップたちを地上に残し高度を上げた。
上空から見てみると、街の中心部で紫がかった黒い如何にも健康に悪そうな霧が、闇属性の魔力を伴って渦巻いているのを確認できた。
あれは貴族街の方だな。
黒い霧が竜巻のように激しく踊り狂い、周囲の建造物や石畳を破壊しながら巻き上げていく。
巻き込まれてくたばるのは、クレメンスの同類か王宮で俺に近づいてきた腹黒令嬢だけにしてほしいものだ。
「あれは一体……? レイア、何かわからぬか?」
「わからない……想像もつかないわ。召喚魔法とも違うし……」
竜巻が大きさを増したので地上のフィリップたちも観測できたようだ。
「フィリップ、ちょっと来てくれ」
「うむ」
俺はフィリップを近くの建物の屋根の上に呼び、黒い霧の場所を尋ねた。
俺では貴族街であることしかわからない。
「あれは……デ・ラ・セルナ邸だ! デ・ラ・セルナ校長の屋敷の場所だぞ!」
「何だって!?」
この霧にはデ・ラ・セルナが関わっているのか?
あの黒い霧には、どう見ても善良な雰囲気は無い。
闇属性のヤバめの気配がびんびんだ。
デ・ラ・セルナが放ったのか?
そうだとしたら、一体何の目的で?
「いや、考えるのは後だ。とにかく、王城に向かおう。師匠かニールセン団長を見つけるんだ」
「クラウス君! フィリップ君にレイアさんも。早くこちらに」
黒い霧を避け、王城前に真っ直ぐ降り立った俺たちは、すぐに目的の人物を見つけた。
筆頭宮廷魔術師のヘッケラーだ。
聖騎士の先輩で最も頼りになるはずの人物だ。
俺たちは王城の前庭で兵士を集めるヘッケラーに近づいた。
「師匠、一体何がどうなっているんです?」
「緊急事態なので簡潔に言います。デ・ラ・セルナ校長が暗殺されました」
「なっ!?」
ヘッケラーが齎した報告は衝撃的だった。
俺とヘッケラー、そしてデ・ラ・セルナ。
この三人は現在の王国で最強の戦力に数えられる、聖騎士の称号を持つ人物である。
しかも、デ・ラ・セルナは龍族のハーフなので寿命も長く、百年以上の実戦経験を積んだ歴戦の騎士だ。
暗殺するなど容易なことではない。
「私も信じたくはないです。しかし、現実を直視しなければなりません」
確かに、今はあの黒い霧をどうにかしなければいけない。
デ・ラ・セルナのことは衝撃だが後回しだ。
「で、師匠。あの黒い霧は? フィリップが言うには、あの場所はデ・ラ・セルナ校長の屋敷だそうですが……」
「ええ、その件には間違いなくデ・ラ・セルナ校長の件が関わってきます。まず、あれは魂を媒介して封じていた強大な魔物の封印が解ける兆候です。私も先ほど陛下に伺い初めて知りましたが、デ・ラ・セルナ校長は『黒閻』の首領イシュマエルの隷獣を、自らの魂を用いて封印していたのです」
「隷獣?」
「召喚獣……いえ、テイムモンスターの奴隷版だと思っていただければ」
闇魔術系統でモンスターテイムの際にそういった絶対服従やら何やら、酷い扱いをする契約を押し付けるものがあるらしい。
一応、王国では禁止されている。
「当然、イシュマエルの隷獣がゴブリンやオークな訳がありません。強力且つ知能が高い魔物なので野放しにはできない。しかし、デ・ラ・セルナ校長が始末しようにも、そんな相手と戦えば周囲に甚大な被害を齎します。結果、自らの強い魂を用いて封印し、じわじわと体力を削って憔悴させる作戦だったようです。陛下が聞いたところでは、あと三十年もすれば体力を削り切れると。デ・ラ・セルナ校長の寿命ならば余裕だったのですが……」
「彼が死んだことで、封印が解けてしまったと」
「ええ、してやられました。不測の事態で命を落とすことはデ・ラ・セルナ校長も想定していたのでしょうが、どうやら『黒閻』は封印を開放する術を持っていたようですね」
複雑な封印の術を解くとなると、武芸大会のときのノックガンを作ったとみられる『魔帝』エルアザルとかいう男が関与している可能性があるな。
厄介なものを……。