83話 ヘルハウンド狩り
「レイア、どうだ? そろそろ何か見つかってもいい頃合いではないか?」
「無茶言わないで。デ・ラ・セルナ校長と互角にやり合ってきた奴らよ。そう簡単に活動の痕跡なんて見つかるわけないじゃない。大体、何を探せばいいのかもわからない手探り状態なんだから」
俺がフィリップやレイアと王都の北を中心に冒険者活動をするようになってしばらく経つ。
確かに、フィリップの言う通りそろそろ手がかりの一つも見つかってほしいところだが、そう簡単に事が進むわけもない。
去年の件もボルグなど『黒閻』の幹部よりも、下っ端のさらに使い走りのような連中の情報がメアリーの網にかかったことに端を発している。
武芸大会のときに奴らの影があったからといって、すぐに尻尾を掴ませてくれるはずもない。
レイアに期待し過ぎるのも酷というものだ。
「クラウス、そっちはどうだ?」
「ん? 俺にレイアみたいな知識を期待しても無駄だぞ」
残念ながら、魔導全般の知識でも感覚でも俺はレイアに大きく劣る。
殺気や剣気ならば見逃すことは無いと思うが、複雑な魔術の痕跡やら何やらを俺に期待されても困る。
「そうではない。狩人としての意見だ。貴公は私よりも狩猟に関しては詳しいであろう」
なるほど、そういうことか。
確かに、貴族家の当主であるフィリップよりは俺の方が森に出入りして狩りに勤しんでいた時間は長い。
野生動物の生態や異変についてはフィリップよりも早く気付けるだろう。
しかし、俺はプロの狩人ではない。
幼少期は基本的に魔術を用いて動物を探して仕留めており、いざとなれば正面から戦闘をしてもどうにかなる保証があった。
弓矢だけを頼りに、猛獣と正面から戦えば不利になる彼らとは、安全度が違うのだ。
当然ながら、俺に本職の狩人のような空気一つで森の様子を感じ取れるスキルなんてものは無い。
「まだ、一般的なことしかわからんぞ。付近に熊や猪が全く見当たらないことがおかしいと言えばおかしいな」
この時期は、熊は冬眠に備えて食い溜めをするし、猪も冬に備えてドングリなどを食いまくる。
魔物以外では非常に美味しい獲物だ。
今回も、道すがら狩ってやろうと思っていたのだが、一匹も姿を拝むことは叶わなかった。
ヘッケラーに言われて北で活動するようになってから徐々に動物が減っていることはわかっていたが、どうも自然現象ではない気がする。
「ヘルハウンドから逃げたとは考えられぬか?」
「可能性はゼロではないわね。でもヘルハウンドの縄張りはもっと奥よ。これほどの広範囲に影響を及ぼすとは考えにくいのだけど……」
おいおい、面倒事の予感がしてきたぞ。
「もっと強力な魔物が居る可能性があるってことか……」
森の奥をさらに北へ進んだところで、レイアの“探査”に反応があった。
「あったわ。闇属性の波動の余韻がまだ残ってる。ヘルハウンドの領域に近づいているわね」
そんなことまでわかるのか。
この場に居ない敵の痕跡なんて、どんな物か予想していても見つけられるものじゃない。
完全に知識の差だな。
俺ではヘルハウンド本体が“探査”の範囲に入るまで、どうしようもないだろう。
そんな俺を尻目にレイアは魔法陣を取り出して何やら難しそうな顔をしている。
「ここで獲物を襲ったようね。周囲の植物への影響や魔力の分析結果からすると、相手を恐慌状態にする殺気や威圧に近い波動を出したみたい」
そして、獲物になった哀れな草食動物はヘルハウンドの腹の中ってことか。
しかし重要なのはヘルハウンド本体だ。
それほど時間が経っていない痕跡を見つけられたことは収穫だが、場所を特定することはできるのだろうか?
「レイア、追跡できるか?」
「もちろん。魔力的な要素で特徴がある魔物は、この魔法陣を使うと大体の方向がわかるの」
さすがに抜かりないな。
「よし、レイア。お前はその魔法陣の捜査に集中しろ。私とクラウスで奇襲に備えるぞ。安心しろ。お前のことは私が守る」
「ええ。お願いね、フィリップ」
このリア充どもは……。
薄暗い雑木林の中に佇む黒い影があった。
俺が薄く広げた“探査”にもかかったので注視してみると、それは三メートルほどの犬の形をしていた。
間違いない。
ヘルハウンドだ。
日があるので少し開けた場所に出ていれば目視できるが、夜だったら見つけるのに苦労しただろう。
「で、作戦は?」
「む? 正面から突っ込むのではないのか?」
うん、フィリップは黙ろうか。
それしか能が無いのはわかっているから。
「ヘルハウンドは索敵能力も高いわ。これ以上、気付かれずに接近するのは無理ね。あたし一人なら通り道に罠を張って持久戦になるけど、今回はフィリップに仕留めるのは任せるわ。その方が毛皮も綺麗に取れるし。まず、あたしが脚と波動を封じるから、クラウスは先制の魔術を放ってフィリップの援護に備えて。フィリップはクラウスの攻撃に合わせて止めをお願い」
「了解だ」
「任せるがよい」
レイアが高台の上から攻撃態勢に入ったのを確認した俺は、二人とヘルハウンドの両方を視認できる位置に移動した。
当然、接近しすぎれば気取られるので、かなりの距離を置く。
この間合いであっても、魔術を発動するくらいの魔力反応を出せばヘルハウンドは気が付くはずだ。
高い索敵能力に闇属性の魔力を用いた搦め手。
純粋な戦闘力はグリフォンやトロールキングに及ばずとも厄介な相手だ。
戦いが長引けば梃子摺る可能性もあるだろう。
フィリップが一直線にヘルハウンドへ接近できる位置に居ることを確認したところで、レイアの周辺から複雑な魔力の反応が立て続けに蠢いた。
「同時展開――“聖枷”――“聖光”――“土槍”――“風刃”」
「ガルゥァァァァァァァ!」
レイアの精密な魔術は寸分違わず目標を捉えた。
“聖枷”に四本の足全てを拘束され反撃どころか回避行動すら取れなかったヘルハウンドは、“聖光”による浄化を体全体で受け、纏っていた闇属性の瘴気にも似た魔力が相殺された。
一瞬、“土槍”は何のために撃ったのかわからなかったが、次の“風刃”の着弾でレイアの意図は明らかになった。
“土槍”は囮だ。
自分のすぐ近くの地面から顎をかち上げるように迫り来る“土槍”を放置するわけにはいかない。
とはいえ、足は封じられたままだ。
ならばヘルハウンドが取る行動は一つ。
迎撃だ。
「ガゥァァッ!!」
それほど魔力を込めていなかった“土槍”は、ヘルハウンドの強靭な顎に噛み砕かれ、あっさりと崩れた。
しかし本命は続いて着弾した“風刃”だ。
俺の“風刃”よりも遥かに精密に制御された不可視のかまいたちは、ヘルハウンドの脚の腱を確実に切り裂いた。
「ギュルォォォォッ!!」
「“放電”」
レイアの聖魔術で拘束されているうえに腱も切られたヘルハウンドに、俺の雷魔術に抗う術は無かった。
感電して体の自由を完全に奪われたヘルハウンドは、既に飛び出していたフィリップのレイピアに額を貫かれ、そのまま絶命した。
「さすがだな、レイア。四つの魔術の同時展開もそうだが、あの“風刃”は俺でもピンポイントで迎撃はできないかもしれん」
「ふふん、そうでしょ。あたしもお師匠様に色々教わったからね」
そういえばレイアもヘッケラーに指導を受けていたな。
夏休みは俺のベヒーモス討伐に付き合い、帰って来てからは武芸大会の件で忙しかったが、最近は彼にも余裕があるようだ。
レイアの指導を集中的にしている。
とはいえ、筆頭宮廷魔術師の仕事の合間を縫ってのことなので、一般人からしたら超人的な仕事量だ。
俺には無理な話だな。
「うむ、確かに最近のレイアはよく頑張っておる。私は妻を飾りのように扱うつもりは無いが、向上心を持って研鑽を積む姿は美しいものだ。誇らしく思うぞ」
「ふふっ、フィリップったら」
はいはい、良かったね。
ピンク色の空気を醸し出す二人に砂糖を吐きそうになった俺は、さっさとヘルハウンドの素材の回収をすることにした。
「で、こいつは冒険者ギルド行きでいいんだよな?」
「ええ、そうね。毛皮の美術品としての価値が高くて、内臓とかは錬金術に、爪とか牙は武器になるけど、あたしたちに必要なものは無いわね」
肉は臭くて食えたもんじゃないらしい。
俺も野犬の肉を好き好んで食べたいとは思わないので、ヘルハウンドは金貨になることが決まった。
「さて、帰るとするか」
俺は魔法の袋にヘルハウンドの死骸を仕舞い、フィリップとレイアに声を掛けた。
「うむ、そうだな。『黒閻』の形跡とやらは次に期待するとしよう」
歩き出したフィリップに続き、俺も僅かに警戒を緩め大剣を“倉庫”に収納した。
僅かに気を抜いた次の瞬間、上空から凄まじい殺気が叩きつけられた。
「っ! 散れ!」
俺は即座に強化魔法を全力で発動し、腰のサーベルを抜き放った。
そのまま居合いで、迫り来る殺気の元に刃を走らせる。
「ギャァオオォォォォォッ!」
敵は体ごと突進してきたので、僅かに左半身に衝撃を食らうも、俺のベヒーモスのローブを抜けるほどではない。
ローブ自体にも傷一つ付いていない。
さすがはラファイエット謹製の防具だ。
俺のカウンターは……駄目だ、浅い。
微かな手応えはサーベル越しに伝わったが、致命傷でないことはわかった。
オリハルコンとはいえ、物を切って全く手応えが無いというわけではない。
この使い慣れた愛用のサーベルなら、どれだけのダメージを与えたか、感触から推察することはできる。
「クラウス!」
「大丈夫だ」
俺は体勢を立て直しつつ“倉庫”から大剣を取り出し、先ほどの襲撃者に向き直った。
横目に確認したフィリップは、レイアを抱えて敵の反対側に離脱していた。
レイアは突然の至近距離からの攻撃に対処しきれなかったようだが、フィリップがすぐにお姫様抱っこをしてその場を離れたらしい。
彼女も前衛の戦士に比べて反射神経や身のこなしで劣ることはわかっているはずなので、障壁や防御系の魔道具は装備しているはずだが、それでも高ランクの魔物の攻撃を確実に防御できるわけではない。
無事で何よりだ。
「なあ、レイア。俺の目がまともなら……奴は……」
「ええ、キメラよ」
目の前の襲撃者は大型のライオンだった。
頭の他には胴体をライオンの特徴が占める割合が大きいが、背中からは羊の頭を生やし翼まで付いている。
尻尾は毒蛇だ。
「Aランクの魔物ではないか! 何故こんなところに……」
フィリップの問いに答える間もなく、俺たちは続けざまに戦いを強いられることになった。