82話 捜査開始
「そうそう、ダイズの件はひとまず置いておくとして、実は君に大事な話があるのですよ」
「大事な話、ですか?」
「ええ」
これは驚いた。
てっきり食い物の匂いを嗅ぎつけて、ここまで来たのかと思ったのだが。
「そこまで驚かなくてもいいではないですか。私が私用のためだけに来ると思いますか?」
「思います」
俺はあっさり肯定した。
今までの行動を思い出してみるといい。
リカルド王の召喚獣のケットシーにあげた魚の灰干しを自分にも寄越せと強請ってみたり、ベヒーモスの討伐前にも関わらず百体近いサンドバッファローを狩りに行ってみたり、水差しの魔道具に大金をポンと払ってみたり……。
思慮深い面より欲望――主に食欲――に支配された面を見た回数の方が多い。
「……クラウス君に師を敬う心が無いのはよくわかりました。まあ、そんなことはどうでもよろしい。最近の王都周辺の情勢について少しお話しておこうと思いまして」
「情勢、ですか?」
ヘッケラーが持ち出してきた話題である以上、ただの世間話であるわけがない。
「そうですね、どこから話したものか……。そちらでは冒険者目線から、何か耳寄りな情報などは手に入れていますか?」
冒険者目線とは言っても、フィリップやレイアと出掛けるときに冒険者ギルドで聞いた話や、メアリー経由で仕入れた情報くらいだな。
「個人的には南部のレッドドラゴンが気になりますね。俺が受付嬢に薦められたのはずいぶん前ですが、未だに討伐されていないみたいです。あとは例年より野生動物や弱い魔物の数が少ないことと、王都の北で高ランクの魔物の目撃数が多いこと、くらいですね」
「大体は網羅しているようですね。大事なのは北部の件です。レッドドラゴンに関しては南部の冒険者ギルドにもSランクが居ますから運が良ければ片付くでしょう。どうしても対処できないようならば我々にお鉢が回ってきますがね」
ほぼ確実にレッドドラゴンの討伐には駆り出されそうだ。
Sランクの魔物は、冒険者の精強さに関しては王国で随一と言われるトラヴィス辺境伯領ですら自力での討伐が敵わない相手だ。
南部にたまたま名を上げたくてレッドドラゴンに突貫する者が居て、その人物がたまたまSランクの中でも群を抜いて強く聖騎士に匹敵する人材だったのならば可能性はある。
「まあ、安心してください。今のところレッドドラゴンは人里からはかなり離れた所に陣取っているそうです。出撃要請が来るにしても先のことでしょう。ドラゴンがフロンティアの奥に帰って行く可能性もあります」
「気休めですか?」
「ええ、そうです」
「はっきり言いますね……」
「で、師匠。北部の件と仰いますと?」
「王都の少し北の方で、強力な魔物の数が増え行動範囲が広がってきていることは事実です。これに関しては、最初から説明すると少々遡って説明しなければならないのですが、兆候はかなり前から見られています。それこそ、君が決闘ごっこをしているときより前から」
それは初耳だ。
まあ、俺も他の冒険者も、自分たちの目と耳で確かめただけでは、今現在のこと以外はわからないから仕方ないか。
「魔物の動きは浮遊魔力の揺らぎに直結します。『黒閻』との抗争が激化している今、少しでも関連が疑われることは徹底的に調べるのがいいでしょう。事実、デ・ラ・セルナ校長は真っ先に自ら王都周辺の調査に出向きました」
そういえば俺がカークとゴタゴタしていたときデ・ラ・セルナは魔法学校を留守にしていることが多かったな。
「で、調査結果は……どうやら芳しくないようですね」
「はい。奴らも手がかりを残すようなヘマはしていないようです」
ヘッケラーの表情から進捗が思わしくないのは見て取れた。
「大切なのはここからです。私が君に伝えたかったのは、探索ついでに北部に気を配ってほしいということです」
「え? デ・ラ・セルナ校長が動いているので邪魔をしないように、とかじゃないんですか?」
俺はヘッケラーの意外な言葉に思わず聞き返した。
「ええ、デ・ラ・セルナ校長からは『黒閻』が次なる攻撃を仕掛けてきた場合の対策を要請されています。私には騎士団と連携して王都の防備をより固めておいてほしいと。そして君には、フィリップ君たちと討伐依頼や狩りに出るときは、北の森を中心にお願いしたいとのことです」
これには正直驚いた。
俺はともかくフィリップやレイアまで『黒閻』の件に巻き込んでくるとは。
「クラウス君は『黒閻』の幹部とも十分戦えることを証明しましたし、フィリップ君やレイアさんもあれから成長しています。君達ならば十分に戦力になると期待しているのです」
「そうですか……。まあ、情報も知らされず、気付いたら敵の包囲網の中、ってなるよりはマシですね」
正直、面倒な連中はデ・ラ・セルナが片づけてくれないものかと思ったりもするのだが……。
「私は『黒閻』と直接戦ったことはありませんので、デ・ラ・セルナ校長どころか君たちよりも敵の情報には詳しくないのです。武芸大会のときのゴーレムからほとんど何もわからなかった以上、私は王都の守りを固めて待つしかありません。危険な役目を押し付けてしまいますが、よろしくお願いしますよ」
「わかりました」
ヘッケラーから北部の情報を聞いてから、俺はフィリップたちにも内容を伝え、北部の調査に乗り出した。
俺たちを巻き込むことに関してはデ・ラ・セルナも完全に開き直ったらしく、すぐに報酬の話になった。
『黒閻』に関しては、既に俺も奴らに敵認定されているようなので今更だが、フィリップやレイアは微妙なところだ。
二人もボルグには殺されかけたので、『黒閻』が敵であることに変わりは無いが、見返りもなくデ・ラ・セルナの陣営に加担させるのは風聞が良くないらしい。
魔法学校の学生である以上、本来なら保護しなければならない対象でもあるからな。
まあ、貰えるものは貰っておけばいいと思う。
俺も建前にかこつけて、デ・ラ・セルナからは大型の魔物を足止めする魔法陣を貰った。
できればベヒーモスの討伐に行く前に欲しかったな。
しかし、聖騎士で高位の魔術師であるデ・ラ・セルナ謹製の魔法陣など、金を積んでもそう簡単に手に入るものではない。
それを考えると、いい取引だったと思う。
「で、クラウス。依頼はこのヘルハウンドの討伐でよいのか?」
「ああ、目撃場所も北方面で、難易度的にも問題ないだろう」
「そうね。あたしも倒したことがあるけど正面から挑んだわけではないから、いい経験になるわ」
今回、俺たちが受けた依頼の討伐対象であるヘルハウンドはBランクのデカい犬のような魔物だ。
最近はBランク程度の魔物の出現が頻発していて、この討伐依頼はその中の一つだ。
ヘルハウンドは魔力による身体強化を使うので膂力や俊敏性が高く、闇属性の魔力による波動で精神を揺さぶってくる。
とはいえ、トロールキングのように人型で知能が高い魔物のように人間と同じような魔術を使うことは無いので、魔力による攻撃に関してはそれほど脅威度は高くない。
ヘルハウンド自身にとっても牽制や攻撃の補助に使う程度の認識だ。
余程の臆病者でなければ委縮してしまうことは無いし、魔力操作の心得がある人間ならば弾き返せる。
いざとなったらレイアの“聖治癒”で解呪できるので安心だ。
それにBランクの魔物の対処ならロックバードの討伐で、俺も単独で戦った経験がある。
まあ、油断するのはよくないので、接近戦に弱いレイアにはいつもより離れた場所から援護してもらうことになりそうだが。
「ねぇ、これだけ王都に近い場所にヘルハウンドが出るなんて、なかなかに異常なことよ。どうも嫌な予感がするわ」
「奇遇だな、レイア。私もそう思っていたところだ。事は既に動き出しているのではないか」
あの鈍感なフィリップが危機を察知しただと!?
そっちの方が異常事態だ。
「クラウス、貴公が何を考えているかはわかるが……私も去年は不甲斐ない思いをして気を引き締めなおしたのだ。我々はトロールキングにグリフォンなどAランクの魔物との遭遇もあって少々感覚が麻痺しているが、Bランクの魔物の出現が重なるなどそう多いことではない」
「まあ、その通りだな。しかし、ここで手を拱いていても魔物は片付かないし、何より『黒閻』の手がかりも見つからない。行くしかないだろ」
「その通りね。まあ、校長先生も色々と調べているみたいだし、あたしたちが出た途端に敵の攻撃が始まるなんてこともないでしょう」
そしてレイアのトラブルメーカーぶりはこんな時にも発揮され、俺たちが行動を開始した途端に事態は急転するわけだが、この時の俺たちには予想する術が無かった。
「おい、首尾はどうだ?」
「ふん、抜かりないよ」
クラウスたちが討伐依頼をこなしているのと同時刻、王都の裏路地で密談する者たちが居た。
まだ人通りの多い時間帯、見るからに不穏な雰囲気を漂わせる輩が闊歩するには困難が伴うはずだが、彼らにとって一般市民や警備隊の存在など意味を成さない。
しかし、それを警備隊の無能と言い切るのは酷な話だろう。
世界中を敵に回し、王国最強の戦力である聖騎士との戦いを生き延びてきた彼らにとって、王都の深い場所まで潜入するなど造作もないことだ。
警備の目を潜り抜けるのに適した場所など知り尽くしている。
「ロベリア、死体は確認したのか?」
「もちろんさ、ボルグ。あたいにかかれば朝飯前のことだったよ」
「エルアザルの魔道具をふんだんに使ったようだな。気配消しに短距離転移に数重の幻影に、暗器まで」
「う、うるさいね! どんな方法を使ったところで、あたいは仕事をこなしたんだ!」
「おまけに、その傷か?」
「くっ……」
ロベリアは引き摺っていた左脚を庇うような動作で引いた。
表情は隠せぬ警戒心に歪んでいる。
彼女にとってボルグはとてもではないが信用に値する相手ではないのだ。
負傷を理由に切り捨て始末されることも想定している。
しかし、これほど早く傷を見抜かれるとは思っていなかったようだ。
「――“ハイヒーリング”」
「っ!」
ロベリアはボルグのかけた治癒魔術に一瞬驚愕を顔に浮かべるが、すぐにいつもの不機嫌な表情に戻った。
「どういうつもりだい?」
「貴様をここに残していくわけにも、足を引っ張られるわけにもいかん。働いてもらうぞ」
ボルグの無機質な口調に開きかけた口を閉じたロベリアは、大人しく治癒魔術を受け入れた。
治療を終えたボルグが佇まいを正し、歩き出しながらロベリアに声を掛けた。
「行くぞ。第二段階だ」
「ああ、わかってるよ」
「それと……」
ボルグは一旦足を止め、ロベリアに顔を向けぬまま言葉を続けた。
「ご苦労だった。宿敵である砂塵の聖騎士の始末をやり遂げたのは貴様だ」
ロベリアはしばらくの間、驚愕の表情で固まっていたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「ふん、わかればいいんだよ」
二人の姿が闇に溶けるように消えた。
裏路地を徘徊する者たちが一瞬彼らに気を向けるが、すぐに興味を失ったように視線を外した。
王都に建国史上最大の危機が訪れるまでのカウントダウンが始まったが、そのことは誰も知る由が無い。