81話 ロックバード実食
カークとの決闘から数週間が経ち、10月末の精霊祭が終わった時期に、俺はランドルフ商会の本部に来ていた。
飲食業を幅広く展開するランドルフ商会にとって、精霊祭の終わりは一大プロジェクトの終了であると同時に、12月の建国祭へ向けた準備に切り替える時期でもある。
この国が湧きたつイベントと言えば建国祭の方がメインだ。
内輪で奮発した食事を用意する程度の精霊祭に比べ、建国祭の方は町中がお祭り騒ぎだからな。
当然、飲食店や屋台の客数は増加し、話題性のある商品の需要も増える。
そんな商機を逃すランドルフではない。
俺の方はカークの件でドタバタしていて精霊祭の前にランドルフ商会の仕事はできなかったのだが、建国祭の前には本部に顔を出してくれと言われた。
トラヴィス辺境伯領との交易が影響する部分での打ち合わせが主だが、ついでにロックバードの試食会もやってしまおう。
ランドルフは大商人だけあって確かな舌を持っている。
いい意見が聞けるはずだ。
しかし、俺が本部に到着すると、意外な人物と顔を合わせることになった。
「さ、それでは始めましょうか」
「「…………」」
「ん? どうかしましたか?」
「……何故、師匠がここに?」
しれっと俺たちの前に現れ、何故か仕切り始めるヘッケラーにジト目を向けるが、彼は柳に風と受け流した。
「おやおや、君を弟子にしたときに話したことを、もう忘れたのですか? クラウス君に引っ付いておけば、色々と美味しい思いをできる気がすると言ったではありませんか」
だからといって、いきなりランドルフ商会の本部まで押しかけてくるとは思わなかった。
「まあまあ、師には敬意を払うものですよ」
「そういう図々しい姿を見ると尊敬の念が吹っ飛びますよ。ねえ、ランドルフさん」
「いや、私に振るな……」
まあ、王都有数の大商会の会頭とはいえ、正面から筆頭宮廷魔術師で侯爵のヘッケラーに文句は言えないか。
「で、今日は何を料理するのですか?」
仕方ない、ヘッケラーの分も出すしかないな。
「この前ロックバードを仕留めましてね。モモ肉とムネ肉とレバー、卵は食べるそうですが、これまた随分と美味い部分を捨てているとか。毒が無いことはわかっているので、他の内臓と肉や皮を使ってみたいと思いまして」
「ほほう、なるほど。ロックバードはBランクの魔物ですが、そこそこの数は出回ります。Bランクの魔物を討伐できる冒険者は高ランクの部類に入りますから、当然ロックバードの肉は高級品ですが……今まで知られていた可食部以外の部位も美味しいようなら、それは冒険者にとっても一般市民にとっても大きな利益になりますよ」
それはそうだろう。
モモ肉など前から食べられていた部位は相も変わらず高級品だったとしても、ハツや皮は比較的安い価格で流通させられるはずだ。
それでも庶民にとっては、たまの贅沢になるだろうが、食料が増えて悪いことは無い。
サンドバッファローに続いて、俺の食糧事情への貢献はなかなかのものだと思う。
「さてさて、今日はどんな料理がいただけるのか楽しみですねぇ」
……あんたは少しプリン体の摂取量を心配した方がいいんじゃないかね。
知らんぞ。
痛風になっても。
「では、最初から付き合わせて申し訳ありませんが、俺はロックバードの味を知らないので、まずはモモ肉のソテーから味見しましょう」
「いえいえ、気にしないでください。ロックバードはいつ食べても美味しいですからね」
師匠……あんたには謝ってねぇよ。
美味い不味いだけでなく建設的な感想が欲しくてやっていることなのだが、この食い意地の張った残念なおっさんはわかっているのかね……。
「問題ないぞ、イェーガー将軍。私も日常的にロックバードを口にしているわけではないが、平均的なロックバードの味と比べられる程度の舌は持っているつもりだ。可食部として一般的なモモ肉から始めるのは、個体の性質を知るうえで役に立つだろう」
「ランドルフさん……あなたが唯一の希望ですよ……」
「あ、ああ」
俺の取引相手がまともで本当に助かった。
「さて、まずはこちらを。単純に塩コショウで味付けしたものですね」
「ほほう、いい焼き色ですね」
「では、早速……」
ロックバードのモモ肉のソテーに二人が手を伸ばしたので、俺も一切れ口に入れた。
皮付きの、肉と脂の両方を味わえる部分だ。
噛んだ瞬間、口の中にジュワっと脂の香りが広がり舌を包み込んだ。
「丹○鶏だ……」
くど過ぎず、かといって肉にパサつきを一切感じない上質な鶏の味だ。
前世で食べたことがある地鶏の一つに似ている。
○波鶏はずっしりとした繊維がよく詰まった肉質に、分厚く旨味の強い脂を持つ、味が濃い鶏肉である。
下手な小細工をせず、照り焼きやローストにするのが一番いい。
最近の品質や流通の状況は知らないが、当時はこれほど美味い鶏肉は他に無いと思っていた。
「うん、素晴らしい。魔法の袋で保存していたこともあるのでしょうが、傷みや血の痕からなる雑味が一切ありません。倒し方も良かったのでしょう」
「侯爵様の仰る通りですな。普通の冒険者ならもっとズタズタにしてしまいますから。間違いなく、この個体は一級品です」
なるほど。
思いの外ロックバードの耐久力が高く、一撃で絞めることはできなかったが、それでも普段出回る肉より質はいいようだ。
まあ、Bランクの魔物である以上、俺みたいに電撃で動きを止めて首を一撃で落とすなんて芸当は、まず不可能だろう。
余程の腕利きが仕留めた場合を除いて、ロックバードが息絶えたときには焦げ跡やら切り傷やらでボロボロになっているはずだ。
「さて、このロックバードの肉が素晴らしいのはわかりましたが、そちらは?」
ヘッケラーが待ちきれないといった様子で、俺が運んできた二つ目の皿について聞いてきた。
「これは香草のタイムと一緒にピュアオリーブオイルで焼いたものです。タイムの香りは鶏肉とよく合います。コカトリスで試した時はモモ肉にも手羽にも使えたのですが、ロックバードに合わせてどうなるか……」
「ほうほう、では早速……」
ヘッケラーに続いて俺とランドルフも料理に手を伸ばした。
「美味い。タイムの香りが食欲を刺激して、くどくなりそうな脂と淡泊な肉にアクセントを加えている。これは、売れるぞ!」
ランドルフからはお墨付きを貰えたようだ。
俺も先ほどと同じように皮の付いた部分を口に入れてみるが、予想以上の美味さに思わず顔を綻ばせた。
「確かに美味い。コカトリスより脂が多くて味が濃いので、下手に弄ると台無しにしてしまうところでしたが、タイムとの相性は悪くないようです」
モモ肉のタイム風味のソテーはランドルフ商会の展開する高級店で供されることになるだろう。
「うーん」
「クラウス君、どうかしましたか?」
一通りロックバードの内臓料理を食べ終えたところで、考え込む俺にヘッケラーが声を掛けてきた。
「少々、足りないものが……」
塩コショウの他にオリーブオイルにアブラナ油、ワインやコンソメや香草で作れる料理は問題なかった。
ロックバードは内臓類にも臭みが無く非常に美味で、今まで食べてこなかったことをヘッケラーもランドルフも後悔したほどだ。
しかし、俺の思い描くレバーとハツやキンカンのワイン煮には決定的に足りないものがある。
味に深みを出すためには日本人のソウルフードが必要だ。
「足りないもの? ああ、前に言っていた『ダイズ』と『ショウユ』と『ミソ』とかいう調味料ですか?」
「師匠、正確には大豆は調味料ではなく豆です。醤油と味噌が大豆から作られる調味料の一つです」
ランドルフには既に大豆や味噌や醤油の情報を集めるように頼んである。
しかし、状況は芳しくない。
味噌や醤油に加工する技術はともかく、大豆が飼料として生産されている地域くらいは見つかると思ったのだが、情報は全く入ってこない。
手広くビジネスを展開するランドルフは、国からも一目置かれる大商人だ。
王国から承認を受けた商会ということもあり、基本的には他国に財貨を多く流すようなことはしないが、取引相手や仕入れ先は国内だけではない。
中央大陸全土の情報を集められると言っても過言ではないのだ。
それが未だに醤油や味噌どころか原材料の大豆の痕跡すら見つけられないとは予想外だ。
「しかし、妙な話だな。自分で言うのもなんだが、ランドルフ商会は王国有数の大商会だ。軍事や政治の機密情報ならともかく、食品に関する情報がガセ以外集まらないというのはおかしい」
「確かに、豆と塩と『コウジ』…… 酵母のようなものでしたか? それを発酵させた調味料にその原材料の豆。少数民族の郷土料理にしても、これだけ珍しい物が実在するならば情報くらいは集まってもいいはずです。となると……この辺りには無いのかもしれませんね」
ヘッケラーの言葉にランドルフが反応した。
「侯爵様、それは中央大陸には無い、ということですか?」
「ええ。それにバスティール帝国や中央大陸南部の離島にも、ですね。帝国や近隣の島ならば滞在した経験のある冒険者くらい見つかるでしょう。それなのに情報が無いということは、その辺りにも存在しないと見ていいでしょう」
普通に考えたら、俺がホラ吹き扱いされそうな状況だな。
そうならないのも、揚げ物やドレッシングにマヨネーズ、タルタルソースにトラヴィス領の香辛料やサンドバッファローに関する商談をまとめてきた実績があってのことか。
知識の出どころを今は手元に無い古本などと偽っていることからして既に不自然だ。
俺が転生者だということまでは二人とも気づいていないだろうが、俺が突っ込んでほしくないと思っていることは察しているようだ。
とはいえ、あまり嘘を重ねて信用を失うような真似はしたくない。
せめて非合法な品を扱う闇商人から手に入れた本や情報くらいに思っていてほしいものだ。
「となると、イェーガー将軍の情報は魔大陸に関するもの、ということですかな?」
「そうですね。魔大陸の情報を生きて持ち帰ってくる者は少ないですから、その可能性はあります」
「魔大陸ですか……。うちの実家の書斎の本にも魔法学校の地理の教科書にも、ほとんど載っていなかったので良く知らないのですが……」
一般書物より詳しいことを知っていそうな二人に俺は期待の目を向けた。
「王国との行き来があるのは、魔大陸南部の港町だけですね。それでも魔大陸に渡って無事に帰ってくる者は多くありません。南部ですら魔物の強さや過酷さは段違いだそうですから、北上したらどうなっていることやら……」
「残念だが、商人でも大陸を北上できる者など居ないな。そんなことができたら冒険者にでもなっているだろう。精々、最南端の港町に買い付けに行くくらいだ」
どうやら、魔大陸の港町より北に行ける人間が圧倒的に少ないため、情報が不足しているようだ。
ヘッケラーも筆頭宮廷魔術師としての立場がある以上、軽々しく遠征はできないとのことだ。
「魔大陸の北に住む少数民族か……あるいは『封じられた地』、ですね」
「師匠、その『封じられた地』ってのは?」
「かつて存在した、伝説の古代都市。その地には封印された魔王が、はたまた邪神が眠るとされ、古の勇者や賢者によって古代錬金術を用いてその場所ごと封じたそうです。辿り着いた者は居ません」
何だかF○っぽくなってきたな。
「ええと……要は都市伝説ってことですか?」
「いえ、『封じられた地』は実在します。実際に強大な魂を持つ者を長い年月にわたって封印することは、今の魔導技術でも可能なのです。都市や大陸丸ごと封印するなど想像もつきませんが……」
そういえばデ・ラ・セルナの持っていた『黒閻』の首領イシュマエルの魂魄結晶も封印に関連する物か。
それを周辺一帯ごと……確かに想像を絶する規模の話だな。
「少なくとも中央大陸には入り口は無いというのが定説だ。フロンティアとはいえ冒険者の立ち入りがちょくちょくある以上、その辺に『封じられた地』があるのであれば、怪しい場所はピックアップされる」
ランドルフも知識があるようだ。
どうも俺ってば、この世界の常識が欠如しているようだな。
伝説の勇者や魔王のことも知らなかったし。
転移ではなく転生なので、最低限の地理などは実家の書斎の本で読んだはずなのだが……。
まあ、故郷がそれだけ田舎だったってことかね。
前世でも知らない物語なんて山ほどある。
源頼朝と鎌倉幕府は多くの人間が知っていても、武蔵坊弁慶や木曾義仲のことは歴史や時代劇が好きな人間でなければ、まともに知らないだろう。
何百年も千年も前の話など、そんなものだ。
「魔術師や錬金術師にとってはまさに夢の地ですね。失われた禁呪や古代の錬金術の資料があるかもしれない場所なのです。『封じられた地』への到達を夢見て旅に出て、そのまま帰らぬ人となる者も居ますよ」
ヤバいな。
そんなエルドラドやシャングリラみたいなやつなのか。
「もし、現物が見つからなくても、『封じられた地』にはヒントがあるかもしれませんね。私も本格的に探してみましょうか」
「いや、師匠……醤油一つのためにそんなヤバそうなものを目指されても……」
「実際、『封じられた地』には古代の書物などが残されている可能性があるのです。製法が失われた酒や食材に関して書かれていてもおかしくありません。元々、『封じられた地』への到達は魔術師の悲願なのです。動機が多い分にはいいではありませんか」
この人なら本当に見つけてしまいそうだな。
「『ショウユ』や『ダイズ』があれば前に言っていたホークタロンを使ったサンドバファローのタレも出来るようですから、君も私の寿命が尽きないうちに完成させるよう頑張ってくださいね」
あ、焼肉のタレのこと覚えていたのね。