79話 決闘に向けて
「決闘ね……。あいつ正気か?」
「血迷った状態を正常と言うのであればな。はぁ……」
寮のラウンジでお茶を飲みながら、俺とフィリップは溜息をついた。
一応、王国の法で決闘は認められているらしい。
多くの場合、貴族同士の名誉や利権や女を巡ってのことらしいが、平民が貴族に挑むのは初だそうだ。
何せ平民側が圧倒的に不利である。
裏工作においても本番の装備に関しても、資金力のある貴族の方が強い。
どうしても許せない貴族が居るのならば、決闘などという面倒くさいシステムを使って表に出る危険を冒すより、暗殺や反乱を試みた方が成功率は高いのだ。
余程の強者でない限り、貴族だろうが王族ろうが、凶刃に掛かればお終いだからな。
ならば単独で正面から挑む愚を犯す必要は無い。
今回のカークの件はまさに異例の事態だ。
曲がりなりにも貴族家の出である俺に、ハイゼンベルグ伯爵の妻の浮気相手の息子というだけの平民が、それも上から目線で「尊厳を傷つけられた」だの「身の程を教えてやる」だのほざいているのだ。
俺自身、貴族の血筋である自覚は薄いが、こいつの思考は本当に理解に苦しむ。
今更だが、奴の挑戦は受けることになった。
俺は、一度は追い払って忠告し、二回目は骨をいくつかへし折って警告し、三度目は始末する予定だった。
しかし、フィリップが即座に受けろと言ってきたのだ。
どうやら断るのは不名誉らしい。
そんなものクソ食らえなのだが、あいつ一人始末すれば今後の面倒を防ぐことができると言われフィリップに従った。
こういうアドバイスでフィリップを信じて損は無いからな。
決闘は後日、文官の立会いの下で行われるらしい。
手続きを終えたカークの奴は自信満々で去って行った。
この書類作成に時間を取られて午後の外出は取りやめだ。
フィリップたちと訓練がてら冒険者ギルドの討伐依頼をこなそうと思っていたのに……。
まったく、迷惑な奴だ。
「なあ、フィリップ。あいつ、消していいんだろ?」
俺の苛ついた問いにフィリップはしばし逡巡し首を横に振った。
「駄目だ、殺すな」
「何かいい考えが?」
こういうときのフィリップが意味の無いことを言うはずがない。
「うむ、その前に確認だ。そもそもカークの立場はハイゼンベルグ伯爵の妻の浮気相手の息子という、本家からすると微妙な立場だ。イングリッドの実家であるエクトル子爵家の者にとっても疎ましい存在のはずだろう。手を下すのが恥の上塗りとなる行為とはいえ、ずいぶんとカークにハイゼンベルグ一門は友好的だと思わないか?」
「確かにそうだな。俺たちが入学する前のことはよく知らないが、カークがハイゼンベルグ一門の者と名乗ることを許す程度には、関係は悪くないのか。何故だ?」
「先ほどエドガーに通信水晶で聞いたのだが……カークをハイゼンベルグ伯爵の養子にするという話があったそうだ」
「何だって!? 浮気相手の子どもをか?」
これにはさすがの俺もびっくり仰天だ。
あのブタガエル、NTR属性持ちだったのか。
「……貴公が何を考えているかは敢えて聞かぬが、ハイゼンベルグ伯爵は転んでもただでは起きない奴だったようだな。夫婦の仲はとっくに冷え込んでいたとはいえ、妻の浮気がきっかけで知った者すら利用するわけだ」
クレメンスには嫡男であるアーネストが居るので、カークはハイゼンベルグ本家を継ぐことなどできない。
しかし、クレメンスがカークを気に入って養子に迎えたとなれば、それなりのポジションを将来的には得られるはずだ。
クレメンスの方は、妻が入れ揚げている男の息子を手中に収めることで彼女への牽制材料に、その実家のエクトル子爵家からの援助を引き出そうと考えていたらしい。
まあ、どんな背景があったにせよ、クレメンスと妻のイングリッドが処刑されエクトル子爵もお陀仏になった今となっては、全てご破算だ。
「続けるぞ。カークが魔法学校に入学するころには、彼がハイゼンベルグ伯爵の親類になることが非公式にせよ確定していた。市井の者の耳に入らずとも、近しい者たちは知っていたわけだ。例えば、魔法学校の理事の一部、などだな」
「なるほど、少しは読めてきたぞ。カークもハイゼンベルグ伯爵家が魔法学校で権威を誇示するための手先の一部だったわけだな」
カークは自分の立場を守るためだけに偉そうにしていたわけではなかったのか。
いや、ハイゼンベルグ本家が後からカークを利用することを思いついたのか。
「その通りだ。次の年にはアーネストが入学する。事前に自分の手の者が傍若無人に振る舞い理事に圧力をかけ、魔法学校で影響力を示しておきたかったのだろう」
「聞いておきたいんだが、何故クレメンスはカークをさっさと養子にしなかったんだ? 奴を通して魔法学校の理事どもに圧力をかけるのならば、妻の浮気相手の息子のままにしておくよりも、さっさと正式に親類にした方がいいのでは……」
「そこは、ハイゼンベルグ伯爵の無能故であろう。家臣としての取り立てならともかく、平民を養子にするには相応の理由が無ければならぬ。土木ギルドで自作自演の功績を用意するのに手間取っていたようだ」
「なるほど」
オルグレン伯爵家やトラヴィス辺境伯家では、カークなど一生かけても功績など手に入れられないだろうが、ハイゼンベルグ伯爵家ならばどうにかなったはずだ。
そもそもの基準が低いので、少し黒字のプロジェクトに名前だけ連ねてみれば、どこに出しても恥ずかしい功績の一丁上がりだ。
アーネストにもそうやって箔を付けさせていたのだから、あの家にとっては常套手段のはずだろう。
頭が残念な度合で言えば、アーネストもカークもそう違わない。
カークの囲い込みが終わらなかったのはクレメンスが間抜けだったことが原因だ。
「さて、そんなカークだが、後ろ盾となる連中が悉く貴公に消されたにも関わらず自身は死を逃れた。ハイゼンベルグ伯爵との養子縁組が終わっていなかったことが今回は幸いしたわけだが……」
確かに、クレメンスの息子になっていたら連座で処刑、良くてアーネストと同じく教会送りだったはずだ。
「今後は息を潜めて大人しくしておけばいいものを、奴の頭はあまりにも残念な構造をしていたようだ。よりにもよって、貴公に直接手を出してきたのだからな」
「そうだな。しかし、それならさっさと斬っちまった方がいいんじゃないか? 処分を免れたゴミが自爆してくれたんだぜ」
「本来ならそれでいい。しかし、カークを野放しにしていた間に生じた損害に関して、誰が責任を取る?」
「ん? そんなの本人の命で……」
「被害が出る前に奴を処断できず、今回も貴公に面倒事を押し付けて傍観を決め込もうとする愚か者に、今度こそ手を汚して働いてもらおうとは思わぬか?」
ここまで言われればフィリップの意図も分かる。
「そうか、理事会に処分させるのか」
深夜、魔法学校の教員棟の一室にて。
『ほう、わしの留守中に面白いことになっておるようだの』
「冗談じゃありませんよ。武芸大会の件でハイゼンベルグ伯爵の手先は掃討したものと思った矢先に、あの勘違い野郎が……失礼、カーク君がイェーガー君に喧嘩を売って盛大にやらかしやがったのです」
通信水晶に映る人物に愚痴るのは魔法学校の教頭であるシルヴェストルだ。
『そうカリカリするでない。ミスター・イェーガーの周囲で起こる爆発にいちいち反応していては、毛根が持たぬよ』
「……校長、彼らはとっくに戦死しました」
通信水晶の中のデ・ラ・セルナは性懲りもなくシルヴェストルを煽る。
淡々と返すシルヴェストルも慣れたものだ。
「私の髪のことはともかく、問題は理事会です。ハイゼンベルグ伯爵と大っぴらに癒着していた連中は武芸大会の後に掃除されました。しかし、カーク然り、反逆罪という大事に加担したとして粛清する以上、どうしても取りこぼしが出てきます」
『…………』
「完全なる傍観者ならばともかく、じわじわと膿を貯め込むような厄介な連中です。どうにか穏便且つ秘密裏に勢力を削りたいものでしたが、周りが騒がしすぎます」
クレメンスに迎合しカークやアーネストを優遇して、自分たちの影響力を強めようとしていた連中は武芸大会の後、シルヴェストルたちの活躍で排除された。
しかし、クレメンスに肩入れまではしていないものの、カークの処分に関して横槍を入れようとする者たちは居る。
当然、曲がりなりにも魔法学校の学生であるカークを守ろうなどという殊勝な心掛けではなく、シルヴェストルたちにケチを付けることが目的だ。
『またミスター・イェーガーに苦労を掛けることになるか。いい加減、爆発しそうだの』
「当然、私もそれは恐れています。憂さ晴らしに理事会を全員暗殺されかねませんからね」
「カーク君の件は完全にこちらの落ち度です。イェーガー君に迷惑を掛けてしまった以上、この件で協力を要請することはできません」
『彼にミスター・オルグレンが付いていることも厄介だの。理事会を煮るつもりか焼くつもりか……』
「我々にできることは、せめて後始末に一枚噛ませてもらって、魔法学校全体の利益を守ることだけです」
『確かにの。ミスター・イェーガーにとって魔法学校の評判や未来などどうでもいいこと故』
理事会の面子が見捨てられた瞬間だった。
フィリップは、理事会には腐っても魔法学校の学生であるカークの処分を担当してもらって泥や悪評を被ってもらう程度のつもりだが、シルヴェストルたちはそのようなこと知る由もない。
それこそ、一番鮮明に記憶に残っているのは、武芸大会でクレメンス一派の逃げようとした連中を、クラウスが容赦なく“落雷”の魔術で殺したことだ。
あの断罪の雷が理事会に向く未来の方が想像に難くない。
『とにかく、まずは決闘の場と理事会の動きを完全に捉えておくが良い。細かいことは後じゃ』
「ところで校長、例の件の進捗は?」
最近の魔法学校にデ・ラ・セルナの姿は無い。
クラウスともクレメンス陣営が持ち出したゴーレムとノックガンの調査の際に顔を合わせたきりだ。
その間、デ・ラ・セルナは当然ながら遊んでいたわけではない。
『芳しくないのぅ。少々、森の魔物の領域に乱れはあるようじゃが、自然現象と言われても否定できん』
「では『黒閻』の形跡は……」
『無い』
クラウスのオリジナルの魔道具と認識されている銃を、『黒閻』の一味が作り出し武芸大会に持ち込まれたことから、彼らがまた攻撃を仕掛けてくる可能性は高い。
デ・ラ・セルナは今も王都周辺の調査と情報収集に努めている。
しかし、そう簡単に敵も尻尾を掴ませてはくれない。
「校長、気を付けてください。校長の予想通り『魔帝』が関わっているのならば、事態は既に深刻な……」
『うむ、精々慎重に行くとしよう。わしも年じゃからの』
「アレク殿……ご武運を」