66話 役者は揃った
「なるほど、それは不愉快な連中ですね……。いいでしょう。私も一枚噛ませていただきます」
レイアと会った次の日、俺は急ぎ王宮のヘッケラーを訪ねていた。
宮廷貴族という噂と陰口しか取り柄の無い穀潰しが徘徊する場所をレイアと連れだって歩くのは憚られたので、ヘッケラーの執務室に来たのは俺一人だ。
「話が早くて助かります。帰って来て早々、面倒事に巻き込んで申し訳ありません」
「いえいえ、クラウス君の方こそご苦労様です。君が中心とはいえフィリップ君もレイアさんも私の弟子ですから」
そういえば、そんなことになっていたな。
筆頭宮廷魔術師たるヘッケラーが方便だけで弟子を取るはずはない。
彼なりにフィリップたちのことも考えてくれているのだろう。
「しかし、迂闊でした……。私は数年ぶりに武芸大会が開かれることと例年より大規模なことは聞いていましたが、まさかそのような背景があったとは……」
ヘッケラーには詳細が伝わっていなかったのか?
巧妙な情報操作の可能性は……無いな。
裏で糸を引いている連中がクレメンスよりはマシな脳みそを持っていたとしても、俺に近しい者と考えて短絡的にフィリップに攻撃を仕掛けるような奴らだ。
恐らく、眼中に無い連中の稚拙な策略というところで見逃していたのだろう。
ラファイエットなら教えてくれてもよさそうなものをと思ったが、彼の頭にはベヒーモスの素材のことしか無かったとしても不思議ではない。
彼は錬金術以外に時間や労力を割くことを嫌う、根っからの研究者タイプだ。
もはや魔法学校の教師の方が副業なのかもしれない。
「時期もおかしい。開催まであと数日とは、我々の不在の時期を狙ったかのようです」
「そうですね。ベヒーモスの討伐にはあと一、二週間かかっていてもおかしくありませんからね」
奴らも俺たちがこれほど早くベヒーモスを倒して帰ってくるとは思わなかったのだろう。
開催があと一週間早かったら、俺たちが帰ってきたときには全てが終わっている。
敵がノロマで助かった。
「ところで、師匠。このことは国王陛下には?」
「報告はします。しかし今の段階では陛下の介入は期待できないでしょうね」
「反体制派は、今回の件に関わっている馬鹿だけではないから、ですか?」
「そういうことです。陛下が我々に肩入れするような素振りを見せただけで、金と労力を使ってあることないこと吹聴し、権威を貶めようとする連中が居ます」
「虎視眈々と機会を狙っているわけですか……暇人どもめ……」
「クラウス君、魔法学校の方は動いていますか?」
「……まだ確認していません」
俺は口ごもった。
本来なら、自分の所の教え子であるフィリップが面倒事に巻き込まれている以上、魔法学校が中心になって対処してもいいはずだが、俺は全く期待していなかった。
デ・ラ・セルナをはじめ、一部に頼りになる人間は居るが、組織としては全く頼りにならない。
何せ、去年の『黒閻』の件でデ・ラ・セルナとシルヴェストル以外、ほとんど役に立たなかったのだ。
俺やフィリップが勝手に動いたこともあるとはいえ、ボルグが誘導した魔物の大群の対処くらい人手を出してくれてもよかったはずだ。
しかし、上級生も教員もほとんどがビビって閉じ籠るか逃げ出す始末だった。
ごく少数、鶏小屋に向かい戦った学生は居たらしいが、それは個人の判断と功績だ。
組織としては何の方針も打ち出していない。
ラファイエットやベルリオーズなどの非戦闘員の研究者はともかく、他の連中は何のために居るのか?
おかげで、ほとんど俺たちとデ・ラ・セルナとシルヴェストルで対処する羽目になった。
「気持ちはわかりますが、シルヴェストル教頭には話を通しておいた方がいいでしょう。彼は有能です。他の教員や理事は見て見ぬふりをする可能性もありますが、彼と連携を取って損は無いはずです」
「わかりました。デ・ラ・セルナ校長は?」
「少々、動きづらいでしょうね。魔法学校の校長という立場が彼を縛ります。恐らく、シルヴェストル教頭が水面下で動くでしょう」
「なるほど。了解です。では、密談は援軍の方と一緒にセッティングしますかね」
「援軍?」
「ええ、大会は俺たちも見に行くとしても、参加者のフィリップの周りを常に見張ることはできません。どうしても目が離れてしまうタイミングがあります。特に試合の直前の待機中や試合の最中です。控室や舞台袖には参加者しか入れないでしょう」
ヘッケラーが頷いた。
「そうですね。念のため隙は無くしておきたいところですが、何か策があるのですか?」
「ええ、フィリップの護衛と周囲の警戒ができる人物に、武芸大会に参加してもらいます」
「人材に心当たりがあるのですね。誰です?」
「警備隊副隊長のジークハルト・マイスナー大尉です」
翌日、俺は再びミゲールの店を訪れた。
ここでレイアと彼女が声をかけてくれたメアリーとファビオラ、俺が事前にアポを取っておいたシルヴェストルと聖騎士の権限を振りかざして呼び出したマイスナーも一緒に会うことになっている。
奥にレイアたち女性陣は見えた。
シルヴェストルとマイスナーはまだのようだ。
「いらっしゃい。今日は団体さんだったね」
「ええ、申し訳ありませんが……」
「はは、何言ってんだい。いつも持ち帰りまでたっぷり注文してくれるんだ。上客だよ。今日も紅茶とケーキでいいのかい?」
「そうですね。あ、そうだ。後で来る銀髪の騎士は酒飲みなので、甘さ控えめの酒の香りが効いたものを」
「はいよ。ラム酒に浸けたドライフルーツとナッツのケーキでいいかな。華やかさには欠けるけど」
「それでお願いします」
マイスナーはどう考えてもスイーツの見た目など気にしない男だ。
伝法な口調はわざとやっている部分もあるのかもしれないが、少なくとも皿の上の彩りで食欲が大きく左右されるような繊細な神経は持っていないはずだ。
さて、俺の気が重くなるのも変な話だが、メアリーのところに向かうか……。
「クラウス、本当にごめんなさい!」
俺が席に近づくとメアリーは急に頭を下げてきた。
俺はレイアに視線を向けるが、すぐにメアリーの方を向けと顎で追いやられてしまった。
遮音結界が大丈夫かどうか聞きたかったのだが……。
「わ、わたくし、クラウスを蔑ろにするような陰口を言ったばかりか……わたくしが悪いのに……あ、あなたに突っかかるような真似をして……困らせて……ううっ」
…………俺はどうすりゃいいんだ?
メアリーの自分を責める思考がどんどん悪い方向へ行っている気がする。
「クラウスさん、メアリーを泣かせるなんて、あんまりなのです」
「ちょ、おま! 俺のせいかよ!?」
「ほら、さっさと訂正するのです」
ファビオラに急かされ、俺はまともに言葉を選ぶ暇も無く誤解を解かなければならなくなった。
はぁ、妙なことになったな。
「あ~、メアリー。事情は聞いたが、俺は別に怒っちゃいない。元はと言えば、俺のことは気に入らないが手は出す度胸は無い腰抜けが始めたことだ。フィリップや君たちを巻き込んでしまったのは申し訳なかった」
「そ、それは!」
「前から、フィリップには貴族関連では世話になっていたんだよ。聖騎士を拝命したときもそうだ。デ・ラ・セルナ校長だけでなくフィリップも俺が爵位を望んでいないことなんかを王国側に伝えたり、ロクデナシからの接触をシャットアウトしてくれたりな。今度は俺が恩を返す番だ」
「クラウス……」
今回、武芸大会を利用して何かしら仕掛けてこようとする短絡的な奴らは遅かれ早かれオルグレン伯爵家とも対立することになる可能性が高い。
メアリーも冷静に考えればわかることだ。
必要なのは、彼女が冷静さを欠いて口から出してしまった言葉を、俺が本当に気にしていないと知ってもらうこと。
俺が逆に迷惑をかけたと言うのは、一時的に罪悪感を刺激してしまうかもしれないが、俺がフィリップに手を貸すことを自然に受け入れてもらうためだ。
あとは、前向きになってもらうしかない。
「とにかく、策を練らないとな。メアリー、ブタガエルのことは思い出したくもないかもしれないが、今重要なのはフィリップの安全を確保しつつ敵を排除することだ。協力してくれるな?」
「……わかりましたわ」
そう、それでいい。
脅威への対策を練るなどの前向きな行動は、後ろ向きな感情を吹き飛ばしてくれる。
メアリーの件はもう大丈夫だろう。
「ねえ、クラウス」
「ん?」
「……ありがとう」
「……ああ」
素直に受け取っておこう。
礼はフィリップが無事帰ってきたときに、まだ早い、などと言うほど俺も野暮じゃない。
「お待たせしました」
「参上しました。将軍・サ・マ」
シルヴェストルとマイスナーはほぼ同時に現れた。
「シルヴェストル先生、お忙しい所を呼びつけて申し訳ありません。マイスナー大尉は……何か嫌なことでも?」
「いいえ、何もありませんとも。魔法学校の生徒のお守りだと高を括っていたら伝説の闇組織の幹部に殺されかけ、今年はお貴族様のチャンバラごっこを盛大にやるってんで警備隊の仕事を増やされ、行く先々で血の雨を降らせる聖騎士に俺が呼び出されたせいで厄介ごとの匂いを嗅ぎ取った部下が辞表を出しやがった以外には何も」
「……何というか、ご愁傷様?」
「はぁ……まったくよ……。バイルシュミット隊長じゃなくて俺を呼ぶってことは、ちょいと複雑な面倒事なんだろ?」
「そうですね。脳筋の彼よりはマイスナー大尉に頼りたくなるくらいには」
「さて、イェーガー君、レイア君。オルグレン君の件で何か策があるとか?」
「ええ、そもそも今年の武芸大会にフィリップが出ざるを得なくなった背景には……」
俺は状況を説明した。
魔法学校にはレイアたちからもほとんど情報は行っていないはずだが、シルヴェストルはある程度の調査をしていたようだ。
「ハイゼンベルグ伯爵と背後関係については概ねこちらの予想通りですね。イェーガー君が関わっている可能性も考慮していましたから、問題ありません。それに、正直こちらはまだ身動きが取れないのが現状です。去年のように君たちと我々の動きがかち合うなんてことはありませんよ」
「やはり既に圧力が?」
「ええ、その通りです。ある意味、君たちが動いたことは渡りに船だったわけです。教えていただいて感謝します。私も乗せていただきましょう」
そりゃ、去年はお互いに信頼関係ができていなかったが、今年は警戒する必要は無いからな。
もちろん、魔法学校全体が味方というわけではないが……。
「で、君たちやヘッケラー侯爵が裏で良からぬことを企んでいる者たちに網を張っていることはわかりましたが、彼は?」
シルヴェストルはマイスナーに視線をやった。
去年もボルグが魔物の大群を誘導した際にデ・ラ・セルナに援軍要請に来て会っているので初対面ではないはずだが、今回の件にどう関わってくるのかは予想できないようだ。
そういえば、マイスナー本人にも役割を説明していなかったな。
「今から説明しますよ。マイスナー大尉には重要な任務があります。武芸大会に出場してもらいたいんです」
「何だって?」
「大会に出てもらいたいんですよ。フィリップと同じ選手として」
マイスナーはしばらく口を開けて固まっていたが再起動した。
「おいおい、何の冗談だよ。一刻も早くオルグレン伯爵に罠を仕掛けている奴らを捕まえなきゃならないんだろ?」
「客席からの監視や外部からの攻撃に備えるのは俺たちとヘッケラー侯爵でやります。妙な魔法陣や魔道具を使用されても師匠なら対処ができますし、混乱を起こしてどさくさに紛れ襲撃を仕掛けてくるようなら俺が殲滅すればいい話です。しかし、フィリップが選手として出る以上、試合前など俺たちの目が彼から離れた隙に狙われる可能性があります」
シルヴェストルが大きく頷く。
「なるほど、それで僅かな時間もオルグレン君の傍にこちらの手の者を……」
「そういうわけです。マイスナー大尉には控室や舞台袖でフィリップの護衛と周囲の警戒をお願いしたい」
マイスナーはしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「オルグレン伯爵が何者かに狙われるとして、どういった方法が考えられる?」
「予想だけならいくらでも。暗殺者、特殊な攻撃用の魔法陣や魔道具、去年もあったような犠牲召喚で魔物を呼び出し嗾けるなど」
実際にその時になってみないと敵の策はわからない。
クレメンスを神輿にする連中なのだから、俺たちと正面から戦える戦力を用意できるほどの資金力は無いだろう。
恐らく、搦め手で来るはずだ。
ここでメアリーとファビオラが口を開いた。
「それなら、わたくしたちの出番ですわ」
「そうなのです。ワタクシも危険な品の動きが無かったか調べてみるのです」
俺はメアリーの方を見るが、先ほどまでの思い詰めた表情は無かった。
「闇取引の情報が無いかは、わたくしたちが調べますわ。クラウスは敵を倒すことに集中してくださいまし」
「……ああ、わかった」