65話 魑魅魍魎の巣
話は少し遡る。
クラウスが聖騎士を拝命しサヴァラン砂漠への遠征に出発した数日後。
フィリップ・ノエル・オルグレン伯爵は王宮を訪れていた。
法衣貴族ならば王宮に足を運ばなければいけない雑用もあるのだから、何も不思議ではない。
しかし、フィリップが伴う人間は別だ。
魔法学校のローブを着て七つの魔力結晶を持つ杖を装備した魔術師の少女と、柔和な顔立ちの少女に、猫耳の獣人の少女だ。
レイアとメアリーとファビオラである。
三人も侍らせたリア充である。
万死に値するタラシである。
「ねえ、フィリップ。あたしたちまで連れてくることなかったんじゃ……」
「そうですわ。上級貴族の作法には疎くてよ」
「場違いなのです……」
キョドる三人とは対照的にフィリップは落ち着き払って説得する。
「うむ、お前たちにとって愉快なことではないであろうが、これも必要なのだ。貴族の血筋でないお前たちを娶るにあたって顔見せ……いや、言い訳だな。私はただ美しい婚約者たちを自慢したかったのだ」
「フィリップ……」
「まあ……」
「はぅ……」
何気ない一言で好感度を爆上げできるスキルはさすがである。
クラウスが見ていたら歯ぎしりするに違いない。
何せクラウスは、聖騎士になってから王宮に数回足を運んでいるものの、全くと言っていいほど恋愛の方はさっぱりなのだ。
近づく女性は腹に一物も二物もある貴族の紐付きで、厚化粧と胸の詰め物で化けた、人を見下す態度が鼻につく令嬢ばかりなのだから仕方のないことだ。
「(ん? あの平民どもは何だ?)」
「(まあ、お下品。何ですの、あの汚い服は?)」
「(ほう、ちと若いがなかなか上物だな)」
「(オルグレン伯爵の妾だとか……)」
「(ちっ! 運よく聖騎士になったガキの取り巻き風情が……)」
「(ふん! どうせオルグレン伯爵だけでなくイェーガー将軍にも股を開いているんですわ)」
無遠慮な視線と魑魅魍魎のひそひそ話に晒されレイアが殺気を放ち始める。
眉間にしわを寄せつつも視線を合わせないようにするメアリーと、無表情で無視を決め込むファビオラも、レイアを止めたくないのが本心だ。
「やれやれ、困ったものだ。私はモテない男に僻まれ、妻は他の女に美しさを妬まれ」
「くっ!」
フィリップのスルースキルが発動した。
クラウスなら「他の女」の前に「厚化粧の、正視に堪えない」などと付けてしまいそうなところだが、紳士フィリップはできる男である。
決して女性を悪くは言わない。
「あぅ……」
「もう……」
「フィリップさん……」
そして当然、婚約者三人への効果も抜群であった。
レイアの殺気が全て霧散し、警備の騎士たちが安堵するくらいに。
「おやおや、オルグレン伯爵。お久しぶりなんだな」
フィリップが王宮での用事を終え帰ろうとしたところで、彼に声をかける者が居た。
でっぷりと肥え太った体躯を特注サイズの高価な服に包んだ、人間よりも何かの魔物に近い容姿を持つ人物。
土木ギルドを統括するクレメンス・フォン・ハイゼンベルグ伯爵だ。
クラウスが土木ギルドを訪れた際に一悶着あったことはフィリップも承知している。
フィリップは以前からハイゼンベルグ伯爵とは面識があるが、彼にとっても会いたくない人物だった。
しかし、そこは若いとはいえ上級貴族の当主。
不快な態度は顔に出さない。
「どうも、ハイゼンベルグ伯爵」
レイアとメアリーとファビオラはあからさまに不快感を出している。
三人はクラウスから話を聞いているだけで、クレメンスとは初対面だ。
しかし、客商売に慣れているメアリーや商家の娘であるファビオラまで全身で挨拶すら拒否していることから、如何に嫌悪感のある相手かわかる。
それも当然だ。
何せ、クレメンスの視線は年甲斐もなく三人の少女の胸元を行き来した後、メアリーの胸に固定されているのだから。
女性が一番嫌がる値踏みするような目つきくらいなら、メアリーは客から向けられることもあり慣れてはいるが、ジャバ○ハットをさらに醜くしたような生物から向けられるのはさすがにムリのようであった。
「じゅる……オルグレン伯爵の妾か。美人さんなんだな」
「ハイゼンベルグ伯爵、何かご用でしたかな?」
フィリップがメアリーの前に移動し視線を遮りながら話を逸らす。
メアリーから安堵の息が漏れた。
「そうそう、君に伝えておいた方がいいことがあるんだな。まあ、君より先に僕が知っているのも実力や格からして当然のことなんだな。僕がわざわざ教えてやる義理も無いんだな」
勿体ぶるクレメンスにフィリップは何も言わない。
下手に出たり、さっさと話せと恫喝したりするまでもなく、彼が話し始めるとわかっているからだ。
中途半端に知恵を持つ嫌がらせのエキスパートである宮廷貴族は相手が下手に出て教えてくれと言うのを待つが、クレメンスにはその程度の頭も無い。
「でも、特別に教えてあげるんだな。武芸大会が開かれるんだな」
「武芸大会? また急な話ですな。もう数年開催されていないうえ、最後に開かれたときも相当小規模だったはずでは?」
「その通りなんだな。しかし、今回は僕の出資もあって……」
ほぼクレメンスの自慢話でしかない演説をフィリップが聞き流すのにも飽きたところで、フィリップは耳を疑うような言葉を聞く。
「でだ、今年はオルグレン伯爵も参加するといいんだな」
「はい?」
王国で開催される武芸大会は、開催の頻度や時期は決まっていないものの数百年前から続く伝統ある行事だ。
過去には名を上げたい冒険者などが出場し、貴族の目に留まれば仕官できることもあった。
しかし、ルールが厄介だ。
第一回から続く規定には「魔法は強化魔法のみ使用可」、「覚醒魔力を持つ者は出場不可」、「一対一の模擬戦形式で行う」とある。
放出系の魔術を禁じられている以上、純粋な魔術師の出番は無い。
クラウスやフィリップのように強化魔法だけで十、二十メートルの距離を潰して魔術師を斬り伏せることができる人間は稀だ。
おまけに覚醒魔力を持つ者が出場できないときた。
要は、強力な戦闘力を持つ者の出場をハナからお断りしていることになる。
結果、武芸大会での成績は実戦でどれほど役に立つかではなく、貴族の子弟の箔付け程度の意味しか持たなくなった。
数年も開催されていないことを鑑みるに、最早、その程度の権威すら無くなったと見ていい。
それでも醜くしがみつく連中が、逆にみっともないことすら理解せずに小規模ながら開催し、無駄に予算を注ぎ込んでいるのだ。
フィリップには参加するメリットの無い話だ。
「貴族家の当主が出るのはいかがなものでしょうな? 冒険者や次男以降の貴族の子弟が、王国への忠誠と鍛錬の成果を示す機会を奪ってはいけませぬ」
「問題ないんだな」
フィリップは大会の顔を立てつつやんわりと断ったつもりだが、クレメンスはお構いなしだ。
「オルグレン伯爵。最近、イェーガーの小僧は出しゃばり過ぎだと思うんだな。上級貴族たる君を差し置いて、面白くないんじゃないかな?」
フィリップは眉を顰める。
出会ったばかりの頃は、クラウスと自分の能力を比べて焦りや嫉妬の思いに駆られたことが無かったわけではない。
「友の活躍は喜ばしいことです。彼の功績を思えば、地位も報酬もむしろ少なすぎるくらいでしょう」
「しかしイェーガーも君への配慮がもう少しあってもいいと思うんだな」
この言葉でフィリップは冷静さを取り戻した。
権謀術数に長けた者ならクラウスではなく国王や国を引き合いに出しただろう。
しかし、クレメンス程度の頭ではクラウスを批判してしまうことで、フィリップを煽ることに失敗した。
「クラウスは十分すぎるほど私に配慮していますよ。彼の働きならば功績を独り占めすることもできたはずです」
「そう、そこんところを危惧している者たちが居るんだな。折角、今年の武芸大会は大々的にやれることだし、オルグレン伯爵も武勇を示すといいんだな」
クレメンスの言葉ではっきりした。
彼の後ろで糸を引いている者たちが居る。
恐らくフィリップを武芸大会に引きずり出すのが目的だ。
「そもそも、これだけ伝統ある武芸大会を大掛かりにして開催できた以上、出ないなんておかしいんだな。皆、君は出るものだと思ってるんだな。まあ、でも無理強いはしないんだな。誰だって負けるのは怖いんだな」
「まったく……奴らは人の足を引っ張ることしか考えておらぬのか」
クレメンスが去った後、フィリップはそっと悪態をついた。
フィリップをどうしても武芸大会に出場させたい奴らは、逃げ道を完全に塞ぐ形でお膳たてをしてきている。
これで不参加ならば、彼らはフィリップがいかに腰抜けか、金をばら撒き下々の労力を用いて吹聴するだろう。
「フィリップ、どうするの?」
硬い表情で尋ねるレイアにフィリップは屈託のない笑顔を向ける。
「もちろん、出るとも」
「な!?」
「何を言ってるんですの!?」
「危険なのです! 奴ら、絶対に罠を仕掛けているのです」
フィリップの返答に三人は一斉に反対する。
だが、フィリップは頑として譲らなかった。
「確かに、武芸大会など下らない。真の強者の参加を認めず、起源が古いだけの行事だ。ハイゼンベルグを裏で操っている奴らにも秘策があるだろう。しかし、お前たちの夫として腰抜け扱いされるわけにはいかぬ。これは私の矜持の問題だ」
フィリップの意志は固い。
レイアとファビオラは仕方ないと思いつつも内心嬉しい部分もある。
妻のために、それを迷うことなく自分の矜持と言ってしまう。
言う人間によってはただの自己満足で自己陶酔になりかねない内容だが……イケメンは得だ。
しかし、メアリーだけは冴えない表情だった。
「フィリップ……そんなにクラウスと張り合いたいんですの?」
フィリップは振り向いて頭を振った。
「メアリー、それは違うぞ。これは私の誇りのため……」
「何で! フィリップが危険なことをしなければなりませんの!? クラウスに任せればいいではありませんか。そもそも、あなたが面倒事に巻き込まれたのも、元はと言えばクラウスのせい……」
「メアリー!!」
フィリップの予想外に強い言葉にメアリーは我に返った。
「あ、その……」
「……すまぬ」
「いえ、わたくしこそ……どうかしていましたわ……」
気まずい静寂が辺りを包むが、フィリップがまとめた。
「とにかく、私は武芸大会に出る。これは決定事項だ」
「なるほど、要はフィリップのクソタラシ野郎は公衆の面前で口説き文句を……」
「大事なのはそこじゃない!」
ミゲールのスイーツ店で新作のケーキを食べながらレイアから一通りの話は聞いたわけだが、所々に挟まれるフィリップのイケメンスキルの件にはうんざりだ。
話しているのがフィリップにベタ惚れのレイアだったことから、どれほど話の本筋から脱線していたかはお察しである。
嫌味の一つくらい大目に見てもらえないものか。
何せ、俺がひたすら大食らいども――主にヘッケラー――の飯を作り、砂まみれになってベヒーモスと殴り合い、クロケットと商談をまとめている間に、フィリップは婚約者とイチャコラしていたのだ。
「はぁ……裏で糸を引いている奴は、恐らく俺に近い者に嫌がらせをする目的であのブタガエルを焚きつけたんだろう。それに関しては、君たちには悪いことをしたな……」
「それはいいのよ。嫌がらせをしてくるってことは、元からオルグレン伯爵家にとって少なくとも傍観者より敵対寄りだったってことでしょう。いずれは対立することになっていたと思うわ」
「そう言ってくれて助かるよ。正直、メアリーの気持ちも分かるからな」
誰だって自分や近しい者が危険に晒されるのは嫌だろう。
繋がりが希薄な者が矢面に立つ方がマシだ。
「それ、メアリーには言わないでね。余計、傷つくわよ。彼女、客あしらいで世慣れているように見えて純粋だわ。あなたを悪く言ってしまった自分が許せないのよ」
それで塞ぎ込んでいるのか。
俺の感覚では少々理解に苦しむ、面倒な心理のように思えるが、彼女は転生者の俺と違って12歳の少女なのだ。
仕方のないことだろう。
「悪いね、俺はどうやら彼女よりドライなようだ」
「冷淡とも言うわね。とにかく、あなたが怒っていないようで何よりだわ」
レイアも軽口を叩ける程度には余裕が出てきたようで良かった。
俺と話すまで彼女なりにメアリーの件を思案していて不安だったのだろう。
「問題ない。メアリーとは今度ちゃんと話すさ」
「ええ、そうしてちょうだい」
「メアリーの件は一先ず置いておくとして、フィリップの方だ。武芸大会では間違いなく何かが起こると見ていい」
「そうね、あの豚伯爵には嫌がらせを考える脳みそも無いでしょうけど、彼を矢面に立たせて裏で策略を練っている奴が居るわ」
「同感だ。とりあえず師匠にも伝えて暗躍する貴族の対処には協力してもらおう。こういった手合いは師匠にとっても目障りなはずだ」
彼らは端的に言って聖騎士の陣営と敵対する愚を犯した者たちだ。
ヘッケラーも嬉々として排除に動くだろう。
「で、フィリップの方はどうする? 武芸大会に出ることを決めてしまった以上、あいつは危険な場所に釘付けだぞ。何かあった場合に援護しやすい場所を確保しなくては」
一番安全なのは出場を取りやめてくれることだが、フィリップの性格とくそ忌々しい貴族社会はそれを許してくれないだろう。
それこそ傍観者だった連中も、フィリップの足を引っ張ることができると知れば、尻馬に乗って腰抜け扱いをするはずだ。
ならばフィリップに身辺を警戒するしかない。
「俺も出るのは……無理だな」
「無理ね。覚醒魔力を持つ者は出場不可。あなたもお師匠様に頼むのも無理よ」
ヘッケラーが出れば優勝は確実だからな。
そもそも、俺を引き合いに出してフィリップを無能扱いする奴らの計画なのだ。
俺が出場してはフィリップの振る舞いの意味が無くなってしまう。
どうせなら敵の計画を利用してフィリップを活躍させつつ一網打尽にしたいところだ。
「試合の時間は客席の私たちと可能な限り一緒に居てもらうとして、他にも控室なんかで警戒してくれる人が欲しいわね」
「ああ、護衛の経験が豊富で腕の立つ人間が必要……ん?」
「どうしたの。クラウス?」
知り合いに適任が居るじゃないか。




