60話 ワイバーン料理
王都への帰り道で野営する場所は、行きとほぼ変わらなかった。
そもそも、野営とは付近に村すらないときに仕方なくするものだ。
同じ道を辿っているのに行きと違う場所に野営地を開拓しなければならないようなら、ルートを考え直した方がいい。
しかし、俺たちの場合はどうも野営に対する認識が違う気がしてならない。
ヘッケラーの結界があるから多少気を抜いても致命的な事態にはならないことも一因であろうが、護衛の騎士たちが町に泊まれるときよりむしろ野営の日を楽しみにしているのは明らかに違う理由だ。
「今日はワイバーンを使うかな……」
俺が何気なく漏らした一言で、馬車の速度が一段階上がった。
騎士たちにも既にサンドバッファローの内臓は食わせてある。
出発から最初の、アラバモに最も近い野営地で一夜を明かした時に、レバーとハツの炭火焼きやセンマイ刺し(胡麻も味噌も無いのでドレッシングをかけた)を出したのだ。
茹でこぼして臭みは取ってあるが、灰色のグロテスクな臓物にはやはり抵抗があったようだ。
しかし、すでにサンドバッファローの内臓の美味さを知っているヘッケラーがガツガツと食べ始めると、彼らも警戒を解いたように口に入れた。
後はお決まりのパターンで、ランドルフ商会からの内臓料理の展開を急かされてしまった。
それを考えると、彼らの胃袋を完全に掴んだ俺の一言で、騎士たちが活気づくのもわかる。
「さて、それでは……」
「「「「「「「っ!」」」」」」」
「……ワイバーンを使うのは初めてなので少し待っていてください」
野営地に着いてからヘッケラーも騎士たちも物凄いプレッシャーを俺にぶつけてきた。
そんなに普段はロクなもの食ってないのか?
「とりあえず、全部焼いてみるかな……」
宮廷魔術師団の検疫が終わった後、ワイバーンの素材は冒険者ギルドの職員の手によって解体された。
内臓や毒針と毒腺、皮などは武具や錬金術に使われるので買い取ってもらい、肉は俺の方で引き取ることにした。
しかし話を聞いてみると、どうやらこの国ではもも肉とむね肉しか食べず、廃棄される部分はかなりの量になるそうだ。
そこで俺は、普段なら廃棄される部分も細かく解体してもらい、自分で“分析”を掛けながら毒が無いことを確認して食べられそうな場所をかき集めた。
その結果、尻尾の付け根の方の脂身と首の部分の肉が大量に取れたのだ。
感触は正しくボンジリとセセリ。
鶏より遥かに巨体で首も尻尾も長い構造をしているので、もはや希少部位と言っていいのかわからないほどの量だ。
「師匠はワイバーンの肉を食べたことは?」
「ええ、ありますよ。まあ、首や尻尾を食べたことはありませんが」
騎士たちも半数はワイバーンのむね肉やもも肉を食べたことがあると言った。
なかなかの高級品のようだ。
まあ、仮にもAランクの魔物なのだから当然か。
むね肉にはそこそこ分厚い脂肪がついており、肉は如何にも旨味が詰まっていそうな暗赤色だ。
見た感じ合鴨に似ている。
もも肉は見た目だけでは、ただのデカい鶏肉と何が違うのかわからない。
「むね肉は鴨をぐっと濃厚にしたような味です。もも肉は見た目に反して非常に柔らかく淡泊ですね。ウサギに近い」
ヘッケラーが教えてくれた。
それだけ分かれば十分だ。
いつものように手製の竈を魔法の袋から出し火を入れる。
それと同時にサンドバッファローのタン焼きを出した時に使ったバーベキューコンロもどきに炭を熾した。
「おや、炭火で焼くのですか?」
「ええ、首の肉と尻尾は串に刺して炭火で焼きます。特に尻尾は脂を落とすためにじっくりと」
セセリとボンジリを一口大に切りわけるのだが、大きさが鶏とは違うので一苦労だ。
鶏なら希少な部位が大量に手に入って嬉しいのやら面倒くさいのやら……。
多少、大雑把な切り方になったがそこまでの悪影響は無いだろう。
切り分けたセセリとボンジリを長めの串に刺していく。
量が桁違いなので一人でやるのは早々に諦めた。
「串に刺すだけなら素人でも問題ないので手伝ってください。ああ、手は清潔にするように」
洗浄用の魔道具で手を洗ったヘッケラーと騎士たちは黙々と作業を進めていった。
その間に俺はむね肉ともも肉の準備を進めておく。
「さて、鴨と言えば血のソース……これは素人に毛が生えた程度の俺には無理だ。となると特に奇を衒ったものではなく普通にソテーしてワインで蒸すかな」
筋を丁寧に取り除いたむね肉もといワイバーンロースを熱したフライパンで焼く。
食欲をそそる音とともに上質な合鴨と似た香りが広がり、一心不乱にボンジリとセセリを串に刺していた騎士たちの鼻孔をくすぐった。
「「「「「「「ごくっ……」」」」」」」
唾を飲み込む音が見事にハモった。
「師匠……。騎士の皆さんはわかりますが、あなたはワイバーンくらい何時でも食べられるでしょう?」
「いやいや、確かに食べたことはありますが、久しく味わっていないですから」
さよか……。
食い入るように見られるのは落ち着かないが、ボンジリとセセリを串に刺す手は止まってないからいいか。
軽く焼き目の付いたワイバーンロースを取り出し、薄くワインを注いだ大鍋に投入し数分蒸す。
蒸しあがるのを待つ間に、もも肉の調理の準備を進める。
それほど長い時間ではないが下ごしらえは完了した。
「そろそろいいかな」
ワイバーンロースを取り出したが、まだ切り分けはしない。
今スライスすると肉汁が出てしまうので勿体ないからだ。
しばしの間、冷やさなければならない。
ついでに血を抜くために穴をあけて吊るす。
もっとも、今回は長期保存をしないので、そこまで徹底的にはやらないが。
煮汁の方は浮いてきた脂を取り除くために、徹底的に冷やさなければならない。
自然冷却後に魔術で冷やそう。
肉と煮汁を冷やすには少し時間がかかるので、俺は焼き鳥の方の面倒を見ることにした。
「大体、串に刺すのは終わったみたいですね。後は引き受けますよ」
「お願いします」
焼き鳥のタレは、自作の酒のなかで酸味や癖の無いものと塩コショウに果汁などで、どうにか作ったものだ。
ランドルフ商会や王都で焼き鳥や串揚げの屋台を管理しているコルボーとの協力でそこそこ品質は上がっているが、醤油やみりんが無いとやはり前世の味には近づかない。
まあ、無い物ねだりをしても始まらない。
俺はタレに潜らせたボンジリとセセリの串を炭火に翳し、じっくりと火を通していく。
案の定、ボンジリから滴り落ちた油が燃え上がり、暴力的に胃に訴えかける匂いが撒き散らされた。
「たまりませんね。ワイバーンの尻尾とは思えない香りだ」
「まだか? まだなのか!?」
まったく、この連中は欠食児童か?
「はい、どうぞ。ワイバーンの尻尾の付け根の脂身と首の肉です」
「待ってました!」
ヘッケラーと騎士たちが串にかぶりついた。
「おお、脂が弾ける! 香ばしさが鼻に上ったと思ったら、脂とタレの甘味が舌を包み……」
「うめぇ!」
「何だこれ!?」
俺も塩とタレを交互に口に運び噛み締める。
「お、これはしっかりと鶏の味だな。コカトリスのものより味が濃いな」
精霊祭のときの料理では、コカトリスは無難な部位しか出さなかったが、実は珍しい部位も回収してある。
もちろんコカトリスも、内蔵一切が石化毒か錬金術の素材などの理由で売却となったが、セセリやボンジリが廃棄処分になるのはワイバーンと変わらない。
横領ではなく有効利用と言ってもらいたい。
いずれ機会があればフィリップたちにも食わせてやろうと思う。
「首の肉はこの食感がたまりませんね。これは酒に合いそうだ……」
俺はヘッケラーの呟きを聞き逃さず、すぐに魔法の袋からある物を取り出した。
「師匠、こちらをどうぞ」
「ん? これは?」
「冷やしたエールです」
このエールは俺が作ったものではない。
運送ギルドの御者のパウルからも大した評価を得られなかったときにビール造りは諦めた。
エール自体は購入したものだが、魔術でキンキンに冷やしてから魔法の袋に保存してある。
「エールを……冷やす? なるほど、想像もつかない味ですね」
ヘッケラーは恐る恐るといった様子で、俺が注いだエールに口を付けた。
「一気に呷ると美味いらし……」
俺が言い終わる前にヘッケラーは一気にコップを傾けた。
「ぷあっ! 何て素晴らしいんだ。まさか冷やしたエールが喉を通る感触がこれほどの快感とは。そして、このワイバーンの尻尾と首の肉に合う!」
俺はそこまでビールを好まないが好きな奴にはたまらないのだろうな。
「んまいっ!」
「ふぃー、こいつは最高だ!」
騎士たちもほとんどが焼き鳥とビールの組み合わせを気に入ったようだ。
一通りセセリとボンジリを味わった俺はロースの蒸し煮の様子を見た。
「お、いい感じだ」
煮汁の方は薄く油が固まって膜ができている。
念のため魔術で温度をもう一段階下げてから、脂を取り除いた。
「油を取ってしまうのですか?」
「ええ、雑味になりますし。元々、ワイバーンのむね肉は脂身が分厚いのでソースにはそれほど油分が無くてもいいのです」
「なるほど……素晴らしい。ワイバーンの美味しさを引き出すためには、これだけ丁寧な仕事が必要だというわけですか」
「まだ、成功と決まったわけではありませんけどね。ていうか、こういった調理法は王都のレストランでもやっているのでは?」
「どうでしょうね? 私は料理人の技術自体に詳しいわけではありませんが……冷やして油を取り除くというのは聞いたことが無いですね」
まあ、そこは単純に手法が確立されていないのだろう。
コンフィなどの油に包んで保存する方法はあるはずだから、いずれは到達する技術だろう。
何はともあれ、ワイバーンロースの蒸し煮はもうすぐ完成だ。
ワイバーンロース肉をスライスすると、赤身の残った美しい断面が姿を現す。
「「「「「「「おお……」」」」」」」
あとは煮詰めた煮汁にワインを足して調味料などを加えれば完成だ。
「さ、どうぞ。ワイバーンロースのワイン蒸しです」
ヘッケラーが即座にフォークを伸ばしワイバーンロースを口に運ぶ。
「何という官能……。噛む度に旨味が口の中で弾け踊る。ワインベースのソースなどありきたりと思っていた自分が恥ずかしい。肉の旨味も溶け出し丁寧な処理をしたソースの香りと味わい。すべてが混然となって……」
肉を呑み込んだヘッケラーがすかさずワインに口を付ける。
「はぁ……筆頭宮廷魔術師やっててよかったです」
「は、はぁ。喜んでいただけて幸いです……」
だから、飯でそこまで言われてもね……。
さて、俺も一口……。
「……うん、うまい」
完全に合鴨の味だ。
野生の鴨ほど尖った味ではなく、アヒルのような鈍くささも無い。
両方のいいとこ取りをした味が見事に出ている。
「うまい……」
「何も言えねぇ……」
「ああ、俺では何て表現していいのかわからない」
焼き鳥に合わせたエールからワインに切り替えたヘッケラーたちを尻目に俺は最後の料理に向かった。
とはいえ、先ほどロースを蒸している時間に下ごしらえは済ませていたので、あとは焼くだけだったりする。
ウサギ肉とくれば鍋やらウサギ汁やらを思い浮かべる人間も多いが、今回俺が作るのはキノコのパテを包んだソテーだ。
フランス料理などではよくあるメニューだが、柔くて淡泊なウサギ肉に合わせてフォアグラを入れることも多い。
しかし、俺の手元にある内臓といえば鹿と熊とサンドバッファローのものだけだ。
残念ながらガチョウは無い。
だが、それでもある程度は前世の洗練された料理を再現できるはずだ。
もも肉でマッシュルームやポルチーニに似たキノコを主体にした詰め物を巻き、フライパンでソテーする。
ブラックペッパーを効かせたソテーに生クリームとビネガーのソースをかける。
これもフランス料理でウサギ肉のソテーを頼めばそこそこの定番だろう。
「さ、どうぞ。ワイバーンのもも肉……」
「うめぇ!」
料理の名前すら聞かずに皿の中身を掻っ込む騎士。
それも一人や二人じゃない。
ほぼ全員だ。
「まったく、何も考えずに……」
「そうですね。もちろん私は違いますよ、クラウス君。ちゃんと君の意図はわかっています」
お、さすがは我が師匠。
伊達にグルメをやっていないな。
「これはビネガーを使ったソース。爽やかな酸味で、さっぱりとした味わい。要はまだまだ食べられるようにするための口直しといったところでしょうか」
違ぇよ!
いくら酸味のある料理でも、これだけ食えば人間の腹はいっぱいになるんだよ!
「さて、クラウス君。調子が出てきたところで、このロース肉に合う酒。他に何かありませんか?」
やはりヘッケラーの胃袋は底無しだった。