58話 オリハルコンのサーベル
夕食を食べ終わり軽く片づけをすました後、ヘッケラーが話し始めた。
「クラウス君。ベヒーモスとの戦いから二日が経ちましたが、魔力の方はどうです? まだ、最大値まで回復していない感じはありますか?」
「いえ、もうすっかり満タンですね。飛行魔法も行きと同じくらいのペースでの行使ですから」
ヘッケラーは食後のブランデーを飲み干し、俺に真剣な目を向ける。
「気付いていますか? 既に魔力量では私を凌駕したことを」
「ええ、まあ……」
ベヒーモスとの死闘の末、雷属性の魔力が覚醒した俺は、さらに一皮むけた。
今までの魔力行使が風邪でもひいていたのかと思うほど、強化魔法も魔術の発動もスムーズだ。
そして何より魔力量はついにデ・ラ・セルナだけでなくヘッケラーも抜いたのだ。
幼少期は上級魔術を連続でぶっ放し、魔力の消費量が多い“醸造”を使いまくりコツコツと魔力量を上げてきた。
『黒閻』そしてボルグとの戦いや数千の魔物を相手にした逆境を乗り越え、一段階大きく躍進したと思ったら、覚醒によって更なる大幅な魔力量のレベルアップを迎えた。
魔力量だけが戦闘力に直結するものではないとはいえ、自分が強大な力を持ったことが嫌というほどわかる。
田舎から出てきて、自分を凌ぐ魔力を持つ者がほとんど居なかったときには、これ以上の魔力量の向上のために何をするべきか迷っていたが、覚醒を機にまた大きく成長できた。
俺の魔力がどこまで行くのかはわからない。
脅威と見なされるかもしれない。
だが、『黒閻』の関係者が今後も俺の前に立ちはだかる可能性がある以上、必要な力だ。
「どうやら、自分の力を客観視することはできているようですね」
「…………」
「まあ、若い頃に散々やらかしてきた私が何か言えるわけでもなし、君が思ったより冷静で達観していて幸運でした」
ヘッケラーとしては板挟み状態だろう。
覚醒する以前の俺でも、暴れたときに対処できるのはヘッケラーだけだ。
王国にとって有益な存在となり得るか、脅威となるか。
育てるべきか、危険の芽を早いうちに摘むべきか。
俺の12歳という若さは、柵の少なさからくる制御のしやすさと共に、僅かな火種で爆発しかねない危険があると認識される。
俺を利用しようとする側にとっても、隙あらば排除しようとする側にとっても、今はヘッケラーが俺の防波堤というわけだ。
我ながら面倒な立場になったものである。
「まあ、君が調子に乗って短慮を晒して暴挙に出なければいいのです。それよりも君の覚醒に関して詳しく検証しましょう。君の魔力が回復した以上、待つ理由はありません」
俺はヘッケラーの言葉に頷き、彼の対面に腰かけた。
「さて、まず初めに聞いておきたいのですが、クラウス君は最初の一撃でベヒーモスと雷撃を撃ち合い相殺する形になりましたね? あの時は覚醒の兆候は全くなかったのですか?」
「ええ。恐らく、こちらからの一方的な射撃、のような感覚だったみたいです。先制攻撃は挨拶代わりでしたが思いのほか威力が高く、ベヒーモスも弾くのが精一杯だったみたいで」
あの時のベヒーモスの狼狽した表情は今思えば笑い話だ。
「ベヒーモスに勝る雷だなんて、それだけでも前代未聞です……。そのあとは剣で戦っていましたが、私には手を抜いているように見えましたが?」
「いえ、そんなつもりは。ただ、ベヒーモスの持つ技を余さず見たかったのと、雷の魔力の動きを確認するために様子を見ていただけです」
「なるほど……」
ヘッケラーがせっせとメモを取っている間、俺は黙って彼が先を促すのを待つ。
「魔道具での不意打ちや剣による攻撃はともかく、あの雷の柱を押し返した“電撃”はかなりいい線いっていたと思いますが、あれでも覚醒魔力への手がかりとはならなかったのですか?」
「全くというわけではありません。自分でも雷の魔力への理解が深まっている感覚は頭以外でも得ていたのですが……決め手に欠ける感じですかね」
「ほう、それで一度綺麗に喰らってみようと?」
俺はヘッケラーの笑えないジョークに僅かに顔を顰めながらも答えた。
「そこまで自信過剰ではありませんよ。懐に飛び込んで障壁を完全に破ってみようと思ったんです。至近距離で雷障壁にぶつかって行けば、まだ違うかなと」
「それはそれで無鉄砲というか何というか……」
「参考までに聞きますが、君が負傷したのはあの目眩ましのせいということですか?」
「そうですね。完全に全方位からのクロスファイアだと思っていました。それと悟られないように魔術を構成し、発動と同時に回り込んで攻撃を仕掛ける。さすがはSランクの知能です」
「よく軽傷で済みましたね」
「ある程度の衝撃は剣で受けましたから」
メモを取る手を止めたヘッケラーが、一呼吸おいてからゆっくりと口を開いた。
「……覚醒したのは、その時ですか?」
俺は頭を振って答える。
「いえ、焦っていましたから確実とは言えませんが、その時はまだ魔力の変質は感じていませんでした」
「では、その後の?」
「はい、ベヒーモスの角を砕いた時です」
しばしの逡巡の後、ヘッケラーは再びペンを動かし始めた。
彼にとっては相当興味深いようだ。
「宮廷魔術師団で疑似的な検証はするとして……クラウス君、君のサーベルを見せてください」
俺は剣帯からサーベルを鞘ごと外してヘッケラーに差し出した。
「では、拝見」
ヘッケラーが俺のサーベルを抜き調べ始めた。
俺も改めて刀身を見るが、特に変わったところは無いように思える。
そもそも、ベヒーモスとの戦闘が終わった後、柄から剣先まで異常が無いか細かく調べた。
武器としての性能に関する部分では持ち主である俺が一番よくわかっているので、見落としがあるとは考えにくい。
当然、ヘッケラーが見たところで刃こぼれなどの発見があるとは思えない。
俺が期待しているのは魔力的な変質など、俺では考えつかないような分析結果だ。
「なるほど……」
「何かわかりましたか?」
「はい、何も変わっていないことがわかりました」
「…………」
一瞬、殴りそうになったぞ。
勿体ぶった挙句、何をほざいているんだ。
「そうカリカリしなさんな。これは重大な発見ですよ」
仕方ない、聞いてやろうじゃないか
「まず、物理的な違いが無いのは君も分かっているでしょう? さすがは総オリハルコン……いや、鍛冶師の腕あってこそですか」
「でしょうね。オリハルコンのインゴットを用意したところで、これほどのサーベルを作れる人間が親父さんのほかに何人いることか……」
いくらオリハルコンといえど鍛冶師の腕が悪かったら相応の剣にしかならない。
俺が自分で打っていたとしたら品質はお察しだ。
耐久力と切れ味に優れ且つ精神感応の力を引き出す剣を打つことは叶わないだろう。
鍔や柄などの誂えも、ベヒーモスの角との競り合いに耐え切れず砕けていた可能性がある。
「オリハルコン製の武器の評価は君も知っての通り、ほとんどの人間にとってはとにかく切れ味の鋭い高級品です。精神感応によって切れ味の向上が期待できることで、魔術師の護身用にも向いていますが、そもそも剣にこだわるのは騎士や前衛系の戦士です。そういった人たちは魔力がほとんど無い方たちが多いですから、オリハルコンの精神感応には期待できないでしょう。以上のことから、今までオリハルコンの精神感応については詳しく調べられていなかったのですが……君のおかげで事情が変わりました」
「どういうことです?」
「仮説を披露するより検証させてください」
そう言ってヘッケラーは俺にサーベルを返してきた。
「まずはサーベルを持って自然に強化魔法をお願いします」
まともな説明も無いのは些か不安だが、ここでヘッケラーが俺の不利益になるような行動はとらないだろう。
俺を始末しようとして罠を張っていたとしても、隠蔽云々以前にヘッケラーの命が危ない。
ヤバい魔法陣やら仕掛けやらを使われても、俺がヘッケラーを殴り殺す方が早い。
俺は素直に強化魔法を発動した。
俺の体を包む濃密な魔力に交じって、紫電がチリチリと舌なめずりを始めた。
「予想通りですね」
ヘッケラーが満足そうに頷いたので、俺は次を促した。
「では、そのサーベルでいつもの大剣を扱うように魔力を通してみてください」
俺はヘッケラーに言われた通り、柄から魔力を流し込んだ。
しかし、当然オリハルコンの刀身には真・ミスリル合金の大剣のようにスムーズに魔力は流れない。
鉄の剣のように魔力剣として一回使っただけでボロボロになるような代物ではないが、魔力の通りにくさは同等、いや鉄以上だ。
案の定、俺の手から流れた魔力はまともにサーベルの刀身を覆わず、霧散してしまう。
「よくわかりました。もういいですよ」
俺はヘッケラーに言われるままに、強化魔法を解いてサーベルを仕舞った。
「で、何がわかったんですか?」
俺の質問にヘッケラーが顔を上げて説明を始める。
「オリハルコンには精神感応の力があり、使い手の魔力の質によって、ただでさえ鋭い切れ味を増すことがある。しかし、手動で魔力を通して魔力剣の刃を形成することは困難。間違いありませんね?」
「ええ、そう聞いています」
ヘッケラーは一呼吸おいてから、再度説明を始めた。
「そもそもオリハルコンの精神感応とは、魔力剣などという技術や魔剣などという代物ができる前からある説です。洗練された鍛冶技術なくしてもある程度は実感できる効果ということでしょう。それが多彩な武器や魔術や戦術の登場と洗練によって、僅かな付加価値としてしか認識されなくなった」
「…………」
「そもそも精神感応とは、どういったメカニズムによるものなのか?私なりの結論が出ました。それは、魔力剣と全く同じ性質だということです」
「魔力剣と同じ……ですか? しかし、オリハルコンには魔力をまともに通せませんが?」
「その必要が無いのです。オリハルコンは勝手に魔力を吸い取ってくれます。それもかなり高い効率で」
待てよ、それはおかしい。
「魔力を勝手に吸われるなんて、そんな危険な現象が起こっていたのなら、すぐにわかると思いますが?」
「ですから、高効率なのです。恐らく、普段は浮遊魔力だけで一般的に言われるオリハルコンの鋭い切れ味を保てるのでしょう。使い手によって切れ味が変わるという部分も、体から漏れ出た魔力だけによるものです」
なるほど、大体読めてきたぞ。
「浸透圧と同じですか。浮遊魔力より強力な身体魔力を持つ者が使えば、勝手に高濃度な魔力が流れ込み強化される」
「そういうことです」
ミスリルなどの魔力剣に向いている金属は魔力を通しやすく多量の魔力を保持したり放ったりできるが霧散もするのでオリハルコンほどの切れ味は無い。
オリハルコンは全く霧散しないほど凝縮されている故に切れ味が抜群に鋭く、魔力を表に出して刃を覆ったりする魔力剣は使えないが、魔力による強化の効率が良く異常に魔力を吸収されることも無い。
要は、ミスリルの武器は手動で魔力の被覆も剣閃も使えるセルフ魔力剣。
オリハルコンの武器は自動で刃の強化だけがされるオート魔力剣だ。
そして、オリハルコンは効率がいいから吸い取るのは自然に体から漏れ出た魔力だけで済む
これを考えると俺の真・ミスリルの大剣は確かに特殊な武器だな。
そのままではオリハルコンの長所である浮遊魔力だけで強化されるという特徴が薄れてしまう。
ミスリルの剣としても魔力が収束するので、剣の素人の魔術師が振っても剣閃をばら撒くことはできない。
剣の扱いと魔力の扱い、両方に優れていなければ使いこなせない。
「いやあ、クラウス君が異常なほど濃密な魔力を持っていて助かりました。君でなければこうもはっきりとオリハルコンの剣が強化される様子を観測できませんでしたからね」
異常ってのは、どうも扱き下ろされている気がするな。
ここで俺は大事なことを思いだした。
「そういえば、師匠。途中からオリハルコン談義になっていましたけど、覚醒の件は?」
「おお、そうでしたね。まあ、簡単な話でしょうが……オリハルコンが強力な魔力に感応して少量の残滓で満たされ強化されることはわかりましたね?」
「ええ」
「ならば簡単な話です。君がベヒーモスの角にサーベルを刺した瞬間、ベヒーモスの雷の魔力をオリハルコンのサーベルが感じ取ったのでしょう。覚醒前とはいえ君の魔力は相当な密度でしたから、ベヒーモスの魔力を一瞬で押し返しサーベルの中から駆逐したのかもしれない。どちらにせよサーベル越しに君は雷の魔力に触れ、そして覚醒に至る最後の手がかりを手に入れたのです」
なるほど、ではオリハルコンの自動魔力剣のような性質が役に立ったわけか。
「今後も魔力が覚醒しそうな者が居たら、オリハルコンの武器を触媒として試してみてもいいかもしれませんね」
俺の後に続く者が、ベヒーモスと相撲を取らないで済むことを祈っておこう。