57話 内臓料理ふたたび
ベヒーモスの討伐が完了してから二日後に、俺たちはオアシスに戻って来た。
魔法学校のローブを大破させてしまった俺には快適とは言い難い場所だが、砂地や岩場の野営地よりはマシだ。
ここまで来れば、一泊してアラバモの街に帰るだけだ。
ようやく日差しと砂嵐から解放される。
あと一踏ん張りということで、今日は少し豪勢な夕食を取ることにした。
美味い飯を食うのに英気を養う以上の理由は要らない。
「さて、今日はゆっくりと料理ができるな。使うのは……」
前に使った牛モツはタンとオックステールだけだった。
内臓はまだまだ色々な種類がある。
煮込み料理を作る時間がある以上、もう少し試しておくつもりだ。
「お、あったあった。ハチノスとシビレだな」
俺が取り出したどす黒いグロテスクな内臓を見てヘッケラーはあからさまに顔を顰める。
シビレの方は目に入っていないようだ。
「クラウス君、それは……?」
「サンドバッファローの胃の一つですね。見た目からハチノスと呼ばれることもあります」
「それを……食べるの?」
完全に引いている。
まあ、この見た目では仕方ないか。
「適切な処理をしないと食えたもんじゃないですけどね」
俺はヘッケラーの疑いの眼差しに軽く手を振りながら、準備に取り掛かった。
「まずはシビレを水につけて血抜きか」
ウルズの水差しからたっぷり注いだ水に、サンドバッファローの胸腺と膵臓を浸す。
本来なら、成体の牛は胸腺が退化しており大して取れないはずだが、何故かサンドバッファローからは十分な大きさの胸腺が取れた。
「まさか、この大きさで仔牛でしたなんてことは……」
俺は不吉な考えを振り切って、次の工程に取り掛かった。
「ハチノスの皮を剥かないとな」
ハチノスは黒い皮の部分を丁寧に取り除かないと、臭くてとても食べられない。
過去に動画サイトで見たやり方を真似する。
プロがアップロードしていたので信憑性はあるはずだ。
まずはウルズの水差しから出した水を48度程度に温めてハチの巣を浸けて馴染ませ、次に75度程度のお湯に浸けて皮をふやけさせる。
あとはスプーンで表面を掻き取れば下処理は完了だ。
たわしで苦労して洗うのに比べれば大分マシだが、黒い皮の断片が飛び散るのには閉口する。
「ほう、ずいぶんと見た目は変わりましたね」
ヘッケラーが真っ白になったハチノスを見て言った。
「臭みのもとを取り除きましたから」
あとは数回茹でこぼせば大丈夫だろう。
トマトソースにアラバモで買ったローリエの葉を投入し、ハチノスを煮込めば完成だ。
豆や肉と一緒に煮込んでいた店もあるが、今日はいいだろう。
「次はリードヴォーだな」
リードヴォーとは本来なら仔牛の胸腺のことで、すべてのシビレがリードヴォーであるわけではない。
胸腺と膵臓、それも豚の物なども含めてシビレと呼ぶこともあるそうだ。
厳密には曖昧にシビレとして認識されている物の中でも仔牛の胸腺はリードヴォー、膵臓はドモと呼ぶ人間が多かったはずだ。
今回は胸腺と膵臓と両方を同じ調理法で出してみようと思う。
胸腺は成熟した牛からはほとんど取れない希少な部位だ。
イギリス王室の料理人の残した文書にもリードヴォーのカツのレシピがあるとか。
しかし、決して膵臓が全面的に劣っているわけではないと俺は思う。
胸腺より濃厚な味わいは必ずしも短所となり得るわけではない。
「さっきは聞きそびれていましたね。それは……どこの内臓ですか」
ヘッケラーは見慣れない物体に恐る恐る疑問を投げかける。
「胸腺と膵臓ですね」
「キョウセン……?」
当然、こちらの言語に該当する単語は無い。
俺に完璧な医療の知識があるわけではないが、それでもこの世界からすれば賢者の如き知識だ。
多少ボカそう。
「まあ、免疫……病気への抵抗力の一部を司るものらしいですよ。膵臓は消化管に関わる内臓とか」
「うーん、君は仕組みがわかっているのですか」
「古い文書で読んだだけですから、細かいことはわかりません。調理法は古い紀行文のような本からいくらでも探せるんですけどね」
「なるほど……」
俺の知識について聞かれたら田舎の行商人などから、たまたま手に入れた古い本で見たというパターンにしておく。
多少の免疫系のことがわかると言っても魔術や錬金術がある世界で、果たしてT細胞やB細胞の話が当てはまるかわからない以上、無闇に知識を披露する気はない。
オーパーツの量産云々以前に、この世界の理を大して理解せずに前世の知識が全て当てはまると信じるのは危険だ。
インスリン製剤など現代ですら一歩間違えば低血糖でお陀仏になる代物である。
俺なんぞが軽い気持ちで手を出していいものではない。
料理に関してすら、慎重に毒性などを分析しているくらいで丁度いい。
「で、キョウセンとやらは、そのキノコと一緒に炒めるのですか?」
俺は視線を手元に戻した。
このマッシュルームに似たキノコも市場で買ってから、自分で“分析”を掛けて毒の有無を確かめたものだ。
作業を再開しながらヘッケラーに答える。
「いえ、これでリゾットを作ります」
「さ、熱いうちにどうぞ。リードヴォーのソテーをキノコのリゾットに添えました」
「うん、いい匂いですね。では、早速いただきます」
ヘッケラーが躊躇うことなく料理を口に入れるのを確認し、俺も料理を食べ始めた。
「おお、これは……」
ヘッケラーの感嘆の声を聞きながら、胸腺と膵臓それぞれのソテーを味わう。
「美味いな。やはり膵臓の方がこってりとした味だ」
「この料理は、またずいぶんと洗練された味ですね。君が手に入れた古本は、かなり高水準な文明を持つ地域について書かれていたのでしょうか?」
なかなかに鋭い。
確かにリードヴォーのマッシュルームリゾット添えは思い付きで出来る料理ではない。
「恐らくは郷土料理でしょうね。魔大陸の北の果てか、中央大陸の東か南の海を渡った先か。食文化は得てして一部の食材に関して深く掘り下げられるものです」
「なるほど、サンドバッファローか牛に近しい動物が主食の地域があるのでしょうか……」
俺の答えは全くの苦し紛れというわけではないはずだ。
大っぴらには獣肉を食べることもせず、食以外の文明のレベルも大したことがなかった昔の日本ですら、大豆の加工に関しては――味噌然り、豆腐然り――非常に高度な技術を古くから確立していたのだ。
まともなパンすら無い地域に、胡麻豆腐があっても驚きはしない。
「うん、美味しいですね」
リゾットを頬張るヘッケラーから視線を外し、もう一つの鍋に向かった。
「お待たせしました。トリッパのトマト煮込みです」
鍋を火からおろし、器に取り分ける。
トマトソースの豊潤な香りと、ローリエの爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
日本人の認識ではトリッパとはハチノスのイタリア語、トマトソースで煮込むやつ、といった認識が多いはずだが、厳密にはモツ全体を指す言葉だとか何とか。
説明することになるかと思ったが、ヘッケラーは下処理前のハチノスを見ていることから未だに警戒を解いておらず、名前のことにまで気が回らないようだ。
「……香りはいいですね。もっと臭いものかと思っていました」
いつものヘッケラーなら自分の器に超大盛りで取るはずだが、今回は俺と同じくらいしか取らない。
「色はマシになりましたけど、この形状は……」
ヘッケラーはフォークに刺した一口大のハチノスを、まだ口に入れようとしない。
仕方ないので俺が先に食べて見せることにする。
「うん、美味い。臭みも取れているし、かと言って旨味が抜けきったゴムのような代物でもない。適度な弾力と煮込まれて柔くなった繊維の食感が素晴らしい。トマトソースにも旨味が溶け出してパンにもよく合いますよ」
何だか俺がグルメレポートをしてしまった。
しかし、ヘッケラーも俺が食べるのを見てようやく決心したようだ。
フォークを口元へ持って行き、一口含む。
次の瞬間、ヘッケラーが目を見開いた。
「美味しい……美味しいですよ、クラウス君!」
ヘッケラーは次々と口に料理を放り込み、二杯目を自ら器に盛る。
「いや、驚きました。サンドバッファローの胃が、しかもあんな見た目の内臓がこんなにも美味しいなんて」
まったく、調子のいいことだ。
俺を奇人変人でも見るような眼をしていたくせに。
少し、仕返しをしてやろうか。
「ところで、師匠。牛や鹿がいくつもの胃を持っていることはご存知ですね」
「ええ、もちろんです」
「では反芻……一度呑み込んだ食物をある程度消化したら、口まで吐き出して、また咀嚼することは?」
「……そういえば、牛やラクダの匂いの原因でしたね」
嫌な予感がしてきたのか、ヘッケラーの返答が遅くなる。
「実は、この胃は二番目、一度吐いたものをもう一度咀嚼して送り込む、発酵のための胃なんですよ」
「…………」
ヘッケラーの動きが止まった。
「…………………………………………なるほど」
ヘッケラーのポーカーフェイスが徐々に表情を取り戻した。
あれ? 案外、立ち直りが早いか?
「それで、念入りに洗浄や下処理をしていたのですか?」
「え? ええ、まあ……」
「興味深いですね。本来なら食べられるようなものではない器官を丁寧に処理加工することで、これだけの美味に仕上げるとは」
「えっと……」
感心されてしまった。
生々しい表現をして軽い嫌がらせをするつもりだったのだが……。
「ん? そういえば……クラウス君!」
「は、はい!」
「先ほど、発酵と言いましたね?」
「ええ、確かに。四つ目の胃以外は消化液の分泌より発酵をさせるための部屋だと……」
「では、錬金術の素材に使うことで、今までに無かったワインやチーズの加工に使える薬品などができる可能性がありますね?」
「はいぃぃぃ!?」
何だか、別の方向に話が行ってしまった。
「動物の消化器官の仕組みから、このようなヒントを得られるとは……幸運でした」
転んでもただは起きないと言うか……この人の食への執念には恐れ入る。
「で、クラウス君。その発酵させる胃に関して何か耳寄りな知識は?」
動物の消化器官からワインやチーズの加工か。
人間の唾液を使った酒か……レンネットかね。
チーズを凝乳させるやつだ。
まあ、使う胃は一番から三番ではなく、消化液を分泌する四番目の胃だが。
しかし、よくよく思い出せば動物性レンネットはかなり古くから使われていた技術の気がする。
この世界に既に存在していてもおかしくはない。
「師匠、ちなみにチーズを作る工程で、固めるための素材で代表的な物は?」
「えーと、イチジクの樹液ですね。王国南部……ちょうどこの辺りで生産されていますよ。大陸南部では別の果実の葉やら樹液やらが使われるとか」
驚いたな。
前世ではすでに廃れてしまった方法だ。
イチジクの樹液には酸味や苦みがあったはずだが、この世界では違うのだろうか。
今まで市場でいくつかのチーズを買ったことがあるが、そうレベルが低くは無かった。
いや、よくよく思い出せば、逆に爽やかな香りがあって美味しいものが多かった気がする。
レンネットは母乳を分解する酵素なので若い個体からしか取れず、しかも採取するには屠殺して胃ごと取り出すしかない。
貴重な若い家畜を消費しなくても、十分な性能を持つ植物性レンネットがあるのならば、そちらを使うのは当然だ。
動物性レンネットが廃れるわけだ。
それに、大陸南部で使われる別の果実とはパパイアやパイナップル、もしくはそれに近い物だろう。
「サンドバッファローの四番目の胃からは、ほかの胃よりも多く消化液が分泌されます。おそらくチーズを固めるのに役立つ物質が見つかるかもしれません」
「何ですって!?」
本来なら母乳を分解する酵素を抽出する物なので、成体からはまともに抽出できないはずだが、サンドバッファローの胸腺は退化せずに残っていた。
もしかしたら、酵素も十分な量が分泌されているかもしれない。
「乳の味への影響が少ない凝固剤ができる可能性があります。魔物の素材なので高級品になるかもしれませんが……」
「いや、それはそれでいいのです! 上級貴族は特に珍しい箔の付いた物が好きですから」
「ただし! 毒性の研究は厳重に行ってください。思わぬところで人体に有害な作用が発見されるかもしれません」
「わかりました。もし、試作段階に入ったら君にも協力を要請するかもしれません。我々の“分析”だけでは不安ですからね」
「了解です。言い出しっぺなので、そのくらいはしますよ」
これでいい。
もし、有害な作用があるということで廃れたのであれば、早めに解明しておいた方がいい。
動物性レンネットなど、いずれは到達する技術だ。
それに、微生物タイプのレンネットに挑戦するより確実に安全である。