56話 損害報告
ベヒーモスを倒した後、俺たちが戻って来た野営地は、オアシスよりも快適とは言い難い場所だ。
岩場の上の比較的広い場所に火を焚いて、交代で狭いテントに寝る。
本来なら、ヘッケラーの結界魔法陣があるだけでも、普通の冒険者とは比べ物にならないほど安全で適だ。
おまけに飛行魔法で苦も無く上に登れるので、敵が接近しにくい場所を確保できるのも大きなアドバンテージとなる。
こんな岩場でも、それほど過酷な状況ではないはずだ。
しかし、今は一刻も早く街に、いや王都に戻りたいと思っている。
その理由は……。
「その魔法学校のローブ、壊れてしまいましたか……」
「はい、温度調節機能は完全にお陀仏です」
ベヒーモスとの戦闘が終わってから気付いたのだが、やけに照り付ける太陽が熱いのだ。
ローブを確認してみたところ、肩口から背中にかけてザックリと逝っていた。
内部の魔法陣は完全にお釈迦になったようだ。
元より砂漠で快適に過ごせるほど高性能なローブではなかったが、それでもボタンを留めてフードを被れば蒸し暑い程度で済んでいた。
それが今は汗をかいてシャツに染み込んだそばから蒸発していく、といった具合だ。
これは堪える。
おかげで氷枕が手放せない。
水筒に魔術で出した氷を入れた簡易的な物だ。
ついでにウルズの水差しから出した水を魔術で凍らせて口に含む。
このアーティファクトを買っておいてよかった。
水魔術で生み出した氷は不味いからな。
「失念していました。温度調節機能のある服を着ていると、同行者の体調にまで気が回らなくなります。私の予備のローブを貸せれば良かったのですが……所有者を認識する機構が裏目に出ましたね」
ヘッケラーのリヴァイアサンのローブには、当然ながら高性能な温度調節機能が付いている。
しかし本人以外が着ても魔道具的な機能が一切使えない仕様になっているのだ。
俺が借りて着ても、軽さのわりに丈夫な、ただのローブにしかならない。
「――“氷壁”」
ヘッケラーが何気なく展開した“氷壁”が俺たちを包み、かまくらのような物体を形作った。
天井には煙抜きの穴が開いているうえ、出入り口まである。
相変わらず精度も速度も凄まじい。
単純に絶対零度近くまで温度を下げたり氷の礫を大量に放ったりするなら俺にもできるが、こういった既存の魔術の形を細かく制御することに関しては、俺はヘッケラーの足元にも及ばない。
形だけなら真似できるが、魔力の消費量が全く違うはずだ。
「少しはマシになりましたかね? まあ、とりあえず君は王都に着いたらすぐに制服を修理に……いや、折角ベヒーモスを丸々手に入れたのですから、皮で新しいローブを作ってもらうといいでしょう。戦闘に使うのはそちらにすべきですね」
「作ってもらうというと……ラファイエット先生にですか?」
「ええ、彼は我が国で一、二を争う錬金術師ですから。それに恐らく、ベヒーモスの素材など彼以外には扱えませんよ」
やはり、すごい人だったんだな。
「ところで、そのアーマーですが……」
ヘッケラーの視線が俺の持つ自作の鉄板入りレザーアーマーに注がれた。
「ああ、これは故郷にロクな防具が無かったので自作したんです。金属鎧は動きを阻害する物ばかりで、革鎧系の品質はお察し。王都に来てからも、オーダーメイドのいい品は高くて手が出ませんでしたからね。これもずいぶんと損傷しましたし、ベヒーモスのローブを作ってもらったらお役御免ですかね」
正直に言うと、聖騎士になる以前はあまり目立ちたくなかったので、高価な防具に手を出さなかったこともある。
それに魔導鋼の大剣を手に入れられるという幸運にも恵まれ、今までそれで戦ってこれたことから防具にまで気が回らなかった。
しかし、そろそろこの間に合わせの防具も限界だろう。
「ワイルドボアと鹿の革にアサルトウルフの毛皮、中に厚めの鉄板を仕込んで……なるほど、完全に軽量なレザーアーマーでもなく動きやすさより防御力優先の金属鎧でもなく。少なくともベヒーモスのローブは、そのような中途半端な鎧の意味が無いほど強力な装備になるはずです」
「では、こいつとはお別れですね」
俺は鉄板入りレザーアーマーの修理を諦めて、魔法の袋に仕舞った。
「ところで、ベヒーモスの皮ってのは、そんなにすごい素材なのですか?」
俺の素朴な疑問にヘッケラーが目を輝かせた。
「当然です。私のローブの素材であるリヴァイアサンの皮と同等、耐久力はそれ以上ですよ」
聞けば特殊な錬金術的な処理を施したベヒーモスの革は、魔力的な要素による高い防御力を引き出され、下手な金属鎧よりも頑丈になるらしい。
「革が金属より頑丈ですか……。何だか常識を根底から覆されるような……」
「まあ、どういう防具になるかはラファイエット教授にしかわからないでしょうけどね。私でも特殊な薬品や魔法陣を使って切断するのがやっとの素材です」
それはそれは……。
なら、魔力剣とはいえ剣で首をぶった切った俺はどうなるのやら……。
しかし、それほど貴重な素材とはな。
「師匠もローブを新調しますか?」
「ベヒーモスのローブにですか? 私では腰痛になりますよ」
え? そんなに重いのか?
「ああ、君なら恐らく大丈夫ですよ。私の場合は素の筋力が無いので。常に強化魔法全開で居るわけにはいかないじゃないですか」
なるほど、そういうことなら信じておこう。
ラファイエットの腕はフィリップのロイヤル・ワイバーンのレザーアーマーで証明済みだからな。
「とりあえず、温度調節機能は絶対に付けてくれるよう注文しないと……」
「ところで、クラウス君。剣の具合はどうですか?」
言われて初めて気づいた。
確かに、あれだけの強敵を何度も斬って無傷など、普通の武器ならあり得ない。
刃こぼれも確認せずにしまうなど、少々、過信し過ぎているかもしれない。
俺は慌てて“倉庫”から大剣を取り出した。
刀身から鍔までを舐めるように見ていく。
真・ミスリルの輝きは健在だ。
刃には一片の曇りすらない。
「…………」
続いて、接合部と柄を確認する。
刀身を寝かせるように軽く傾けてみて、重心の位置を確認し握り心地に差が無いか確かめる。
軽く振って太刀筋に影響が無いことに安堵しながら、最後に魔力を通す。
「っ!」
僅かに違和感があった。
いや、違和感というよりも、スムーズに魔力が通り過ぎた感じだ。
蛇口を軽く捻ったら、水がドバッと出た感覚に似ている。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい、何とか。魔力の通り方がスムーズ過ぎて一瞬で充填されたので、少し戸惑っただけです」
「魔力覚醒の初期にはよくあることです。突然、覚醒した属性の今まで使っていた魔術や、無属性の技の威力が上がり発動が早くなる。戸惑わない方がおかしいです」
俺は魔力を纏わせた状態で大剣を数回振る。
帯電というよりはプラズマのような非常に高出力な刃のコーティングを見せながら、刀身が煌めく。
相変わらず霧散する魔力はほとんど無い。
「どうやら、覚醒のおかげで君の魔力の濃さがさらに上がったようですね。一度、しっかり魔力を回復させてもらわないと正確なことはわかりませんが、どこまで行くのやら……」
ヘッケラーのぼやきにどう返していいのかわからず、俺はただ頬を掻くだけだった。
「さて、他に何か異常に破損したり消耗したりした物はありませんか?」
「……いや、無いですね。使った武器は大剣がほとんど、サーベルも使用したのは一度だけで刃こぼれも不具合もありません。爆弾は……まあ、それほど重要な物では……」
俺はパイプ爆弾のことを――もちろん銃のことも――あまり話したくないので口ごもった。
パイプ爆弾自体はまだ腐るほどある。
しかし、それを言うつもりはない。
「……なるほど。自作品は簡単に補充が効くと……」
ヘッケラーが探るような気配を漂わせる。
やはり、彼は魔力反応を隠蔽した暗殺のための兵器として見ているか……。
裏でコソコソと何人も経由して工作を仕掛けられるよりはマシだが、こうした態度は気分が悪いことには変わりはない。
少なくとも、ばら撒くつもりが無いことは明言しておいた方がいい。
「現状、製法を一部でも知っているのは限られた信頼できる人間だけですし、俺が居ないと満足なものは作れませんけどね」
「ほう、君だけの独占技術だと?」
面倒くさいな。
もう、わかっているだろう?
「その通りです。『黒閻』が次に現れたときは俺もきっと最前線に立つでしょう。安全に運用できるのは俺だけです」
「……わかりました」
「しかし、損害らしい損害と言えば、ローブと間に合わせの防具が壊れただけですか。上々ですね」
ヘッケラーの言葉に俺は頷き返す。
「そうですね。Sランクを相手にする以上、多少の怪我や武器の刃こぼれは想定していましたが、深刻なものが無くてよかったです」
「……あれほどの雷障壁と電撃を展開しているベヒーモスに接近して生きている時点でおかしいのですけどね」
ここで俺は疑問に思ったことをヘッケラーに聞くことにした。
「ベヒーモスは外皮も頑丈でしたが、何よりあの障壁と再生力が厄介でした。普通の戦士が受けたらひとたまりもないと思うのですが、過去の討伐の際にその対策は?」
「魔術による飽和攻撃と魔力を混乱させる魔法陣を使っての妨害ですね」
「……ちなみに、あのような技があると予想されてたんですか?」
外皮に到達するまでに障害となった雷障壁に高い知能を活かした奇策に。
今回の戦いでは情報が無くて面食らったことが多々ある。
俺の少し非難めいた口調にヘッケラーは頭を振った。
「強大な魔力を持っているので、皮膚の耐久力以外にも何かはあると思っていましたが、試す人間なんていませんよ。ベヒーモスが攻勢に転じた時点で詰みです。君のおかげでベヒーモスの技が明らかになりました」
なるほど、ベヒーモスの生態に関しては俺がパイオニアか。
「この件のレポートは私がまとめます。恐らく別途にお礼が王国から行きます」
そいつはいい。
金はいくらあっても困るものではないからな。