54話 ベヒーモス戦2.5
「さて、クラウス君は行きましたか」
クラウスがベヒーモスの許に向かった後、ヘッケラーは砂丘の上で魔法陣を取り出した。
「“次元結界”――起動準備」
淡い光を放つ魔法陣は非常に緻密且つ膨大な魔力を組み込まれている。
野営の際に使った幾重にもセキュリティー機能を施された結界魔法陣と違い、いくつもの機能を併せ持つものではない。
しかし、“次元結界”は未だ詳しくは解明されていない空間魔法の概念を利用するものである。
空間魔法や次元属性と呼ばれるものは“倉庫”や魔法の袋などで一部が簡易化され実用化されてはいるものの、結界などに使用する属性や概念としては今のライアーモーア王国、いや大陸全土やバスティール帝国でも使いこなすのは困難な代物だ。
以前、ヘッケラーがクラウスに語ったように、生物が入れる亜空間などは最早おとぎ話の領域だ。
それだけ扱いの難しい魔法陣を作れるヘッケラーの力量は凄まじいものがある。
「この結界は使わないで済ませたいですね。しかし、万が一クラウス君がヘマをしたときのために準備はしておかなくては」
ヘッケラーの愛用の長杖から魔力を注がれた魔法陣が輝きを増した。
だが、すぐにヘッケラーは杖を外す。
「おっと、まだ予想される戦闘領域の全体に結界の範囲を設定し終えていませんが、このくらいにしておきましょう。早くから私が巨大な魔力を操作して戦闘準備をしていては、武人のクラウス君がいい顔をしないでしょうからね」
これはヘッケラーの考え過ぎである。
クラウスの性格からして、その程度のことで信用されていないと感じて不満に思うことは無い。
もっとも、国家や貴族に対して警戒はいくらあっても足りないと考えている以上、ヘッケラーが自分を始末しようと動き始めた可能性を考慮することはあるだろうが。
「おや、始まりましたね」
クラウスがあいさつ代わりにぶち込んだ“電撃”を確認し、ヘッケラーも気を引き締める。
「ふむ……一見、ただ水平に手から放った“落雷”ですが、威力が桁違いですね。しかも、ただ魔力を多く注ぎ込んだのではない。何か私の知らない概念によって魔術の威力を底上げしているのでしょうか」
当然、ヘッケラーには電圧や電流に関する知識は無い。
それだけに今回のクラウスの“電撃”が、どのような理屈で威力が向上されているかわからないのだが、魔術的な理論以外の要素があることに思い至るのは彼の明晰な頭脳あってのことだ。
「先日のサンドバッファローのときに見せた威力が低い“電撃”との違いも、魔力の量だけではない気がしますね」
サンドバッファローを黒焦げにせず仕留めたかったクラウスは、あの時の“電撃”にそれほど強い電流のイメージを組み込まなかった。
十万ボルトや百万ボルトと言えば即死しそうな印象を受けるが電圧よりもむしろ電流や感電の継続時間の方がダメージに寄与する。
実際、非殺傷兵器のスタンガンも強力な物の電圧は百万ボルトくらいあるのだが、電流を低く抑え電気抵抗を高くして高電圧を出しているので即死するような代物は少ない。
今回の“電撃”では、クラウスは雷の数倍の電圧と電流をイメージしている。
これを予備知識も無く感じ取れるヘッケラーこそ賞賛すべきであろう。
「ふむ、やはり彼はど突き合いますか。私なら絶対にご免被りたいシチュエーションですね。それにしても、彼奴はずいぶんと障壁に割く魔力が多いですね。それだけクラウス君の剣を脅威と見なしましたか」
ヘッケラーは周囲の警戒をしながら、クラスの戦いぶりを見物する。
「魔力剣で障壁を破り傷まで付けますか……。それだけでも驚きですが、彼はベヒーモスで遊んでいるのでしょうか?」
ヘッケラーはそもそも剣術を始め接近戦があまり得意ではないので――とは言え、並の騎士をまとめてぶちのめせるだけの強化魔法は使えるが――クラウスが剣に通した魔力でベヒーモスの雷の魔力に干渉することを試していると気付くのが遅れた。
「いや、どうやらベヒーモスの雷の魔力の扱い方を観察したいようですね。それにしても……なるほど、魔力剣でぶち当たりますか。何とも野蛮……勇敢な行動だ」
ヘッケラーの僅かに扱き下ろしを含んだ賞賛は、ちょうど風向きが変わったことで舞い上がった砂嵐にかき消された。
「む、あれは……?」
クラウスの大剣のカウンターを躱したベヒーモスが、突如起こった爆発と砂煙に包まれた光景に、ヘッケラーは僅かに身を乗り出した。
ベヒーモスとすれ違う直前にクラウスが何かを砂地に落とすのは見たが、彼が感じた魔力反応と爆発の規模がかけ離れていたのだ。
だが、一瞬の戸惑いの後、すぐにカラクリは理解した。
「なるほど、あれもクラウス君の魔道具の一つですか。並の魔術師ならば見逃しそうなほど微弱な魔力反応で中級クラスの火魔術を発動させるものですか……」
クラウスにとっては拳銃を自作した際の副産物でしかないパイプ爆弾も、ヘッケラーにとっては対魔術師用の意地の悪い兵器に見える。
実際、それだけの脅威なのだ。
「この様子ですと、話半分に聞いていた魔力反応の全くしない兵器というのも、本当に所有してそうですね。ロベルトへの報告はどうしましょう……ん?」
戦闘に伴う轟音とベヒーモスの咆哮を聞きながら愚痴っていたヘッケラーはおもむろに杖を握り直し警戒態勢を取った。
ヘッケラーの“探査”に接近してくる魔物の反応が引っかかったのだ。
「結構、遠いですね」
ヘッケラーが扱える“探査”の範囲は広い。
それこそクラウスのものどころかレイアやシルヴェストルをも凌ぐほどに。
「私ですら離脱したいほどの危険な雰囲気を撒き散らしているのに接近してくるとは……恐らく知能の低い魔物ですね」
一般的に魔物は自分より高ランクな個体に喧嘩を売ることはあまり無い。
数の優位で十分勝算がある場合は別だが、それこそアサルトウルフ数十匹ならオーガやトロールに挑むことがある程度だ。
これだけの戦力の差が無ければ、まず不利な相手とは戦わない。
過酷な自然界に生きているのだから当然だ。
危機察知能力が高くなければ、すぐに屍を晒すことになる。
例外はゴブリンのような知能の低い魔物だ。
彼らは相手がドラゴンであっても果敢に挑む、勇者と書いてバカと読む奴らだ。
それで絶滅しないのだから、むしろ繁殖力の強さを称賛するべきか。
「さて、クラウス君には雑魚は任せるように言ってしまいましたからね。どこの愚か者か知りませんが、片付けさせてもらいましょう」
「ふむ、ホブゴブリンが中心ですか。この辺にはサイクロプスやケルベロスが居てもおかしくはないのですが、どうやら轟音と強力な魔力から逃げたようですね」
飛行魔法というよりも、ほぼ“浮遊”だけでゆっくりと高度を上げたヘッケラーが、遠目に見える魔物の集団と“探査”の反応を見比べて呟いた。
その表情には僅かに苛立ちが見える。
「はぁ……クラウス君の戦闘は王国側の人間として手札を把握する意味でも、私自身の研究欲のためにも見逃したくないのですが……」
通常種のゴブリンよりも体格のいいホブゴブリンの集団はヘッケラーから立ち上る濃厚な魔力の気配に怖気づいた様子もない。
クラウスとベヒーモスの戦闘にすら恐怖を感じないのだから当然だ。
危機察知能力は著しく低い。
だからこそ冒険者ギルドでも低ランクへの討伐依頼の対象になるのだが、これで絶滅しないのはひとえに強すぎる繁殖力のおかげだろう。
「さて、憂さ晴らしに付き合ってもらいましょうか。――“氷弾”」
ヘッケラーの持つ長杖から拡散した魔力が、一斉に鋭く尖った氷の弾丸に形を変え、ホブゴブリンをはじめとした魔物の集団に降り注ぐ。
憂さ晴らし、などと言っておきながら無駄な魔力や制御の甘い部分は一つも無い。
全て狙い違わず魔物の急所を一発で貫き、その命を刈り取った。
「ふむ、ぐるっと見ましたが亜種は居ないようですね」
ヘッケラーの言葉通り今回の集団には希少な魔石や素材を持つ上位種や変異種、亜種とよばれる存在は居ない。
居れば予めヘッケラーの“探査”で選り分けられ、丁寧に始末されたうえで素材を氷漬けにして保存されていたことだろう。
「解体は冒険者ギルドに任せてしまいましょう。魔石を抉り出すのも面倒くさい。幸い私の魔法の袋には十分余裕がありますし、丸ごと持って帰りましょう」
ヘッケラーが翳した魔法の袋に数十匹のホブゴブリンの死体が吸い込まれていく。
取りこぼしが無いことを確認したヘッケラーは、すぐに踵を返しクラウスの戦場に目を向けた。
しかし、ヘッケラーの目に映ったのは信じがたい光景だった。
「っ! クラウス君!」
ベヒーモスに大剣を弾かれ、地面に叩きつけられるクラウスを見て、ヘッケラーは指が白くなるほど杖を握り締めた。