52話 ベヒーモス戦1
ヘッケラーの予想通り出撃から三日目に、俺たちは指定の座標に到着した。
監視役の冒険者とみられる反応は俺の“探査”にも引っかかり、ゆっくりと接近していった。
特に魔力を遮断することも無く上空から近づいたので、向こうもすぐに気づいたようだ。
ベヒーモス本体の反応はまだ捉えられていないが、監視役の冒険者たちの向こうに凄まじい強さの魔力反応を感じる。
あの方向にベヒーモスが居ると見て間違いないだろう。
どうやら数日を捜索に費やす必要は無いようだ。
まあ、冒険者たちがある程度の距離まで撤退するのを待たなければいけないので、すぐに攻撃を仕掛けることは無いと思うが。
「君たちが監視役ですね、ご苦労様です」
ヘッケラーが声をかけた。
「はい。ヘッケラー侯爵様、イェーガー将軍様。ご足労いただきありがとうございます」
「ふむ、ベヒーモスの位置はあまり動いてないようですね」
「ええ、追跡部隊からの連絡で異常は報告されておりません。位置は完全に把握、損害もゼロです」
それは何よりだ。
「結構。では、次の連絡で撤退準備に入ってください。問題ありませんか?」
「はい、そうさせてもらいます。あんな化け物に近づくのは、もう御免ですよ」
早速、彼らは鳥籠から出したハヤブサの足にカプセルのようなものを付け、ベヒーモスの反応がある方向に放した。
次の定時連絡――あのハヤブサが戻って来た時――が最後のベヒーモスの位置情報となる。
その後は、冒険者たちが離脱するまで俺とヘッケラーで付かず離れずの距離を保って、いよいよ攻撃開始だ。
「クラウス君、緊張していますか?」
「ええ、そりゃ、まあ……。初めて戦う相手ですので」
Sランク相当の相手とは戦ったことがある。
ロイヤル・ワイバーンがそうだし、ボルグもそれ以上の強敵だった。
しかし、明確にSランクの魔物と銘打たれている者と戦うのは、これが初めてだ。
「ふむ、私も若い頃にリヴァイアサンへ挑んだときは同じような心境だったでしょうか……。いや、君よりひどかったでしょうね。冷静さを欠く恐怖を過剰な自信と傲慢さで抑えているような状態でしたから。適度な緊張感を持つのは悪いことではありませんよ」
なるほど、考えてみればヘッケラーにもそういう時代があったわけだ。
リヴァイアサンも紛うことなきSランクモンスターだ。
陸のベヒーモスに対して海の支配者と言われている。
それを討伐したのか……。
ただの食い意地の張った残念なおっさんに見えて、そこは腐っても筆頭宮廷魔術師。
やはり実績が違う。
「リヴァイアサンですか。詳しく聞いても?」
「ええ、いいですよ。まあ、余興としては、それほど盛り上がる話ではありませんけど」
これには俺より監視役の冒険者たちが食いついた。
「とんでもない! ヘッケラー侯爵様の武勇伝を直接聞けるなんて」
結局、ヘッケラー本人が言うように、叩き伏せられ気力で立ち上がりの死闘と言える話ではなかった。
ヘッケラーの得意属性は水属性、リヴァイアサンも同様だ。
お互い決め手にならない魔術とブレスを撃ち合い防ぎ合い、障壁や弾幕の少ない場所を突き合い、最終的に急所を穿たれた海の支配者はヘッケラーのローブの材料となった。
「まあ、そういうわけです。ほかにも何件かSランクの魔物を討伐した経験があります。無いとは思いますが、もし万が一、クラウス君がドジを踏んだら私が責任をもってベヒーモスを葬りますから、安心してください」
「わかりました。もし、そうなったときはお願いします」
ヘッケラーは俺がベヒーモスを確実に仕留められると踏んでいるようだが、保険があるのと無いのでは冷静さが全く違う。
Sランクを確実に倒せる味方が居るのは、ありがたいことだ。
「さて、ハヤブサが来たようですね。問題が無いようでしたら、早速、接近しましょう」
「はい」
飛行魔法で巨大な魔力を追って飛ぶこと数分。
ついにベヒーモスが視界に入った。
途中、最も近い位置でベヒーモスを監視していた冒険者たちとすれ違った。
すぐに戦闘を展開することを想定せず、ベヒーモスの位置を見失わないように速度を優先した結果、徒歩では数時間かかる距離を、この数分で移動し切ったことになる。
前世のベヒーモスの見た目は小説やゲームなど作品によって様々だ。
聖書をもとに描かれたベヒーモスの絵は確かゾウやカバに似ていたはずだ。
ドラゴン型のものもあったか。
こちらの世界のベヒーモスはF○シリーズに近い。
ヤマアラシとサイを混ぜたような形だ。
もっとも、サイズは桁違いだ。
全長は百メートル近い。
巨大な角はバチバチと紫電を纏っている。
「クラウス君、ベヒーモスはかなり大人しい魔物です。こちらから攻撃しない限り、まず襲ってきません。しばらく一定の距離を保って追跡しますよ」
俺たちは一瞬で徒歩の何倍ものスピードで移動できるが、冒険者たちはそうではない。
彼らが十分離脱するまでドンパチは避けなければならない。
ベヒーモスとの戦闘の余波がどれだけのものになるかわからない以上、三時間は待った方がいいだろう。
「了解です」
「君は魔力を回復するのに集中してください。雑魚が近づいたら私がやります」
砂丘の頂上からベヒーモスを監視しつつ、俺とヘッケラーは雑談がてら作戦の最終確認をした。
「師匠が単独でベヒーモスを倒すとしたら、どういった方法でやります?」
「そうですねぇ。まず、防御をそのまま抜こうとは考えませんね。過去にベヒーモスを大規模な軍勢で討伐したときも、あの固い皮膚を貫いたり切り裂いたりすることは諦めたそうですよ」
確かに生半可な武器や魔術では突破できないだろうな。
ベヒーモスの皮膚は死んだ後も普通の刃物では切ったり加工したりすることはできないそうだ。
特殊な錬金術的な処理が必要となる。
生きている状態ではベヒーモス自身が制御して纏っている魔力もあって、耐久力はさらに上のはずだ。
「刃が通らないほど硬い外皮を持つ相手に有効なのは打撃です。頭や体の内部に衝撃を送り込まれれば、いかに頑丈な魔物といえどダメージを受けます。過去の討伐記録では大規模な魔術と波状攻撃による足止め、そして戦士たちが一斉に頭部へメイスやら斧やらを叩きつけて、どうにか殴り殺したそうです。私の場合も大筋は変わりませんね」
「その杖でフルスイング……ってわけではなさそうですね」
「はははっ、さすがに私では腕力が足りませんね。私の最上級水魔術“豪雪氷槍”で広範囲を吹雪かせて動きを止め、氷の巨槍で頭部を集中攻撃します。時間はかかると思いますが、私の魔力量なら十分押し切れるはずです」
なるほど、氷漬けにしてから氷の柱の物量で殴り殺すわけか。
聞けばどれも首を刈り取ったり斬り捨てたりして止めを刺す方法ではないな。
「俺もたたき切ることではなく、衝撃でダメージを与える方針にすべきですかね?」
ロイヤル・ワイバーンのときも首を切断することは叶わなかった。
武器の優劣のせいにするのは嫌だが、当時の俺の大剣には強力な素材は使われておらず、魔導鋼だけだったのだ。
現在の大剣は魔導鋼を芯にして魔力を通す回路を確保したまま最高の硬度を持つアダマンタイトで補強、ミスリルを重ね打ちして剣全体の魔力の伝導性を高めてある。
極めつけは贔屓の武器屋の親父さんの真・ミスリル合金――ミスリルとオリハルコンの合金で、ミスリルの魔力伝導性を底上げしてオリハルコンの切れ味と魔力感応性を併せ持たせたもの――で刃の部分を作っている。
刃そのものの切れ味、魔力剣として魔力を通した時の威力、ともに雲泥の差だ。
それでも相手はSランクの魔物。
しかも防御力に秀でているときた。
根気よくど突くシチュエーションも想定した方がいいだろう。
「できることなら早めに押し切って欲しいところですね。主旨は君の属性の覚醒です。まずは雷の魔力を受けてもらわねばなりませんから」
そうだった。
最初は雷をわざと喰らうというドMな真似をしなければならないのだった。
まあ、体全体で受けなくても強化魔法と魔力剣を使って、相手の魔力の波動を感じ取り押し返せばいいのだが、間違いなく気持ちのいいものではない。
「最初の衝突だけでも紫電が撒き散らされることになると思うので、できればさっさと覚醒して切り伏せてください」
まったく、簡単に言いなさる。
「グルァ!? ガオォォォ!!」
砂丘を降りベヒーモスに接近した俺は、強化魔法を発動し右手に提げた大剣に魔力を通した。
さすがのベヒーモスも、この位置で魔力を練って戦闘準備をされては、看過できないようだ。
咆哮を轟かせて威嚇してきた。
「まずは小手調べだ。雷を操るのは、お前の専売特許じゃないってことをわからせてやる」
俺はおもむろに剣を握っていない左手を上げて魔力を込め始めた。
軽く開いた手の五本の指でベヒーモスの頭部を狙う。
通常の“落雷”の数倍の電流と電圧をイメージして放つのは、俺の代名詞ともいえる魔術“電撃”だ。
「グォ!?」
放電とは思えない轟音が鳴り響き、ベヒーモスに向かって紫電が舌なめずりした。
「ガアァァァ!!」
しかし、ベヒーモスに届いた電光は同じく奴の角から放たれた数条の雷と衝突する。
ベヒーモスは体全体にも電流を纏っている状態だ。
勢いを削がれて飛び散り逸れた俺の“電撃”は辛うじて弾かれた。
「まあ、こんなもんか」
体中の至る所から電流を出し俺に殺気をぶつけてくるベヒーモスには、最早、陸の王者に相応しい貫禄は無い。
油断しているところを先制された初撃とはいえ、自分と同じ系統の技を受け防御することが精一杯だったのは屈辱だろう。
俺も普段なら魔物相手にこのような挑発にも等しい行為はしない。
死角から不意打ちして、そのまま封殺で終わりだ。
だが、今回は奴に雷を撃ってもらわなければ困る。
ベヒーモスの討伐は俺の修行の一環でもある。
そして修行の目的は俺の魔力を雷属性に覚醒させることだ。
覚醒の条件が同じ系統の魔力を受けて押し返すことなのだ。
「さあ、次はお前の番だ。来やがれ、畜生が」
俺が仕切り直しとばかりに構えた大剣の先端が照り付ける太陽を反射し煌めく。
ベヒーモスの咆哮が三度サヴァラン砂漠に響き渡った。