51話 臓物の価値
「では、手筈通りに。――“氷槍”」
「――“電撃”」
俺の放った“電撃”が三十匹ほどのサンドバッファローの群れの意識を刈り取った。
俺はサンドバッファローと戦うのは初めてなので、担当するのは少ない方の集団だ。
ストレスが肉を不味くすると聞いたことがあるので、できるだけ苦痛を与えずに倒したい。
俺が選んだ方法は、前世の屠殺でも使われていた電気ショックだ。
攻撃を受けたことも分からぬうちに意識を刈り取り、後でゆっくり首を切り落とせばいい。
「ふむ、初撃で殺さないのですか?」
自分の担当を処理し終わったヘッケラーが声をかけてきた。
俺は、撃ち漏らした個体が居たときのために準備していたクロスボウを下ろした。
ヘッケラーの方も全て片付いている。
「ええ、肉を美味しい状態で確保する確実な方法です。即死するほどの電撃だと肉や内臓も焦げてしまいますし、サンドバッファローの強さが分からないので“氷槍”や“風刃”だと一撃で仕留められない可能性がありました。苦痛を与えると肉が不味くなる可能性があります。でも、次からは“風刃”で良さそうですね」
初めて戦うサンドバッファローの耐久力が分からないので、今回は確実にストレスを与えずに無力化できる方法を取ったが、後から首を落とすのは、はっきり言って二度手間だ。
魔法の袋に生きている魔物は仕舞えないので、この場で屠殺処理しなければならない。
次回からは一度で殺して魔法の袋に仕舞えるように“風刃”を使おう。
「なるほど、僅かな痛みが肉の質を落とすこともあるわけですね。私も次回からは気を付けましょう」
ヘッケラーはそう言うが、恐らく彼の取った方法も全く問題ないだろう。
彼が倒した七十匹ほどのサンドバッファローは、全て延髄や首に氷の槍が刺さって絶命している。
恐ろしい精度だ。
首に攻撃を受けて多少苦しんだ個体もいるかもしれないが、ほとんどが即死だろう。
「さ、君の獲物を回収してきてください。夕食はサンドバッファローでお願いします」
「ええ、期待していてください」
オアシスの拠点に戻った俺たちは、早速サンドバッファローの解体を始めた。
初めて見る魔物なので講師はヘッケラーだ。
そのはずだった……。
「まずは腹を割いて内臓を捨てま……」
「はい、アウトー!」
モツを捨てるだと?
とんでもないことを言いやがる。
「師匠、何を捨てるつもりですか? 心臓も? 肝臓も? まさか舌も?」
「え、ええ。角は錬金術的な処理で薬になりますし、皮は靴などの材料になりますが、内臓の使い道は無いでしょう? 今必要なのは肉と……君なら骨からスープも作れますか」
何てこった。
レバーやハツやタンの味を知らないなんて……。
まあ、日本も昔は内臓を捨てていたらしいからな。
ホルモンの語源が「放るもん」なのだから話にならない。
「まさか、食べるのですか?」
「師匠、参考までに聞いておきますが、内臓に毒は?」
「ありませんね」
「では何故、今までに食べようとしなかったんですか?」
「何故と言われましても……家畜の牛は、肉は食べますけど内臓は食べないからですね。……しかし、そう言われてみると鹿や熊の内臓は食べるのに不思議ですね」
この世界の家畜の牛は、ほとんどが乳牛だ。
恐らく、ヘッケラーが食べたものも例外ではないだろう。
元々、肉を目的に飼育されていないうえ、屠殺されるのは年老いた個体だ。
当然、肉は不味い。
内臓など質がモロに反映される部位なので、そんな牛のモツが美味いわけがない。
恐らく、牛の内臓を食べるという発想が無かったのだ。
「断言はできませんが、適切に料理すれば美味いはずです」
「なるほど。サンドバッファローは肉、というのも先入観に過ぎないのですね。わかりました。では、内臓も確保する形で解体していきましょう」
「ええ、よろしくお願いします」
不測の事態もあったが何とかサンドバッファローの解体は順調に進んだ。
念のため内臓には俺も“分析”をかけて毒の有無を確認した。
俺なら魔力的な要素だけでなく化学的な毒物の検知もできる。
「では尻尾を切り取って……」
「オックステールを捨てないでください!」
ヘッケラーはホルモン類の場所がわかっていなかったので、結局、俺が試行錯誤しながら解体することになった。
「教えること、ありませんでしたね……」
「いや……そんなことは……」
解体が終わった後、俺は少し反省した。
いくら内臓を無駄にせず食うためとはいえ、ほとんどヘッケラーに作業させないのは良くなかったかもしれない。
「し、師匠が毒の有無などを教えてくれなかったら、俺も料理しようなどとは考えられませんでしたから」
「……君の“分析”はどう見ても私より精密でしたね」
「ギクッ」
そうだった。
ヘッケラーは筆頭宮廷魔術師だ。
俺が“分析”を使った時の魔力反応から、彼のものより遥かに詳細な調査をしていることがわかるはずだ。
「あの反応は、単純に魔力を圧縮しただけではあり得ませんし、ましてや分析結果の確実性を高めた結果でもありません。そう、私が考えつくより遥かに多くの項目や分野に関して調べていたような……」
そこまでわかってしまうか……。
確かに、俺がいつも調べるのは梅に含まれる青酸系やアルカロイド系のガチな毒、それに寄生虫や細菌など、この世界では存在すら知られていないものだ。
中毒症状の作用機序までわかっていなくても存在の確認くらいできることは、トリカブトや青魚などで確認してある。
とにかく、ヘッケラーには想像すらできない中毒の原因を一度に調べていることになる。
いずれは教えてもいいが、今でなくてもいいだろう。
「ま、まあ料理は俺がするってことで、師匠はゆっくりしていてください。新鮮な内臓を味わえるのは狩人の特権ですよ」
「ふむ、そうですね。では、お任せしますよ」
相変わらず食い物で釣るとチョロい。
「さて、使う部位は……当然、師匠が初めて食べる内臓か」
焼肉のタレが無いのでハラミを使うのは見送る。
味噌ダレの無いミノや腸も認められないので却下だ。
「心臓やレバーはそこまで珍しいものではないですから、今日は尻尾と舌を使いましょう」
「任せますよ。サンドバッファローの尻尾や舌ですか……。初めて食すので楽しみですよ」
先ほどの解体で根元から切断したサンドバッファローの舌とぶつ切りにしたオックステールを取り出した。
サンドバッファローの大きさは普通の牛よりだいぶ大きい。
内臓の大きさも倍近くになっているので、いくらヘッケラーでも食い足りないということは無いだろう。
「まずは煮込むのに時間がかかるオックステールだな」
最初に自作のフライパンを使いオックステールをオリーブオイルで焼く。
次に軽く炒めた香味野菜とたっぷりの赤ワイン、ブイヨン、アラバモの街で購入したローリエの葉を一枚入れ煮込む。
「本来なら三時間は煮込みたいところだが、そこまでの時間は無いし……今日は土魔術も使いますか……」
「土魔術?」
「ええ、薬物の反応速度を上げたりすることができるので」
ただし、最低でも三十分は普通に煮込んでからだ。
本来なら、丁寧に灰汁を取り除きながらじっくり煮込む料理である。
温度を上げてオックステールが硬くなったりしたら台無しだ。
それ以外の要素でも、魔術で強引に反応を進めることには不安がある。
最悪、灰汁が排出されずエグみが残ってしまう可能性がある。
落ち着いて料理できる場所や状況ならば、不自然なことはしたくない。
「次はタンですね」
ウルズの水差しの水を贅沢に使って、あらためて血を綺麗に洗い流す。
続けて水魔術の“氷結”を集中的にかけ舌全体を凍らせた。
戦闘の頼みの綱である魔力を料理に使うのも、俺の膨大な魔力量があって初めてできることだ。
「え? 氷漬けに……?」
「切りやすくするためですよ。舌は場所によって味が違いますから」
ヘッケラーの疑問に答えながら俺は作業を続けた。
「例えば、先端の部分は脂が少なく固いのでシチューに使います」
説明しながらタン先の部分を切り落とす。
タン先を下茹でしている間に皮むきとほかの部位のカットだ。
筋肉繊維の多い下の部分――いわゆるサガリ――は小さめに切って切れ込みを入れる。
焼肉屋では上タンとして供される根元の部分――タン元――は少し厚めに、舌中央の部分は薄くスライスした。
「炭火で焼くと美味いですよ。三つとも違う食感と味わいです」
「ほうほう、同じ部位でも場所が少し違うだけで、それだけの差が……」
下茹でしたタン先の皮を剥き半分に切り分けたら、ワイバーン亭の大将に作ってもらったデミグラスもどきで野菜と一緒に煮込み、タンシチューの仕込みは終わりだ。
煮込み料理ができるまで、焼肉を味わうとしよう。
「こんな感じで好みの焼き加減にしてお召し上がりください」
「ええ、それでは、いただきます」
網と炭火を用意した俺たちは早速タンの焼肉に手を付けた。
「っ! こ、これは……」
「うん、確かに牛タンだ」
専門の焼肉店のタン塩とは違うが、上質な牛タンは塩コショウだけでも十分美味い。
試しにレモンを絞ってみてもいい味だ。
「コリコリとした歯応えにプリッとした舌触り。心臓より弱いほのかな弾力と噛んだ瞬間に歯がスッと入っていく感触は官能的と言ってもいい。臭みも無く肉とはまた違った味わい、レバーの濃厚さとは対極に位置するようでしっかりと旨味を感じます」
ヘッケラーも気に入ったようだ。
「タン中は旨味、食感ともに余すことなく味わえる部位ですね。薄く切ることにも意味があったわけですか。サガリ……でしたか? これも食感の良さを味わうのに最適ではありませんか! 丁寧な仕事を施した食材だけが持つ素晴らしい輝きを感じますよ。それにタン元のとろける味ときたら……もう……」
「(完全にグルメレポートだな……)喜んでいただけたようで何よりです。食べているうちにオックステールとタンシチューの方も仕上がってくると思いますので」
俺も牛タンを味わいながら鍋の様子を確認した。
「どうぞ、オックステールの赤ワイン煮込みです。ソースは煮汁を煮詰めて――この工程にも魔術で少し加速しましたが――、一緒に煮込んだ香味野菜を濾してバターを加えたものです」
ヘッケラーは俺の説明に頷きながら恐る恐るオックステールを口に運んだ。
タンの美味さは知ったとはいえ、やはり食べ慣れていない部位の、それも尻尾をぶつ切りにしたのが丸わかりな見た目では、警戒するのも当然だろう。
「っ! 何と……」
しかし、一口食べればそんな警戒心や猜疑心など吹っ飛ぶ。
ヘッケラーは夢中で食べ続けながらもグルメレポートを継続した。
「しっとり、プリッとした食感が素晴らしい。かといって脂っぽいということは全くないです。くどくなりやすい脂を丁寧に取り除いたのですね?」
「ええ、先ほど水魔術を使った時に」
本当なら煮汁からソースを作る前に、自然に冷ましてから浮いて固まった脂を捨てる。
しかし、今日は時間が無いので水魔術で早めに温度を下げたのだ。
それでも十分、想定通りの結果が出た。
コクを出すためソースにバターを加えてもくどくならない程度にオックステールから出た脂を除去できた。
初めて使う食材でこれなら上々だろう。
「さて、〆にパンとシチューってのも変ですが、タンシチューもできましたよ」
ワイバーン亭の大将にもらったソースで煮込んだタン先のシチューも、英気を養うのに十分すぎる味だった。