42話 事前レクチャー
「失礼します、イェーガー将軍をお連れしました」
「はい、ご苦労様です」
「失礼します、師匠」
俺は騎士に促されヘッケラーの執務室に足を踏み入れた。
思っていたより特徴の無い部屋だ。
王城の一室としてはふさわしいだけの調度品も置いてあるが、筆頭宮廷魔術師らしい怪しげな魔道具や装置は無い。
「ここは王城で人と会うための部屋です。お茶もお菓子も宮廷メイドが用意してくれますから、飾りの置物だけあれば問題ないでしょう」
ヘッケラーが俺の心を見透かしたように言う。
「……顔に出てましたか?」
「そこらへんは要修行ですかね」
チッ。イケメンは鼻で笑う仕草も絵になるものだ。
「さて、それでは早速ですが、訓練についてお話ししたいと思います」
「あのぅ、師匠。もう始めるんすか?」
俺は思わず口を挟んだ。
「ええ、色々と事情がありまして。とりあえず今日は『覚醒』について説明しましょう。今回の修行はクラウス君が『覚醒』に至るのも目的ですから」
どうやら雑談している時間は無いらしいな。
「そもそも『覚醒』とは身体魔力が一つの属性に昇華することです。覚醒した魔力を持つ者は魔術師や魔法戦士の中でも稀な存在ですが、一つの属性に関して並外れた理解と熟練を有することが条件と言われています。メリットは覚醒した属性の魔術による魔力量の消費が大幅に減ること、その属性の魔力の操作が目に見えて上達することですね」
「適性が特化するってことですか? まさか、ほかの属性の魔術が使えなくなるなんてことは?」
「いえ、それはありません。覚醒した魔力とは魔法や魔術を発動するために練られた魔力の一歩先の状態です。例えば、私は水属性に覚醒した魔力を持っています。強化魔法などの無属性の魔法を発動した際にも水属性を帯びるような状態にはなりますが、覚醒する前と比べて火属性などの扱いに関して何ら変化はありません」
それだけ聞くと、いいことづくめだな。
ただ、武器の一つのグレードが上がっただけだ。
「私の過去の論文の内容でもありますが、まったく干渉されていない身体魔力を0の状態とすると、練られた魔力は1、属性を帯びた魔力は2、魔法を発動させた状態を3とします。覚醒した魔力は2と同等になるわけですね。ほかの属性を使うときも0ではなく1まで戻せばいいわけです。0から1、2から1の距離は変わりませんから」
「師匠の理論からすると、覚醒した属性を使うのは3ではなく1の労力で可能というわけですね。スピードも相当違うと思いますが……」
「段違いですね」
聞けば聞くほど手に入れたい能力だ。
属性が傾くというより、一分野が嵩上げされる感じだ。
これをものにできれば『黒閻』との戦いもだいぶ楽になる。
「さて、クラウス君。ここからが本題です。ただ、君の戦力を底上げするための知識を教えるだけで済みそうなこの一件。何故、私が付きっきりで指導するのか」
「理由は三つあります。薄汚いのと汚いのと気が滅入るの、どれから聞きたいですか?」
綺麗なのは無いのかよ……。
「薄汚いのから」
「クラウス君を侮って自分の陣営に引き込もうとする馬鹿がいます。国王陛下やデ・ラ・セルナ校長が動いている間の避難の意味もありますが、それ以上に重要なのは今回の私の実戦指導で実績と戦力を示していただきます」
黒い会話はお任せだな。
それよりも聞き捨てならないのは後半だ。
「実績とは……ドラゴンとでも戦うのですか?」
「はは、君なら下級竜くらい楽勝でしょうが、残念ながら今回は違います。それに関しては気が滅入る話と一緒に説明しましょう」
おそらく、何か他にも理由があるのだろう。
これが一番やばい気がする。
「汚いのは、私が君に親切にすることで油断をさせる、あわよくば弱みを見つけるといったところですね。私自身や国にとっても成功すれば御の字ですし、周囲に君の首根っこを押さえているというアピールができるだけでも上々です」
これは初対面の時にも少し聞いたが、要は体裁が必要だってわけだ。
「気が滅入るのは?」
「魔術師にはそれぞれ得意な属性がありますね? これも結局は知識とイメージ力の結果ですが、覚醒した魔力というのは非常に強力です。使いこなすには相応の技量が必要なのは言うまでもないでしょう。さる大馬鹿者は、ほかの属性の鍛錬を怠り、理解の及ばない混合魔術を使い暴走、そして自爆しました。さる無謀な輩は覚醒魔力を手に入れることを焦り、失敗して命を落としました」
なるほど、強大な力を求め身を滅ぼした阿呆の話か。
しかし、前者はわかるが後者はどういった経緯で命を落としたのだろう?
これだけ聞くと覚醒魔力を手に入れるまでが、危険な修行のようだが……。
「覚醒魔力とは、通常の詠唱魔術や魔力操作より一段階上の練度で、その属性の魔力を操ることができるもの。それを習得するのに一番手っ取り早いのは、同じ属性魔力をその身に受け、干渉し押し返すことです」
…………ちょっと待て。
その身に受け、ってことは……。
「わざと魔術を食らうってことですか?」
「そうです。それもある程度、力量が近い相手のものをね」
マジか……。
「ちなみに俺の覚醒の属性ってわかったんですか?」
実は前に適性を調べるために、ヘッケラーには俺の血を数滴渡してある。
錬金術で作った魔道具にそれを調べるものがあるそうだ。
値段は恐ろしくて記憶から強制排除した。
だが、それでも覚醒間近の明瞭に適性が見られる魔力や、ほぼ習得が不可能な全く傾向を見せない属性などの限られたことしか調べられない。
すべての魔術師の細かい適性が分かる道具など開発したら、それこそ売り上げだけで貴族家を立ち上げられるんだろうな。
「はい、非常に珍しい属性なので苦労したのですが、何とか突き止めました」
珍しい?
俺は魔術教本に載っているもの以外は、それほど試していないぞ。
それこそヘッケラーやデ・ラ・セルナのほうが、オリジナル魔術や最上級魔術を開発しているはずだ。
「最初は風かと思ったのですが、どうやら違いました。よく見れば風と水の混合のような、別の視点からは火のような要素を持つ複雑な性質を示していたのですが……」
ちょっと待てよ。
風と水の混合で火のような要素もあるものというと……。
「まさか……雷ですか?」
「その通りです」
雷属性。
物語の中ではたまに勇者の固有属性となることもあった。
光や聖属性が神官ではなく勇者の技能だった場合も多いが、雷を操る勇者となれば、それは強くかっこよく映るだろう。
転生小説の主役が現代知識でアレンジして多用する属性でもある。
この世界では水と風の混合魔術として“落雷”や“雷雨”などの魔術があるが、電気や電流といった概念はほぼ浸透していないのだろう。
「私は雷単体の魔術と思えるものは“落雷” と“雷雨”くらいしか思いつきませんが、君は何か雷系のオリジナル魔術でも作りましたか?」
「そういえば“電撃”は“落雷”のアレンジですかね」
「ああ、思い出しました。確か王宮騎士を気絶させボルグを追い詰めた魔術でしたね」
戦闘の詳細はデ・ラ・セルナから国経由で聞いているのだろうが、すぐに俺の魔術を“落雷”とは結び付けられなかったのだろう。
「それでですね、クラウス君。一応、雷を攻撃の主な手段として使う魔物も存在します。ですが、君の魔力量や力量を鑑みるに、そんじょそこらの魔物では到底力不足です」
まあ、そうだよな。
この若さで聖騎士になっちまったわけだし。
「それに、君の魔力量の増え方も問題だ。はっきり言って半年足らずでその魔力量の成長は異常です。このままでも私にはすぐに追いついてしまうでしょう」
そうなのだ。
俺の魔力量はすでにデ・ラ・セルナを超えた。
王城での謁見の後、暇さえあれば鉱山へ行って“抽出”の魔術で金属を掘りまくっていた。
今までも“醸造”で魔力を使いきっての総魔力量アップと魔力制御での効率アップの訓練を欠かしてはいなかったが、今回の採掘での訓練も相当な研鑽になったのだろう。
ほかにもボルグとの決戦で限界近くまで魔力を行使したことや、これまた魔力の制御訓練にも向いている魔力剣を、この一年使い続けたことも要因かもしれない。
なにはともあれ、俺の魔力量はさらなる高みを目指して絶賛上昇中というわけだ。
「そのまま研鑽を積んでもいずれは自力で覚醒に至るかもしれませんが、それはあまりにも時間が勿体ない。そこで早めに君の覚醒の修行を始めたいのです。この調子で腕を上げたら、それこそ今考えている相手でも力不足になりかねませんから」
俺の場合、今やらないと覚醒無しでもその相手を圧倒してしまうのか……。
しかし逆に考えれば、今の俺では倒すのに苦労する相手というわけだ。
「俺は何と戦うのですか?」
「ベヒーモスです」
ちょっと待てよ。
ベヒーモスといえば海のリヴァイアサンと空のシズと並んで陸の最強生物って言われている奴じゃないか。
こちらから接近しなければ害は無いが、一度でも敵対行動をとると強力な雷撃を連続で見舞ってくる。
おまけに外皮は下手な竜よりも頑丈で、並の武器では斬撃や刺突など到底効かない。
本来なら無害な存在であるため余計な手出しはしないが、人里に接近してきた場合は別だ。
馬鹿が半端に手を出して街に逃げ帰ってくると被害が広がるので、万が一の事態を避けるために討伐が計画される。
当然、討伐依頼ともなればSランクだ。
そもそも、Sランクの依頼は、ほとんどがAランクの魔物の上位種――アーク・グリフォンやロイヤル・ワイバーンなど――や集団が出た場合である。
Sランクの冒険者も国内に数えるほどしかいない精鋭の中の精鋭だが、それでも竜やベヒーモスやリヴァイアサンなどの通常種でSランクの魔物など、ソロや一桁のパーティで挑むものではない。
「さすがにそれは……」
「我々聖騎士はドラゴンクラスの魔物が出たときは必ず出陣します。私も昔エルダードラゴンが人里の近くに出現した際、デ・ラ・セルナ校長と一緒に出撃しました。ベヒーモスくらい君にとってはいい的でしょう?」
いやいや、的って……。
「まあ、そんな理由で私が自ら指導することになりました。とにかく、君の相手がベヒーモスで務まるうちに修行を開始します。ちょうどサヴァラン砂漠でベヒーモスが街の近い場所で目撃されていますから」
サヴァラン砂漠ね。
確か王国南部から南東、中央大陸の真ん中に広がる広大な砂漠だ。
デカいオアシスの向こう側が完全にフロンティアだったな。
それにしても、実在の砂漠とケーキの名前が元ネタか。
ここにも地球出身の転生者の匂いを感じる。
「はぁ、仕方ないですね……。ところで、俺はサヴァラン砂漠に行ったことがないのですが、そこらへんもお守りをしていただけるので?」
「ええ、もちろん。砂漠地帯で活動するために必要な準備もいろいろと教えましょう」
うん、これは信じてもいいだろう。
現地集合からのいきなり砂漠に放り出されるとかはなさそうだ。
「では、出発は明日の朝で」
「急だな、おい!」
何だってそんなに慌ただしくせにゃならんのだ。
こちとらようやく1年次の授業が終わったばかりだぞ。
しかし、ヘッケラーの次の言葉で俺は自分の甘さを思い知る。
「これ以上暇そうにしていると、貴族からの会食のお誘いと、お見合いの申し込みが殺到しますが……」
「さっさと行きましょう! すぐ行きましょう!! 今行きましょう!!!!」
「今は無理ですって……」
狸どもの相手はお断りだ。
俺は多忙な新米の聖騎士。
修行も雑用も仕事も人一倍やらなければならない。
それにしても、お見合いか……。
最初は「選り取り見取りでラッキー」とか思っていたが、王城で会った貴族令嬢ってのは、どいつもこいつも殺意しかわかない奴らだった。
虚栄心と浪費が厚化粧して歩いてるようなのを相手にするのはご免被りたい。
「君は今日の宿はワイバーン亭ですね。朝食後に王都の南門で集合にしましょう」
「了解です。では、俺はこれで失礼しま」
「ところで、先ほどアラミス君にいいものをあげてましたね。確か、珍しい魚の干物だとか……」
「…………」
「案内の王宮騎士にまで恵んで、師匠を蔑ろにするのは……」
残った灰干しは全てヘッケラーに分捕られましたとさ。
翌日、俺はヘッケラーとの待ち合わせの時間より早く南門に来ていた。
砂漠で行動した経験が無く、ヘッケラーが細かく教えてくれると言っている以上、できる準備は飲料水と氷を多めに用意することくらいだ。
とはいっても、故郷のフロンティアで煮沸も解毒魔術も必要ない綺麗な清流を見つけている。
美味しい水など、すでにしこたま樽に詰めて魔法の袋に仕舞ってある以上、わざわざ王都で買う必要はない。
水袋や樽を余分に調達したが、それだけの買い物では、ほとんど時間は使わなかった。
魔法の袋に詰め込んだ物資を確認していると、鶏小屋のほうから声を掛けられた。
「イェーガー将軍、おはようございます。しばらく王都をお空けになるそうですね」
この男に見覚えは無いがローブを見るに今日の鶏小屋の結界当番の宮廷魔術師だろう。
「ええ、サヴァラン砂漠に行くので」
「……ベヒーモスでしたね。確かヘッケラー様も出陣なさるとか」
「はい、ここで待ち合わせです」
そう答えると宮廷魔術師は俺にしばらく待つように言い、鶏小屋のほうに引っ込んでしまった。
彼が戻って来るまでの間にもほかの魔術師や職員が次々と現れて俺に挨拶してくる。
飛竜を一人で何匹も撃ち落として彼らを守ったのだから、彼らにとって俺は英雄だろう。
悪くない気分だ。
「お待たせしました。将軍、こちらをお持ちください」
先ほどの宮廷魔術師が戻ってきて俺に渡したのは、緩衝材に藁を敷き詰めた箱に入った大量の卵だった。
「殻の色にムラがあったりする『訳あり』というやつですが、味は保証いたします。いつもは職員の間で捌いてしまうのですが、今日は在庫がありましたので」
「いいんですか? こんなにいただいて……」
「もちろんです。職員も我々宮廷魔術師も皆イェーガー将軍には大変感謝しております。少しでも恩返しがしたいと」
「そうですか。では、ありがたく」
こいつは思わぬ儲けものだったな。
しかし驚いた。
この世界で「訳あり商品」などが存在するとは。
貴族専門の商売ならまだわかるが、庶民の食卓にも上る食材でお目にかかるとは思ってもみなかった。
そういえば中世風の世界のわりに卵はあまり高くなかったな。
マヨネーズのコストが、そこまでかからなくて疑問に思っていたのだ。
「養鶏はかつて勇者様が我が国に伝えたらしいですね。整備されるまでは、卵はかなりの高級品だったとか」
なるほど、その勇者に感謝だな。
コカトリスの卵は内臓と同じで、錬金術の素材にこそなるが食用にならないのだ。
卵の供給ルートが確保されているのは僥倖だ。