4話 メイドと次男
今回はクラウス視点ではありません。
私イレーネがイェーガー家のメイドになってもう十年が経ちます。
かねてから良くしていただいた奥様とお館様の仲は睦まじく、私もこのまま波乱なく生涯を終えるはずでした……。
この町に来たきっかけは、商人の家のメイドとして働いていたころ夫に見初められたからです。
この時代に、それなりの恋愛結婚だったのだから幸運なほうだと思います。
夫に騎士として安定した収入があるのも理由のひとつであったことは認めますが……。
夫が魔物との戦いで命を落とした時は途方に暮れました。
当時、子どもたちはまだ成人していなかったため、この領内で仕事を探さなければなりません。
そこに手を差し伸べてくださったのが奥様です。
お館様は右も左もわからぬ若造の自分を補佐し続け殉職した夫への償いだと仰り、私を雇い入れてくれました。
本人は気を遣ってはぐらかしていますが奥様の口添えがあったのは間違いありません。
こうして私は未亡人の余生としては十分すぎるほどの待遇を手に入れたのです。
私の波乱のない人生計画はどこで狂ってしまったのでしょう?
確かに打算がありました。
バルトロメウス様やハインツ様に気に入られておけば、お館様がご隠居なさってからもそう簡単に解雇されないだろうと考えていてのは事実です。
しかし、この謀略ともいえない程度の打算に天罰が下るとは……。
三男のクラウス様は明らかに普通じゃない。
雰囲気が異様といいますか……。
赤子の頃はほとんど泣かず家の人間の会話をまるで、必死に理解しようとするような姿勢で聞き入っていました。
さらには這い這いができるようになるとあらゆる場所に移動し、登り、潜りこみました。
そのたびに、ケガをなさって私の首が飛ばないかひやひやしたものです。
立ち上がれるようになってからは階段を積極的に昇り降りするのです。
私も男の子を生みましたが、ここまで好奇心や探求心が強い子は見たことがありません。
さらに異様なのは書斎の本を片っ端から読み漁り、幼児とは思えない集中力で奥様に読み書きを教わるのです。
奥様曰くクラウス様は魔術教本に特に興味を示しているそうな。
ですが、ここまでなら好奇心旺盛な子に育つだろうという程度の認識で留まったかもしれません。
問題はここからです。
お館様たちが留守にしているとき子ども部屋の前を通ったら唐突に水の撥ねるような音が聞こえました。
断続的に、クラウス様の呟きが聞こえた直後に、また水の音がする。
あのときに素通りしていれば、彼のことを何も知らずに平穏に時は過ぎていったかもしれないのに……。
何を思ったのか、私は部屋を覗いてしまったのです。
本来であれば、雇い主のご子息をこっそり覗くなど使用人としてあるまじき行為でしたが、好奇心に抗うことはできませんでした。
そして、覗いた部屋の中ではクラウス様が窓から水の魔術を連発していました。
同じような初級魔術はハインツ様も使えたはずですが、一日に2発が限度だと仰っていたはず。
商人の家に仕えていたころ聞いた魔術師の話では、初級魔術でも使えれば魔物を一撃で葬れる、一回の戦闘で5、6発も撃てれば攻撃魔術師として王宮騎士団で十分働けるとのことです。
それを2、3歳の子どもが撃ちまくっているとは。
「恐ろしい…。この子は魔王の生まれ変わりに違いない」
その日から私はクラウス様に不用意に近づくことはやめました。
クラウス様が4歳になるとお館様が剣術の稽古をつけるようになり、その才覚を表すようになりました。
バルトロメウス様とハインツ様は、すぐに抜かされるだろうとため息をついていらっしゃる。
私は剣術には詳しくありませんが、この領地の騎士のトップであるお館様が焦って本格的な鍛錬のし直しを考えるほどの才なのだそうです。
それからクラウス様は森にも入るようになりしばらくするとキノコや山菜、野生の果実の採取だけでなくウサギや鳥を獲ってくるようになりました。
クラウス様のおかげで食卓もだいぶ豊かになっているのですが、恐怖心は簡単にはぬぐえません。
当然、熊などの猛獣を狩ってくるようになると、より一層の恐怖を感じるようになります。
噂によると彼は森の中で魔術の練習をしているとか。
山賊のような毛皮の服を着て、強力な魔術で魔物を殺戮しているクラウス様を思うと、背中を戦慄が襲います。
すでに取り入るのは諦めました。
クラウス様は賢い。
私が避けているのはとっくにわかっているでしょう。
私にできるのはその力が自分に向けられることがないように祈ることだけでした。
弟のクラウスが生まれたのは僕が6歳、バルトロメウス兄さんが8歳の時だったな。
クラウスは……なんていうか…………ずいぶん変わった奴だと思う。
当時6、7歳の僕にだって赤ん坊が泣かないのは変だということくらいはわかる。
同じ時期に子どもが生まれた家では、頻繁に赤ん坊の泣き声が鳴り響いていたのに。
最初は耳が聞こえないか何かの病気なんじゃないかと思った。
だが、そんな僕の心配を吹き飛ばすようにクラウスは成長した。
読み書き算術は僕より覚えるのが格段に早かった。
僕とバルトロメウス兄さんのような家庭教師はついておらず、母様に習っただけなのにだ。
剣術もすさまじい速度で上達している。
まあ、僕はもともと運動が得意じゃないんだけどね。
かろうじて弓でウサギを仕留められる程度の僕では話にならないのはわかるけど。
それにしても、兄さんどころか父様よりも才能があるとか……。
これが天才というやつなのかな……。
彼のことを語るのなら絶対に外せないのは魔術だろう。
僕も初級魔術の“火弾”とか“水弾”くらいなら使えるけど、クラウスは僕など足元にも及ばないほど強力な魔法を使えるらしい。
でなきゃ6歳児が熊を仕留められるわけがない。
治癒魔術も恐らく母様よりうまいのだろう。
前に僕とバルトロメウス兄さんのケガを治してくれたことがあった。
あの時の効き方は母様より上だった気がする。
さて、最近になって生じている問題だが、どうやらクラウスが非常に才能あふれる人間だということが領民たちにバレかかっているようだ。
治癒魔術が使える時点で、決して人並みではないと思うのだが……。
うちみたいな辺境の士爵家でもやはり領主は領主。
民からすれば強くて優秀な人間がトップに立ってほしいと願うのは当然のことだろう。
しかし、健在である以上、長男が家督を継いで次男が補佐をするという体制はいたずらに崩したくないのが人情だ。
バルトロメウス兄さんの性格を考えるに簡単に領主の座など譲りそうだが、どうしようもない愚鈍ではない以上やはり慣習に則ったほうがいいと思う。
戦時中じゃあないんだからね。
さてさて、クラウスになんて説明したものか…………なんて心配はすぐに杞憂となった。
「父様、私も森に行ってよろしいでしょうか?」
「…………よかろう。あとで魔物が出る危険な場所を教えるから、そこには近づかんようにな」
僕は耳を疑ったよ。
4歳か5歳くらいの子どもが危険な森に行くのを許可するだなんて。
「父様……さすがにクラウスの身の安全を考えてなさすぎでは?」
「大丈夫だ。あいつにも考えがあってのことだ」
このときは何を言っているのかわからなかったが、よくよく考えればわざわざ朝早くから家を出ているのに遅くまで帰ってこないのはおかしい。
しかも急に家の手伝いを渋るような態度を取りはじめたのだ。
最初はただ時間を取られるのを嫌がっているのかと思ったが、彼からは不機嫌さよりもむしろ申し訳なさが伝わってくる。
この賢い弟は領民に自分への期待を持たせないように画策しているようだ。
演技で放蕩息子のように振る舞う6歳児など聞いたこともないね。
僕は将来的にはバルトロメウス兄さんの家臣として領地経営を支えることになるだろう。
だが、クラウスはこんな場所で生涯を終えるような男ではないはずだ。
クラウスは都会に出ていくことを仄めかしているが、騎士のまとめ役としてこの領地に縛り付けようとする奴が現れるかもしれない。
何だかんだ言ってクラウスは優しい奴だ。
僕やバルオロメウス兄さんのケガだって、領民のけが人だって放置するという選択肢があったはずだ。
さすがに、母様より優れた治癒魔術を使えることは隠しているみたいだが、全く治療を行わなければ、そもそも魔法が使えること自体を隠せただろうに。
クラウスは確かに賢いが困っている人間を放っておくことができないのだろう。
せめて日ごろの糧に報いるためにも、卑しい輩からは僕が守らなければ。