39話 一流の商人
「騒がしいねぇ。んん? き、きき、君は! クラウス・イェーガー!」
後ろの階段から降りてきた若様?が俺を指差して騒ぎ始めた。
うるせえのはお前だよ。
「わ、若様。坊、将軍様とお知り合いなのですか?」
受付嬢はさらに顔面ブルーレイになってしまった。
「ふん、宿敵のようなものだがねぇ」
「そ、そうでございますか……」
受付嬢はあからさまにほっとしている。
どうやら、親玉と不仲な人間に無礼を働いたところで、守ってもらえると思っているようだ。
「久しぶりだねぇ」
先ほどの少年が俺に近づいてきた。
「…………誰?」
「ぷっ」
吹き出したのはランドルフの護衛をした騎士だけだ。
ランドルフ本人も小刻みに震えている様子から察するに、笑いをこらえているのだろう。
「き、ききき君も! 君も同じことを言うのかねぇ!?」
「同じ?」
「そうだ! 君たちとつるんでいた、あの薄汚いハーフエルフと……ひぃ!」
俺はほとんど無意識に強化魔法を纏っていた。
威圧は意識していないが余波で自然に机の上の文具やコップがカタカタと揺れる。
こいつの物言いでようやく思い出した。
確か入学試験でレイアにボコられた間抜けだ。
「おい、てめぇ……その薄汚いハーフエルフってのはレイアのことか?」
俺は若様とやらに一歩詰め寄る。
労働者たちの中には気絶している者もいるが、俺の知ったことではない。
「ま、マリウス! どこにいるのかねぇ!? 僕を助けるんだ!」
「はい、アーネスト様。おい、貴さ……ひぃ」
もう一人階段から降りてきたが、俺を目にするなり腰を抜かしてしまった。
面白いからしばらく続けるか。
大分、溜飲が下がったところで、震える手で肩を叩かれた。
「イェーガー将軍。私もきついのだが……」
見るとランドルフも顔色が悪い。
そういえば威圧として魔力を制御するのは、まだまだ未熟だったな。
強化咆哮の余波ほどではないにしろ、全方位に俺の魔力の残滓がばら撒かれていてはたまらないだろう。
俺は強化魔法を解除した。
「ふぅ、楽になった」
「聖騎士……強化魔法の余波だけでここまで……」
ランドルフを護衛した騎士まで引いてるよ。
まあ、何はともあれ手続きが先だ。
受付嬢はぎりぎり気絶を免れているようだ。
「とにかく、上の人間を」
「は、はい。ですが……若様が……」
ああ、そうか。
このレイアと俺を知っていることから同級生らしき人物は、一応この受付嬢の上司になるのか。
まったく、面倒なことだ。
「お嬢さん。ハイゼンベルグ伯爵を呼んでくれ」
「は、はい。直ちに……」
俺は助け舟を出してくれたランドルフに向き直った。
「ランドルフさん、ハイゼンベルグ伯爵ってのは?」
「土木ギルド担当の監査官、運送ギルドではオルグレン伯爵にあたる役職だな。当主のクレメンス殿は……まあ、この親にしてこの子ありといったところか」
アカン……。
何でこうロクなのに当たらないんだ。
「君が廃坑の探索をしたいという少年なんだな?」
……………………はっ。
一瞬思考が停止してた。
何だ、このジャバザ○ットを白くしただけみたいな生物は。
少々腹が出過ぎたところで、人間はこうはならんぞ。
「ええ、王家からの紹介状をいただきまして……」
「ふん」
ハットは俺の紹介状をこねくり回した。
後で解毒魔術を掛けておこう。
「ハイゼンベルグ伯爵殿、彼が新しい聖騎士のクラウス・イェーガー将軍です。彼が紹介状に書かれている人物本人であることは、私が保証します」
「そんなことは、どうでもいいんだな」
クレメンスが喋るたびに、顎の肉がゆさゆさと揺れる。
あれが美女の胸なら最高だが、この光景は拷問以外の何ものでもない。
こいつと代わりに喋ってくれるランドルフのありがたさときたら。
「僕は、ただ上納の割合を考えていただけなんだな」
は? 上納だぁ?
「ハイゼンベルグ伯爵殿。僭越ながら、魔術師が廃坑を探索するのは、『残飯漁り』とも言われております。その実入りは雀の涙ほどでしかございません。それ故、魔術師が採掘系魔術で掘った鉱物には税を掛けないことになっていると思いますが……」
「ふんふん、雀の涙ね。でも、聖騎士は魔力量が桁外れで一般的な魔術師の数百倍の量を採掘できると聞いてるんだな。困るんだな。うちの労働者の仕事を奪われちゃあ。それに、そもそも魔術師への税に関しては正式な規定がないんだな」
この野郎……。
こいつは規定というより暗黙の了解である「廃坑で魔術師が抽出したものには税を掛けない」制度を、テメェの小金のために曲げるつもりらしい。
恐らく、当初は許可証の発行は盗掘を防ぐための手段だったはずだ。
残飯漁りとは言い得て妙だが、要は普通の鉱夫たちが資源を掘り尽くし、手作業ではもうまともに採掘できない鉱山が廃坑になるのだ。
採掘系の魔術は深い場所の鉱物を取り出せるが、魔力の効率は悪く、浅い場所の採掘に使うのは割に合わない。
土木ギルドとしては浅い場所の鉱物は鉱員に掘らせ、深い場所を魔術師に担当してもらいたいわけだが、専属の魔術師を雇っていたのでは採算が取れない。
しかし、残った鉱物を放置するのはもったいないし、盗掘を放置しては鉱員たちにも危害が及び治安が悪化する。
その解決策としてアルバイトの税を免除することで冒険者の魔術師などにうろついてもらい、盗賊を追い払う効果を狙っているのだ。
税金のかからないバイトを提供してくれる土木ギルドと、副業ついでに睨みをきかせてくれる魔術師。
ウィンウィンの関係だ。
だが、ここで俺から税を取ったらどうなるか?
たとえ聖騎士である俺の魔力量が云々言ったところで、魔術師にとっては今まで無税だったのが、いきなり因縁をつけられて税金をむしり取られるようになるかもしれないのだ。
当然、ほかの魔術師が寄り付かなくなる。
そうなれば、魔術師と土木ギルドの人間すべての間に隔意ができてしまい、鉱員たちの治療や救助といった面での協力も得にくくなるのだ。
そして当然、僅かながら金目のものが放置され番犬が居なくなった坑道は盗掘をする犯罪者の温床になるのがオチだ。
だが、クレメンスは治安の悪化や魔術師との関係が悪くなることで、しわ寄せがくる労働者のことなど何とも思っていない。
腐ってやがる。
「ああ、モノを上納できないなら金でもいいんだな。でも、うちの管轄から掠め取るような真似をするんだから二倍の値段なんだな」
調子に乗りやがって。
もう限界だ。
俺は魔力を右手に集め全力の“電撃”でクレメンスをぶっ殺す準備した。
「ハイゼンベルグ伯爵殿、あなたはノブレスオブリージュを放棄なさるか?」
ランドルフは俺が魔術を発動する前に口を開いた。
「……どういう意味なんだな?」
ノブレスオブリージュ。
高貴な身分である貴族は帰属する国に献身しなければならない。
王制において王家に尽くすことと民を守ることは貴人の義務である。
俺のような三男は半平民として扱われるため直接の義務は無いものとして扱われるのが慣習だが、当主本人はそれを拒むことは許されない。
当然、この世界では社会的な圧力が理不尽な教養であるなどという風潮は無い。
「言葉の通りの意味です。イェーガー将軍は『黒閻』の幹部を撃退し、その戦闘によって武器の一部を破損しました。国賊と戦うのは貴族の義務でしょう。あなたは戦いの陣頭に立つ戦力の要であるイェーガー将軍に協力できないと仰いますか?」
「僕たちでも『黒閻』など……」
「ほう、イェーガー将軍だけでなく『砂塵の聖騎士』デ・ラ・セルナ校長まで出張って倒せなかったのに?」
「…………」
俺は急激に頭が冷えていくのを感じた。
大商人や貴族の大義名分と厚顔無恥な言いがかりへの対処に関しては、俺はランドルフの足元にも及ばない。
ここは任せるべきだな。
「イェーガー将軍が聖騎士に任命されるにあたって、デ・ラ・セルナ校長の推薦があったことはご存知でしょう? そして、陛下は土木ギルドへの紹介状を王家の名前でしたためた。これだけ国防において重要視されている人物に協力するのは、貴族として当然ではないですか?」
「商人の分際で生意気なんだな……」
「私の意見ではありません。『白魔の聖騎士』様もイェーガー将軍に直接指導に当たると仰っています。要はヘッケラー『侯爵様』の御意向は確実というわけですよ。王家の紹介状にはそこまで書いていなくてもね」
「くっ……だからといって、君なんぞに言われる覚えは」
「ああ、そうそう。確かご子息のアーネスト殿がデ・ラ・セルナ校長の策を妨害したそうですね」
「…………」
ああ、確かあいつがディアスを魔法学校に独断で通したとか、レイアから聞いたな。
最終的にディアスが行動を起こしたおかげで始末できたのも事実だが、イシュマエルの魂魄が奪われたのも事実だ。
不問にするか、もう少し時間をかけて蒸し返すかはデ・ラ・セルナ次第か。
「イェーガー将軍もデ・ラ・セルナ校長も、そのせいで甚大な迷惑を被ったのでは?」
ランドルフに任せてよかった。
王家の紹介状に書かれている内容の穴をついて、俺からピンハネしようという企みは、彼のおかげで阻止された。
土木ギルドを出た俺は、騎士からランドルフの護衛を引き継いだ。
「ランドルフさん、さっきは助かりました」
「いやいや、とんでもない。私こそ聖騎士に護衛をしてもらえるのは、とてつもない幸運だよ」
今回、ランドルフの護衛に騎士がついていたのは、ガラの悪い労働者が多くいる土木ギルドに直接足を運ぶためだった。
いくら王都随一に商会の代表とはいえ、貴族でないランドルフが普段から騎士を使いっ走りにできるわけではない。
政府から重用されている人物が、危険な場所に赴かなければならない時に限り、借りられるそうだ。
王宮騎士が警護をするのを見せつけ周囲を牽制し、いかに重要な人物かを示す意味もあるのだろう。
聖騎士が警護する意味は大きい。
普段は見せびらかしていないが、今はランドルフのために聖騎士勲章を胸に付けている。
それに、本来は馬車で帰るところを、わざわざ商会本部まで歩いて行くことにしたのだ。
「しかし、ランドルフさん。いくら勲章を付けているとはいえ、俺が聖騎士だって皆がわかるわけではないのでは?」
「だろうね。土木ギルドの受付嬢なんかでは安物のブローチとの違いも分からないだろうね。でも、私が君に護衛をしてもらうところを見せつけるのは一般市民じゃない。ライバルの商人や貴族の使用人たちだよ」
確かに、中心街まで来れば豪商や貴族に仕える使用人もそこそこいるだろう。
そういった上流階級の家に勤めるにはコネが要る。
コネのある家の出ならば、ある程度の教養がある。
聖騎士勲章のこともわかる人間が多い、と。
なるほど、強かなことだ。
「さすがに抜け目ないですね。ところで、そもそもランドルフさんは土木ギルドへ何をしに来たのですか?」
「ああ、私は鉄材の仕入れに関してね」
「鉄材ということは……結構、大きな取引ですか」
「まあ、汎用性の高い素材だからね」
「お得意さんと険悪になってしまいましたか……。申し訳ないことを……」
「別に問題ないさ。今度はイェーガー将軍が後ろ盾になってくれるのだろう」
確かに、俺たちが結託しておけば土木ギルドに足元を見られることはないか。
ランドルフという一流の商会の長と聖騎士が懇意となれば、敵には回したくないはずだ。
「だが、気を付けておけよ。あのハイゼンベルグ伯爵は上には媚びへつらい同等以下は見下して掠め取ることしか考えていない。陰湿な嫌がらせがあってもおかしくはないぞ」
憂鬱だ……。
どうにか理由付けてぶっ殺せないかな?
「まあ、土木ギルドとの接触は必要最小限にするこった。私も今後は自ら行かないようにしよう」
クソ親子のことは気がかりだが、当初の目的は果たした。
武具の材料集めの準備が整い、あの掃き溜めに今後は近寄らずに済みそうなのだから結果は上々だろう。
ランドルフが居てくれて本当に助かった。