30話 前哨戦
翌朝、俺は寝室のドアを蹴破ったフィリップによって無理やり起こされた。
「クラウス!! 起きろ!! 早く起きるのだ!!!!」
俺は寝ぼけ眼をこすり、フィリップを睨む。
「おい、いったい何だってんだ?」
「レイアが居なくなった」
眠気と怒気は一瞬で吹き飛んだ。
俺も軽装のまま飛び出すところだったが、フィリップの慌てようを見て何とか落ち着くように努める。
「フィリップ、とりあえず武装して校長先生に説明を。俺もすぐ行く」
「……承知した」
俺もすぐに武装を整え寮から出ると、そこには見知った顔が緊張の面持ちで待っていた。
昨日の校長室のメンバーだけでなく、ほかの教員やマイスナーやバイルシュミットまでいる。
魔法学校に何の用だ?
俺の身支度の時間から察するに、フィリップは寮を出てすぐに彼らと接触できたようだ。
しかし、外が妙に騒がしいな。
建国際が終わって今日あたりから帰省する者も多いはずだが。
「クラウス! レイアが、レイアが見つからない……」
「フィリップ、落ち着いてくださいまし!」
「そうなのです。状況の確認が先なのです」
今にも飛び出しそうなフィリップはメアリーとファビオラが諌めている。
フィリップには悪いが、こちらの話を優先しよう。
俺はマイスナーとバイルシュミットの警備隊コンビに向き直った。
「お二人は、どうしてここに?」
レイアの件で来たにしては早すぎる。
別件で重大なことが起こっていると判断すべきだろう。
「うむ、儂らはデ・ラ・セルナ校長とシルヴェストル教頭に救援を要請しに参った!」
「二か所でとんでもない数の魔物が発生している。それもゴブリンやオークじゃねぇ。ワイバーンまで何匹か居るって話だ」
ワイバーンだと?
飛竜は討伐依頼ともなればAランクとなる厄介な敵だ。
亜竜はリヴァイアサンのような例外を除けば下級竜よりも弱いとされるが、群れれば脅威度は跳ね上がる。
「それでこの騒ぎというわけか……」
ここでデ・ラ・セルナが口を開く。
「王都周辺でこの規模の強力な魔物の大群が自然発生するとは考えにくいの」
自然発生ではなく、このタイミングでの混乱。
明らかに仕組んだ奴が居る。
俺の予想をシルヴェストルが先に口にする。
「ボルグの召喚、でしょうね」
俺たちはマイスナー達にこれまでの経緯を説明した。
さすがにイシュマエルの魂魄に関してはぼかしている。
「何とまあ……。聖騎士殿の英雄譚に出てくる敵が相手だとは。……辞職しちまおうかな」
「うむ、相手にとって不足なし! クラウス少年、オルグレン伯爵、ともに行くぞ!!」
この温度差……。
「ところでマイスナー大尉。魔物の出現場所というのは?」
「一つはあのダンジョン。もう一つは鶏小屋だ」
鶏小屋?
「南門ですよ」
シルヴェストルに言われて思い出した。
シスター・リュシールの孤児院があったところだな。
孤児院の近くとは確かに一大事だが、このタイミングから察するにいかにも囮だ。
「鶏小屋は陽動かな」
「それが、そうとも言えねぇんだ。なんせ鶏小屋の警備をしているのは宮廷魔術師団だからな」
宮廷魔術師?
どういうこっちゃ。
「宮廷魔術師の仕事に酪農施設の結界の整備というのがあるんですよ」
シルヴェストルの説明に納得してしまう俺だった。
今はそんな事情に気をとられている余裕はない。
「敵の狙いは何だと思います?」
「わしをおびき出し例の物を奪うことじゃろうな」
俺の問いにデ・ラ・セルナが答えた。
マイスナー達がいるので魂魄とは言わない。
「じゃあデ・ラ・セルナ校長に出張ってもらうのは無理ってことですかい?」
「いや、行こうではないか」
これには、さすがの俺も驚いた。
だが、デ・ラ・セルナは笑いながら首を振る。
「勘違いをするでない。わしの死体を漁ったところで見つからないから、敵に奪われる心配はないのじゃ」
なるほど、そこまで対策済みか。
「さて、残るはレイアをどうやって見つけるかだが……」
このタイミングということは、黒閻に与する者に攫われたとみて間違いないだろう。
実行犯は誰で、俺たちの情報をどこまで持っているかはわからない。
何せ実働部隊の人員の情報などは、デ・ラ・セルナですら完璧に把握しているとは言い難いのだ。
おまけに近接戦闘が不得手なレイアは、確かに人質にしやすい。
幹部級以外でも、隠密行動や近接戦闘にある程度秀でていれば、彼女と渡り合えるというわけだ。
プロファイリングは不可能だろう。
「クラウス! 貴公の“探査”でどうにかならんのか?」
フィリップはまだ落ち着いていないようだ。
「無理だ。俺の“探査”はレイアより範囲も精度も劣る。移動しながら虱潰しにしても相当時間がかかる」
フィリップがこの状態では俺が何とか方策を整えなければ。
「イェーガー君、レイア君の所持品と同じ波長の物はありませんか?」
シルヴェストルが声をかけてきた。
「同じ波長?」
「ええ、できれば珍しいものでまったく形状も性質も同じものを。魔法の袋や“倉庫”に入っていると感知できないので、身に着けている物に心当たりがあるといいのですが」
亜空間に入れず身に着けている物か……。
俺ならサーベルと投げナイフくらいか。
そういった物で俺やフィリップたちとおそろいの物となると……。
「き、教頭先生! それがあればレイアが見つかるのですか?」
フィリップも必死に考えているようだ。
「ええ、私の“探査”の距離はレイア君と同じくらいですが、人体より小さい物体でまったく同じ組成の物を身に着けていれば、その範囲外でも識別できる可能性が高くなります」
しかし、彼女はほとんどの持ち物を魔法の袋に入れているからな。
手に持っているのは杖、ポケットに入れてそうな物なんてナイフくらい……ってあったじゃないか!
「シルヴェストル先生、このナイフを」
そういって俺が差し出したのはハンティングナイフだった。
以前、メアリーの実家の武器屋で注文したハンティングナイフは、レイアも一つ買っている。
俺は特注品の最初の一号を持っているが、ハンティングナイフの量産品を売り出した際に予備としてもう一振り買ったのだ。
まだ、冒険者たちの間には普及しておらず持っている人間は少ない。
それに俺の予備のハンティングナイフと、レイアが買ったものは打たれた時期が近い。
これならいけるはずだ。
「――“探査”」
シルヴェストルの“探査”が発動した。
「なるほど、確かにこれを持っている人は少ないですね…………見つけた! 南です。街道を下った川のあたりです。ほかの人で同じものを所持しているのは皆、街中なので本来の精度の“探査”の範囲内です。どれもレイア君とは魔力反応が違います。」
川までの距離はそれほど遠くない。
鶏小屋の付近を通ることになるか。
「ミスター・イェーガー、ミスター・オルグレン。わしとシルヴェストルはダンジョンに向かう。お主たちはそのままミス・レイアのもとに行かれよ」
校長先生、見直したぜ。
「ちょ、ちょっと待ってください校長。学生を戦いに行かせるのですか」
「そうですよ。いくらイェーガーやオルグレンが優秀とはいえ」
そういえばいたな、その他大勢の教師たち。
「大丈夫です。彼らの能力は私が保証します」
「教頭まで……」
「儂は鶏小屋の援護に向かおうかの」
どうやら、熱くなっても状況判断能力は鈍ってないらしい。
いや、失礼なのはわかっているけど普段の脳筋ぶりからどうしても警備隊長とは……。
「宮廷魔術師団が居るなら鶏小屋の方は隊長だけで十分だろう。俺はレイアちゃんを助けに行くぜ」
「うむ、クラウス少年! できれば行きがけの駄賃に、儂が突入する直前にひと当て魔術の援護が欲しいのだが……」
「ええ、お任せを」
話は決まった。
さて、フィリップに発破をかけるか。
「おい、行くぞ」
「う、うむ」
おいおい、大丈夫かよ……。
俺は縋るような思いでメアリーとファビオラを見た。
「フィリップ、ほかの学生にはわたくしたちと先生方で、混乱が起こらないようにしておきますわ」
「レイアさんを助け出してきてくださいなのです」
「…………ああ、わかった。任せておけ! クラウス……苦労をかけるな」
「良いって」
まったく、しっかりしてくれよ。
まあ、最初は険悪だったレイアをこれだけ心配するようになるとは、微笑ましいものだ。
さて、最終決戦といこうか。
南の街門に近づくにつれ、鶏小屋の周辺で戦闘を繰り広げている魔物の魔力がより鮮明になる。
今まで見た中で最も強力とまではいかないが、グリフォンと同じくらいの濃密な魔力を感じた。
「おいおい、こっちにもワイバーンじゃねぇか……」
王都を囲む城壁の向こうに一部が見えた。
前足が被膜を張ったような翼になっているでっかいトカゲ。
それが、初めて見たワイバーンの印象だ。
しかも、同格の存在が少なく見積もって五体はいる。
「クラウス少年! ひと当てではすまぬかもしれんな!」
いや、あんた何故そんなに嬉しそうなのよ……。
「ほら、急いで街門を通るぞ。俺たちがいればフリーパスのはずだ」
確かに、警備隊のトップが二人ともいれば顔パスだろうな。
俺たちはそのまま街門を走り抜けた。
「あ、バイルシュミット隊長! マイスナー副隊長! もしや応援に?」
これだけ、嬉しそうな顔をされると、別件があることが心苦しくなるな。
マイスナーも置いて……いや、バイルシュミットだけで大丈夫と断言した以上、信じてやるべきか。
「この者たちはすぐに別件に取り掛からねばならん。だが安心せい! 儂が残ってやる。クラウス少年! デカいのを一発頼むぞ!!」
俺は一瞬バイルシュミットの要請に応えようと思ったが、五体のワイバーンの内、三体はすでに警備隊の兵士たちと切り結ぶ距離まで出てきている。
俺にはゴブリンやオークやオーガの数よりも脅威と見えた。
こちらのほうを先に撃ち落とすことにする。
「――“落雷”」
続けざまに放たれた三条の稲妻は狙い違わずワイバーンの三体を撃ち落とす。
素材の回収は二の次で撃ったので、ワイバーンは脳みそを焼かれて完全に絶命している。
飛び出した眼球や吹き出す血の様子から見ると、頭が木端微塵にならなかったのが不思議なくらいだ。
「う、嘘だろ……」
「魔法学校の……学生?」
「なんて威力だ……」
「しかも無詠唱で連発するとは……。あれほどの魔術を片手間に……」
どうやら、宮廷魔術師団にも注目されてしまったようだ。
てか、片手間って何だよ!?
無詠唱とはいえ、ある程度の精神集中の時間がいるんだぞ。
十数メートル先の目標ならば、接近して剣で斬りつける方が早い。
敵の主力の半数以上を落としたが、戦況はまだ不利だ。
後ろの方に魔物はまだかなり残っている。
衛兵と切り結ぶ距離にまで出てきている魔物は任せるしかないだろう。
兵士たちまで戦略級魔術に巻き込むわけにはいかない。
だが、後ろの奴らには早々に退場してもらおう。
「紅蓮の霞、天を照らし、一切を焼き尽くす灼熱の業火よ、悉く灰燼に帰せ――“紅蓮地獄”」
俺の火魔術の中でも最強の威力を持つ、上級火魔術が炸裂した。
失敗したら大変なので詠唱したが、これでも省略した方である。
普段の狩りでは素材がダメになってしまうので、まず使わない。
だが、生物に効率よくダメージを与えるなら火が手っ取り早い。
「“紅蓮地獄”だと……」
「これだけの威力……宮廷魔術師でも出せる者は……」
「しかも詠唱が短い……」
「こんなものが王城に撃ち込まれたら……」
当然、火魔術は人間にも効果は抜群。
引かれてしまったか。
いや、それはともかく王城に撃ち込むとかやるわけねーだろ。
…………国が敵に回らなければね。
「クラウス少年! 助かったぞ! あとは儂に任せろ!!」
バイルシュミットが敵の集団に突っ込んでいった。
残りのワイバーンは二匹。
残った連中だけでも、どうにかできそうだ。
「よし、行こう」
俺はフィリップとマイスナーに声をかけたが返答がない。
「お~い、行くぞ。レイアを助けるんだろ?」
「う、うむ。そうだな」
「……了解だ」
ようやく戻ってきたか。
ボケる年でもあるまいに。
「あれほどの魔術、初めて見たな……」
「……敵に回さなくてよかったぜ」
こいつらまで引いてやがる。
シルヴェストルが割り出した地点に近づいたとき、俺は苦虫をかみつぶした表情を隠すことができなかった。
「どうしたのだ?」
俺はマイスナーに視線を一瞬移し、フィリップに向き直った。
「レイアの反応の近くに見覚えのある反応を捉えた」
「……誰だ?」
俺は質問したフィリップではなくマイスナーに向かって告げる。
「ディアスさんです」
マイスナーの顔が蒼白を通り越して硬直する。
警備隊のディアスという兵士は、俺たちにとっても共にダンジョンに挑んだこともある男だ。
レイアに不自然に接触してきたことを聞いていたから、それほど驚いていないだけだ。
だが、マイスナーはもっと長く密接な付き合いだったのだろう。
おまけに奴が敵の内通者であることなど予想だにしていないはずだ。
認めたくないのはわかる。
「だ、だが! あいつも迎撃に参加している。レイアちゃんの危機を察して……」
「彼は“探査”どころか魔術が使えないでしょう」
俺は冷静に事実を告げた。
「とにかく接近します。この騒ぎのなかわざわざ待ち受けていたとなれば、奇襲は意味がないでしょう」
俺は大剣を装備して歩を進める。
正面からぶつかる覚悟はできている。
「レイア!」
「動かないでください!」
レイアの首に短剣を突きつけたディアスの声で、飛び掛かろうとしていたフィリップが動きを止める。
「貴様……」
ついに本性を現した敵の間者との戦闘が始まった。