230話 最終決戦3
「っ!」
眩い炎の煌めきに視界を奪われた俺だったが、心臓を握られたような焦燥感に応じてどうにか大剣を掲げた。
正面から叩きつけられる鋭い殺気に反応した結果だが……次の瞬間、俺の腕をかつて無いほど重い衝撃が襲い、体全体が痺れるような感覚に陥った。
「がっ……」
「ほぅ?」
徐々に視力が回復し正面を見ると、深紅の炎を体に纏ったイシュマエルが至近距離まで詰めており、蒼いガラス玉のような目が俺を見据えている。
そして、俺の横に寝かせるようにして構えた大剣には、がっちりとイシュマエルの大鎌の刃が合わされていた。
危なかった……。
あと一瞬遅かったら、あと数ミリ剣を構える場所が手前だったら、踏ん張りが効いていなかったら……俺の首は綺麗に刎ねられていたことだろう。
この一撃を防御した動きはほとんど本能的なものだったが、今までの戦いの経験も無駄ではなかったということか……。
しかし……本当にギリギリだった。
恐らく、種も仕掛けも無い、単純な大鎌による斬撃だ。
ただ、速度と重さが先ほどまでとは段違いだったというだけだ。
変わったことといえば、イシュマエルの体に炎を可視化するほどの密度で凝縮された火属性の覚醒魔力が纏われていること……。
まさか、あの炎の魔力を纏う技は、俺やフィリップが使う強化魔法の上位互換のようなスキルだとでも言うのだろうか……?
「ふっ」
イシュマエルは口元に若干微笑むような動きを見せると、冷たく見下すような声で俺を嘲笑した。
その様子は、まるで俺の推測を肯定し裏付けるかのように、俺の背筋を凍り付かせた。
「ついて来られるかな?」
「なっ!?」
初撃はこちらの目が眩んだ隙を突いた不意打ちだ。
予想以上に気圧されてしまったことを悔いて、再びイシュマエルと相対しようとした俺だが……向こうは俺の予想を遥かに上回る動きを見せた。
「はぁ!」
「ぐ……こいつ……」
速い……そして、重い。
深紅の炎を鎧のように纏うイシュマエルの動きは、先ほどよりも一段と鋭さを増している。
ただでさえ俺を上回る力量を持っているというのに、スピードも一撃の重さも今までとは段違いだ。
連続して襲い掛かる大鎌の斬撃は素早いコンビネーションを意識して小刻みに振るわれた攻撃かと思いきや、その一つ一つに俺の体が浮き上がるレベルの衝撃力が秘められていた。
「しっ!」
「ぬぁ!」
イシュマエルは俺を中心にして円を描くようにステップを踏み、時折公宮の柱を蹴るようにしてアクロバティックな軌道を描いて、四方八方から斬撃を打ち込んでくる。
この世界の住民には強化魔法の瞬発力と踏み込みの速さがあるとはいえ、戦闘中にこのような挙動を取るのは実用的とは言い難い。
いくら速くても一対一の状況下で相手の視界外へ逃れることが容易ではない以上、移動だけで目晦ましになる可能性は低いからだ。
しかし、イシュマエルの桁違いの速度と小さな挙動でも凄まじい膂力を出せる身体能力を以ってすれば、この派手なだけで意味のなさそうなフォームも十分に敵を攪乱しダメージを与えることに寄与していた。
事実、今の俺は防戦一方だ。
視界の外から繰り出される呪いの武器の斬撃は、クリーンヒットすれば一撃で命を刈り取られる代物であり、掠るだけでも後の戦闘に影響する可能性を孕んでいる。
俺はひたすら防御に徹するしかない。
「オラァ!」
「ぬんっ」
こちらも強化魔法のスロットルを最大にして応戦したが、残念ながらスピードでもパワーでも負けている。
ガルヴォルンの防具とベヒーモスローブのおかげもあり、どうにか致命傷を回避しているが、畳みかけられない状況を維持するのがやっとだ。
こちらが思いっきり振り抜いたフルスイングの斬撃も容易く防がれ……さらには軽く傾斜を付けるようにずらした大鎌の刃で、大剣の勢いを受け流された。
「っ!」
後の先を取り、相手の武器を正面から押し出すように捌きカウンターを入れるのは、対人剣術の定石だ。
それ故、ある程度の熟練者であれば、踏ん張るにしろ上半身の関節を固めるにしろ、攻撃を受け流されても体幹が持っていかれないよう常に意識しているものだ。
当然、俺も多少の振り抜きをスカされたところで、体全体のバランスを崩すような真似はしない。
しかし、イシュマエルは完璧なタイミングで俺の大剣に大鎌を合わせ鋭い衝撃で弾くことにより、俺の体勢を大きく崩してきた。
完璧なカウンターへの移行、まさに技量の差で圧倒された瞬間だった。
「こっちだ」
「なっ……!」
完全に視界の外から掛けられた声に、俺は首筋に氷魔術でも食らったような思いをしながら一気に体躯を翻した。
一瞬のうちに斜め後ろを取られ、必殺の一撃を食らいそうになったが……俺は殺気から相手の剣筋を予測し、上半身を逸らして危険な場所から急所をできる限り遠ざける。
どうにか頭をかち割られるのは避けたが……首目がけて振り下ろされた大鎌の巨大な刃は、俺の頬をざっくりと抉った。
「づぅ……!」
焼けつくような痛みに思わず歯を食いしばりながら、俺は大剣を振るって反撃した。
しかし、これもイシュマエルの体を捉えるには至らない。
俺の攻撃を弾きながら演武のように振り回された大鎌は、火花を散らして床の石材を削りながら再びイシュマエルの正面のポジションに戻った。
残念ながら、もうこちらが打ち込む隙は無い。
「ほう、我が“焔甲”のもとに繰り出された攻撃を凌ぐとは……なかなかやる。ならば……」
「っ!」
俺は足元に感じた嫌な予感に冷や汗を吹き出しながらその場を離脱した。
地面を蹴り転がるようにして先ほどまで立っていた場所を脱出すると、次の瞬間、公宮の床に出来ていた裂け目から熱線のような橙色の魔力が噴き出しスクリーンのような物体を形成した。
熱線はすぐに消失したが、霧散した魔力の強度とこちらに伝わる熱気が、どれほど強力な攻撃だったのかを物語っている。
見たことの無い術式だが、奴のオリジナルの魔術か何かだ。
厄介な……。
「手も足も出ぬ状況に追い込み、嬲り殺しにしてくれよう」
俺と一定の距離を保ちつつ浮遊し始めたイシュマエルは、ゆっくりと腕を上げて俺に武器を向けた。
大鎌の先端に凄まじい密度の魔力が収束し、まるで恒星のように眩い光を放ち始める。
俺も大剣を構えて迎撃態勢を整えつつ、左手に魔力を制御して遠距離攻撃に備えた。
「――爆ぜよ」
「“放電”」
「炎よ……」
「ぐ……“落雷”」
イシュマエルの操る火魔術の攻撃は苛烈を極めた。
基本的な術式の構成には違いがあれど、魔力を制御して物理的なダメージを齎す物質を射出もしくは形成してぶち当てるのは同じ。
俺も火力と魔力量には自信があるので、“プラズマランス”“放電”“落雷”とあらゆる技を駆使して弾幕を張り、イシュマエルの炎に応射した。
遠距離からの攻撃魔術の撃ち合いを主体としつつも近接攻撃を織り交ぜ、俺は決定打を与えるチャンスを窺い攻撃を続ける。
しかし……。
「“プラズマランス”……“放電”」
「それはもう見たぞ」
そして何より、こちらの雷の魔術は依然としてイシュマエルを捉えられない。
時間差で放った牽制と最高火力の一撃は、いとも簡単に炎の壁に阻まれた。
基本的に、俺の魔術は狙いを定めて撃つものだ。
“放電”は射撃前の制御次第で大勢を一度に感電させることができるし、“落雷”は上空から正確なピンポイント狙撃が可能なので、敵の数にかかわらずあらゆる状況に対応できる。
だが、この共通する『撃つ』動作自体すら、イシュマエルのような歴戦の猛者にとっては攻撃を読みやすくなる要素になり得る。
事実、俺の遠距離攻撃は奴に悉く避けられていた。
前世の知識を活かして死角のない強力な武器を手に入れたつもりで、所詮は穴だらけの欠陥兵器だったというわけか……。
気が滅入る話だ。
「ハァ、ハァ、ハァ…………!」
「ほっ……まだ、倒れぬか……」
雷の魔術と炎の術式が交差し、俺の大剣とイシュマエルの大鎌が打ち合わされること数十合。
決して長期戦と称するほどの規模ではないが、俺たちの戦いの余波は周囲に相当な影響を齎した。
戦闘エリアとなった公宮のフロアはほとんどが倒壊し、壁などとうに無くなっている。
瓦礫や調度品の残骸のほとんどに焼け焦げ、ほとんど燃えカス状態だ。
そして、俺もまた煤に塗れ体の数か所に傷を増やしていた。
「くそっ……」
厳しい戦いだ。
あの炎のオーラを纏うような術を発動して以降、イシュマエルはさらに機動力と膂力を上げ、俺を上回る身体能力と火力でこちらを追い詰めている。
イシュマエルの発動した深紅の炎を全身に纏うような技は、高い防御力を持ち触手のような炎が幾本もの腕となって襲い掛かるだけでなく、彼の機動力と膂力をさらに底上げした。
小細工が通用しないことなど百も承知。
俺も負けじと雷の覚醒魔力を最大限に活かして強化魔法を制御しぶつかるが……やはり活路は見えない。
「だが……」
「?」
向こうも消耗はしているはずだ。
俺もただ黙ってやられていたわけではない。
終始押され気味だったとはいえ、十分に攻防と言える戦いを繰り広げた。
イシュマエルも人間である以上、魔力量には限りがある。
攻撃に防御に魔力を使い、奴も相応の身体魔力を消費しているはずだ。
その証拠に、イシュマエルは額に珠の汗を浮かべており、若干だが息も上がっている。
「そろそろスタミナ切れかい、爺さん?」
「ふっ……吠えるな、小僧!」
「ぐぉ!」
イシュマエルの攻撃は相変わらず俺を一撃で吹き飛ばす威力を秘めている。
横合いから振るわれた大鎌を防御すると、俺の体は空中に弾き出され、踏ん張った脚で瓦礫を蹴散らすようにして制止した。
消耗しているにもかかわらずこの攻撃力とは……。
「ふむ、この素体も悪くないな。無駄に派手な強化術式やら珍妙な武器やらには些か驚かされたが……力に秀でた聖騎士を圧倒できるとは、予想以上の収穫よな」
「何……?」
俺は思わず聞き返した。
「まさか……その炎の強化魔法や炎の魔術、それにその大鎌も、お前自身ではなくコピー元の能力だってのか……?」
「無論だ。身のこなし、技、知識、経験。肉体の召喚に際し、余は全ての残留思念を呑み下し吸収した。武器もこの体の元となった者が愛用していた品を模った。オリジナルとの性能差は誤差の範囲であろう」
「なん、だと……?」
「何を驚いている。この肉体は仮初の器。我が魔力を受け止めるに足る肉体を形成しているに過ぎぬ。この力は借り物だ。……今の今まではな」
シルヴェストルは火の覚醒魔力は生前通りなんて言っていたが……少なくとも、あの炎を自在に操る見たことのない魔術の類も、全てつい先ほど手に入れたものということだ。
そんな付け焼刃の技術とあり合わせの武器で戦い、俺と互角以上に渡り合うとは…… 弘法筆を選ばずなんてレベルじゃない。
俺もそこそこ柔軟に色々な武器や技を活用して戦っているつもりだが、次元が違う。
奴の口ぶりからすると、向こうは俺との戦いを通して技や魔力が体に馴染み、より一層強さを増していることになる。
マズい展開になったな……。
「ほぅ……焦って仕掛けてくるものかと思いきや、なかなかに老練な。貴様の魂も見た目通りの年齢ではないか」
「黙れ、爺ぃ!」
詰めすぎず、かといってビビッてへっぴり腰で戦っても押し切られる。
俺は踏み込みのパワーを駆使して魔力剣の剣閃を放ち、慎重にイシュマエルの防御が崩れるのを待った。
しかし、イシュマエルの体から立ち上る火属性の魔力反応は、以前として高い強度を保っている。
そう簡単に削り切らせてはくれない。
そして……。
「時間切れだ」
「っ!」
突如、イシュマエルの蒼い瞳が妖しく光ると、俺の体はまたして未知の術式の魔力に包まれた。
何だ……魔眼か?
……体が、動かない……。
お互いの武器が打ち合わされた瞬間の出来事だったが、奴は確かに何かの技を使った。
「くっ」
俺は慌てて魔法障壁を張りつつ強化魔法の出力を高めて付近の魔力をかき乱そうと試みるが、俺の意識に潜り込むように蠢く魔力の波動を防ぐことができなかった。
「教えて進ぜよう。異界の戦士の力に我が秘術……この掛け合わせが完成した時点で、貴様ごとき虫けらにできることなど何もない」
「っ……」
「惜しかったな。もう少し早く余を仕留められれば結果は違ったかもしれぬが……」
奴の言う通りだ。
もっと素早く確実に、奴が完全に復活する前に止めを刺して肉体を破壊していれば、フィリップを待って二人で同時に攻めて封殺すれば……奴を倒せていたかもしれない。
正直、俺一人でどうにかなるだろうという慢心があった感も否めない。
だが、後悔先に立たず……。
俺の意識は徐々に消失していった。