218話 終末の戦い
公国領内、元中央政府領にて。
かつては大公の宮殿の謁見室として煌びやかな様相を呈していた場所は、今は薄暗く淀んだような雰囲気に支配されていた。
つい最近まで、権威を誇示するかのように毒々しいまでに飾り付けられていた謁見室は今や見る影もなく、ただ巨大な錬金術の器具だけが爛々と光を放っている。
そんな公国の象徴ともいえる区画をまるで意に介さずぞんざいに扱う空間には、二つの人影があった。
「ついに……この時が来たんだね」
「ああ、ボルグ亡き今、最早悠長に構えている余裕はない」
「はんっ! あいつのことはともかく……急ぐのは賛成だね。この機会を逃したら、もうチャンスは無いんだろ?」
「その通りだ。魂魄の修復には多くのリソースが必要だ。そして……予想以上に順調だ」
巨大な装置を見上げるのは、王国政府が血眼になって捜索している『黒閻』の面々、ロベリアとエルアザルだ。
今なお輝きを増し続ける装置から目を離さず異様に口数が多くなるエルアザルに対し、ロベリアは皮肉っぽい笑みを返す。
「しっかし……うまくいくのかねぇ? 」
「問題ない。見よ、常闇より導かれた魔獣の群れに引き裂かれた人間の魂が、次々と流れ込んでいる。この計画に不備はない」
「そりゃ、わかってるさ。そうじゃなくて、新鮮な魂の欠片とやらはまだまだ足りないんだろ? 王国との戦線も一段落しちまったし……餌が足りなくて頓挫することになったら目も当てられないよ?」
ロベリアはなおも意地の悪い声色で疑問を投げかけてくるが、エルアザルは醜く口元を歪ませて笑った。
普段から不機嫌そうな表情を浮かべている陰気な魔導士にしては珍しい反応だ。
「あのゴーレムにはもう一つ仕掛けがある。奴ら如きには到底見破れぬ。王国の兵士たちは誘引された魔物に成すすべなく蹂躙されるだろう。即ち、魂魄のリソースの心配は無用」
一通り語り終えると、エルアザルは血色の悪い顔に不釣り合いなユーモラスな表情を浮かべて口を開いた。
「呪いの隠蔽は少々面倒だったがな」
「それだけのものをよく戦場に持ち込めたね。公国の諸侯軍に混じって使わせたんだろ?」
「薬漬けにした貴族を使えば簡単だ」
今の公国中央は完全に『黒閻』に制圧されている。
ダンジョンや近郊の森から溢れ出る異型の魔物に蹂躙された公都を見れば、それは疑う余地もない事実だ。
数日前までの賑わいが一瞬にして街から消え去ったことはなかなかに衝撃的な話だが、二人はそのようなことを気にした様子もない。
「どちらにせよ、主語はイシュマエル様の魂魄を修復するためのリソースを回収すること。そのための仕掛けは、既に戦場となった地だけでなく、この国の主要都市のほとんどに設置している。仮に戦地からほとんど魂魄を回収できなくても支障は無い。何のために我が魔大陸くんだりまで行ったと思うのだ?」
「はっ! ズラトロクの『聖核』だっけか? ご苦労なことだね」
ロベリアは嫌味に吐き捨てるが、エルアザルは全く意に介した様子も無く恍惚とした表情で言葉を続けた。
「イシュマエル様の仮初の肉体は『冥界の口』を開放した召喚術式で形作る。異界に生きる最強の存在を模った骸を細部まで再現するのだ。さらに、この地で息絶えた新鮮な魂が輪廻へと還る前に回収し、イシュマエル様の魂魄に取り込ませる。より強き存在へと進化したイシュマエル様の魂を定着させるのだ」
「…………」
「あのお方の進化の糧となるのだ。死んだ者たちも本望であろう」
他者を全く顧みない持論を平然と展開するエルアザルは、まさに狂人の顔をしていた。
しかし、一通り語り終えたエルアザルはロベリアに向き直った。
「お前の方こそ、抜かりはないだろうな? お前たちが仕留め損ねた連中がイシュマエル様の妨げになるなど、あってはならぬ」
「ふんっ! 言われるまでもないね。既に迎え撃つ準備はできてるよ」
ロベリアの言葉にエルアザルは軽く眉を上げた。
公都は完全に制圧されている。
今や住民のほとんどが殺し尽くされ、魔物が闊歩する廃墟状態だ。
たとえ、エルアザル達の存在を察知したところで、敵がここまで突入してくることは考えにくいのが現状だ。
しかし、ロベリアは確信を持って呟いた
「あのガキどもは絶対に来る……間違いない」
「…………」
無表情に視線を送るエルアザルを尻目に、ロベリアは自分の顔にゆっくりと触れて表情を歪めた。
かつてクラウスのAKMの7.62×39mm弾に吹き飛ばされた右目や顎の骨は、既に魔法薬と治癒魔術によって再生している。
だが、アルカナを取り込んでから敗北を知らないロベリアにとって、その痛みは今なお定期的に彼女を蝕む呪いと化している。
そんな彼女の様子をエルアザルはしばらく眺めていたが、やがて興味を失ったように視線を外した。
そして、大量の怨念を具現化したような禍々しい瘴気が流れ込む装置は、毒々しい輝きを放ち始めた。
「来たぞ」
「ついに……」
かつては煌びやかな様相を誇った公国の宮殿の各所から、妖しい光が漏れ始めた。
それに呼応するように、公都近郊の魔物が激痛に耐えるような獰猛な咆哮を上げる。
そして、浮遊魔力の密度が濃く魔物の発生条件が揃っている場所からは、爆発的に数を増した魔物が新たな居住地と餌を求めて各地へ移動を始める。
ダンジョン、森林、山間部……ありとあらゆる場所から魔物があふれ出した。
この日、公国の主要都市のほとんどが機能を停止し地図から消えた。
「おぅらぁ!」
迫りくるオーガの群れに向かって踏み込みつつ魔力を込めた大剣を振り抜くと、眩い閃光を放ち紫電を撒き散らす剣閃が飛び、獰猛な唸り声をあげるオーガの体のど真ん中に魔力の刃が到達した。
一瞬の視界のホワイトアウトの直後、魔物たちの上半身と下半身が生き別れになり、巨大な鬼の頭のついた上半身が地面に叩きつけられる。
続けて、体の上半分を失ったオーガの下半身も、脱力したように地面に倒れた。
千切れ飛んだ魔物の手や丸太をそのまま加工したような棍棒が吹き飛び、辺りにどす黒い血が撒き散らされる。
「次だ……」
目の前の一団を一掃し視界を確保したところで、俺は素早く近くの魔物の群れの位置と規模を“探査”で把握し、左手に魔力を収束する。
「――“火槍”」
ちょうど、オークの一団が隊列を組むように密集してこちらに向かっていたところに、俺の炸裂する火魔術が着弾した。
いい感じに群れの中心の個体に命中したことで、周囲のオークたちも体を高温の炎に焼かれて即死もしくは致命傷を負った。
連続戦闘のため魔力はケチっているが、この程度の魔物を仕留めるだけなら造作もない。
火力は十分だ。
「将軍閣下! 我々も共に戦います」
「いや、いい! それよりも、他に襲撃を受けている奴を探して、場所を知らせるんだ」
「……はっ! 承知しました!」
俺は後ろから駆け付けた若い冒険者に散開した王国兵や冒険者の場所を示し、正面に視線を戻した。
少々、つっけんどんな態度になってしまったが、今は俺の殲滅力を最大限に発揮してこの難局を乗り切らねばならない。
そう、今王国軍の野戦陣地は襲撃を受けている。
俺とフィリップがポートシャーロックから引き返し王国軍の陣地――元は公国の侵略軍の総司令部――に着いた頃には、王国軍は既に大量の死傷者を出して前線は崩壊寸前だった。
敵は公国兵でも賊でもない。
魔物だ。
ありとあらゆる魔物が付近の森林やダンジョンから溢れ出し、人間を襲っているのだ。
……いや、状況を見る限り、人間だけを襲っているわけではない。
とにかく凶暴化して誰彼構わず攻撃しているという方が正しい。
近くに魔物が発生する森林や山間部があれば、たまに魔物が溢れて人里に出てくることは珍しくないが、この状況は異常としか言えない。
言うなれば、魔大陸のズラトロクの居住地付近で魔物の生態系に異常をきたし、『死の森』全域の魔物の密度が異様に高くなっていた状況に似ている。
もしくは、ボルグがイシュマエルの魂魄を狙い王都を混乱に陥れたときの、魔物を誘引する魔道具が使われたときか。
「イェーガー将軍! こちらにAランク相当の魔力反応が複数です」
「俺らでは手に負えません!」
「わかった! すぐ行く!」
とにかく、今はこの状況を乗り切ることだ。
俺は野戦陣地の逆サイドから迫る強力な魔物の反応を目指して飛行魔法を発動した。
「おいおい……勘弁してくれよ」
最後のトロールキングの首を大剣で刎ねた俺は、さらに林の奥から迫る反応に思わずため息をついた。
視線を上げると、空から十個ほどの強力な魔力反応が接近している。
見間違えるはずもない。
何体も討伐した相手だが、その厄介さもよく知っている。
ブラックドラゴンだ。
魔大陸ではエレノア率いる龍族の戦士たちが苦労していた。
少し離れた場所でオークの群れを殲滅していた冒険者パーティも、メンバーの魔術師がドラゴンの魔力に気付いたようで浮足立っていた。
「中級竜だって!?」
「そんな……」
「もう、ダメだ……」
まあ、それが普通の反応だよな。
並の冒険者なら、遭遇した時点で逃げるのも諦める。
俺にとっても軽く一撃で仕留められる相手ではない。
集団で襲われたら、殲滅するのに結構な時間を要する。
要は、準備不足や疲労時に襲われたらヤバイ相手ということだ。
「くそ……」
魔晶石で魔力を回復しつつ、俺は悪態を付いた。
こちらもそろそろシャレ抜きでジリ貧だ。
野戦陣地に戻って来てから、既に数万の魔物を殺した。
無駄な広範囲殲滅魔術は使わずケチっているとはいえ、俺の魔力だって無限ではないのだ。
それに、別方面の防壁もグリフォンなど飛行型の魔物から攻撃され防御を抜かれそうになっている。
この状況……せめてエレノアたちが居てくれたら、他の場所の防備を任せるなり手分けしてドラゴンを殲滅できたのだがな……。
「ふぅ……」
俺の集中力だって続かない。
接近戦では大剣のほかに左手にはエクスカリパーを持ち、斬りつけた相手から魔力を吸い取り微弱な治癒魔術を発動することで多少の消耗は回復しているが……ある意味でドーピングなので、精神的な疲労は間違いなく蓄積していく。
……さっさと片付けるしかないか。
魔晶石を魔法の袋に仕舞った俺は、両手の剣を握り直して強化魔法を発動し地面を蹴った。
「あれは……っ! 聖騎士だ! 聖騎士が来てくれたぞ!」
「将軍様!」
「皆、もうひと踏ん張りだ! あのデカいドラゴンを倒せば敵もそれ以上の戦力は残していないだろう! 奴は俺が仕留める! 死ぬ気で前線を守れ!!」
「「「「「おう!!!!」」」」」
俺は大剣を掲げて魔力を通し、紫電を煌めかせて王国軍を鼓舞した。
魔力による刀身のコーティングすら一時はケチったため、俺の大剣には魔物の血が所々に付着し、雷属性の魔力による熱で赤黒く固まっている。
形振り構っていられる状況でないことはわかっているが……ここからさらにブラックドラゴンを相手に酷使する羽目になるわけだ。
愛用の武器が傷まないことを祈ろう。
まだ……終わりじゃないからな。