216話 和平?のために
二日後、俺とフィリップはそれぞれ愛馬に騎乗し、総司令部の天幕前に集合した。
運送ギルドの馬車を二台引き連れて広場に到着すると、これまた黒い中型馬に跨ったクロケット準男爵が俺たちの前に現れた。
「クロケット殿、行けるか?」
「はい、いつでも」
クロケットの視線を追うと、いかにも精強な腕利きといった出で立ちの男たちが十人ほど揃っていた。
明らかにトラヴィス辺境伯領の冒険者で、全員が騎乗している。
そして、俺たちがしばらく打ち合わせも兼ねて話をしていると、総司令部の天幕前に他の面子がやって来た。
「デズモンド、すまないで御座るな。このような危険な厄介事を押し付けて……」
「いえ……少し性急すぎる気もしますが、相手は話の通じない公国ですからね。致し方ありません。それに、オルグレン伯爵とイェーガー将軍がいらっしゃる以上、危険など無いに等しいでしょう」
今回、公国中央へ向かう使節団のメンバーは、俺とフィリップの戦力ツートップに交渉役にクロケット準男爵、馬車二台を動かす運送ギルド員――交代要員も含む――と、護衛にトラヴィス領の冒険者が十名。
あくまでも勇者たるフィリップが代表でクロケットは補佐官、戦後処理のために最低限の戦力を率いて隣国政府を訪問する至極平和で友好的な集団だ。
これだけの人員が総司令部を留守にするのは、確かに不安が拭いきれない状況ではあるが……まあ、対外的には代わりになる人間もそれなりに居るからな。
総司令官のトラヴィスは当然ながら陣地に詰めており、彼が信を置くボウイ士爵が残る。
オルグレン伯爵家諸侯軍の指揮は元よりアルベルトが執っており、よほどの長期間でなければ総大将のフィリップが不在でも問題ないだろう。
物資の管理はハインツに任せておけば大丈夫だし、聖騎士のヘッケラーが王国軍の陣地に待機している以上は俺が留守にしても戦力面は問題ない。
まあ、使節団に関しては最適な人選だな。
唯一、フィリップはレイアとファビオラを置いていくことに思うところもあるようだが……。
「フィリップ……何であなただけが敵地の奥なんかに……」
「致し方ないさ。こんな状況でなければ、皆で観光がてら行けたかもしれぬが……」
「フィリップさん、絶対無事に帰ってきてなのです。危険なことは、全部クラウスさんに押し付けてしまえばいいのです」
ファビオラの奴、くだらねぇ茶番に人を登場させやがって……。
冗談にしてもセンスが悪い。
……冗談、だよな?
「戦争が終わったら、旅行にでも行くとしよう。カーラとメアリーも連れて、洒落た宿に泊まり、現地の美食を堪能し、美しい街並みに酔いしれる……そんな、本物の旅行にな」
「ええ、楽しみにしているわ」
「やった! ご馳走なのです!」
勝手にやってろ……。
俺は場違いな雰囲気を醸し出すフィリップたちを無視して、見送りに来た面々に向き直った。
「じゃあ、行ってきますんで。留守を頼みましたよ」
「うむ、我が筆頭家臣のことを頼むで御座る」
「行ってらっしゃいっす」
「いい結果を期待していますよ」
「諸侯軍の訓練は続けておく。指揮を預かった以上、最善の育成を約束しよう」
「兵站のことは僕に任せておいてくれ」
陣地を出てしばらく移動したところで、フィリップとクロケットは軍馬から降り、一台の馬車に乗り込んだ。
二人の愛馬は騎乗した運送ギルドの人間がパックホースのように手綱を引いて操る。
対して、俺は相変わらず運送ギルド本部から連れてきた大型馬に跨ったままだ。
地位的に考えれば俺も馬車の中でもいいのだが……公国民に対するポーズとしても、盗賊避けとしても、ある程度は物騒な集団に見えた方が都合がいい。
俺が護衛部隊の隊長のように振る舞っていれば効果があるだろうとは、他でもないフィリップとクロケット共通の意見だ。
だから俺は、運送ギルド職員とトラヴィス領の冒険者で構成された騎兵隊のほぼ先頭に位置取り、油断なく辺りに視線を配り“探査”の魔術を薄く広げていた。
とはいえ……近くには敵性反応と思わしき気配など一つも無い。
戦時下だというのに長閑なものだ……。
そんな具合にのんびり馬を歩かせていると、アラバモの冒険者たちが口を開いた。
「目的地の無い旅か……。一体、どうなることやら……」
「まさか、戦争が終わってから、こんなことになるなんてねぇ……」
「クロケットの旦那も災難だな」
彼らの言う通り、俺たち王国使節団一行はロクに目的地が定まらぬまま出発した。
何せ、公国軍の第二防衛ライン、即ち敵の撤退先が不明なのだ。
耳を疑うような話だが事実だ。
拘束した公国軍の総司令部の連中の尋問は軒並み終わっているが、防衛線に関する情報は微塵も出てこない。
当然、彼らが口を噤んでいる可能性を鑑みて、王国軍本隊所属の官吏――キャロラインの部下――が厳しく追及したが、聞けば本陣が抜かれて退却するシチュエーションを想定すらしていなかったという。
一体、何を根拠に確実に勝てると踏んでいたのやら……。
敗残兵が逃げた方向も見事にバラバラ。
最終的には、俺が拘束したロデリックから、公国西部の街の位置と規模を一つ一つ聞き出すこととなった。
もちろん、彼も最初は協力的な態度とは言い難かったが、戦略的有用性を感じられない街を片っ端から俺が焼き払うことを匂わせれば、彼も渋々口を開いた。
下士官からの情報が唯一の手掛かりとは笑えないが……ハインツから聞いた情報を元に俺が提案したこともあり、クロケットは即座に使節団の編成を始めてくれた。
そうして、今に至るわけだが……。
俺たちの最終目的は、公国側の上層部と面会し、戦後処理やら何やらの話を付けることである。
向こうの将校や権限のある軍系貴族とコンタクトを取るためには、軍隊が駐留できる規模の街や都市を虱潰しにあたるしかない。
そんなわけで、俺たちは公国西部の大規模な街や城塞都市を片っ端から訪問することになったわけだ。
道中の脅威が無いのは結構だが、こうして何も手掛かりも無く異国の地を彷徨うことには不安を感じざるを得ない。
「司令部も指揮系統も滅茶苦茶……そんなんじゃ、いつになったら停戦交渉ができるようになるのかわからんな」
「それに、軍として統制が取れていないということは……俺らにもまともな対応など期待できないだろう。小規模な戦闘や襲撃なら、将軍閣下が居る以上は大した問題にもならないと思うが……」
「最悪、現地で公国貴族と事を構えることになった場合、そのままゲリラ戦を展開せざるを得ない状況も考えられる」
「そうなったら、やってることは侵略と変わらないじゃない」
確かに、俺らが公国領内で暴れることになったら、それこそ両国の溝は決定的なものになるだろう。
かと言って、こちらも王国軍十万強と勇者や聖騎士の名を背負っている以上は権威や見栄もあるので、公国の人間に剣を向けられたら半端なことはできない。
そんな状況にならないようクロケットとフィリップには頑張ってもらいたいものだ。
……とはいえ、時間はまだ十分にあるからな。
出番がくるまでは、外のことは俺に任せて、二人はのんびり馬車の中で英気を養っておけばいい。
「ん? ……ふわっくしょん!」
「うぉ! 将軍、風邪ですかい?」
「いや……」
……馬車の中の二人は、これ幸いとばかりに人の陰口を言っている気がするが……気のせいだろうか?
一方、その頃。
フィリップとクロケットが乗る馬車の車内は、重苦しい空気に包まれていた。
「ほう、『黒閻』というとオルグレン伯爵やイェーガー将軍の怨敵という、あの……」
「うむ、此度の戦争に何らかの関与が疑われることは、クロケット殿も聞いていよう?」
「ええ、開戦に向かう公国中央政府の動きは、その者たちが糸を引いていた可能性が高いと……」
「その通りだ。もちろん証拠はない。だが、公国領内でとりわけ穏健派で知られる貴族の関係者が相次いで不審な死を遂げた点をはじめ、明らかに公国内を強硬論一色に染める動きがあった。半年ほど前の……クラウスが魔大陸に居る頃からな」
「…………」
公国中央方面の情報は全くと言っていいほど外に出ない状態にある。
キャロラインを始めとした諜報部門も、数か月前より宣戦布告を予想していたとはいえ、あくまでも交易などに関わる公国西部に流れた情報の又聞きから状況を類推していたに過ぎない。
要は、ここでいくら協議を重ねても、肝心の部分には全く近づけないということだ。
唯一わかるのは……いざ公国中央サイドと接触できたとしても、こちらの話が通じない可能性が高いということだろう。
そのネガティブな予想を補完するだけの情報には二人とも辟易しており、クロケットは必要事項だけ再確認すると話題を逸らした。
「それでは……あの話は確かなのですか? あのゴーレムとその秘密結社に関連があるというのは……」
「わからん。言ってしまえば、ファビオラの推測に過ぎん。だが……私は剣士でありファビオラの婚約者だからな。彼女の感覚を信頼するのに十分な積み重ねと共有できる感性がある。それに……クラウスもファビオラの懸念を小事とは捉えなかった」
「……私には判断できかねる問題です」
もしもこの懸念が本物ならば、重大どころの話ではない。
『黒閻』の用いる邪法や魔道具は、あまりにも危険なものが多かった。
下手をすれば、王都が壊滅しかけるほどの被害を齎すことも、数度の遁走によって把握済みだ。
クロケットもそれは承知しており、ヘッケラーはじめ何人かには改めて状況を伝え、保管体制などの強化を図っている。
だが、この情報だけでゴーレム片を丸々廃棄するという選択肢は取れない。
鹵獲品であり証拠物件でもある
今ゴーレムの残骸の扱いは王国軍の野戦陣地でも微妙なところになっている。
結局のところ、一番嫌な予感を覚えているファビオラが逐一見張るという結論に落ち着いているわけだ。
それこそ、クロケットにはどうしようもない話だ。
「あのゴーレム片に関しては、一刻も早く宮廷魔術師団のもとで解析してもらいたいところだが……そのためにも、この交渉も早く終わらせなければなるまい」
「ええ、オルグレン伯爵の仰る通りです」
「そういえば……イェーガー将軍のことですが……」
「うむ? クラウスがどうかしたのか?」
続けざまに口を開いたクロケットにフィリップは向き直った。
クロケットの雰囲気から珍しく事務的な話ではないことを察し、フィリップは怪訝な表情で続く言葉を待つ。
「差し出がましいことは承知ですが、何でも女性のことでお悩みとか……?」
「ああ、その件か……」
フィリップは以前ヘッケラーやリカルド王とも話した内容のあらましをクロケットに説明した。
不確かな部分はあくまでも推測だと前置きしながらも、相手は龍族の女性で魔大陸に残してきたことを語って聞かせた。
そして恐らく、『黒閻』のことと何より母国で戦乱が起こったことが原因だろうとも。
「何と……そういう事情でしたか……」
「うむ、決して多くを語らないが、あいつが本気だったことはわかる。特に、魔大陸から帰ってきた直後の様子ときたら……私から見ても、目に見えて雰囲気が荒んでいた。メアリーも随分と気に病んでいたな」
クロケット自身もトラヴィスやヘッケラーから多少のことは聞かされているが、やはりフィリップたち近しい者に本人が語った話にはクロケットも初耳の情報が多い。
そのうえでクラウスの事情などを鑑みると、些か不憫に思える部分もある。
「イェーガー将軍の気質を鑑みるに、王国を捨てることもあり得たかもしれませんね」
「うむ、間違いなく考えたであろうな。あいつは……以前から、権威や権力に媚びない男だった。もちろん、闇雲に盾突くわけではなく強かな部分もあるが、どちらかというと商人の思考に近いものがあると思う」
「ふむ……父君のイェーガー士爵はいかにも騎士といった人物ですが……確か、三男でしたか? ならば、貴族や領主の一族という感覚が多少希薄なのもわからなくはないですが……些か達観しすぎている気もしますね」
「ああ、同感だ。少なくとも、あいつが戻って来てくれた理由は、国への忠義でもましてや地位や安定した生活基盤でもない。そのようなものに頼らずとも、クラウスは生きていける。それこそ、魔大陸のど真ん中でもな」
「…………」
クロケットもフィリップ手前あえて口には出さないが、クラウスが帰ってきた理由はまさに『故郷の友人のため。フィリップたちのため』だ。
フィリップ本人もそれはよくわかっている。
だからこそ、クラウスのためにも今回の戦後処理では迅速に最善の結果を出さなければならない。
そう考えていた。
「意外ですね。オルグレン伯爵ほどの人物でも、有能な人間に仕えられるのはプレッシャーですか」
「そうだな……」
「ははっ……大変な家臣を持ってしまいましたな」
「まったくだ。ここに来てようやくトラヴィス殿の気持ちがわかったぞ」
「恐縮です」