215話 厄介者は死なず
公国との決戦が集結して数日。
俺は衝撃的な知らせを耳にした。
「え? まだ使者が来ないんですか?」
「左様、公国側にも先の大戦の結果は伝わっているはずだが、全くの音沙汰なしで御座るな」
俺がポートワインを注いだグラスを渡しながら疑問を発すると、総司令官のトラヴィス辺境伯はため息交じりに応えてグラスに口を付けた。
戦に勝利して間もない日の夕食時だというのに、天幕の中にはどんよりとした空気が漂っている。
現在、俺たち王国軍は制圧した公国軍の野戦陣地を掌握し、ここを仮の拠点としている。
捕縛した公国軍の人間はここで軟禁し、総司令部の面々もこちらにネグラを移した。
公国が築いた砦は王国軍の占領下にあり、今やここが王国の防衛軍の総司令部だ。
示威のためのポーズでもあるが、王国の勝利を明確に示し戦後処理と交渉を円滑に進める準備を整えているのである。
ところが、こちらの思惑に反して状況は芳しくない。
移転した総司令部には、先の大勝の立役者である俺やフィリップに、トラヴィスはじめ王国軍の主要な面々が揃っているが……皆が今の状況に辟易している。
先の決戦から既に数日。
普通なら、砦が落ちた時点で公国側から停戦と賠償のための交渉人がやって来るはずだが……未だに公国サイドには動きが無いと来た。
「本陣まで完全に制圧したのがマズかったのかな……?」
「いえ、今はもちろん戦前の国境線の位置からしても、ここは完全に王国領内です。対外的にも問題ありませんし、公国が交渉役を送らないのは別問題です。公国領内へ敗走した人間もそれなりに居る以上、権限のある人間が一人残らず死亡したとは考えられませんし、戦況の情報が公国政府に伝わっていない可能性も低い。傲慢で自分勝手な……そういうお国柄なんでしょう」
ヘッケラーは顔を顰めながら吐き捨て、俺にグラスを差し出して酒のお替りを要求した
貴公子然とした普段のヘッケラーからすると、随分とダイレクトな毒を吐くものだが……彼の気持ちはここに居る全員が理解できる。
そう、イライラが募っているのは俺たちだけではないはずだ。
「皆、先日までは戦勝の喜びに沸いていたが……そろそろ熱も収まってきた頃合いであろう」
「そうですね。特に、傭兵や冒険者たちは鬱憤が溜まり始めているように思えます。戦いに勝ったのに、現地で待機し続けている状況ですから……」
フィリップの言葉をアルベルトが肯定すると、二人に追従するようにトラヴィス家の重鎮であるクロケット準男爵とボウイ士爵も口を開いた。
「誠に遺憾ながら……諸侯軍の間でも、速やかに侵攻すべきという論調が強まっております。抑えてはおりますが、あの様子ですと少し目を離した隙に公国の一般市民への狼藉に及ぶ可能性が……」
「略奪を当然の権利って……貴族の中にすらそういう連中が居るってんですから、情けない話っすよ」
ある程度、予想はしていたとはいえ……味方であるはずの勢力が状況をさらに掻き回すというのはマジで勘弁してほしい。
しかし、現段階で東部諸侯の当主何名かを見せしめに吊るすわけにもいかず……今議論しても進展がないことは皆がわかっているので、ヘッケラーは話題を戻した。
「決戦は王国軍の勝利で終わり、こちらには捕虜も居ます。交渉役が来ない以上、公国は彼らを見殺しにして徹底抗戦の構えであると、我々は捉えざるを得ない。即ち、我々も捕虜や公国の民にそういう態度で接せざるを得ないということです」
「確実に遺恨が残りますね」
俺は公国の竜騎兵団団長コルテスの言葉を思い出しながらヘッケラーに頷いた。
彼は公国貴族には珍しき市井の民のことを気に掛ける男だったが……上の人間の具合がどうであれ、国と土地があればそこには住民が存在する。
これで本当に侵攻の構えでこちらから公国中央へ出向くことになった場合……まさにコルテスが危惧したように、俺が公国の地を焼き払い住民を虐殺しながら進むことになりかねない。
当然、戦いが続き泥沼になれば王国軍でも悪感情が積もり、捕虜の処遇もより厳しいものにせざるを得ない。
馬鹿な政府のせいで、お互いに余計な血を流すことになるわけだ。
それだけは、どうにかして避けたいが……。
「とにかく、今は待つしかないでしょう。侵攻を煽る声がこれ以上に高まるようであれば……こちらから使節団を送ることも視野に入れなければなりませぬ」
クロケットの目配せを受けた俺は、若干憂鬱な気分になりつつも頷いた。
まあ、俺が適任だろうな。
本来なら、敗戦国が下手に出て人を送って来るべきことは確かなので、こちらから人員を送るのであればそれなりの示威になる人選が必要だ。
何より、単独でフィリップ以上の生存能力を持ち、殲滅力にも秀でている俺なら、道中でトラブルがあっても対処しやすい。
願わくは、一刻も早く戦後処理が終わり、一滴でも流れる血が少なく済まんことを……。
「しっかし……本当に何なんすかねぇ、公国は。貴族至上主義はともかく、それなら文官系の法衣貴族でも何でも、適当に送って来ればいいってのに……」
「案外、本当に代表を張れる人間が居ないのかもしれないわよ。最後の殲滅戦で爵位持ちが全員死んだとか」
「公国貴族が根絶やしに、か。メアリーの誘拐事件以来、私も幾度となく夢見たことだが……是非とも、正夢になってもらいたいな」
「くはは! 勇者殿と次期筆頭魔術師殿は辛辣で御座るな」
総司令部の天幕を辞してオルグレン伯爵家諸侯軍の陣地に戻った俺は、何の気なしに物資の管理区画にやって来た。
天幕を並べた簡易倉庫の辺りでは、顔見知りの運送ギルド員たちがせっせと物資の出し入れを行い、分配の方も滞りなく進んでいるようだ。
戦後で陣地を移転した直後ということもあり若干の混乱は予想していたが、思った以上に雰囲気は穏やかなものだった。
食料も医薬品も十分に足りている証だ。
「ハインツ兄さん、嗜好品の在庫は?」
「酒の補給は問題ないよ。クラウスが事業を統括しているおかげで、調達のプロセスは全部オルグレン伯爵家内で済むからね」
ハインツは俺に軽く帳簿を示し上機嫌で言った。
見たところ、雑費の支出は戦費として想定していた額をまだまだ下回っているな。
今は敵との決戦を控えて対峙している状況ではないので、数日前に比べれば警戒レベルは下げており、兵士や冒険者たちにも夕食時に一人一杯の酒を配給したりしている。
今回のような戦において、物資は各諸侯軍で自ら調達し持ち寄るのが基本だ。
長期間の籠城戦というわけでもなく、十万以上という大所帯での行軍である以上、待遇や物資面で完全に統一することなどできないので当然と言えば当然だ。
言ってしまえば、酒の配給はオルグレン伯爵家と運送ギルドの善意によるものだ。
王国軍の全ての人員に振舞うとなると、その予算は馬鹿にならないわけだが……戦時下の軍需物資として価格を上乗せしたうえでこの額なら首尾は上々だ。
もちろん、最終的には諸侯軍の貢献度に応じた褒賞という形を取り、王国政府から補填されるのだが……デヴォンシャー宰相の胃の具合を考えれば、少なく済むに越したことはない。
逆に大した活躍をしていないにもかかわらずオルグレン伯爵家より多い支出を報告した連中は、後でリカルド王やデヴォンシャー公爵にどんな目に遭わされることやら……。
何はともあれ、運送ギルドの物資輸送や予算の枠は大して圧迫されておらず、下の不満も溜め込まないよう対処できている。
至極順調で何も悪いことは無い。
しかし、ハインツは若干暗い表情で俺に疑問を投げかけた。
「この状況……もうしばらく続きそうかい?」
「ええ。……何か、問題ですか?」
「いや、国軍や諸侯軍の主だった面子には、特に激しい不満の兆しは見えないよ。傭兵や冒険者たちも、遠征日数が長ければそれだけ日当が貰えるからね。ただ……」
ハインツは俺に顔を近づけて声を潜め耳打ちする。
「不平不満を漏らす者、それを煽って扇動する者……そういう輩の声は、いつも大きいものだからさ」
「……なるほど」
王国軍の全体的な雰囲気を見れば、上が危惧するほど危険な空気ではなく、略奪や虐殺に及ぶような集団には見えないが……やはり、クロケットの言ったことは無視できないか。
余裕の有無にかかわらず、一部のアホが煽ることで悪い方向へ傾きかねない。
何だかんだいって、王国軍は一枚岩ではなく、諸侯軍の寄せ集めなのだ。
「待遇を改善すれば不満は抑えられるけど……有り余るエネルギーでロクでもないことを考える連中の対処は、ちょっと僕には無理かな」
これは……早めに手を打った方がいいかもな。
クロケットの言う通り、本当にこちらから公国中央に出向くことになるかもしれない。
それこそ、今日と明日で使者が来ないようなら、本気で使節団を立てることを考えなければ。
「まあ、そこはクラウスたちに任せるよ。何にせよ、無暗な侵攻を抑えるには、誰の耳に入ってもインパクトのある動きでも無い限り、まともな効果は期待できないからさ」
「わかりました。クロケット準男爵と話しておきます。他に何かありませんか?」
「特に……まあ、下らないことで末端の人員たちの不興を買わないようにね」
「?」
「総司令部だけでいい酒を飲むのは……」
「……あはは」
……確かに、上の人間だけ明らかに上等な食事や酒を口にしていては、下からは反感を買うだろう。
既に、一部の諸侯軍でそういう貴族が居るようだ。
さすがのトラヴィスやヘッケラーも、明らかに贅沢な食事をすることは控えており、酒を飲むにしても頻度とタイミングは考えているだろうが……少し気が緩んでいたのかもしれないな。
もちろん、上物のポートワインを開けることにした俺も……。
各派閥で待遇は違うとはいえ、オルグレン伯爵家と総司令部は目立つ。
模範たれとまでは言わずとも、少し気を引き締めた方がいいな。
夜、俺は自分の天幕から出ると軽く周囲の巡回を始めた。
特に警戒態勢というわけではないが、念のためオルグレン伯爵家諸侯軍の陣地の周辺を見回ることにしている。
勇者の右腕、筆頭家臣として、俺は進んで残業をしているわけだ。
「はぁ、社畜は辛いぜ……ん?」
天幕の周辺を巡回し始めた俺は、“探査”に引っかかった反応に思わず足を止めた。
普段なら、既に床に就いているはずの人物が外に居る。
俺は薄く広げた魔力の探査波で目的の人物の位置を把握すると、そちらへ足を向けた。
やがて、資材の保管区画に辿り着くと、建築資材や瓦礫の山の前に目的の人物は居た。
俺が歩を進めて後ろから近づくと、彼女は若干緊張した面持ちでこちらに振り返る。
「あ、クラウスさん」
そこに居たのはファビオラだった。
ボルトアクションライフルを肩に掛けた彼女は、腰の短剣の柄に義手の右手を添えていたが、接近してきた者が俺だと気付くと、小さく安堵の息を吐いて武器から手を離した。
「どうしたのです?」
「巡回中だ。そっちこそ、何やってるんだ?」
「あ~、ちょっと……」
歯切れの悪いファビオラの視線を追うと、そこには小高く積まれた石片があった。
一瞬、この陣地を占領したときに掃除して回収した建材の破片や瓦礫かと思ったが、微かに魔力反応を帯びているあたり違うようだ。
これは……ゴーレム破片だな。
平原での決戦時、最初に公国が投入してきたゴーレム部隊の残骸だ。
「これが、どうかしたのか?」
「…………」
ファビオラは沈黙した。
言いにくい事情があるという雰囲気ではないが、何やら言葉選びに迷っているようだ。
しばらくすると、ファビオラは意を決したように顔を上げて口を開いた。
「嫌な感じがするのです」
「?」
「何と言うか……このゴーレムの破片を見ていると、嫌な予感がするのです。直感というか、勘というか……」
ファビオラは説明しながら、左手で右の義手を押さえた。
「とはいえ、ワタクシは魔術師でも錬金術師でもないのです。餅は餅屋と優秀な魔術師の知恵を借りたのですが……レイアさんはただのゴーレム素材だと言っていましたし、ヘッケラー様も何も見つからないと……」
その話、俺は初耳だな。
だが……別におかしなことはないか。
普段のファビオラは結構チャランポランでお気楽な奴だし、レイアとヘッケラーも気軽に相談された程度の内容なら忘れていた可能性もある。
恐らく、二人もこのゴーレム片がそこまで深刻な問題だとは思わなかったことだろう。
しかし……。
「重要な話だ」
「え……?」
俺の言葉に、ファビオラは顔を上げて疑問を発した。
「師匠が何も見つからないと言った以上、それは事実だ。何も見つからない……それは、仮にこのゴーレムに何かがあったとしても、現段階で打つ手は無いってことだ。恐らく、師匠に時間を取ってもらって精査しても、芳しい結果は得られないだろう」
「…………」
ファビオラは黙り込むが、俺はさらに言葉を続ける。
「現時点で、問題はファビオラの動物的な勘による違和感だけ。対策を練るどころか調査をしようにも、何から手を付ければいいのかわからん状況だ。正直、できることはない」
「そう、なのです……」
ファビオラの顔は明らかに落胆した表情に覆われた。
猫耳がしゅんと下を向く。
しかし、俺は一拍おいて再び話し始めた。
「だが、実際に『黒閻』の兵器によって深手を負った唯一の人間の意見となると……俺は無視できん」
「……クラウスさん」
「これから何が起きるかわからない以上、警戒しておいて損はない。ファビオラは引き続きあの石クズの様子を気に掛けておけ。フィリップには俺からも改めて伝えておく」
「ありがとうなのです」
微妙に扱いに困る話だったが、一人で抱え込まれるよりマシだ。
そして、ファビオラが自分の天幕に帰って頃合いで、俺も巡回を適当に切り上げて寝床に戻った。