204話 束の間の平和?
「父上……何か、増えてないっすか?」
オルグレン伯爵家諸侯軍の野営地で陣形の訓練に励む兵士たちを見て、俺はアルベルトに疑問を発した。
公国側には依然として動きが無いため、暇を持てあました諸侯軍はこうして負担の少ない訓練をして次の戦いに備えているわけだが……何故か、我が軍の兵が増加していた。
確かに、緒戦の犠牲はほぼ東部諸侯の指揮下にある部隊に留まっており、オルグレン伯爵家諸侯軍はほぼ損害も無い状態であった。
しかし……さすがに見たこともない奴らが増えるという現象は予想外だ。
そんな具合に首をかしげる俺に、アルベルトは苦笑いしつつ答えた。
「陣借りだ。先の戦闘であぶれた連中が、全てうちに来たからな」
どうやら、前哨戦で戦死した東部諸侯に雇われていた連中が、大量に流れてきたらしい。
何でも、当主がくたばった家は諸侯軍の維持どころではなく、お抱えの騎士や私兵を残して、傭兵や冒険者などを放り出したようだ。
呆れた話だが、小さな貴族家一本の諸侯軍では珍しくも無い光景とかなんとか。
一応、志願兵の糧食や寝床は貴族家側が手配していることになっているが、国家間の紛争は戦費負担が国庫から補填されるので、自軍の規模を縮小しても維持費はほとんど変わらないと思うんだけどな……。
ハインツが管理する運送ギルドのピストン輸送が滞りなく機能している以上、物資が枯渇することも考えにくい。
「戦功への褒賞を惜しんだというのもあながち的外れではないが、やはり掌握できなくなったことが大きいだろう。言ってはなんだが、こっぴどく負けて次の戦いへの希望も無いようでは、兵や冒険者はついて来ない」
「離反を恐れたと?」
「南部や王都で編成した軍ならば、一度の失敗や敗走など覆して仕切り直せる力もあるだろうが……」
トラヴィス辺境伯クラスを筆頭にまとまっている連合軍ならまだしも、東部諸侯にそのような機能など期待できるはずもなく。
既に十分白い目で見られるだけの醜態をさらしているわけだが、これで当の本人たちは『気まぐれに下賤の者たちに施しただけ』だの『高貴な剣を以ってより戦局に貢献するため、身軽に動ける環境を整えた』だの言っているのだから、奴らの厚顔無恥には本当に恐れ入る。
「案外、本当に諸侯軍を統率できるだけの事務処理能力すら失われたのかもしれませんね」
「ふはは……否定できんな」
解雇された兵士たちも、今は王国軍の一員である以上、食料や物資は他と同様に提供されるため、即座にここを逃げ出そうなどとは思わなかったそうだが、軍としては彼ら全員を遊撃扱いでフラフラさせておくわけにはいかない。
下手な扱いをして脱走兵が出て、そいつらが近隣の村などを襲っても困る。
それと、貴族家に戦争の途中で手放されたというのは、傭兵や冒険者たち当人にとっても外聞が悪い。
暫定的な処置として、彼らはアルベルトが指揮する諸侯軍の主力師団に組み込まれたそうだ。
まあ、彼らの食料や装備や寝床を全てオルグレン伯爵家で持つわけではないので、経済的な負担はそれほどのものではないが……しかし、何故うちなんだ?
それを尋ねると、アルベルトは苦笑いしつつ兵たちの方を示した。
「それはもちろん、お前が居るからであろう」
「えっ……?」
見ると、何人かの休憩中の兵士たちが、俺に控えめに会釈していた。
聞けば、先日の公国軍の先遣部隊との戦いで、敵にやられる寸前で俺に助けられたとか。
残念ながら、兵士一人一人の顔までは覚えていないな。
礼を言うどころか、でっち上げで責任を追及してきた貴族の顔は、はっきりと覚えているのに……。
「まあ、何でもいいです。とにかく、兵の指揮は任せましたよ」
「ああ、負担を掛けない程度に訓練させておこう」
アルベルトと別れた俺は、オルグレン伯爵家諸侯軍や王都の騎士団の野営地近くにある天幕にやって来た。
周りを屈強な武闘派の陣地に囲まれており、俺は顔パスだが騎士が数人見張りに立ち入口は厳重に警戒されている。
物々しいが、まあ中身を考えれば仕方ないな。
俺が天幕の中に足を踏み入れると、そこにはさらに厳重に鍵を掛けられた牢があった。
「よう、調子はどうだい? 公都警備隊所属ロデリック曹長こと百人隊長殿」
「……ちっ、あんたか」
牢の中へ声を掛けると、手足を拘束されて転がされたロデリックがこちらへ向き直った。
牢に仕掛けた魔法陣で彼の魔力制御は乱されているため、彼は魔術も強化魔法も使えず、拘束用の魔道具はロデリックに継続的な倦怠感や脱力感を付与している。
他にもアラートシステムが多重に仕掛けられているため、ロデリックがここから脱獄するのはまず不可能なはずだ。
「公国軍の士官よりいい仕事だろ? 三食昼寝つき、業務内容は基本おとなしく拘束されることのみ。看守長である俺に媚を売っておけば、酒の一杯も出るかもな。鰻はやらんが」
「…………」
ロデリックは俺の冗談を意に介さず、こちらをじっと見つめた。
まるで、言いたいことがあるなら早く言えとばかりに。
「悪い知らせがある」
「いい知らせは無ぇのかよ」
向こうが先に無視してきたので、俺もロデリックの軽口をスルーした。
「公国側からお前の返還要求は来てない。爵位持ちの捕虜に関しては秘密裏に身代金の交渉があったらしいが……人望があるように見えたのは勘違いだったか? お前、部下にも見捨てられたな」
「部下の一兵卒に捕虜交換やら何やらに口を出す権限なんて無ぇよ。今頃、俺は欠席裁判で都合よく上から責任を押し付けられて、裏切り者の汚名でも着せられているだろうさ」
ロデリックはヤケクソ気味に吐き捨てた。
なるほど、確かに公国はそういう国だな。
一万からの犠牲が出た戦いで、唯一戦局を優位に掌握し犠牲を最小限に留めた功労者であっても、爵位と権力が無ければ容易く蹴落とされる。
どんなにいい獲物を狩っても、貴族のボンボンに肉を奪われ、クソを投げつけられる。
こういう話に同情してもキリが無いのはわかっているが、本当に胸糞の悪い国だな。
「くそっ……何でよりによって、あんたみたいな化け物とかち合うかな……。ツイてねぇ」
「ツイてないのはお互い様だな。てめぇらが余計なちょっかいを掛けてくるから、こっちは戦争に出張ることになって、知りもしねぇ奴らと殺し合いをする羽目になった。おかげさまで、俺は歴史に残る虐殺犯だ」
「勝手なこと抜かしやがって……」
「勝手なのもお互い様だろ。いきなり宣戦布告なんぞしておいてよ」
ロデリックはロデリックで、公国で自分と部下の居場所を守るために必死だったのだ。
向こうにも言い分があり、下っ端の彼に嫌味を言っても仕方がないことはわかっている。
しかし、やはりエレノアのことを思い出すと……戦争のために彼女と別れなければならなかったことを思うと、心がささくれ立ってくる。
どうしても……口からは嫌味と罵声が出てしまう。
俺は一拍置いて呼吸を整えてから、再びロデリックに向かって口を開いた。
「しっかし……公国ってのはひでぇもんだな。お前ほどの実力があっても、身分は一兵卒より少しマシ程度。劣勢をものともせず敵を押し返し、部隊の損害を最小限に抑えて撤退に成功しても、戦功はゼロどころかマイナス扱い。ひょっとしたら、お前の部下も責任を追及されて切られてるかもな、物理的に」
「何だ? 俺に祖国を裏切れってか?」
こんな状況にあって肉体精神ともに疲弊していても、俺の揺さぶりを即座に察して一蹴してくるあたり、ロデリックはやはり大した男だ。
「お前にとっての祖国ってのは、あんたを慕う部下と家族や友人の居る場所のことだろ? 国家権力そのものではあるまい。一つだけ確かなのは……あんなクソ政府に付き合ったせいで、お前もお前の部隊もこのザマってことだ」
「…………」
「お前が有用な情報を吐いて、少しでも早く戦争が終結すれば、お互いに利益になる」
「くく……ふはははっ!」
ロデリックは突然笑い出した。
ストレスでおかしくなってきたのか、それとも俺の駆け引きもクソも無い尋問に呆れているのか……。
しかし、ロデリックは俺をしっかりとした力のある目で見返すと、ゆっくりと口を開いた。
「あんたもわかってんだろ。俺が大した情報を持ってねぇってこと」
「…………」
確かに、普通なら百人隊長程度の士官が知る情報など大した価値は無い。
しかし、キーファー公国という国は別だ。
閉鎖的で中央政府に関する情報が少ない以上、敵部隊の動きや軍事機密だけでなく、公国そのものに関する他愛のない話も俺たちにとっては新鮮な情報となる。
ロデリックにしてみれば、いくらでも言い様はあるはずだ。
補給ルートや戦力の詳細などの軍事機密的な情報だけでなく、現代なら国名で検索してウィキ○ディアを見れば済む情報ですら、ここでは待遇改善を要求する対価となりえるのだ。
「…………」
「けっ」
しかし、ロデリックはあくまでも尋問に対してだんまりで通すつもりのようだ。
僅かでも祖国への裏切りと取られる行動をしないのは……せめてもの彼の意地なのか、その方が最終的に利益になると判断したのかはわからない。
しかし、結局ロデリックは何も喋るつもりが無いという事実だけは変わらない。
こちらにしてみれば、死んでも口を割らない以上、殺すのが一番効率的だな。
“記憶復元”をかけるにしろ、そのまま始末するにしろ……それこそ鰻ではないのだから、長く生かしておくメリットは然程ない。
捕虜を維持するのにも労力と食料物資が必要だからな。
記憶が必要であっても、首を刎ねて魔法の袋に収納しておけば同じだ。
「残念だよ」
「ああ、とぉっても残念だ」
不敵な笑みを浮かべるロデリックだったが、俺はため息をつくと踵を返した。
「お前の処刑は後回しにしてやる」
「そいつはありがたいね」
「処刑の執行前に戦争の片が付いて、運が良ければ、お前も生きて帰れるだろう。……公国が残ってたらな」
「……傲慢な野郎だ」
一瞬だが、ロデリックの目には羨望の色が見えた。
きっと、彼も公国でまかり通る普通を変えたいと思っていたことだろう。
貴族至上主義の公国にあって平民ながら士官に取り立てられた以上、今までもその才覚は存分に発揮されていたはずだ。
だが……昔の俺に匹敵するレベルの魔力と強さを持つ腕利きでも、一人で国家権力と渡り合うことはできない。
それこそ、聖騎士のような理不尽な力が無い限りは。
現状を変えたいと思い続け、努力して策を練って少しマシな地位を手に入れ、それでも不幸に見舞われて足掻き続けた男の目だった。