20話 戦いの準備
ハーフタームに差し掛かり、フィリップは実家に帰省中。
俺はといえば、先ほどから魔法陣を前に唸りっぱなしである。
そんな俺を尻目にレイアは涼しい顔で紅茶を飲み、ミゲールの店で買ったクッキーを幸せそうに頬張っていた。
「くそっ。また材料が無駄に……」
ダンジョンに向かうにあたり、結界魔術の魔法陣を自作しようとしているのだ。
だが、レイアの教え方は悪くないのに、まったく実践できない。
今回のダンジョン行きは、通常の討伐依頼や採取依頼とは違う。
ダンジョンの中で数日間過ごすことも考えなければならないし、延々と戦い続けなければならない状況に陥る可能性もある。
そうなると、食料や装備品関連の消耗品のほかに必要なものは、ポーション類などの回復手段とシェルターのための魔法陣である。
ポーション類は思ったよりも簡単に作成できた。
簡易的な治癒魔術と同じ効果のある体力回復ポーション、それに魔力回復ポーションの二つ。
魔術師にとって一般的な魔力の補充手段は魔晶石だ。
だが、魔晶石から魔力を取り出すには、放出系の魔法がしっかりと扱えないと話にならない。
フィリップは“火弾”の数発くらいなら撃つことができるが、これは詠唱によって無理やり体から魔力を引きはがし飛ばしているに過ぎない。
要は、体の外で魔力を扱う才能が無いというわけだ。
強化魔法は放出系ほど魔力を消費しないので、魔晶石などから魔力を補充しなくても済む場合がほとんどだが、万が一という可能性もある。
魔晶石の予備としてだけではなく、フィリップの分も含めて魔力回復ポーションは多めに確保しておきたいところだ。
現在、1年生はラファイエットという教師の魔法薬の授業を受けており、来年には彼の錬金術の授業を受けることになる。
魔法薬を数Ⅰとするならば錬金術は数Ⅱだ。
錬金術にかかる範囲は日本刀や銃の製作、片手剣の強化などで少しかじっている。
イメージによるオリジナル魔術で強引に作り上げたものとはいえ、この方面に関しては全く理解が無いわけではない。
武器屋で魔剣の製造の手伝いをした経験も生きているだろう。
物事は必ずしも基礎ありきではない。
応用の側面から基礎理論を理解すると、より実践が効率的になることは往々にしてある。
このポーションにしてもそうだ。
魔力の質による部分も大きいかもしれないが、俺が作ったものは独学でそれなりのポーションを作れるレイアが目を見開くほどの出来だ。
まだ総合点ではレイアの出来に及ばないが、初めて作ったとは思えないほど上質なものだ。
だが、そんな調子づいた俺を奈落の底へ突き落す存在があった。
それが、この忌々しい魔法陣である。
ベルリオーズの魔術理論で最近出てきた内容で、魔法陣の作成というものがある。
魔力を流すだけで魔術が発動するので、複雑な魔術の詠唱の代わり、持続的に発動したい魔術の媒体として多用されるものだ。
だが、俺が書いた魔法陣は何度魔力を流しても、ウンともスンとも言わない。
「あなたは……あれね。才能が……無いのね」
そんなことだろうと思った。
具現化のイメージによる魔力の制御に長けていたのが仇になったのかもしれない。
俺は一般的な魔術師が通る、詠唱の理論と魔法陣の形状のイメージによる理解をすっ飛ばして、上級魔術までマスターしている。
よって、魔法陣からのイメージが全くできないのだ。
いくらレイアの魔法陣を細かく暗記してから作っても無駄だった。
レイアの魔法陣からの具現化と、俺のその魔術の具現化のイメージが一致しないのだろう。
「あなたにもできないことがあったのね。……ちょっと安心した」
レイアは勝ち誇った表情だ。
だが、この言い方では調子に乗せられてしまいますぞ。
「そんなに完璧超人に見えてたのか?」
むふふ。
「まあ……たまに常識知らずで無鉄砲で妙なことに執着する変人だけど、欠点らしい欠点は見なかったからね」
根拠のある部分ではかなり貶されてますよね……。
「あ、そんなに落ち込まないで。あなたは“採掘”も“醸造”も器用にできるし、魔道具は作れるでしょ。魔術師でも魔法の袋すら作れない人もいるのよ。魔法陣が書けないくらい、どうってことないわ」
だといいんですが……。
俺は魔法陣の自作は諦めて自分の分の紅茶を入れた。
フィリップも戻ってきていよいよダンジョンに挑戦する日が来た。
マイスナーとは街の入り口で合流だ。
「それで、クラウス。貸しがあるとはいえ、どうやって交渉をまとめたのだ?」
俺はフィリップが留守の間に騎士団の詰所に赴き、ダンジョンへ行く際には必ずマイスナーかバイルシュミットが同行することを約束させた。
警備隊の隊長と副隊長といえば暇ではない。
それに、街の外の警邏で倒した魔物の素材は、一部危険手当として還元されるが、護衛ではそうはいかない。
前世の警察と同じで公務である以上、金銭の受け取りは禁止されている。
現地での収穫を一部や僅かに金銭以外のものを受け取ることは黙認されているが、そもそも騎士団に助けてもらうザマになるのは、ほとんどの場合駆け出しの冒険者か無謀な世間知らずだ。
権力を笠に着た強請と捉えられないためには報酬は受け取らないか、子守を引き受けない。
色々を訳ありとはいえ、この時点で俺たちは魔法学校の1年生にすぎない。
普通なら、まず密接に関わろうとはしない、ましてや事前に護衛など引き受けたりしない集団だ。
だが、マイスナーにもバイルシュミットにも共通の攻略点があった。
「こいつをプレゼントしたのさ」
俺は魔法の袋からあるものを取り出す。
「それは……酒か?」
「ああ」
ワインを蒸留して作ったブランデーとサングリアだ。
ブランデーくらいならこの国にもあるが、俺の酒造りの腕はドワーフのお墨付きである。
これだけでも二人のアミラーゼ分泌量を増やすのは容易だった。
そして極め付けが、このサングリアだ。
ほかの国や大陸は知らないが、少なくともライアーモーア王国では酒に果物を漬けて香りをつけるというレシピはない。
本格的な果実酒を作るには時間が足りなかったが、王都に来て砂糖もシナモンも故郷にいたころより安く手に入るようになったので試していたのだ。
「ふぅむ、器用なものだな」
「まさかそんな簡単に篭絡できるなんて……」
いや、まったくその通りだ。
最初は向こうも警戒していた。
だが、「始末するつもりならとっくに詰所ごと消し炭にしている」と言ってやったらすぐに受け取った。
我ながら、えげつない脅しをかけたものだ。
「マイスナー大尉」
「来たか」
街の入り口に着くとマイスナーのほかにもう一人の騎士がいた。
ドワーフかグレムリンの血でも混じっているのか背が低い。
背中に背負った大型の盾でほとんど体躯が隠れている。
腰に携えているのはショートソードだ。
どこかで会ったような……。
「お、おお久しぶりです」
誰だ、テメェ。
「えっと……」
「ディアス殿」
「は、はい! 覚えてていただけましたか、伯爵様」
初めて詰所に行ったとき武器を運んできた、あの。
フィリップが覚えているのに……ショックだ。
「(貴族とは会った人間の顔を決して忘れないものなのだ)」
さいですか。
どうせオラは田舎モンだべさ。
「(ねえ、誰なの?)」
「(警備隊詰所で一度だけ会った騎士だ)」
「(要注意ね)」
俺の装備はほとんど変わらない。
メインウェポンの大剣をしっかり手入れしてクロスボウと一緒に背負った。
狭い場所での乱戦に備えサーベルをいつでも抜けるようにし、腰の反対側には魔法の杖と矢筒を付ける。
ナイフ類をポケットに突っ込み、懐には38口径ダイアモンドバック。
“倉庫”には予備の矢に片手剣や刀、投げ槍、パイプ爆弾に魔晶石を10個すべて仕舞う。
魔法の袋は水や食料を十分用意したもののほかは、戦利品を収めるための空のものだ。
レイアは魔晶石以外をすべて魔法の袋に仕舞っているようだ。
ポーションと松明の管理は彼女に任せてある。
恐らく松明を持つのはマイスナーに任せるだろう。
フィリップには分散して持つ食料以外あまり荷物はない。
魔法の袋は縫い付けた魔石にプログラムをする際の魔力の質に呼応し使用者を限定する。
所有者を自分だけにしたものは、あまり工程が複雑ではないので多くの魔術師が所持している。
だが、あとから使用者を変更したり登録したりできるようなシステムを作るのは非常に面倒なので、汎用のものは非常に高価なのだ。
したがって、フィリップは魔法の袋は汎用の市販品を一つしか持っていない。
“倉庫”の空間魔法も使えない彼にとって魔法の袋に仕舞うものを決めるのは一大事だ。
可哀想に。
「レイア、君は“倉庫”は使わないのか?」
「あのね……普通は“倉庫”の容量なんて、たかが知れてるの。魔力量に依存するって知ってた?」
「さすがにそれくらい知ってる」
実は何となく予想していたに過ぎない。
魔法の袋を作る以前の“倉庫”の容量は6畳の寝室くらいだった。
資源をため込むには手狭だったので魔法の袋を手に入れて以来、絶対に奪われたくない銃弾や爆弾、緊急時に取り出す予備の剣や刀や短剣以外入れないようにしている。
それでも、今は約6畳の部屋とは比べ物にならない容量が十分にあるはずだ。
総魔力量に比例すると考えるのが自然だっただけだ。
「あたしの魔力量も決して少ないわけではないけど、それでも大きめのカバン一つ分くらいよ。宮廷魔術師でもトランク一つ分がいいところだわ。切り札のポーションと魔晶石くらいしか入れないものよ」
なるほど。
武器をいくつも放り込めるのは、俺の魔力量あってのこと、というわけだ。
それでも俺の“倉庫”は妙に広いようだが、空間魔法と聞いたときのイメージの違いかね。
「ところでレイア。お前は今までに一度もダンジョンに潜ったことが無いのか」
そういえば、長いこと冒険者をやっていて一度もダンジョンに挑まなかったのは不可解だった。
もっとも、11歳に満たないころから、冒険者で生計を立てること自体、かなり不自然だが。
「ええ、無いわ。人づてに話には聞いたことがあるけど。自分でそこまでの危険を冒す覚悟はなかったから。もっとも、魔術師が一人で踏破するのは、ほぼ不可能だけどね。詠唱短縮は今でも不完全だし」
確かに狭い場所での乱戦に魔術師が単独で挑むのは無謀というものだろう。
だが、人づてでも同じベテラン冒険者として聞いていた話があれば参考にはなるかもしれない。
マイスナーもディアスも迷宮どころか冒険者の経験すら無さそうだし、今頼りになる知恵袋はレイアだけだ。
「レイア、道すがら参考になりそうな話を教えてくれ」
「ん、そうね……。基本的な立ち回り方からでいいかしら?」
「ああ」
「構わん」
一応聞いておこう。
この世界では前世の常識が通用しないことが多いからな。
「まず、魔術に関してだけど戦略級の魔術はまず使えないと思っていいわ。生き埋めになったら目も当てられないからね。水魔術も遺跡を水没させるような威力のものはダメだし、火も熱がこもりやすい狭い場所では控えて。土魔術も床や壁の形状を大きく変えるものは厳禁ね」
まあ、これくらいなら常識の範囲か。
「ど、どうすればいいので?」
ディアスも真剣に聞いている。
「基本は隠密、気付かれたら接近戦と氷魔術ね。“氷弾”や“氷槍”は周辺に被害を撒き散らさず遠距離から刺突を加えられるし、大きいのは前にあなたたちがやってたみたいに“氷結”で動きを止めてから接近して攻撃も有効だわ」
確かにそれが定石かもしれない。
「風魔術は?」
「“風刃”も剣の補助くらいなら問題ないでしょうけど、そのまま飛び去って壁なんかにダメージを与えそうだから控え目にして。衝撃波はいざってとき以外は使わないように。あ、でも“電撃”だっけ? あれなら大丈夫そうね」
「レイアちゃん、俺とディアスは盾役でいいのかい?」
「そうね、ディアスさんとマイスナー……大尉は前衛で」
大体戦術は固まってきたな。
俺がクロスボウで始末できるならそっと片づける。
乱戦になっても氷や電撃、接近戦で戦い、土壁を傷つける行為は控える。
狭い場所では火は最低限、衝撃波は最後の手段。
おk。
「クラウス、接近戦でも壁に叩きつけるとか地面ごと巻き込む攻撃はダメだからね」
それはフィリップに言っとけ。
ちら。
「うむ、気を付けるのだぞ」
てめぇだよ。
一番心配なのは。