2話 お勉強と魔術の訓練
両親の言葉も多少わかるようになり、我が家の事情も分かってくる。
父はこの辺の農村を治めるアルベルト・イェーガー士爵。
領地経営と近隣の魔物の討伐が主な仕事の厨二系残念なイケメン……ではなくリアル剣士のナイスミドルだ。
ちなみに俺の明るめの茶髪は父親譲りらしい。
わざわざ金を払って髪を染めた経験のない俺にとって、姿見に写った髪の色は赤ん坊とはいえ違和感がある。
母エルザは専業主婦かと思いきや治癒魔術師だそうだ。
長男バルトロメウス兄さん、次男ハインツ兄さん、メイドのイレーネ。
うちの苗字はドイツ語風だがこの中央大陸にはヨーロッパ風のあらゆる名前が混在するらしい。
そういった周辺知識を得るのは父の書斎だ。
読み書きは母エルザに教えてもらった。
覚えがいいのは……まあ当然だよね。
天才扱いには最初は肝を冷やしたが、意外と尾を引くことはなかった。
よくよく考えれば、子ども何かに成功したらすぐに天才扱いするのは、どの親も同じであろう。
両親は特に読書家といったイメージはないが、意外と蔵書は多かった。
それに、字を見るに手書きといった風ではない。
タイプライターか印刷技術がすでにあるのかもしれない。
本を読むとなると一番惹かれるのは魔術の指南書だが、この世界におけるタブーを知らぬうちに手を出すのは気が引けた。
母が魔術師であり歴史書や地理の本と一緒に魔術教本が堂々と置いてあるあたり、魔術そのものが禁忌というわけではないだろうが用心するに越したことはない。
魔女狩りや異端裁判を知識の上だけでも知る身としては、焦って手を出した挙句火あぶりではかなわないからな。
それとなくエルザに聞いてみた。
「初級魔術を一、二発撃てる人はそこそこいるはずよ。貴族なら特に体裁程度は魔術の家庭教師を雇って習うはずだわ」
なるほど、嗜む程度には、ってことね。
聞いたところでは魔術の発動の際には詠唱するのが一般的だ。
熟練者の中には短縮できる者もいるが発動に時間がかかる以上、魔術師は後方からの支援が主な仕事となる。
必然的に火力や多彩な技がないと勤まらないそうだ。
どうやら完璧に使いこなせる人間が少ないだけで、異端ではないらしい。
安心した俺は母に教えてもらい2歳くらいの頃には父の書斎の本を魔術関連含めほとんど読み終えた。
魔術の練習は家族に隠れて行うことにした。
教本を読むだけなら構わないだろうが、さすがに幼児が魔術をバカスカ撃っていいものとは思えない。
しかし将来的には跡取りでない自分は、冒険者か都会に出て宮仕えか商売人になるかであろう。
身を守るすべは多いに越したことはない。
世界観の把握、武器と回復手段の確保はゲームの基本だ。
地理に関しては歴史などと一緒にエルザに教えてもらいながら勉強した。
ここ中央大陸は世界最大の大陸で、北西部のライアーモーア王国といくつかの小国、それに広大なフロンティアを有する。
ライアーモーア王国は大陸一の国土を持つ国家で、我がイェーガー士爵領もその一部だ。
数十代続いた非常に歴史の古い国で「鷺沼何十世さん」が統治し続けている。
イェーガー領はその中でも西の端のほうに位置するが、沿岸部までは開発が進んでおらずフロンティア扱いだそうだ。
さらに西の海の向こうにはバスティール帝国が存在する。
どこかの監獄みたいで不吉な名前だが、今は貿易も行われており特にきな臭い雰囲気はない。
とはいえ沿岸を開発しようにもできない理由は、経済活動の拠点を置くのは不安であり、軍備を整えても帝国からも見えるようでは刺激しかねないことだと予想できる。
わざわざ王国西部を迂回し、王都の北の港町から入港するのはいささか無駄ではないかね。
まあ、フロンティアでは陸送の手段がないのだから仕方ないかもしれない。
北東の魔大陸はあまり情報がないらしい。
中央大陸より平均的な魔物の強さが上で、排他的な種族が多いということくらいだ。
言われなくてもなんとなく予想がついていたが……。
さて、そろそろ魔術の練習を始めるとするか。
治癒魔術に関してはいずれエルザから手ほどきを受ければいいと思うが、ほかの攻撃魔術は自分で覚えるしかない。
掌から火の玉を撃ちだして敵を仕留める光景ほど、ザ・ファンタジーなものはないだろう。
だが、まず最初に着手したのは水の魔術だ。
予想通り魔術を扱うには魔力の微妙な制御が要求される。
いきなり火の魔術を暴発させたらとんでもないことになるのは想像に難くない。
水の魔術は初級ならば失敗しても被害は少ないであろうし、飲み水を作ることはサバイバルの基本であり制御の訓練にはもってこいだ。
魔術教本に載っているものは、ほとんどが戦闘や特殊な技術に関するものだ。
簡易的な洗浄や着火くらいなら誰にでも扱える安価な魔道具があるので、わざわざ魔法を使う必要はない。
戦闘用くらいしか本の題材にならないのは仕方ないだろう。
理論は教本にほとんど載ってない。
まずは呪文を唱えてやってみろということか。
「よっこいしょ……」
俺は部屋の窓際のベッドに立ち木枠の窓を開けた。
家の裏には広大な森が広がっており、的になりそうな木は十分あった。
俺はその中の一つの木に狙いをつけ初級水魔術を詠唱した。
「露の恵み、天より下り、枯れ果てた大地に潤いを与えしものよ、その理を現せ――“水弾”」
気配というか『気』のような感覚が手の先に集中し、ハンドボールほどの大きさの水の弾が飛び出す。
威力もほぼイメージ通り木全体を湿らす程度だ。
試しに詠唱短縮をしてみる。
「露の恵み、天より下り――“水弾”」
先ほどよりも小さい水の弾が発射された。
だが気になったのはそこではない。
手に集まった気配、恐らく魔力の感覚は先ほどの“水弾”と同じだ。
考えられることは2つ。
魔術により消費魔力は決まっており詠唱短縮をすると威力が減衰する。
もしくは詠唱短縮により魔力に無駄が出てしまったかだ。
100発ほど放ったところで、ふと体全体がだるい感覚に襲われた。
魔力の枯渇かもしれない。
念のため俺は別の本を持ち、読書の途中で居眠りをしたような姿勢をとる。
魔力を使い果たすと気絶するという描写がフィクションではよくあるからだ。
そしてもう一発“水弾”を詠唱する。
先ほどより大分小さい水の弾が手から放出された。
だが、気絶はしない。
だるさは残っているが、風邪をひいた時ほどではない。
その日はいくら頑張っても水一滴出せなかった。
どうやら魔力を使いきっても意識が飛ぶことはないようだ。
ちなみに初級魔術とはいえ最初から100発も撃てるのは異常であるが、俺はそのことを知る由もなかった。
翌日は500発の水の弾を放つことができた。
それに500回の発動の中でつかんだことがある。
最初の“水弾”にはやはり魔力の無駄があったのだ。
今回は『気』をすべて水に変換することを考えながら詠唱したら、昨日の半分ほどの消費の感覚で同じ大きさの“水弾”を作れた。
厳密ではないが、ほぼ2倍の効率になったと言っていいだろう。
それに効率がよくなっただけでなくMPの最大値も上がったようである。
5倍ではなかったが単純計算で昨日の2.5倍には魔力が上がっている。
さらに1週間ほどかけ水の弾の大きさ、速さや軌道などあらゆる制御を試みかなり自由に操れるようになった。
枯渇まで魔力を使いきらなくても魔力量の成長があることを確かめつつ、ただ放つだけでなく“水弾”の細かい操作を試みた。
どうやら詠唱は普遍的な形状にまとめるためのショートカットのようなもので、魔力を制御できればかなり自由度が高い。
もっとも、水を注ぐなど魔法を使うまでもないことなので、詠唱魔術以外が廃れていったことは想像に難くないが。
だが、いずれはこうした自分ならではの制御ができることが大きなアドバンテージになることだろう。
魔法は結局のところイメージでいくらでもその形を変えることができる。
要はこの世界にない魔法を開発したり、既存の魔術を改良したりできる可能性がある。
例えば火魔術にしても核爆発のような術は教本には当然載っておらず、そもそも核分裂の概念が解明されていないのだろう。
それも前世の知識と細かい制御技術を合わせれば作り出せるかもしれない。
まあもっとも、核兵器を作ろうとしたら、いろいろとお終いのような気がするが……。
それから俺は風魔術や土魔術、そして水を張った桶に向かって火魔術の練習をした。
教本によると風魔術にはかまいたちなどの刃物による攻撃を遠距離に行えるようなものから竜巻や衝撃波などのノックバック用、それに“探査”や“浮遊”が含まれるらしい。
土魔術は岩石系の物質を作り出すことも可能だが、地面や物体を瓦解させたり某錬金術師アニメのように、同じような材質のものを連続して生成することに長けているようだ。
“土槍”は地面から鋭利な岩を引き出し、相手に突き刺す技だ。
火魔術は言わずもがな、“火弾”や“火炎放射”をはじめとした攻撃特化の魔術だ。
最初は威力を落として発動したものの桶いっぱいの水を完全に蒸発させてしまった。
もちろん今は調節すればタバコの火をつけることもできるだろう。
そして気になるのはいわゆる強化魔法だ。
俊敏性を強化したりするのは風魔術に近い性質なのかと思ったがどうやら違うらしい。
そもそも腕力や俊敏性を増強するのに詠唱は必要ない。
教本通りに魔力を体に巡らせるイメージをするだけでいいのだ。
しかも魔力を消費した感覚があまりない。
仕組みは詳しくわからないが、“水弾”などの放出系魔術が使えないほど魔力を消費してもある程度使える。
魔法が弾切れでも近接攻撃ができ、逃げることができるというのは素晴らしい。
無属性というのも存在する。
最も一般的なのは“魔法障壁”だ。
“炎壁”や“氷壁”なども防御系の魔法だが、無属性の“魔法障壁”は魔力変換の効率がよく、物理ダメージに対しては非常に優秀な魔法となる。
無詠唱でのイメージもしやすい。
きっと昔の魔術師たちが必死に研究したのだろう。
というわけで、俺は魔法障壁を早めに覚えることにした。
防御系の魔術は覚えておいて損はない。
この時の俺は気づいていなかったが、放出系の魔術と定着系の強化魔法の両方が使えることはかなりのアドバンテージであった。
強化魔法の効率や出力の向上、魔法障壁の形状や耐久力や魔力の効率の訓練は、魔力制御の練習にもってこいなのだ。
こうして俺の魔力量や魔力の変換効率は飛躍的に伸びていくのだが、世間の魔術師の平均を知らない俺は、すでに異常なほどの魔力を持つことを知るのはまだまだ先であった。