198話 開戦
王国軍の本陣に到着しトラヴィスたちと話してから五日が経った。
ここ数日の様子はといえば、それは静かなものだった。
相変わらず公国側からは散発的に襲撃や偵察隊が来るが、それも王都から本隊が到着した今、こちらの防備は深刻な損害を出すほど脆くない。
本隊から前衛に編成された二万からの精鋭部隊は、本陣の中で最も敵に近い東側で歩哨に立ち、強固な防衛線を築いている。
一度、先陣部隊の食糧物資に火をつけようと夜襲を駆けてきた奴らが居たが、トラヴィス辺境伯家の重臣ボウイ士爵の指揮で潜んでいたレンジャーに包囲され、火魔術や火矢を放とうとした瞬間に制圧された。
唯一、俺たちが驚いた出来事といえば、ファビオラが公国側の偵察隊を仕留めたことか。
森の方から俺たちの様子を見張っていた連中を、ボルトアクションライフルを装備した狙撃部隊が倒したらしい。
報告では、ファビオラのスコアは三人をヘッドショットで、他に取り逃がしもなし。
なかなかコスパのいい戦果だ。
「よくやったぞ。さすがは、私の妻だ」
「ふにゃぁ~、ゴロゴロ……フィリップさん、もっと褒めてなのです~」
そして、当の本人はというと、今は天幕の中で堂々とフィリップとイチャついている。
フィリップの野郎は困っているかと思いきや、このスケコマシは当然のようにファビオラを自分の膝に座らせ、彼女の猫耳を寝出ているのだった。
こいつら……。
まあ、暇なのはわかる。
輜重隊の仕事は事務担当のハインツがほぼ片付けており、諸侯軍の戦闘部隊の訓練や管理は今のところアルベルトだけで事足りる。
公国の大部隊が到着するまで俺たちの出番は無い。
東部諸侯のアホどもも黙らせた以上、司令部の仕事もトラヴィス辺境伯に丸投げして大丈夫だ。
しかし、戦時中の本陣で自分の天幕に堂々と女を連れ込むとは……。
フィリップの立場を鑑みれば、彼の専用天幕にもちょいちょい人は訪れるわけでしてね……。
この光景を目撃した人間は、何ともいたたまれない気持ちになるわけだ。
今の俺のように。
俺の後ろから音も無く現れたレイアも、ピクリと眉を動かして苦言を呈する。
「ファビオラ、ちょっとくっ付きすぎじゃないかしら?」
「どうでもいいが……ライフルを用意したの、俺な」
ほぼ嫉妬の感情で物を言うレイアに比べ、俺のツッコミの何と論理的なことだろう。
しかし、ピンク色の空気を醸し出す二人には効いた気配がない。
「レイアさん、妬いてるのです? でもぉ、今のフィリップさんはワタクシのものだからダメなのです」
より一層引っ付いて抱き着くファビオラを受け止め、フィリップは口を開いた。
「レイア、ファビオラは私のために尽くし、素晴らしい結果を出してくれた。称賛し報いるのは当然のことだ。彼女を責めるでない」
「べ、別に! あたしは、そんな……つもりじゃ……」
「すまぬ、許せ。だが、誤解するな。私は決してお前を蔑ろにするつもりは無い。常に私の後ろを守ってくれる最強の魔術師が、聡明で博識で美しい女性だということは……私は誰よりも理解しているぞ」
「フィリップ……///」
レイアさん、ちょっとチョロすぎませんかね?
尖ったエルフ耳を赤くしている時点で、レイアが役に立たないことが判明した。
「さて、レイアは後で可愛がってやるとして……ファビオラ、今はお前のことだ。何かしてほしいことはあるか? 何でも叶えてやるぞ」
「な、何でも!? じゃ、じゃあ! 今夜は、熱い抱擁が欲しいの、です……?」
「ははっ、添い寝か。いいだろう。だが……私も男だからな。その先まで進んでしまうかもしれないぞ?」
「ど、どんと来いなのです」
……俺は無視かよ!
ったく、どいつもこいつも……。
北部への遠征時の俺とエレノアも龍族の戦士たちから生暖かい目を向けられたものだが、ここまで酷くはなかったぞ。
さて、フィリップがあの調子だと本当にやることが無いな。
俺のチェックとフィリップの決済が必要な書類も、今は進めてもらえないだろうし……。
暇なギルド職員かパウルでも捕まえて休憩する(飲む)か?
「ハァ……やってらんねぇ」
しかし、俺が踵を返したところで、慌ただしくフィリップの天幕に近づいてくる足音が聞こえた。
魔力と気配からそれが誰のものかわかったので、俺は足を止めてその人物を天幕の入口で待ち受ける。
「オルグレン伯爵! ああ、クラウスも!」
勢いよく天幕に飛び込んできたのはハインツだった。
軽く息を切らしたハインツは、緊張した面持ちで言葉を続ける。
「公国の軍勢が陣を張り始めました。明日には先陣部隊との衝突になると思われます」
報告を受けたフィリップは、一瞬で表情を引き締めて立ち上がる。
レイピアの剣帯の位置を直しつつも、不安げな表情を浮かべるファビオラの耳を撫でるのは忘れない。
「いよいよだな」
「……ああ」
「予定通りだ。クラウス、出るときは騎乗して私に追従しろ。口上が終わるまで暴れるなよ」
「へいへい」
「レイア……後方の魔法部隊を頼んだぞ」
「うん」
そして、翌日。
総司令のトラヴィスが通達した号令で、俺たちオルグレン伯爵家諸侯軍の戦闘部隊も最前線へと足を向けた。
平原の丘上に俺たち王国軍の前衛隊が集結すると、数百メートルほど離れた位置に公国側の先鋒部隊が並んでいた。
後ろの方は追いついてきた兵士などで少しわちゃわちゃとしているが、先日まで散発的に襲ってきた連中とは違う。
隊列を維持して、油断なく武器を構えた、れっきとした軍隊だ。
奇襲をしてくる可能性は低いが、いざ不意打ちを仕掛けてきたときの厄介さは雑兵の集団とは比較にならないので、“探査”を張り巡らせて警戒する俺も自然と表情が強張る。
そして、向こうの隊列から高そうな甲冑を身にまとい騎乗したオッサンが出てくると、お互いに代表者が口上を垂れる運びとなった。
こちらの代表は、当然ながら我らがフィリップ・ノエル・オルグレン伯爵だ。
散発的な奇襲なんぞしておいて今更だが、少しでも格式を守らないと後に面倒なことになるらしい。
まったく、面倒な……。
「貴様ら王国は、我ら公国の臣民を不当に虐げてきた! 今こそ! 我ら高貴なる公国貴族の剣によって、裁きが下るとき!」
「自国民を虐げてきた者が何を言う!! 貴族至上主義が聞いて呆れる!」
より力強い声で言い返したフィリップは、さらに言葉を続けた。
「私は勇者だ! 王国の、中央大陸の、この世界の守護者だ! 全てを救えぬのは心苦しいが……自ら魔に堕ちた外道が立ちはだかるのなら、斬り伏せるのみ!」
「偽物だ! 貴様ごとき若造が勇者など、戯言に決まっている! それに、魔に堕ちたなど根拠のない戯言を……」
オッサンの方は口から唾を飛ばしながら否定した。
雰囲気だけでも、どちらが優勢かはわかる。
まあ、論破するというよりも……こういうのは堂々と言い切った方が勝ちだな。
「忘れたか? 世界を我が物にしようとする巨悪の魔の手が、すぐそこまで迫っていることを。そのために、わが国も貴国も同胞が被害を受けたことを」
「なっ!? それは、貴様らの陰謀……」
「世界にとってお前たちが害悪ならば……撃ち滅ぼすほかない。旧公国領は圧政に耐え続けた善良な公国の民が、いずれ立て直すだろう」
「ぐぬぬ……青い血の誇りすら失ったか。もういい! 貴様ら王国人を皆殺しにしてやる」
そう言うと、オッサンは馬を反転させて自陣へと帰っていった。
後ろから撃ち殺したいが……それはルール違反か。
面倒くせぇ……。
フィリップもこちらへと戻ってくるが、その前に侮蔑のため息をついて肩をすくめるのを忘れない。
そして、俺の隣にフィリップが馬を並べた直後、敵の指揮官の声が戦場に轟いた。
「進軍開始! 進め!!」
ついに公国軍が動き出した。
盾を構えた歩兵部隊を前面に出し、弓兵と魔法兵の射程内に王国軍を捉えようと、ゆっくりと前進してくる。
数万の人間の兵士の大軍ともなると、なかなかの迫力だ。
王国軍の一部はこちらの指示が通達されないうちに敵が動き出したことで、一部の馬鹿が出遅れたのなんのと騒ぎ出す。
……ああ、東部諸侯の連中か。
そして……。
「並列起動――“火槍”」
俺は炸裂効果をプラスした使い勝手のいい中級火魔術を百発ほど連射した。
半分ほどは前衛の歩兵部隊に降り注ぎ、一部は先ほどの貴族のオッサンと取り巻きをまとめて消し炭にし、残りは後方の弓兵や魔術師を肉片に変える。
王国軍にざわめきが広がり、公国軍の方ではそこかしこで悲鳴が上がった。
そんな俺に、フィリップは微妙な表情を向けてきた。
「貴公……」
「いや、戦闘開始だろ?」
俺の魔術は威力もさることながら射程距離も長い。
特に射出系の魔術は現代の大型火器の感覚で撃っているのだから、数百メートル程度など近距離に入ると言っても過言ではない。
もちろん、普通はそんな距離で一人が魔術を放ったところで防がれるか相殺されるかして終わりなので、魔術師団の運用としてはもう少し近づいてから一斉射撃というのが基本だが……俺は例外だ。
“火槍”を盾や魔法障壁で防ごうとした連中も居たが、漏れなく爆発の衝撃で吹き飛ばされ、破片に体を貫かれている。
並の兵士や魔術師が俺の人殺し専用魔術を防げるはずもない。
圧倒的な火力の違いに恐れをなし公国軍の前衛部隊は大混乱に陥る、と思われた。
「む……」
「まあ、予想通りだな」
俺の魔術で一気に数百人の犠牲を出したものの、公国軍の混乱はすぐに治まり再び進軍を開始していた。
今度は陣形や盾兵の隊列も最初より強固で、魔法障壁の密度も濃いように思える。
先ほどの大将っぽい貴族のオッサンは周囲の兵士共々くたばっているが、すぐに指揮は別の貴族の男に引き継がれたようだ。
「さっきのアホは囮か。まともな指揮をできる奴も控えているようだな。何人か」
普通に考えれば、リーダーが死んだ際に指揮を引き継げる者を用意しておくことなど、軍においては当たり前の危機管理だ。
しかし、貴族至上主義の公国ともなれば、爵位の高い奴を絶対不変のトップとして据えている可能性も否定できない。
実力の無い勘違い馬鹿に限って、自分だけは絶対に安全だと考えているものだ。
そんなわけで、あわよくばバカ大将を潰した隙に蹂躙できないかと考えていたが……そこまで都合よく事は運ばない。
向こうでどういった軍議がされていたかは知らないが、少なくとも大将が討ち取られても戦闘を継続できる準備と、小隊規模の指揮官の確保は済んでいたらしい。
向こうの貴族階級にも少しは頭の回る奴が居るようだな。
「(ひっ……奴ら、怯まないぞ)」
「(どういうことだ!? 大将を討ち取ったのに、敵はまだ動いているぞ!)」
「(どうすればいいんだ!?)」
「(逆鱗に触れてしまった……)」
「(あわわ……み、皆の者、うう狼狽えるでな、ない……)」
妙な雑音を立てているのはどこの連中かと思ったら、東部諸侯のオッサンどもか。
なるほど、こいつらより今の敵の指揮系統の方が優秀だな。
公国軍は無能な大将を失い、今は貴族階級の中でも有能な将校が指揮を執っている。
ある意味、敵の足枷を取っ払ってしまったか?
だが、打開策が無いわけではない
公国軍の指揮を執れる立場に居るということは、臨時の指揮官もある程度の爵位を持つ人間だろう。
「フィリップ、接敵までにもう少し減らすぞ」
「うむ、任せる」
俺は引き続き“火槍”を敵部隊に撃ち込み続け、堂々と声を張り上げて指揮を執っている奴は“プラズマランス”や“落雷”で狙撃していった。
こうしていれば、いずれ敵の有能な指揮官は底をつく。
王国も完全な実力主義というわけではないが、公国はその比ではないくらい身分差別が激しく、用兵の才があっても日の目を見ない者が多いだろう。
要は、選手層が薄いのだ。
俺の予想通り、魔法障壁や肉の壁ごと十数人の指揮官を狙撃したところで、敵軍は統率を取れなくなり隊列が乱れ始めた。