195話 行軍
ついに出撃の日がやって来た。
輜重隊、騎兵隊、斥候および歩兵部隊、非戦闘員。
全ての物資と人員が馬車に積載または騎乗し、オルグレン伯爵家諸侯軍の出立の準備は整っている。
後は総大将たるフィリップの号令を待つだけだ。
「では、エドガー。現刻をもって、お前の諸侯軍編成に関わる指示拘束を解く。私が戻るまでの間、オルグレン伯爵邸において私の名代として留守を任せる」
「承知しました」
恭しく首を垂れたエドガーに頷くと、フィリップは軽い身のこなしで馬車の屋根に飛び乗り抜剣した。
エンシェントドラゴンの牙を吸収したアダマンタイトのレイピアは、まさに聖剣と呼ぶに相応しく神々しい輝きを放つ。
「これより、我がオルグレン伯爵家諸侯軍は王都東に集結し、キーファー公国との国境沿いへ向かう! お前たちの双肩には、この王国に住まう多くの同胞たちの命が掛かっている。だが、案ずるな! 私は勇者だ。我が聖剣は、常にお前たちと共にある!」
「「「「「オオオォォォォォ!!」」」」」
ドワーフの割合が多い運送ギルドの面々の野太い歓声が響き渡った。
馬車の屋根に上って演説をキメるフィリップも、若干緊張しているが精力に満ちた顔をしている。
「門、開けぇ! よし、出陣だ!」
そう言うと、フィリップは妙に気取った仕草で馬車の屋根から飛び降り、しれっと納刀して当主専用の馬車に乗り込んだ。
オルグレン伯爵家は領地貴族ではないので、諸侯軍に義勇兵や冒険者は居らず、メンバーは身内と運送ギルド職員だけだ。
それで大規模な車列を編成できるあたりが、ギルドを掌握するオルグレン伯爵家の凄いところではあるのだが……何を言いたいのかというと、わざわざカッコつけたセレモニーなんぞ執り行わなくてもいいということだ。
皆、ほぼ顔見知りだしさ……。
「とても素敵なお姿でした。……どうか、ご武運を」
「フィリップ、行くのね……。あなたのこと、待ってるわ」
「うむ、お前たちに勝利を捧げるとしよう」
居残り組のカーラとメアリーが、まさにベタ惚れといった表情でフィリップに寄り添っている。
まったく、イケメンが……。
「ん? クラウス! 何をしておる? 早く乗れ」
「……ああ」
騎兵や馬車が次々と正面ゲートを通過する光景を確認し、俺もフィリップたちと同じ馬車に乗り込んだ。
当主専用の馬車を中央に配置し車列を組んだ俺たちは、そのまま行軍とは思えない速度を維持したまま王都東へと進路を取る。
騎馬がへばるペースではないが、普通の馬車であれば間違いなく牽き馬に負担が掛かり、重装の歩兵が居たら脱落者が出てもおかしくない。
運送ギルドから王都外壁沿いまでの短い距離とはいえ、この速度を軽々と維持できたのは、全ての兵員を運べる馬車の数とその高品質な駆動部あってのことだ。
「さて、すぐに王都の集結地点に到着すると思うが……クラウス、それまでの間は貴公の冒険譚でも聞かせてもらうとするか」
「ん? ああ、魔大陸の話だな」
「うむ、通信では事務的な報告程度にしか聞けなかったからな。ハインツ殿に至っては、クラウスが魔大陸に行っていたことすら、つい最近知ったのだろう?」
「ええ、そうですね」
フィリップに頷いたハインツが俺の方を向くのと同時に、レイアとファビオラもこちらへ顔を向けた。
皆、興味津々といった表情だ。
「いいとも。ではまず、向こうの冒険者ギルドの話をしようか。マーカスって奴が居たんだが……」
せっかくの隙間時間、俺は同年代の彼らが面白おかしく聞けるエピソードを思い返し、時折質問に答えつつ魔大陸での任務のことを語った。
そして、数時間後。
オルグレン伯爵家諸侯軍は王都の東側の城壁に集結し、宮廷魔術師団長のヘッケラー侯爵が総司令代行を務める遠征軍に合流した。
街門の外で車列を止め、街道から少し外れた場所で小休止に入った諸侯軍の面々を尻目に、フィリップは俺について来るよう促した。
「クラウス、馬に乗れ」
「おう」
既に予定は聞いている。
俺たちはレイアとファビオラとハインツに声を掛けて馬車から降り、運送ギルド職員が牽いてきた馬に騎乗すると、そのまま街門の方へと馬を向けた。
俺たちの顔は有名なので、周囲の貴族の私兵や冒険者の連中から、移動中もかなりの視線が浴びせられる。
「結構、集まっているな」
「当たり前だ。隣国との戦争だぞ。負ければ領地を失い、多くの同胞が悲惨な目に遭う。皆、家族や友人のために必死なのだ」
中には、見栄と体裁だけのために部下を送った貴族も居そうだが……まあ、突っ込むのは野暮か。
そして、俺たちが街門の正面あたりに到着すると、そこには目的の人物であるヘッケラーが居た。
相変わらず年齢不詳の長い金髪を風に靡かせ、フィリップの軍馬よりも僅かにくすんだ毛質だが高貴な雰囲気の白馬に跨っている。
「馬、似合いますね。師匠」
「ありがとう。クラウス君も……ははっ」
「わかってますから」
軽口を叩いた俺に対し、ヘッケラーは大型馬に乗った俺を見て苦笑いを浮かべた。
確かに、俺に馬は似合わないだろうな。
二人よりもデカい個体に乗っているのにもかかわらず、明らかに俺の方が見劣りする。
勇者と聖騎士二人が集まればそれなりに目立つので、なかなかに晒し者だ。
……別にいいんだ。
普段は自分で飛ぶし、馬に乗るのは戦時中のポーズに過ぎないし……。
「コホン……さて、フィリップ君。そちらで運んでもらいたい荷物というのは、こちらになります」
「ほう……」
ヘッケラーは近くに積み上げられた木箱の山を俺たちに示した。
我がオルグレン伯爵家諸侯軍は普通に公的な輜重隊としての役割を期待されているため、こうして上から特殊な荷物を任されることもあるのだ。
しかし、結構な箱の量だな。
道を完全に塞いじまって……。
王都東側の外壁沿いには、俺たち以外の兵士や冒険者たちも集結しているので、東門は完全に通行止めだろう。
「じゃ、とりあえず俺の魔法の袋に仕舞いますね」
「お願いします」
既に話は通っている。
魔法の袋で箱ごと運ぶだけなら危険は無いことは把握済みなので、俺は躊躇なく木箱を自分の魔法の袋に収納した。
「中身は……機密でしたな」
「ええ、ラファイエット教授から運用は私と宮廷魔術師団に一任されています。君たちに預けるのは、宮廷魔術師団の分隊長単位で使用が許可されているものです。輸送の方、しっかりお願いしますよ」
「お任せください」
「了解です」
こう言ってはいるが、俺たちも中身を大体把握しているんですけどね。
簡単に言えば、呪いの抑制もしくは広範囲を浄化できる魔法陣や魔道具の類だろう。
俺がズラトロクの『聖核』の件を報告した直後、ラファイエットは強力な解呪アイテムを増産してくれたのだ。
『黒閻』の連中が裏で何を仕掛けてくるかわからない以上、警戒は怠れない。
使わずに済めばいいのだがな……。
「さ、もう少ししたら出陣の合図を出しますよ。戻って準備をお願いします」
そんな具合に、俺たち遠征軍は大規模な隊列を組みつつ、ゾロゾロと王都を出発した。
さて、王都に寄ることも無く集結して即出陣の慌ただしさだったものの……遠征軍の行軍はなかなかに長閑なものだった。
まず、敵が来ない。
遠征軍は宮廷魔術師団と王宮騎士団を中心に、法衣貴族や王都近郊を治める貴族の私兵、そして冒険者や義勇兵から成り立っている。
諸侯軍規模ではあるが部隊の大半を輜重隊が占めるオルグレン伯爵家のポジションは、隊列の後方寄りの中ほどだ。
この規模の大軍に襲撃を掛ける盗賊など居らず、ゴブリンなどの知能の低い魔物が襲ってきても、前衛の連中が消し飛ばしてしまう。
さらに、オルグレン伯爵家諸侯軍は輜重隊を主として車列と騎兵のみで構成されているが、他の貴族家から派遣される私兵や冒険者には当然ながら歩兵も数多く存在するので、行軍速度は人間の脚に合わせられる。
それも、明日に疲れを残さないペースを維持する必要があるので、馬車組や騎兵からすれば結構なのんびり具合だ。
そんなわけで、俺たち馬車組は現地に着くまで結構暇なのだ。
もちろん、この距離を重装備で歩く当人たちにとっては、辛い道行に違いないが……。
騎兵を率いて警戒中のアルベルトに悪いと思い、俺も薄く“探査”の魔術を広げて敵に警戒はしているが、果たしてどこまで役に立っていることやら。
「そうそう、クラウス君。私にも魔大陸の話を聞かせてください。任務の報告と魔物のサンプルには目を通しましたが、他にも色々と発見があったのでしょう?」
何故かしれっとオルグレン伯爵家当主の馬車に乗っているヘッケラーが、俺に声を掛けてきた。
筆頭宮廷魔術師で侯爵で聖騎士という軍部の重鎮の同席にハインツが緊張しているが、他の面々は慣れたものだ。
この人は自由人だからな。
俺は先ほどフィリップたちに聞かせていた魔大陸の話を思い出しつつ、被らない内容を探した。
ヘッケラーが興味を持ちそうな話というと、やはりグルメ情報か。
「商売になりそうな資源としては、ガルラウンジにもいくつか目ぼしいものがあったのですが……やはり、サウスポートで水揚げされる海産物は特徴的でしたね。万人受けはしないかもしれませんが、食ってみれば美味いもんでしたよ」
鮟鱇や雲丹など、王国側では食い物として認識されているか怪しい食材も、元日本人の俺にとっては高級食材だ。
中央大陸からは未開の危険地帯という認識しか無い土地だろうが、いざ足を踏み入れてみれば宝の山というのが俺の印象だった。
向こうの料理の話に関しては、ヘッケラー以外も思いのほか興味深そうに耳を傾けている。
「『死の森』に自生している植物資源に関しても、質はいいので有用だと思います。龍族の里で聞いた話ですが、木材は頑丈で腐食しにくい素材らしく、わが国でも高級建材として需要が見込めるかと。あと、森に自生する果実類ですが、大きさが桁違いで味の素晴らしかった」
「ああ、例の巨大なフルーツ類ですね」
「ええ、龍族の里で聞いた話ですが、他の大陸の人間が食べても特に健康被害は無かったそうです。俺も食べましたがこの通り何ともありませんし、毒性物質の反応も見つかりませんでした」
とはいえ、実際に王国で流通させるには色々と障害も多い。
俺たちが『死の森』の資源を普通に手に入れられるようになるのは、もう少し先の話かな。
「まあ、どちらも王国まで持ってくるとなると、まずあの環境から生きて帰って来れる人間が必要になります。当面は、コストが割に合わないと思いますがね」
「だが、美味なのであろう? ならば高級品や嗜好品としての需要はあるのではないか?」
「そうですね。確か、レイアさんの聖結界の魔法陣を起動し続ければ、強力なアンデッドの接近を防げたのでしたね。対策ができる以上、手を出さないという選択肢はないですね」
フィリップとヘッケラーの二人はお気楽なものだな。
夜の『死の森』のアンデッド対策はそれでいいとしても、そもそも普通に出てくる魔物が強力過ぎて、普通の冒険者では手に負えない。
仮に王国から人を送るなりアイテムを送るなりして、『死の森』の資源を確保したところで、こちらでの価格がいくらになってしまうことやら……。
まあ、俺としては自分の分は確保したし、必要なら輸送ルートを開拓していくだけだな。
「うちで調達事業に着手するかどうかは、需要とコストのバランス次第ですね。まずはランドルフ会頭含め色々な人間に味を確かめてもらって、市場価格を設定していくことから……って、おいおい……」
試食の話が出た途端に、馬車の中の全ての視線が俺に集中した。
その言葉を待っていたとばかりに、ヘッケラーだけでなく全員が俺を見据えている。
こいつら……現金だな。
通信水晶で巨大フルーツの話を伝えたときは、まったく見向きもしなかったくせに。
まあ、フィリップは本当なら俺と一緒に魔大陸へ行きたかっただけに、フラストレーションも溜まっているのだろう。
「しゃーねぇな。カット済みのやつを少し出してやるよ」
「すみませんねぇ、クラウス君」
「気が利くな」
「ありがたく、いただくわ」
「さすがなのです、クラウスさん」
「じゃ、遠慮なく……」
格子状に切れ目を入れて皮を反転させた一メートルサイズのマンゴーを出すと、馬車の中の面々が蟻のように一斉に群がった。
行軍中に俺たちだけ贅沢なものを食べるのは気が引けるが、このくらいはいいだろう。
メアリーたちやアルベルトには悪いが、現地では忙しくなる分、英気を養わせてもらおう。
「魔大陸にはこんなものが眠っていたのですね。しかし、王国で手に入れられるようになるのは、戦争が終わるまでお預けですか……」
「そうですな。流通は最低でもクラウスが元の仕事に戻れる状況次第かと……」
本当にお気楽な奴らだ……。
しかも、ちゃっかり俺に調達ルートの開拓を丸投げする気だし。
だが……何だかんだ、こうして軽食を摘まみながら仲間たちと和やかに話していると、俺はようやく自分の国に帰ってきたことを認識する。
後は、ここにエレノアが居たら……。