193話 親心兄心
「すみませんでした。色々と嫌なものを見せちまって」
「いやいやっ! クラウスが謝ることじゃないよ」
「うむ、謝らなければならぬのは、寧ろこちらの方だ」
血の海となった会議室の始末をキャロラインたちに丸投げした後、俺は待たせていた父アルベルトと次兄ハインツを迎えに行き、そのまま二人をミゲールのスイーツ店に連れてきた。
二人は特に甘党というわけではないが、王都で落ち着いて話をするとなると決まってここだったので、
しかし……お互いに頭を下げ合うような有様で、一向に話が進まない。
まさか、実の家族とこのような展開になるとは、前世では予想だにしなかったな。
何はともあれ、うちの両親や兄弟が宮廷のクソどものせいで被害を受ける心配は、当面無くなったと見ていいだろう。
フィリップやリカルド王たちも気に留めてくれたし、キャロラインが対応してくれた。
……キャロラインの最後の態度に関しては、色々と気掛かりなこともあるが、今はこちらのことだ。
取り急ぎ、ここに居る父と兄は領地に戻ってもらう。
俺はもうすぐ王国東のキーファー公国との国境沿いの戦地に赴く。
まずはそこら辺の後始末をしなければならない。
「帰りの馬車は俺が責任を持って手配します。それまでの王都への滞在は、こちらで宿を紹介します。オルグレン伯爵家に滞在したいただくことも不可能ではないと思いますが……何分このような状況で、すぐに発たなければならないのでご理解ください」
俺も運送ギルドの幹部なので、馬車一台くらいの融通は利く。
準備ができるまでは、俺が王都中心部に来たときの定宿『ワイバーン亭』に泊まってもらえばいいだろう。
問題は強いて言うなら『ワイバーン亭』の格か。
あそこは冒険者や学生を主なターゲットにした安い宿だ。
父や兄の普段の生活を鑑みるに、宿で文句を言うほど贅沢ではないと思うが、世間体というものがあるわけで……。
まあ、大部屋に雑魚寝するような本物の安宿ならともかく、『ワイバーン亭』ならギリ大丈夫か。
俺が食材を差し入れれば、食事に関しては高級宿以上のものが出てくる。
どうせ宿には俺が案内しなければならないので、お土産代わりにいい肉を渡してやろう。
しかし、そんな具合に俺が父と兄の厄介払いにも等しい対応を考えていると、不意にアルベルトが口を開いた。
「クラウス、そのことなのだがな……」
アルベルトの目配せにハインツが頷く。
俺と合流するまでに、何か二人で決めた話があるらしい。
俺は一旦思考を止めて、二人の言葉に耳を傾けた。
しかし、続いてアルベルトが発したのは信じられない言葉だった。
「私たちも、公国との戦争に参加しようと思う」
俺は耳を疑って父に尋ねた。
「それは……俺と一緒に出撃するということですか?」
「それが最も望ましいと考えている」
真顔で返答するアルベルトに、俺は苦笑いしながら尋ねた。
「正気ですか? こう言ってはなんですが、盗賊退治や貴族家同士の紛争とは違いますよ」
「慌てるな、クラウス。そういうことを言っているのではない。もちろん、うちの領地で諸侯軍を編成してほしいというのならば、そうするが……」
「足手まといは要りません」
「だろうな」
俺の故郷でもあるイェーガー士爵領は比較的フロンティア寄りの危険度が高い地域なので、領民たちも野生動物や低ランクの魔物に後れを取らないくらい屈強だが、それもあくまで一般的な基準での話だ。
精々、狩人が中堅の冒険者並の力を持つ程度、騎士団とは名ばかりの警備隊が王都の兵士や騎士と渡り合える程度だ。
当然、俺たち聖騎士のような規格外の前には物の数ではない。
それは父も重々承知しているようで、俺の返答にあっさり頷いた。
「領地は長男のバルトロメウスに任せる予定だ。お前に同行するのは私とハインツ。私たちをオルグレン伯爵家諸侯軍の司令部に組み入れてもらいたい」
一瞬、安全な後方に形だけ籍を置き、ハク付けために同行したいのかと思った。
一部の穀潰し貴族の妄言が主とはいえ、イェーガー士爵家に色々とケチがついたことは事実だ。
挽回のためといえば聞こえはいいか。
だが、それならわざわざオルグレン伯爵家諸侯軍に参加する必要は無い。
王国軍の総司令部か後方の護衛部隊に俺のコネで役職を持てばいい。
有象無象への牽制のための実績などそれで十分だ。
「言ってる意味、わかってますか? 運送ギルドとしては輜重隊の意味も大きいですが、フィリップ……オルグレン伯爵は勇者で、俺は聖騎士です。うちらは最前線に出るんですよ」
「承知の上だ。別に功績が欲しくて言っているのではない。私たちの役割は、あくまで、お前が動きやすいように補佐することだからな」
ハインツも父の言葉に頷いている。
どうやら、純粋に俺を手伝ってくれるつもりのようだ。
とはいえ……どうしたものか?
父は近衛騎士レベルの剣士だが、俺と比べたら戦闘力の差は歴然だ。
彼一人が加わったところで何の足しにもならない。
寧ろ邪魔だ。
ハインツに至っては、最早前線には近づかないでほしい程度の戦闘力しかない。
俺はため息をつきそうになったが、さすがにこの二人が何の考えも無しにここまで言うとは思えない。
俺が二人の思惑を聞く態勢に入ると、ハインツが話し始めた。
「クラウス、諸侯軍では当主を大将に据えつつ代将を立てるのが一般的だ。名目上でも、代将には従士長など家臣の筆頭格が就く。オルグレン伯爵家諸侯軍ではクラウスの役目だね」
指揮官というより旗印だな。
「こう言ってはなんだけど……今回のクラウスの相手は人間の軍隊で、色々と制約も多い国家紛争。オルグレン伯爵の護衛をして、自分も敵を殲滅して、そのうえで本来の代将の仕事が務まるかい? 分隊規模の前線指揮はともかく、大軍の動きを見る訓練なんてしていないよね? それに、聖騎士で将軍でもあるクラウスに頼るのは、オルグレン一門の人間だけじゃないよ。指揮官を失った部隊、当主率いる本隊と逸れた諸侯軍、散開して戦闘を行う冒険者。皆、いざというときは君に指揮権を委ねてくる。クラウスは、出自も職業も違う大勢に的確な指示を出せる? その後の処理を全て一人でこなせると思う?」
「…………」
「父様には副将としてクラウス直属の部隊長、僕は伝令や管理の業務も兼ねて参謀かな。要は雑用係みたいなものだけど、居れば助かるでしょ?」
父アルベルトは元王宮騎士団の将校で中隊規模の指揮経験がある。
ハインツは専門教育こそ受けていないが、文官として普通に通用する程度には学がある。
で、オルグレン一門から従軍するのは、フィリップと俺とレイアとファビオラの四人、あとは俺がほとんど名前も覚えていない運送ギルド職員だ。
エドガーやロドスは当主不在の邸宅を任され、カーラとメアリーも連絡係を兼ねて留守番である。
戦えて兵の統率も可能な万能型の重臣が居残り、文系の連中は前線まで出さない方針だ。
当然、龍族の戦士団をまとめていた優秀な指揮官エレノアは俺の傍に居ない。
言われてみれば、アルベルトとハインツはまさに遠征部隊で欠如している要員そのもの、痒い所に手が届く存在だ。
俺の親族という背景によっても声が届きやすくなるはずなので、父と兄はその才を如何なく発揮してくれるだろう。
二人が手を貸してくれるのは助かる。
だが……。
「父上、運送ギルド職員は皆単独で輸送任務と馬車の防衛をこなせる優秀な人材です。指揮系統の充実は急務ではない。また、うちの指揮下以外の連中に関しては、そもそも責任など無いので、くたばったところで俺の知ったことじゃありません」
俺はアルベルトの反応を確認せずハインツに向き直る。
「ハインツ兄さん、戦時下では確かに俺の手に負えない混乱も起きるでしょうが、あなたくらいの文官なら王都にいくらでも居ます。父上と同じく、補給と敵の殲滅を担うオルグレン伯爵家諸侯軍にとって、必須な人材というわけではありません」
結論はこれに尽きる。
俺やフィリップのようなこの局面に必要不可欠な存在ではなく、代わりの人材も集めようと思えば集められるのだ。
わざわざ、父と兄を危険に晒す必要も無い。
それはハインツも理解しているらしく、重々しく頷きながら口を開いた。
「そうだね。確かに、僕たちは聖騎士や勇者ほど戦局に寄与することはできない。はっきり言って、君たちより存在価値は低い。でも……」
ハインツはさらに言葉を続けた。
「信頼できる家族が味方に居る。これだけでも十分じゃないか?」
「…………」
「僕たちが居れば、クラウスは一部の業務を丸投げして仕事を効率化できる。無駄な警戒も必要ない。僕たちにはクラウスの足を引っ張ろうなんて考えは無いからね。いざとなれば、クラウスとオルグレン伯爵が全てを決定できる。悪い話じゃないと思うけど?」
あまりにもストレートなハインツの言葉に、俺は思わず黙ってしまった。
本当に、善意だけなんだな……。
二人はじっと俺を見据えて沈黙を保っている。
こちらが口を開かない限り進展は無いと察した俺が選んだ行動は、何とも間の抜けた疑問を発することだった。
「……何故、そこまでしてくれるのです? 俺は家を出て独立しましたが……それでもオルグレン伯爵家の家臣、上級貴族の関係者です。面倒な柵からは抜け出せていないのですよ」
剣術にも魔術にも秀でた三男の俺は、故郷に残れば必ずお家騒動の原因になると思った。
故郷から離れて身を立てれば、実家が絡む厄介事は未然に防げると思っていた。
だが実際のところ、去年のヒルデブラント男爵の件然り、今回の召喚状の件然り、俺は自分の周りのことで実家に迷惑を掛けている。
家族は俺を責めるつもりは無いようだが、こうして親兄弟から尽くされる覚えはない。
微かに残る前世の記憶が確かなら、無償の愛に繋がるレベルの情に関して、血の繋がりが絡む要素など大したものではない。
親子間でも僅かな虚栄心と身勝手さが生涯に渡る確執を産み、兄弟の仲が上手くいく可能性など同年代の他人と変わらない。
恨まれても疎まれても不思議ではない俺に、何故これほど気を遣ってくれるのか?
しかし、父と兄は軽く顔を見合わせて苦笑いし、俺に向き直った。
「元々、お前は冒険者か商人として身を立てるつもりだったな。領主の直系に生まれてその価値観をどう身に着けたのか、私には理解できないが……少なくとも、お前の存在を疎んだり迷惑だと思ったりしたことは一度も無い」
「それに、クラウスにはずっと世話になってたからね。魔法学校に行く前もそうだけど、去年はバルト兄さんはじめ僕たちのために散々骨を折ってくれただろ?」
ここに齟齬があることは十分理解した。
ヒルデブラント男爵の件が悪い方向に拗れなかったことは幸いか。
しかし……。
「それで泥沼の戦場の最前線に連れていかれるのは、些か割に合わないのでは?」
「いや、お前が考える以上に、私たちはお前から恩を受けてきた。親として何かをしてやるなら今しかない。これは兄としてハインツも同じ気持ちだ」
アルベルトの言葉にハインツが頷いた。
そして、俺が反論の言葉を探し終える前に、アルベルトは再び口を開いた。
「ああ、それとだな……」
「?」
「ようやく春が来た息子に、無茶をさせないためにな」
「っ!」
魔大陸を後にしてなお、エドガーとロドスに勧められた酒をがぶ飲みしてなお、俺の心に刺さり続けるエレノアとの思い出。
後悔するとわかっていて、それでも俺は彼女を連れて来なかった。
今もエレノアのことを考えるたびに胸が痛くなる。
彼女のことは一言も語っていないのに、父は何故か俺の胸を埋め尽くす悲哀と未練を見抜いてきた。
「いい人を見つけたのだろう? 愛する人を残して死ぬなど、男として一番やってはならぬことだ。我々が居ればお前は自由に動きやすくもなろうが……後ろに守るものがあれば、自らを軽んじることもできまい」
「何故……?」
「これでも親だ。わかるさ」
そんな具合に俺と家族の会話は終わった。
最終的に、俺は父と兄の両方から丸め込まれ、二人をオルグレン伯爵家諸侯軍に組み込む話をフィリップに持って行く羽目になった。