192話 惨劇の後で
「大分、荒れているな」
王城の一室で、リカルド王はため息とともに呟き、同じ机を囲む面々を見回した。
同席するのは先ほどの会議室に居た面々の中でも特に王の信の厚い者たち、宰相のデヴォンシャー公爵に筆頭宮廷魔術師のヘッケラー侯爵に近衛騎士団長のニールセン侯爵、そして当代の勇者ことオルグレン伯爵だ。
先ほど血の雨が降ることになった会議室に代わって、いつもなら略式の謁見の間として使う場所を急遽整えさせたわけだが、明らかに軍議を続ける空気ではない。
居心地の悪いままリカルド王が言及したのは、やはりというかクラウスの件だ。
クラウスはこの状況を作った当人でもあるわけだが、生憎この場には不在なので、代わってフィリップがリカルド王に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いや、そなたが謝ることではない、オルグレン伯爵。イェーガー将軍は反逆予備罪に該当する者どもを粛清した。それが、あの部屋で起こったことの全てだ」
「はっ、仰せのままに」
対外的にはそれで通す。
リカルド王の意思を汲み取ったフィリップは、それ以上何も言わなかった。
そして、リカルド王は上っ面の話は終わりとばかりに姿勢を崩して手を組み、僅かに身を乗り出して話し始めた。
「さて……取り急ぎ、イェーガー将軍の事情について確認したい。年の割には妙に冷静で慎重な男だと思っていたが……ああいった振る舞いに至るのに十分な何かがあったのであろう?」
机を囲む面々の視線はフィリップに集中する。
ヘッケラーも通信水晶でクラウスと話してはいたが、帰還後のクラウスと真っ先に接触したのはフィリップとオルグレン伯爵家一門であり、そちらの話から聞くべきだと判断したのだ。
「私も直接聞いたわけではありませんが……魔大陸に恋人を残してきたらしいのです」
「ほう」
「何と!」
クラウスはエレノアのことをフィリップたちに詳細に報告してはいない。
しかし、オルグレン伯爵家の女性陣による勘繰りはフィリップの耳にも常々入っていたので、ある程度の察しは付いているわけだ。
「(やはり……)」
「ん? カーライル、どうした?」
「ああ、いえ……娘も同じ予想のようで……」
思わず漏らした呟きをリカルド王に拾われたデヴォンシャー公爵は、額の汗を拭きながら返答した。
つい先ほどクラウスと面会したキャロラインと話したデヴォンシャー公爵だが、彼女が言葉少なに語る内容と醸し出す剣吞な雰囲気は、彼の胃が痛くなるのに十分なものだった。
お門違いとはわかっているものの、デヴォンシャー公爵としてはクラウスに恨み言の一つも言いたくなる。
「相手は龍族の方、ですね?」
「ええ、十中八九そうかと。あいつは魔大陸でほとんどの期間を龍族の戦士長の家に滞在して過ごしていたとのことです。どうやら、その戦士長というのが奴にとって魅力的な女性だったらしいのですが……」
ヘッケラーの問いに答えたのはフィリップだ。
語る内容は類推と婚約者たちの邪推の受け売りだが、信憑性よりもその衝撃的な内容に会議室の面々は驚愕する。
「あの龍族の一番の戦士といい仲に……雷光のは何とも傑物だな」
ニールセンの言葉が全てを物語っている。
龍族と言えば、魔境に住む伝説の狩人兼傭兵として名高い種族である。
口さがない言い方をすれば、要は半ば化け物扱いだ。
実際の強さでいえば、聖騎士を凌ぐほどの力量を持つ者は多くないが、やはり植え付けられた印象というのは拭い難いものだ。
そんな人外集団の戦士長ともなれば……リカルド王たちが想像するエレノアの風貌は、とてもではないが本人に伝えられるものではない。
「しかし……そういう事情があったわけですか。ある意味、納得ですね」
「ん? 何がだ? 白魔の」
何か合点がいったようなヘッケラーの様子に、ニールセンが疑問を投げかけた。
「いえね……クラウス君には開戦のことを伝えた際に、龍族の援軍を連れて来れないかと聞いたんですよ。ちょうど、サウスポート周辺の治安の件が一段落したという報告を受けていたときですね。御覧の通り、彼らを雇うことは叶わなかったわけですが……」
ヘッケラーたちの言葉にフィリップがしばしの逡巡の後に頷く。
その時の通信では、ヘッケラーだけでなくフィリップも同席していた。
龍族を傭兵として雇うという案に関しては、『死の森』の守護者という彼らの立場と王国までの距離や拘束期間などを鑑みて、結局は流れたわけだが……ここまでの話を聞いて、クラウスにどのような思惑があったのかを理解できない者は居ない。
「ふむ……雷光のは愛する者を巻き込まぬように、自らの裁量で派兵要請の件を握りつぶした、と」
「ええ、そういうことでしょうね」
ヘッケラーとニールセンのやり取りにフィリップは些か顔を強張らせたが、それを見て取ったヘッケラーは諭すように言葉を掛けた。
「ああいえ、別にそれを咎めようというわけではありません。龍族に援軍を要請するというのは、クラウス君への正式な指示ではありませんし、王国への害意のもとに判断が下されたと捉える証拠もありません。命令違反や反逆にはなりませんよ。そうですよね、陛下?」
「うむ、そのような些事で責任を追及するつもりなど毛頭ない。安心するがよい」
「……はっ」
恐縮したように頭を下げるフィリップに頷き返し、リカルド王は言葉を続けた。
「今更言っても仕方のないことだが、公国との軋轢をもっと上手く処理できていればな……」
「今の王国は、とてもではないがクラウス君が愛する女性を連れて帰れる場所ではないのでしょう。結果的に、私たちは不始末に巻き込む形で、クラウス君と恋人の仲を引き裂いてしまったわけですか……」
「身も蓋も無い言い方だが、白魔の言う通りですな」
「宰相としては、王国のことを優先してくれたイェーガー将軍に感謝しなければなりませんが、何とも……」
クラウスの感性からして、国への忠節や権力への臣従といった思考が希薄なことは、この場に居る全員が察している。
情を抜きにしても、クラウスの戦闘力とそれによって戦局に貢献する度合いを鑑みると、今のタイミングでクラウスに対してこの仕打ちは下策と断じざるを得ない。
たとえ、それがこの場に居る人間たちの意図したところでないにしてもだ。
何せ、クラウスにとっては、国などケツ拭き紙のように捨てて代用品を探しても構わない存在だ。
今の立場や地位に固執せずとも、金を稼いで生活基盤を手に入れられる。
それが、クラウスと他の軍人や貴族との大きな差なのだから。
「あの男が身を固めてくれるだけでも朗報と思ったが……ままならぬものよな」
リカルド王の言葉にまともに答える度胸のある者はこの場に居なかった。
「そういえば、カーライル。将軍の父親……イェーガー士爵の件は抜かりないな?」
「はい、ヒルデブラント男爵家や『フェアリースケール』の件においてイェーガー士爵家に落ち度が無いことは、陛下直々のお達しということで処理通達を行います。ですが……」
「余らしくない、か?」
「……恐れながら」
元はといえば、軍務局の公式記録という疑う余地のない事実に、宮廷貴族がケチをつけてきたことが始まりだ。
本来はリカルド王の口添えなどを必要とするものではないが、敢えて沙汰を下すことで、有象無象が身分を振りかざしても突つくことができないよう対策を打ったわけだ。
とはいえ、国王直々のお達しというのは、この部屋に集まる者たちにとってそう軽いものではない。
意図したところでないにせよ、それに伴う影響も大きいのだ。
今回の例で言えば、クラウスの実家へ責を問うことに僅かでも賛成の意を示した者たちは、軒並み糾弾され何らかの処罰を受けることとなる。
あまり乱発できない力業を使ったに等しい。
「名より実を取る。泰平の世において、余の姿勢は一貫している。イェーガー将軍に対しても、有象無象に対しても」
「はい、重々承知しております」
馬鹿とハサミは使いよう。
それを実践できる才覚を自負していたからこそ、リカルド王は今まで件の宮廷貴族のような連中にも強硬策を用いず王国を治めてきたのだ。
そういう意味では、圧政を敷いて王国の名を貶めたりしたわけでもないのに、一部の貴族を激しく糾弾し一方に大きく肩入れするという状況は、リカルド王にしてはひどく珍しい。
「こんな状況だ。優先順位はきちんとつけなければならぬ。王国の存亡を賭けた戦いで、イェーガー将軍の寄与する割合はあまりにも大きい。それを守るためには、時に些末な利益を捨てることも非情な決断も必要というわけだ」
これも一つの合理的判断に過ぎない。
そう言われては、宰相はじめ王国の重鎮たちも何も言えなかった。
後に損害を出したとしても、この時点で国王の判断がなされた以上、それは絶対で誰が何と言おうと正しいことなのだ。
「些かわざとらしいかもしれぬが、何ならイェーガー士爵が領地へ帰る際には騎士団から護衛を派遣してやれ。少なくとも、こちらがイェーガー将軍に報いるつもりがあることの意思表示にはなろう。余もイェーガー将軍同様、回りくどいのは好かぬが……おや、あの唐変木と気が合いそうな点を見つけてしまった」
リカルド王の皮肉っぽい冗談に一同が笑いを返した。
しかし、リカルド王の指示に一旦は了解の意を返したものの、近衛騎士団長のニールセンは難しい表情を浮かべていた。
「ロベルト、どうしました?」
「ん? ニールセン、何か問題でもあるのか?」
真っ先に彼の表情に気付いたヘッケラーと続いて疑問を投げかけてきたリカルド王に、ニールセンは相変わらず難しい顔で返答した。
「いえ……ただ、某は王宮騎士団に居た頃のイェーガー士爵を、少々知っておりましてな。どうも、もう一波乱あるような気がして……」
ニールセンの一言に一同は顔を見合わせる。
「イェーガー士爵は思慮深く話の分かる人柄だと思いますが?」
「間違いないでしょう。息子の……クラウスの栄光にかこつけて浅ましくお零れを狙うことも無ければ、我々に妙な要求をしてくることもありませんでした」
「それは理解している。だが、家族のためには後先考えずに行動する気概もあってな。奴が結婚したときも、指揮官にもかかわらず明日で騎士団を辞める辞めないの、ひと騒動が起こった記憶がある。息子がこれから戦地に赴き、しかも相手は因縁の公国軍。どうも、あのまま引き下がってくれる気がしないのだ……」
そして、このニールセンの予想は、意外なところで的中することとなる。