191話 粛清?再び
「失礼します。アルベルト・イェーガー士爵をお連れしました」
「えっ!?」
歯がみする宮廷貴族を無視しつつ俺の魔大陸の任務に関する話が粗方終わったところで、外の警備兵から声が掛かった。
彼から発せられた思いがけない名前に、俺は驚愕の表情で振り向く。
聞き違いでなければ、俺の父親の名前だったはずだ。
「クラウス?」
「いや、知らんぞ」
フィリップは俺に疑問の表情を向けるが、俺は首を横に振って答える。
俺が呼んだわけではないと理解したフィリップは、怪訝な表情で顎に手をやった。
まあ、そもそも帰還報告どころか魔大陸に行くことも実家には伝えていないからな。
関係が悪いわけではないが、あまり頻繁にやり取りしてもいいことが無さそうなので、お互いに深くは干渉しないようにしているのだ。
去年の『フェアリースケール』の一件では、図らずも巻き込んでしまう結果となったが……。
「失礼しま……へ、陛下!?」
「え!? どういうことです? って、クラウス!?」
入室してきた男は、確かに俺の父アルベルトだった。
その後ろには次兄のハインツも居る。
二人ともリカルド王がここに居ることすら知らなかったようで面食らっている。
それに、ハインツの反応を鑑みるに、どうやら俺を訪ねてきたわけでもないらしい。
皆が混乱していると、ヘッケラーが代表してアルベルトに声を掛けた。
「イェーガー士爵、クラウス君から聞いた話では、あなたの領地と王都は気軽に行き来できる距離ではなかったはず。一体、どうしたことでしょう?」
「はい、実は……召喚状が届きまして」
「召喚状?」
俺の質問に、アルベルトの目配せを受けたハインツが、一通の手紙らしきものを取り出した。
俺が受け取り、フィリップ、ヘッケラー、リカルド王の順番で回して目を通していく。
差出人はいくつかの貴族家の連名だった。
その時、一人のメタボ体型の貴族が声を上げた。
「(そうだった。あいつを呼びつけていたのだった。)おい! イェーガー士爵! 遅いではないか!」
「……はっ、申し訳ありません」
アルベルトは一瞬戸惑ったが、素直に頭を下げて謝罪した。
どうやら、あの傲慢な豚っぽい宮廷貴族が差出人の一人のようだな。
何のつもりか知らないが、豚貴族は勝ち誇ったような表情で演説を始めた。
「陛下、魔大陸云々の話よりも先に片付けなければならない案件があります。公国との関係に亀裂が入った経緯に、このイェーガー士爵家が深く関わっていることはご存知のはず。百歩譲って、公国と共同戦線を張り国賊を仕留めたこと自体はよしとしましょう。ですが、このイェーガー将軍の血筋に連なる者どもは、盗賊を捕まえる気安さで、周辺各国との関係性に亀裂を入れかねない繊細な事案を表沙汰にした張本人です。実際、その問題によって開戦に至った。いわば一連の騒動の元凶。しかも! その過程において男爵家を一つ断絶させる始末。その責任は到底うやむやで済まされるものではありません」
「確かに、信賞必罰とも言いますし、まずは功績よりも追及すべき責任の所在を明らかにしませんとな」
「少なくとも、イェーガー士爵家の所業が咎を受けず功績だけ認められるなど、世間は納得しませんよ」
「イェーガー将軍、武官のあなたに高度な政治的判断ができるとは我々も期待しておりませんが、だからといって横暴が全て許されるものではありませんぞ」
「あなたはこの親族の不始末の責任をどう取るおつもりか?」
「監督責任という意味では、イェーガー将軍を召し抱えたオルグレン伯爵にも責を問う必要があるかもしれませんな」
大体、話は見えた。
うちの実家は貴族としては最下位の士爵家。
ここにいる宮廷貴族の連中は、ボンクラとはいえ爵位はアルベルトより高い奴が多い。
王国貴族は基本的に全て国王の臣下ではあるが、やはり爵位による上下関係はある以上、呼び出されれば応じないわけにはいかない。
で、俺が帰ってくる前にアルベルトを呼び出して、一方的に糾弾しようという腹だったのだろう。
爵位を振りかざせば、言いがかりを無条件に認めさせることも容易だと考えたに違いない。
そういえば、俺の実家に開戦の責任を押し付けようとしている宮廷貴族が居るとフィリップから聞いたな。
フィリップの勧め通り、機を見てリカルド王に直接話そうと思っていたが……俺が居ない間に裏では随分と下らない工作が進んでいたようだ。
今更、去年の『フェアリースケール』とヒルデブラント男爵家の件を持ち出してくるあたりが何とも……。
こちらにとって予想外だったのは、フィリップたちが連中の動きを事前に潰せなかったことだが……これが政府の公式な召喚状を作成する手続きを通してのことだったらヘッケラーやフィリップあたりが対処してくれただろうが、さすがに貴族個人の文書までは把握できないか。
そんなものには従う必要すら無いのだが……やはり貴族としては最下級の士爵である父からすれば難しい話だろう。
アルベルトが今到着したのは不幸中の幸いだった。
俺やフィリップたち抜きで宮廷貴族どもと会われたら、父や兄がどうなっていたかわかったものじゃない。
さすがに連中の言い分が全面的に認められることはないだろうが、妙な供述書にサインでもさせられて面倒なことになっていた可能性はある。
とことん不愉快な連中だ。
人が仕事をしている間、こいつらは安全な場所で俺の親族に嫌がらせをする準備をせっせと整えていたわけだ。
むしろ、魔物や公国軍よりも厄介な敵じゃないか。
こいつらのやっていることは、後ろから刺してくるのと同じだ。
「陛下、一つ聞いてもよろしいですか?」
「……許す」
「この連中は対公国の戦力としてどれくらい使えるので?」
俺が静かに問いかけると、リカルド王は僅かに諦めたような表情を浮かべてため息をつき、俄かに騒がしくなった宮廷貴族たちの方へ向き直った。
「……イェーガー将軍はこう申しておるが、そなたたちはどう思う?」
「なっ!? まさか……我々に前線へ行けと!?」
「わ、私たちは……下々の者を直接使役する立場にはなく……」
「確かに、陛下に剣を捧げて戦うことは貴族の誉れでしょう。ですが、我々の能力は何も戦場だけで活かされるものではありません」
「そうです! 私たちは人の上に立ってこそ力を発揮できるのです」
あまりにも見苦しく狼狽えてなお傲慢な物言いをする貴族たちに、さすがのリカルド王も呆れの表情を隠さなかった。
念押しするように、王はさらに口を開いて一言添える。
「戦時下にあっても、そなたたちはここ王都でこそ活躍できると申すか?」
「その通りでございます」
「我々は剣を振るうしか能が無い蛮人ではない」
「私たちの能力は、もっと総合的なものなのです」
我が意を得たりとばかりに言い募る豚どもだが、リカルド王の冷ややかな目に気付いていないあたりが何とも言えない。
「だ、そうだ。イェーガー将軍」
「捕捉しますと、皆さんは法衣貴族ですから諸侯軍を派遣してはおりません。当然、フィリップ君のように自ら戦ったり私兵を率いたりすることもありませんよ」
ヘッケラーの言葉にフィリップが頷く。
「ヘッケラー侯爵! 単純に考えすぎですぞ!」
「戦争とは、ただ目の前の狼藉者を斬ればいいという話ではない」
「そうです。食い詰めた盗賊を処刑するのとはわけが違いますからな」
「貴殿らには理解できないかもしれぬが、上には上の事情があるのだ」
「やはり、陛下には我々のような大局的に物事を見て助言する存在が必要で……ォガッ!!!!」
ヘッケラーに絡んで都合よく話の方向を捻じ曲げようとしていた貴族の言葉は、最後まで紡がれることは無かった。
最後に口を開いた宮廷貴族の体は、力が抜けたように崩れ落ち椅子から転倒した。
転がった死体に首は付いておらず、部屋の中の数人が視線をやった壁には血痕と肉片がこびり付き、その下には歪に潰れた貴族の頭部が転がっている。
それを見た宮廷貴族の数人は、か細く悲鳴を上げながら過呼吸のような症状を呈し、俺に怯えた視線を向ける。
当然、あの豚の頭部を潰しながら首から刈り取ったのは、俺の回し蹴りで叩きつけられただドラゴンボーン鋼のグリーブだ。
「クラウス……」
「もう、うんざりなんだよ」
こちらを見るフィリップにまでつっけんどんに答えてしまったが、この一言に尽きる。
パブリックエネミーとの因縁、隣国との戦争に聖騎士および将軍の立場、そしてエレノア。
これ以上のものは背負えない。
一歩間違えば自分が命を落とす環境で戦い、そのうえで嫌がらせをしてくる暇人を同じ土俵でやり過ごし続けるなど、俺にはそんな器用な真似は無理だ。
「てめぇらみたいなゴミは、消してもまた同じようなのが湧いてくる。何人か殺したところで、この国は変わらない」
リカルド王は苦い顔をするが、これは国王であろうが、どうしようもないことだろう。
エンシェントドラゴンのときも何人か宮廷貴族を粛清したが、結局は別の奴が台頭しただけだ。
この国が紛争と無縁などということはないが、王国全体が揺らぐほどの大規模な事件といったら……それこそエンシェントドラゴンの件くらいしか無い。
泰平の世が続き、しかし開拓による生息圏の拡大と発展はじりじりと続いている。
血筋と歴史だけの貴族家がこの調子でのさばり続けても、今まで大した問題は起きなかったわけだ。
無能でもどうにかして使うのが経営者であり為政者である以上、リカルド王も軽々しく粛清はしないだろう。
一致団結すべき難局を機にその負の連鎖を断ち切る……のは俺には無理かな。
だが……。
「次の奴が出てくるまで、しばらく時間が稼げる。それだけでも十分だ」
殺しても別のクソ宮廷貴族が台頭してくるということは、こいつらの代わりはいくらでも居るということだ。
一時的に動きやすい状況を作るためにクズの命が数個分……惜しくないな。
「ま、待つのだ、イェーガー将軍!」
「うるせぇ!! 時間稼ぎと、俺の心の安寧のために死ね!」
先ほどまでは威勢が良かった宮廷貴族どもは、色々なものを垂れ流して恐怖に錯乱したが、俺は容赦なく殴りかかった。
そして、俺のドラゴンボーン鋼のガントレットやグリーブが閃くたびに、剣術も魔術もまともに鍛錬していない貴族どもは、一撃で内臓や頸椎を破壊されて痙攣しながら息絶える。
ヘッケラーもフィリップもデヴォンシャー父娘も、若干顔が引き攣っているものの特に何も言わない。
そして、リカルド王が惨状に些か顔を蒼くしながら解散を言い渡したときには、会議室に十二の死体が転がっていた。
「戦時下のことですので、イェーガー将軍が始末なさった者どもは公務の妨害……王命への反逆の予備罪として処理されます。他の貴族家には後に陛下から直々に通達されるでしょう。オルグレン伯爵家も同様です」
会議室を後にした俺は、キャロラインに呼び止められて軍務局の彼女のオフィスへ向かうよう伝えられた。
然程、待たされることなく現れたキャロラインからは、俺がしでかしたことの後始末について淡々と述べられる。
「陛下は有象無象よりイェーガー将軍を優先なさった、とご理解ください」
キャロラインの声には若干棘があるが、まあ仕方ないか。
こちらに突っかかってきた奴だけとはいえ、今回は随分と殺しちまった。
「キャロライン殿、また色々と面倒をお掛けしまして……」
「いえ、私たちにとっても奴らは邪魔な存在でしたから。特にこんな状況下では、陛下や宰相の仕事にも看過できない差し障りがあったことでしょう。イェーガー将軍が手を下したことは、ある意味都合が良かったと言えます。……我々は、イェーガー将軍ほど貴族の名を軽く捉えることはできませんが」
「さーせん」
貴族に関する処遇は沙汰一つとっても面倒だ。
面倒な手続きに大義名分、周囲を納得させる何らかの落としどころが必要となる。
まあ、王政を敷いている以上、そうした貴族や一部権力への配慮は必要か。
俺にとっては次から次に湧いてくるゴミ虫でも、宰相や王国政府の人間にとっては決して蔑ろにできるものではない。
当然、フィリップにとっても。
キャロラインが間に入って宰相や国王に丸投げできる環境を整えてくれているからこそ、俺は好き勝手できるわけだ。
間違いなく官吏の職務の範疇を超えているが……何にせよ、ありがたいことだ。
とりあえず謝罪したことでキャロラインの機嫌も直ったのか、彼女は改めて姿勢を正して俺に向き直った。
「反逆者については以上です。では……イェーガー将軍、魔大陸から無事に戻られたようで何よりです。お帰りなさいませ」
「……ありがとうございます」
そういえば、帰還の挨拶がまだだったな。
オルグレン邸に帰ってきて慌ただしく王城へ来たので忘れていた。
……お帰りなさい、か。
つい最近までは、別の女性から聞いていた言葉だ。
俺一人で出る予定が出来て、それを片付けて家に戻れば、エレノアはいつもこの言葉を掛けてくれた。
彼女とは大抵一緒に出かけるので、決してお帰りの声を聞いた回数は多くない。
しかし、今も脳裏には彼女の声が鮮明に蘇る。
「……何故、そのような顔を?」
「え?」
唐突に掛けられたキャロラインの声に俺は顔を上げた。
「随分と、悲しそうな顔をされていましたが?」
「…………」
「お聞きしても?」
俺は言葉に詰まったが、キャロラインは有無を言わさない態度で詰問してきた。
心なしか、出会って間もない頃の刺すような鋭さが垣間見える。
浮気を問い詰められているような妙な気分だが、俺は所々で詰まりながらもエレノアのことを話した。
龍族のことを子細に語るメリットはあまり無い。
エレノアとの関係は個人的なことであり、彼女を置いてきたことはせっかくの援軍を連れて来なかったと見ることもできる。
しかし、何故かこの件でキャロラインを相手にだんまりを決め込む気にはならなかったのだ。
そして、俺が粗方話し終えたところで、それまで黙って聞き役に徹していたキャロラインはゆっくりと口を開いた。
「そうですか……愛した女性を……置いてこられたのですね」
キャロラインの声には妙に悲痛な響きが含まれていたが、俺は話し続けていた勢いもあり、些か自嘲気味に答えた。
「ええ、祖国が戦火に見舞われ、俺を狙う気違い集団も健在。こんな状況では、嫁に来てくれなどとは言えませんよ」
「(嫁……結婚、するつもりで……)」
俺がキャロラインの聞き取りづらい声に顔を上げると、彼女は僅かに焦りの表情を浮かべた後、仕切り直すように口を開いた。
「魔族の方でしたか? さすがに無理があったのではないでしょうか?」
「そうかもしれませんね」
自分でも驚くくらい感情の無い平坦な返答だった。
確かに、エレノアと一緒になるのは、故郷や仕事のことを抜きにしても障害が大きい。
年齢は向こうが百個ほど上で、しかし彼女の寿命は三百年ほどなので、どう考えても俺の方が早く死ぬ。
キャロラインの言う通り……普通の結婚生活を送ることすら、ままならないかもしれない。
だが、それでも俺はエレノアを愛した。
彼女も待つと言ってくれた。
応えてくれた。
俺が愛する女性はエレノアだけだ。
「申し訳ありません」
しかし、そんなことを考えていると、キャロラインは震える声で謝ってきた。
唐突なことで、俺は唖然とした表情で彼女に向き直る。
「何故、謝るので?」
「っ! それは……」
見つめ合ったのはほんの数秒。
しかし、俺ははっきりとキャロラインの目に浮かぶ悲痛な色を直視した。
……同じ目を見たことがある。
それもつい最近だ。
龍族の里の近くの丘で、エレノアのお気に入りの場所で……。
違うのは、エレノアは掴みどころのないミステリアスな雰囲気を纏って誤魔化し、キャロラインはやり場のない怒りを抑えるように……まさかっ?
しかし、キャロラインはハッと我に返ったように立ち上がると素早く後ろを向いた。
「御父上の……イェーガー士爵の件は、片付けておきます」
「キャロライン殿……」
「それでは……私はこれで……」
それだけ言うと、キャロラインは足早にオフィスを出ていってしまった。