189話 帰還
お待たせしました。
遅くなりましたが、更新を再開いたします。
ひどく……胸が痛んだ。
俺は魔大陸での任務を終え、王国に帰還する。
今は帰りの定期船の中だ。
次々と厄介事が舞い込み、俺も戻ったらすぐに次の仕事へ取り掛からねばならないが、それでも一区切りついたことに変わりはない。
魔大陸の奥地を探索し、色々な情報やサンプルを持ち帰るという前人未到の偉業も達成できた。
俺の功績は王国も高く評価してくれるはずだ。
戦時下とはいえ、いい知らせを聞きたくない人間は少ない。
当の俺が居ないのをいいことに、あること無いこと吹聴した連中も居るようだが、俺の魔法の袋の中身を見れば何も言えまい。
実に気持ちのいい凱旋のはずだった。
しかし……今の気分は最悪だ。
狭心症でも患ったか、何かヤバいウイルスに感染したのかと疑ったりもした。
だが……治癒魔術は全く効かない。
解毒魔術もポーションもダメだ。
ロバーツたち『ラ・フォルトゥーナ』のクルーたちにもひどく心配された。
奴らはこともあろうに酒を勧めてきたが、そんなものが効かないことはわかりきっている。
……わかっているんだ、原因は。
「エレノア……」
魔大陸で別れた人の名前を呼ぶと息まで苦しくなる。
強く、凛々しく、笑顔が素敵な……本当に魅力的な女性だった。
俺よりも剣術が上手くて、戦士たちを前線で指揮する姿が格好良くて……。
それなのに、二人っきりだと可愛くて、色っぽくて……妖艶なのにたまに恥ずかしがり屋で、料理が苦手で……。
最初は警戒されていたし、俺も居候の身で行動を制限されていたこともあり、お互いに壁があった。
だが、自然と距離は縮まり、激しく惹かれ合った。
共に過ごした期間は約半年。
それでも、彼女は俺の一番大切な人だった。
運命の人だ。
愛する人だ。
今からでも空を飛んで引き返して彼女を連れてこようかと何度思ったことか。
……『ラ・フォルトゥーナ』が沈めば、サウスポートに引き返すしかないな。
クラーケンが群れで襲ってくるとか、ハリケーンで船がバラバラになるとか。
そんな不吉なことを冗談抜きで考えてしまう。
だが、俺の妄想に反して、船は悠々と海を南下し、何事も無く中央大陸のガルラウンジに到着した。
途中で遭遇した魔物もほとんどが低ランクモンスターの小さな群ればかりで、全て船員たちが操作するバリスタに撃退された。
そして、ガルラウンジに到着すると、俺を待ち構えるように待機していた警備隊長のロジャースや代官に案内され、運送ギルドの馬車に誘導される。
そのまま特に妨害に遭うことも無くグレイ公爵領を通過し、俺は王都の郊外にある運送ギルド本部を兼ねるオルグレン伯爵邸に戻ってきた。
あっという間の行程だった。
「クラウス、戻った、か!?」
「……ああ」
俺がオルグレン邸の執務室に足を踏み入れると、そこにはフィリップはじめオルグレン一門の顔が勢揃いしていた。
代表してフィリップが俺に声を掛けてくる。
しかし、彼は俺の顔を見るとひどく驚いた顔をして言葉を詰まらせた。
「……何だ?」
「いや、こっちのセリフだ。貴公、一体何が……? ひどい顔だぞ」
すっとぼけたように驚いた反応をされたことが妙に癪に障る。
そんなに俺の顔はおかしいか?
「魔大陸での任務は遂行した。呼び戻しにも……従った。文句あるか?」
「いや……」
ここまで言ってフィリップが黙りこくったことで、俺は我に返った。
彼らにはエレノアのことを話してもいない。
向こうにしてみれば、突然帰ってきた俺がいきなりキレ始めただけだ。
さすがに態度が悪すぎた。
「すまん、こっちのことだ」
「……うむ」
フィリップは釈然としない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。
レイアたちも少しソワソワとしているが一言も発さないので、部屋の中は異様な沈黙に支配される。
俺は重苦しい空気に耐えかねるように口を開いた。
「公国の、ことだな?」
「……ああ、そうだ」
「どうにかしなければな……さっさと、片付けないと……」
面倒な連中の始末をつけない限り、俺に安寧は無い。
公国との紛争に、背後に居ると思わしき『黒閻』に……。
ああ、よくよく思い出せば、ズラトロクの長老に『黒閻』の奴らをぶん殴るって約束もしていた。
こんなんじゃ、いつまで経っても……エレノアを……。
「んんっ! さて、筆頭家臣も戻ってきたことだ。これからの指針について話そうではないか」
咳払いしたフィリップが、改めて今後のオルグレン伯爵家としての対応などを話し始める。
去年のメアリーの誘拐事件がどうとか、国境沿いがどうとか言っていたが……俺はほとんど頭に入らなかった。
「イェーガー士爵に関しては、後日改めて話そうと思う。それでよいな、クラウス?」
「……ん?」
「……では、話は終わりだ。各自、休んでくれ」
何だか噛み合っていなかった気がするが、フィリップたちは席を立った。
レイアなどは少々戸惑ったような表情を見せたが、ファビオラに促されて居心地悪そうに部屋を出ていった。
いつの間にか、執務室からは人が居なくなっている。
エドガーやロドスも既に部屋を後にしたようだ。
珍しく俺が最後になったが、いつまでもここに居ても仕方ないので、俺も椅子から立ち上がって執務室から退出する。
「クラウス……」
「……メアリーか」
部屋を出たところで俺にメアリーが声を掛けてきた。
他の面子は既にその場を後にしたようで、近くに俺たち以外の気配はない。
俺は、どれくらい部屋の中に居たのだろう?
そんなことを考えていると、メアリーは遠慮がちに疑問を投げかけてきた。
「素敵な人でしたの?」
「……ああ」
どうやら、彼女には色々と察しがついているようだ。
だから、俺はただ短く答えた。
「そう……」
メアリーはそれ以上何も言わなかった。
もう少し何か話した方がよかったかもしれないが、今はただただ疲れた。
俺は重い足を引き摺るようにしてギルド職員の宿舎へ向かう。
とにかく、今日は休んで、そして次なる戦いの渦中へ……憂鬱だな。
雪山での行軍でも、こんなに足が重くなることなどなかったのに……。
俺は宿舎の自分の部屋に着くとベッドに腰掛けた。
運送ギルドの清掃や雑事担当の職員によってシーツはしっかりと洗濯されているので、寝床は清潔感があって快適だ。
部屋にはベッドと机や椅子などのシンプルな家具があるだけだが、何も不自由など無い。
オルグレン伯爵家に仕官してから、俺はずっとここで暮らしてきたのだ。
訓練やオルグレン邸でのデスクワークをこなして、ここには寝るために戻るだけ。
有事の際には、魔法の袋に収納した装備を身に着けて、“倉庫”の武器を手に持って飛び出す。
特に部屋に置いている荷物なども無い。
いつも通りだ。
魔大陸へ出張する前に戻っただけだ。
だが……。
「くそっ……」
ここ半年は、いつもエレノアと一緒だった。
一人で出る用事があっても、家に帰れば彼女が居た。
寝て起きれば、次の朝には顔を合わせることができた。
だが、ここにエレノアは居ない……。
「畜生……俺は……」
そんなことを考えていると、俺の部屋のドアがノックされた。
「クラウス殿、一杯どうです?」
「付き合うのである、イェーガー殿」
俺の返事も待たずにズカズカと上がり込んできたのは、エドガーとロドスだった。
家宰とギルドマスターのおっさんコンビか……。
二人は勝手に椅子を引き寄せて占領すると、大量の酒瓶を机に並べた。
梅酒にポートワインにブランデーに……運送ギルドの自社製品だ。
瓶が雑なデザインなところを鑑みるに、各ロットで出た半端品か職員向けの品か。
エドガーはそれぞれのコップに強い酒をなみなみと注いだ。
勢いに押されて俺が酒を受け取ると、ロドスは自分のコップの中身を勢いよく飲み干す。
俺もロドスと同様に、コップの中身を喉に放り込んだ。
「くぅ~、効くのである! イェーガー殿、気分はどうであるか?」
「……最悪です」
味なんてわかったもんじゃない。
食道を焼けるような刺激が襲い、思わず咳き込みそうになる。
俺は特に酒好きというほどではないので、前世でも付き合いか嗜む程度にしか飲まなかった。
今日みたいな飲み方をしたのは初めてだが、やはりドワーフでもない俺がロドスの真似をするには無理があるな。
「とにかく飲めば陽気になる! 気分よく寝れば、明日にはマシになるのである!」
「それはドワーフ独特の体質ですが、たまにはとことん飲んでみるのもいいでしょう。二日酔い以上に辛いものはありません。他の嫌な記憶のことなど考えられなくなりますよ」
それもそれで、エドガー独自の価値観かもしれないが……。
何はともあれ、俺たちは黙って酒を飲み続けた。
つまみも無く、酒が進む状況とは言い難いが、エドガーとロドスが帰る頃にはほとんどの酒瓶が空になっていた。
翌朝、俺はエドガーの言った通り最悪な気分で目覚めた。
完全に二日酔いだ。
魔力があっても、こればっかりはどうにもならない。
「ぅぐぉ……」
嫌な頭痛がする。
歩くどころか起き上がるのも億劫だ。
このままでは仕事にならんな。
「――“解毒”」
解毒魔術を発動すると、頭の痛みが嘘のようにスッと引いた。
体内の毒性物質を除去する機序らしいので、アルコールが代謝されて生じたアセトアルデヒドもどこかへ消え去り、息も酒臭くなくなる。
しつこい匂いの元は……服か。
後は体を洗って着替えれば大丈夫かな。
桶を持って宿舎の裏の水路沿いに行き、ウルズの水差しの冷水で口を漱ぎ、石鹸と魔術で作り出した温水で体を洗う。
新しく魔法の袋から出した下着やシャツを身に着けた俺は、何の気なしに鏡を取り出して自分の顔を観察した。
「……少しはマシになったか?」
昨日の顔など覚えていない――鏡を見た記憶も無い――ので比較はできないが、一見したところいつもと変わらない自分の顔だ。
優雅に朝風呂を堪能し身支度を整えた俺は、少し遅めだがオルグレン邸のフィリップの元へと出勤した。
既に二日酔いと嫌な酒の匂いからは解放されている。
全てエドガーの言う通りなのが少し癪だが、俺の足取りは予想以上に軽かった。
「おはようさん」
「クラウスか、おはよう」
「おはようございます、クラウス殿」
執務室に入り、フィリップとエドガーと挨拶を交わす。
一年前のルーティン。いつも通りだ。
違うところといえば、フィリップたちが僅かに安堵の表情を浮かべているところか。
「帰ってきて早々ですまんが、貴公には色々とやってもらいたいことがある。行けるか?」
「ああ。早速、仕事に取り掛かるよ」
フィリップのデスクの前に自分の椅子を引き寄せ、話を聞く態勢に入った。
だが、俺はフィリップが話を始める前に、若干の申し訳なさを感じつつ頼んだ。
「すまんが、現状についてもう一度聞かせてくれるか?」
「うむ」
フィリップは嫌な顔一つせずに頷いた。
昨日、話を聞いていなかったのは完全に俺の落ち度だが、どうやらそれも予想していたようだ。