184話 盟約
『お主は何者なのじゃ?』
ズラトロクの長老は、一息置いてから俺が如何に異質の存在であるか並びたてた。
『魔力量、強さ、我らと対等に言葉を交わそうとする価値観。そして何より、お主は神代の言葉を操る』
……そういえば、去年も似たようなことがあった。
数年ぶりに顔を合わせたこの世界の父と兄、アルベルトとハインツと話し、色々と心臓に悪い思いをした。
まあ、結局は俺の正体に気付かれたわけではなかったが。
俺の前世のことは誰にも話していない。
友人たちにも話したことは無く、当然ながらエレノアも知らない。
『気に障らなければ、答えてくれぬか? お主は……一体何者なのじゃ?』
ズラトロクの長老も、俺の異質さに驚いているだけで、俺の記憶や魂を分析して何かがわかっているわけではないだろう。
適当なことを言ってはぐらかすことは難しくない。
長老の気質を鑑みるに、彼の質問に答えることは、決して話を続けるための条件というわけではないはずだ。
返答を拒否したからといって、龍族への手助けを断ることは考えにくい。
たとえ俺が嘘を吐いても、言いたくないという意思表示だと受け取り、それ以上の追及はしてこないだろう。
しかし、俺は自然と自分の正体を明かす日本語を口にしていた。
『俺は……転生者だ』
『……どういう、ことじゃ?』
『俺は自分が生まれる十五年前より以前の、別の人間として生きてきた頃の記憶がある。こことは違う世界で、ごく普通の学生として生活していた。そして二十代で事故によって死んだ直後、この世界で赤ん坊として目覚めた』
長老は首を傾げた。
『違う世界、とな? ただ遠き地の出身というわけではない、ということかの?』
『ああ、向こうでは魔術や魔力の概念が無い代わりに自然科学や工学が発達し、何より情報が溢れていた。世界の地理くらいなら、海を含めたほとんどの領域がとっくに把握されている。中央大陸や魔大陸のような地形は、あちらには存在しない』
この世界に転生してから俺が訪れた土地だけでも、その広大さは相当なものとなる。
バミューダトライアングルなどの範囲に収まる広さではないだろう。
『で、もう一つ。今話している言葉は、こっちでは日本語といって、前世の俺の国の公用語だったんだ』
『何と!? お主は神の国から来たというのか!?』
長老は目を見開いて驚いた。
黄金の国なんて呼ばれていた時代はあったそうだが、神の国とはな……。
苦笑いしか出てこない。
『そういう認識はしていない。俺の居た世界では、その神代の言葉とやらは、うちの国で使われている言語でしかない。世界全体には……うちの国でも第一外国語として採用されている、英語の方がメジャーだ。だから、外国人と話すときは大抵英語で話す。あ、因みに……あんたらは英語もわかったりするのか? I’m speaking in English. Did you catch what I just said?』
『ん? 最後のは何と……ああ、それが英語とやらか。すまぬが理解できなかった』
フィクションでよくある自動翻訳の設定だと、勝手にこちらの言葉に変換されるなんてこともあるが、残念ながらそう都合よくはいかないようだ。
少なくとも、地球の言葉全てに掛かる翻訳フィルターがあるわけではないらしい。
そういった仕組みがどこかに存在するのならば、龍族とズラトロクのダイレクトな意思疎通を可能とするヒントになるかと思ったのだが。
通じるのは日本語のみか……。
やはり、以前この世界に来た転生者は日本人である可能性が高いのか。
神とやらにどう関係があるのかは謎だが……。
『とにかく、俺の居た世界はこことはまるで違う場所にある。宇宙……空のずっと向こうか、直接移動して辿り着くことができない異次元にあるのかすらわからない。ただ、そういう世界があることは事実だ』
『ふむ……』
『まあ、俺の正体としてはそんなところだ。ああ、あともう一つ言えるのは……俺の元居た世界ってのは、恐らく千年前の勇者の故郷と同じだ』
肝心の部分をようやく口にしたが、それを聞いたズラトロクの長老の反応はなかなかのものだった。
鹿の表情筋や瞼の構造を無視して、驚愕に目を見開いている。
しばらく呆けた表情を晒したのち、長老は真顔で考え込みながら口を開く。
『ふむ……ということは、じゃ。今我らが話しているこの言葉も、勇者の故郷の言語ということかの?』
『ああ、そういうことになるな。だが、長老さん。ズラトロク独自の言語は他にもあるようだし、日本語は勇者本人か彼に近しい人物から教わったんじゃないのか?』
『いや、この言語を教わったのは同胞からじゃ。我は勇者本人に会ったことは無い。だから、勇者自身に関することは、我はほとんど知らぬのじゃ』
確かに、千年の時を生きる賢者と言えど、所詮は一人(一匹?)の生涯の経験を積み重ねてきたに過ぎない。
知恵袋の備蓄にも限界はあるか。
『知りたくもなかったしの。若かりし頃は、勇者など『冥界の口』に産み落とされた汚らわしい短命の獣じゃと思っておった』
『うわ……容赦ないっすね』
『安心せい。我も別にいつまでも勇者を忌み嫌っていたわけではない。若さゆえの思い込みじゃ。まあ、その後に興味を持つことも無かったがの』
『そうか……実は、俺の親友で主君的な立場の男は、当代の勇者なんだが……』
『お主の懸念は理解したが、心配いらんと言ったであろう。勇者自体に思うところなどありはせん』
どうやら、フィリップが目の敵にされることは無いようだ。安心した。
『しかし、この言葉が勇者の国の公用語とはの……。皆は知っておったか?』
長老の問いかけに頷く者は居なかった。
どうやら、ズラトロクたちの日本語は、ただ由緒正しき神聖な言語として受け継がれていたようだ。
日本語を又聞きで伝授した奴は意外とチャランポランだったのかな。
『それにしても……長生きはするものじゃな。まさか、神代の言語にそのような由来があったとは……』
今更ながら、自分の正体を今日初めて会った相手に明かしたことは軽率かもしれないと思ったが、どうやら悪い方向には傾かなかったようだ。
長老以外のズラトロクが俺を見る目も少し変わった気がする。
あのチンピラにも俺が転生者であることを明かしていたら……いや、ホラ吹き呼ばわりされるのがオチかな。あいつの性格を鑑みるに。
『一応、俺が転生者であることは内密に頼む。誰にも言っていないんだ』
『奥方にもか?』
『……ああ』
『承知した』
いい加減、エレノアが妻ではないことを伝えた方がいいか?
……いや、彼女はズラトロクと直接話すことはできないし、別にいいか。
『さて……色々と興味深い話も聞けたことじゃ。そろそろ肝心の話に移ろうかの』
そういえば、俺の正体の話の発端はといえば、龍族とズラトロクの協定だったな。
お互いに色々と話したいことは無くも無いが、そろそろ日が傾きかけている。
あまりエレノアや龍族を蚊帳の外にして話し続けるのも考え物なので、俺たちは肝心の用件を進めることにした。
『では……ズラトロクの長として、改めて我がお主と盟約を結ぼう。同胞を弔い怒れる魂を鎮めてくれたことへの感謝の証として、我らはお主と龍族への協力を惜しまない。一部の者たちに不幸な行き違いはあったようじゃが、総意としてそこは変わらぬ。この地の負の力は、我らがじっくりと無に帰す。我が同胞の『聖核』を奪った者たちに関しては、ひとまずお主に全て任せる。これで良いな』
『ああ、問題ない。龍族には俺から説明しておく。少なくとも、攻撃されることは無いだろう』
何はともあれ、まずはこのくらいの協調姿勢の表明からか。
ズラトロクと龍族はお互いの言葉も通じないことだし、この辺りが限界かもな。
ジルニトラに報告して、この先は丸投げだ。
トラブルを起こしてそのまま立ち去っている気がしないでもないが、今後のズラトロクと龍族の関係については、彼女の手腕に期待しよう。
言葉の壁は……まあ、おいおい考えればいいさ。
『じゃあ、俺たちは行く。機会があったらまた会おう』
『うむ。使徒殿、そなたに聖神の加護があらんことを』
ズラトロクたちは、長老を先頭に森の奥へと歩き去った。
目につかない場所まで移動したようだが、気配はそれほど遠くまで離れていない。
先ほど話した通り、彼らはこのエリアの近くに居住し、時間を掛けて辺りを浄化していくのだろう。
ズラトロクにしかできない仕事だ。
頑張ってほしいものだ。
それにしても……使徒、ねぇ。
勇者と同じ世界からやって来たが、俺自身は勇者ではなく、召喚されて転移してきたわけでもない。
そんな大層な称号を受けるほど、使命やら何やらがあるわけではないのにな。
まあ、そこら辺の話は、またこの地を訪れた時にでもすればいい。
ズラトロクと言葉を交わす機会は、いずれまた来るだろう。
もちろん、そのためにはまず『黒閻』の連中をどうにかしなければならない。
一つずつ、片付けていこう。
ズラトロクの姿が見えなくなったところで、俺は長老と話した内容をエレノアと戦士たちに伝えた。
チンピラ鹿の横槍でトラブルはあったものの、最終的にはどうにかズラトロクと協調姿勢を取る盟約を交わすことが叶った。
そのことを改めて説明された龍族の戦士たちは、揃って顔に喜色を浮かべた。
最終的な成果としては上々だろう。
ようやく俺たちの長い遠征も終わりだ。
エレノアの指示に従い、戦士たちは迅速に撤収の準備を始める。
そして、龍族の戦士たちが身支度を整えるのを待っていると、エレノアは再び俺の傍までやって来て寄り添った。
俺も彼女に話したいことがあったので、そのままエレノアと向き合う。
「エレノア」
「はい」
「さっきは助かった。君の機転のおかげで、迅速に戦闘を終えられたし、話もまとまった」
「っ! ……はい!」
色々と計画は破綻したが、彼女のおかげで被らずに済んだ損害を思えば、感謝するしかない。
だが、手放しで喜べるかといわれれば否だった。
「でも、二度としないでくれ。君が危険な目に遭うのは……見たくない」
エレノアが俺を追い越してズラトロクに斬りかかったときは、本当に肝が冷えた。
俺が咄嗟に魔術の攻撃を敵の行動阻害へシフトしていなければ、彼女は何かしらの負傷をしていただろう。
曲がりなりにも、敵はSランクの魔物だ。
エレノアにしてみれば、俺がしっかりと援護をすることも織り込み済みだったのだろうが、それでも心臓に悪いことには変わりない。
「……勝手な人です」
しかし、最後までエレノアから了承の言葉を聞くことはできなかった。
どう言ったものか逡巡する俺を、エレノアは華麗に無視して戦士たちの指揮に戻っていった。