182話 聖獣 後編
『それで、あんたらの同族を殺した奴の手掛かりは?』
『無い。我が受け取った思念から理解できたのは、敵が途轍もなく強力でおぞましいものだということだけじゃ』
それも仕方のないことか。
敵の姿を直接見たズラトロクは漏れなく皆殺しだ。
しかし、普通ならこの時点でお手上げだが、俺はズラトロクの長老と話している内に一つの実感が湧いていた。
この世界に来てから、この手の深刻な面倒事の背景には、必ず連中の影がある。
『なあ、長老さん。ロクでもないことしかしない連中と言えば、俺に一つ心当たりがあるんだが……』
『ふむ?』
俺の真剣な空気を悟ってか、長老は一言一句聞き逃すまいとするかのように耳を傾けた。
『『黒閻』って奴らを知っているか? ボルグ……は死んでるか。ロベリア、エルアザル、イシュマエルって名前に聞き覚えは? もしくは、賢者の石とかアルカナ石とか……』
『アルカナじゃと!?』
ズラトロクの長老は素っ頓狂な声を上げた。
他のズラトロクの中には、俺たちの長い立ち話に些か眠そうな表情を見せている個体も居たが、長老の声でハッと我に返ったように顔を上げた。
まあ、古代錬金術の時代を知っている長命な種族なら、賢者の石を知っていてもおかしくは無いか。
しかし、一つ妙なことがある。
どうも長老は、賢者の石よりアルカナ石のほうが気掛かりなようだ。
『アルカナ石を知っているのか?』
『もちろんじゃ。昔、人族の錬金術で研究されていた危険な強化の秘術であろう? 賢者の石の紛い物じゃが、それ故に人の身でも体に取り込み力を宿すことができる。研究の仮定でも非人道的な行いが多く、実戦投入された戦が凄惨極まりないことになったため、禁術として封印されたはずじゃ』
『残念ながら今も存在する。『黒閻』の幹部連中は揃いも揃って厄介な一騎当千の猛者たちだが、連中の強さの秘密はアルカナ石にある可能性が濃厚になった。アルカナ石の副産物である危険な麻薬、俺たちは『フェアリースケール』と呼んでいるが、連中はこいつをばら撒いていたんだ。間違いなく、アルカナ石の製法は連中の手中にある』
『すっかり忘れておった。アルカナはとっくに滅亡した技術だと思っておった』
ズラトロクも年寄りは物忘れをするようだな。
『じゃが、あの強さ……我が直接対峙したわけではないが、犠牲になった者たちから最後に受け取った思念を鑑みれば理解できる。アルカナを飲んでいるというのならば納得じゃ』
確定ではないが、ズラトロクを殺したのはやはり『黒閻』の連中である可能性が高いな。
ボルグは死んだから、残っているのはロベリア、そしてこいつには会ったことが無いがエルアザルとかいう奴か。
次は何を仕掛けてくる気やら……。
『連中は他にも失われた古代の危険な技術を保有している。『冥界の口』については?』
『もちろん知っておるぞ。あれは瘴気を食らう代物じゃが、魂から生成されたものを直接食らうしか能が無いゴミじゃ。あのようなおぞましいもの、製法を確立しようとすることすら理解し難いが……昔の人間たちは、救い難いことに勇者召喚などというものに利用しおった』
ヘッケラーやデ・ラ・セルナの研究は間違いではなかったな。
やはり、過去の勇者は『冥界の口』に生贄を大量に捧げて召喚されたのだ。
『まさか、そ奴らは『冥界の口』も?』
『ああ、さっき言ったアルカナ石の副産物の麻薬『フェアリースケール』だが、この薬の末期中毒者を利用したようだ。連中は中毒者を『傀儡』って呼んでいたが、こいつは痛覚の鈍い戦闘奴隷としてだけでなく、『冥界の口』により多くの瘴気を蓄積させることができるらしい。で、『冥界の口』にたんまり蓄積された瘴気は、今は『黒閻』の連中の手にある』
『何ということじゃ……』
因みに、『フェアリースケール』の中毒者『傀儡』を使った瘴気の回収法は、長老も聞いたことが無いらしい。
たまたま長老が知らなかっただけなのか、それとも『黒閻』が新たに開発した技術なのか……。
何はともあれ、今回のズラトロク殺害の犯人も『黒閻』だとすれば、連中は二つの大きな計画を用意していることになる。
勇者召喚に類する大量の瘴気を用いた何かと、ズラトロクの『聖核』を用いた大規模な呪いだ。
ズラトロクの長老との話で、色々と補完する知識も得られた。
魔物の異常発生の件も一件落着だ。
応急処置としてこの地を聖水で浄化し、長期的な管理をズラトロクに任せられるようになったことで、どうにか今後の『死の森』とサウスポートの情勢が安定する目処がついた。
周辺の片付けは十分だろう。
……そろそろ、本格的に戦いの準備をする必要があるかもしれないな。
『確定ではないが、あんたらの同族を殺したのは『黒閻』……例のアルカナを飲んだ連中である可能性が高い。恐らく、俺の方が先に奴らと顔を合わせるだろう。あいつらをボコるのは任せてくれ。あんたたちの仲間の分も、俺がしっかり殴っとく。あんたたちは、この地の浄化に集中してくれ』
『うむ、それがいいじゃろう。あと、お主は中央大陸に帰るのかもしれぬが、森の民はこの近くに住み続けるのであろう? 同胞を丁重に弔ってくれた礼じゃ。その者たちに何かあったときは、この地へ来させるがよい。我の目が黒いうちは必ず力になると約束しよう』
『ああ、助かる』
俺はズラトロクの長老と日本語で話した内容を、こちらの世界の共通語でエレノアに伝えた。
改めて、このエリアの浄化の目処が立ったことを説明し、他の龍族の戦士たちにも聞かせる。
予想外に厄介な遠征だったが、一先ず事態は収束して帰還できると知った戦士たちは、僅かに緊張を緩めて喜びの表情を浮かべている。
さらに、ズラトロクに貸し一つとして人脈――鹿脈?――が出来たことを伝えると、驚愕に続いて感嘆の声を漏らし、俺に感謝を述べてくる。
まあ、伝説の種族と協定を結んだも同然で、しかもそれが龍族にとって利益しかない内容なので、当然と言えば当然か。
そして、ズラトロクの群れの殺害に、俺と数年に渡って揉め続けているヤバイ連中が関わっている可能性があることも、エレノアには説明した。
「そう、ですか……」
「ああ、恐らくこれでヴァンパイア族の方は大丈夫だ。あのデカいズラトロクの話だと、徐々に周囲の魔力の流れは改善して、数年で元通りになるらしい」
「…………」
「とりあえず、魔物の異常増殖の件が収束したことは、国に報告しなければならない。もちろん、ヴァンパイア族のことやこの場所を詳しく公表するつもりは無いが、オルグレン伯爵や信用できる国の重鎮にはある程度のことを説明しておきたい。まあ、そこら辺のことは、ジルニトラさんに相談した方がいいかな」
「……そうですね」
エレノアは些か元気が無さそうな表情だが……長丁場の遠征で疲れが出たのかもしれない。
彼女の体調のためにも、早めに切り上げてさっさと野営地へ戻るとするかな。
俺は最後にズラトロクの長老に向き直った。
『じゃあ、長老さん。俺たちはこの辺で失礼するよ。『黒閻』の方は俺と王国で対処するつもりだが、あんたたちも一応用心しておいてくれ。奴らは神出鬼没だからな。またここに姿を現さないとも限らない』
『うむ……』
『ここの浄化と龍族のこと、よろしく頼むな』
『……うむ、その件なんじゃがな……』
『ん?』
何やら歯切れが悪そうにする長老に、俺は疑問の目を向けた。
俺がエレノアたちにまとまった話を伝えている間、向こうもデカい鹿頭を寄せ合って何やら話していたようだが……。
『待て!』
ズラトロクの群れから一頭の巨鹿が荒々しい雰囲気を纏いながら進み出てきた。
俺はため息をつきたくなるのを堪え、苦虫を噛み潰したような表情の長老から視線を横へ移動させた。
怒気を滾らせて突っかかってきたのは、例によって最初に攻撃を仕掛けてきたチンピラ鹿だった。
俺はゆっくりとチンピラを見返しながら問いかける。
『それで? てめぇはこの期に及んで何の文句がある?』
『黙れ、人族! 我は貴様の与太話になど騙されんぞ! 貴様ら下等生物は、常に我ら高潔なる種族から掠め取ることばかり考えている。同胞の死に貴様らが関与していないなどと……そのような話、信じられるか!!』
俺は今度こそため息を隠さずに言葉を返した。
『あんたが信じようが信じまいがどうでもいい。俺はあんたらのトップと話して、今後の方針を決めたんだ』
やってない物的証拠というのは難しいが、長老との話の中で、俺たちに動機が無いことは論理的に説明できている。
それに、チンピラ鹿の掛けてきた嫌疑にも証拠は無い。
さらに、警察や検察のように、人を犯人に仕立て上げることで利益になるのなら、真実は二の次で人を執拗に攻撃してくる心理も理解できるが、こいつのは本当に軽率な噛みつきでしかない。
こういう手合いは、まともに取り合うだけ時間の無駄だ。
『長老さん、一つ追加で約束してもらいたいことがある。今後のあんたたちズラトロクと龍族の協定だが、その馬鹿は関わらせないでくれ。ロクなことにならん』
『むぅ……』
『貴様! 我を愚弄するか!! 人族の分際で!』
いちいち横槍を入れられて話が進まないので、俺は渋々チンピラの方へ視線を移した。
『はぁ……じゃあ、あんたの要求は何なんだよ?』
『貴様ら下等生物は、ただ高潔なる存在である我々にひれ伏していればいいのだ!』
何が気に食わないのかと思えば、そんな次元か。
さっきから同じことしか言ってないし……高潔とか言う割に頭がトロいんじゃないか。
しかし、こういう制御不能の馬鹿が向こうの陣営に居てそれを放置するとなると、今後の龍族との付き合いにも支障が出かねない。
日本語が話せて長老と意思疎通ができるのは俺だけだし、その俺もいつまでも魔大陸に居るわけではない。
少し、脅しとくか。
『おい、調子に乗るなよ、クソ鹿。俺はてめぇがエレノアに攻撃したことを許してねぇぞ』
俺は強化魔法の出力を最大限に上げ、体に紫電を纏いながらチンピラ鹿を見据えた。
凄まじい勢いで俺の肢体を循環する覚醒魔力の動きは、周囲の浮遊魔力にも伝播し、辺り一面を張り詰めた緊張感を重々しい空気が包んだ。
明らかな殺気と威圧感は、当然ながら後ろに居る龍族の戦士たちも感じ取っており、何名かが刀の柄に手を掛けた音が聞こえる。
さすがに熟練の魔法剣士だけあって、ボケッと突っ立っているような者は居ない。
たとえ、ズラトロクと戦闘になっても、彼らが無防備のままぶっ殺されることは無いだろう。
『ぬぅ……もう、よかろう。……人族の子よ。若いのが失礼をした。奥方に攻撃を仕掛けたことは、本当にすまなんだ』
剣吞な空気の中、最初に口を開いたのは長老だった。
チンピラ鹿を軽く窘め、俺に向かって巨大な鹿頭を軽く下げる。
俺の威圧の余波に一歩も怯むことなく顔を上げて見返してくるが、声には少し緊張感が滲み出ていた。
こちらとしてもわざわざ長老と争うつもりはないので、これ以上の攻撃的な振る舞いを控えるのは吝かではない。
しかし、肝心のチンピラ鹿の方はといえば、俺の魔力が高まった瞬間に数歩下がったものの、再び怒気を漲らせて喚き始めた。
『ふ、ふざけるな! 我らズラトロクは神に選ばれし存在! 貴様ら不浄な者どもとは格が違うのだ! さっきから黙って聞いていれば……我ら以外にも同じ役割を担う存在が居るだと?』
虚勢を張るチンピラ鹿が今度は長老に矛先を向けたが、反応は淡々としたものだった。
『お主も見たであろう。我らの浄化の力は人間たちが作った薬にも及ばぬ。元より、我らが自ら行使することを許された特権ではないのだ』
『無い! そのようなことは断じて無い!! 貴様は老いて誇りまで失ったか!! #&\%$\#&$%\#&$%#&……』
『お主のはただの傲慢じゃ! #\&\#%#$\#%\&%#\$&%\&$%#......』
どうやらズラトロクはヒートアップするとつい日本語ではない言葉にシフトするようだ。
さすがの俺もズラ語はわからないので、少し口を挟ませてもらう。
『なあ、あんたが龍族の里に近づきさえしなければ、どこで何をしていようと構わん。他の種族を蔑もうが見下そうが、勝手にすればいい。実害が無ければ問題ないんだ。お互い、嫌な相手と関わるのはご免だろ? だから、龍族やヴァンパイア族のことにあんたがタッチしないことさえ約束してくれればいいんだ』
『つけ上がるな、人族! 貴様ごときが我らに約束などと……身の程を知れぃ!』
こいつ、マジで救い難いな。
感情的になって俺の話が受け入れられないだけならまだしも、こいつはハナっから妥協点を探るつもりが無い。
お互いに知性を持つ生物であるにもかかわらず、まともに言葉を交わすつもりが無いわけだ。
『……俺と長老さんが約束を交わしたとして、あんたは守る気が無いというわけか?』
『ふんっ! 下等生物との口約束など、何故我らが守らなければならん?』
『そうか、なら……』
チンピラ鹿の言葉を聞いた俺の諦めは早かった。
最早、交渉どころかまともなコミュニケーションすら不可能であることがはっきりした。
殊勝な態度も配慮も意味が無い。
こいつの存在は、龍族とズラトロクの関係に確実に悪い影響しか与えない。
この大陸に来てからの俺は、龍族には本当に世話になった。
日本語を知るズラトロクも、俺にとっては聖獣以上の意味を持つ存在だ。
このままでは、俺にとって重要なコミュニティ同士の関係性が、バカ一匹のせいでぶち壊しになってしまう。
ならば、今こそ俺が少しばかり泥を被ってでも、手を下すべきときか。
『そうだ! 貴様らは我が支配し導いてやろう。下等生物など踏み潰す価値も無いが、森の民が我に奉仕することを許す。光栄に思うがいい』
『馬鹿者! そのようなことをして何の意味が……っ! よせ!』
長老は自己陶酔に浸るチンピラを諫めつつも、咄嗟に魔力の動きを察知して叫んだが、その時には俺は既に両手に魔力を収束し、魔術を発動していた。