180話 聖獣 前編
「おおぉぉぉぉぉおおおぉぉ!!」
「っ!」
唸りを上げながら不規則な振動を伴って迫りくる紫電の波動は、俺が真・ミスリル合金の大剣を通して収束された雷属性の魔力の剣閃と、真正面から衝突した。
威力の差でどうにか俺の剣閃は敵の一撃を迎撃することに成功したが、二つの閃光が激突した位置は近く、戦士団は余波をもろに浴びた。
エレノアは後ろに庇ったが、戦士の何人かは紫電に服を焦がされ、衝撃波で木々に背中から叩きつけられている。
幸い、かすり傷以上の被害を受けた者は居ないようなので安心した。
しかし、俺は龍族の戦士たちの安否確認もそこそこに、再び正面を見据えた。
先ほど、敵の攻撃は防いだものの、その場で散らしただけなので、恐らく相手は無傷だ。
俺は雷の波動を放ってきた相手の位置を魔力反応から大体割り出し、左手に魔力を収束させて次の攻撃に移った。
「――“火槍”」
魔力をしこたま込めて炸裂する性質まで付与された中級火魔術だ。
一発が現代の対戦車ミサイルのようなものだ。
百発ほど打ち込んで絨毯爆撃したので、着弾地点は車載式の多連装ロケットの一斉射撃を行ったも同然の状況になっている。
針葉樹の林は広い範囲が吹き飛ばされて、結構な範囲が瓦礫の山と化している。
しかし……。
「く、クラウス様……」
「大丈夫か?」
「は、はい!」
敵の魔力反応は消えていない。
あれだけの攻撃を食らっても、向こうは未だにくたばっていないようだ。
こちらが出遅れたとはいえ、俺の魔力剣と競り合うほどの雷を操る敵だ。
魔力反応からベヒーモスでないことはわかるが、強さとしてはベヒーモスと同等以上の相手だろう。
俺はエレノアの方に視線だけ動かして口を開いた。
「撤退だ」
「わかりました。クラウス様が先導を……」
「いや、そうはいかないみたいだぞ」
「え……?」
エレノアは俺の示した方向に慌てて視線を向ける。
そこには、数匹の巨大な鹿が姿を現していた。
ペリュトンやアーマーディアと比べても明らかに巨大な、家サイズの大鹿。
先ほどまでは死骸しか見ていなかったが、あいつらは本物の生きているズラトロクだ。
森に充満していた濃密な瘴気と俺の放った魔術のせいで、些か細かな魔力の動きは捉えにくくなっているが、ズラトロクの魔力は強大な存在感を持っているので、この距離であれば木々の奥に居る個体もしっかりと捉えることができる。
全部でニ十匹ほどか。
一番先頭に居る強烈な殺気を纏っている奴は、さっき攻撃を仕掛けてきた個体だろう。
エレノアに攻撃を仕掛けて命を脅かしたド腐れだ。
二人でタコ殴りにしてやりたいところだが……。
「エレノア、戦士団を退かせろ。森を出て、可能ならヴァンパイア族の集落まで戻るんだ」
「っ! そんな!」
エレノアは俺が決死の覚悟で囮になろうとしているように思ったようだが、そんな不確実な戦法を取るつもりは無い。
実際に目の当たりにすると、ズラトロクが文句なしにSランクに分類される強力な魔物だということがわかる。
家サイズの巨体に、内包された膨大な魔力。
雷属性の攻撃手段を持ち、ベヒーモスとは違う運用をしてくる可能性がある。
さらに……見たところ相当高い知能を持っているようだ。
総合的に強さの格付けをすれば、恐らく中級竜よりも上だろう。
ブラックドラゴンやレッドドラゴン以上のレベルの相手がニ十匹以上。
まともにぶつかれば、少なくとも龍族の戦士団には確実に死者が出る。
魔物の討伐は戦争ではない。
一方的に勝てる状況を作ることが前提であり、それが不可能なら無理に相手を倒そうとはせずに被害を最小限に抑える。
これが鉄則だ。
今まで行き当たりばったりな戦闘を繰り返してきた俺だが、龍族の戦士たちからはそれを改めて学んだ。
お互いに相手を視認して睨み合っているこの状況は、どう考えても優位ではない。
この状況で最善の方法は、まず俺がズラトロクどもを相手に大立ち回りを演じて、その間に龍族の戦士団の動きを仕切りなおす。
そして、あらためて戦士団の全員で反転攻撃を行い、各個包囲して丁寧に殲滅していくことだ。
「このまま総力戦は論外。全員で踵を返しても追撃される。仕切りなおした方がいい。そのためには、今は俺が周りの被害を考えずに少しでも敵に多くのダメージを与えるよう立ち回るのが一番だ」
「……わかり、ました」
エレノアは俺の顔をしっかりと見据えながら渋々頷いた。
彼女の目は絶対に死ぬなと訴えている。
当然、こんなところでくたばるつもりはない。
俺は新たな生を受けてからまだ十五年しか経ってないからな。
二度目の人生が一度目以上に早死にというのはご免被りたい。
「ぅし! やったるわ」
俺はエレノアから視線を外すと、正面のズラトロクに向き直った。
まずは、エレノアと戦士団が撤退しきるまで、俺とズラトロクの群れとの正面衝突に持ち込まなければならない。
俺は大剣を構え直して、いつでも敵を迎撃できるスタンスを取り、戦闘態勢を整えた。
しかし……。
『小さき者よ。これはお主たちがやったのか?』
「っ!」
先ほど攻撃を仕掛けてきたズラトロクとは別の個体から、明らかにただの唸り声とは違う音が聞こえた。
それも、俺にとって非常に懐かしい響きで……。
最初に狙撃してきた好戦的なズラトロクの隣に、一回り大きな体躯を持つ個体が歩み出てきた。
体格では勝っているが、毛並みや艶は少しくすんでいるように見える。
恐らく、あのチンピラ鹿よりも年を食っている個体だろう。
いや、そんな話よりも重大なことがある。
先ほどあの年寄りのズラトロクが俺に掛けてきた言葉は、はっきりと人語として聞き取ることができた。
しかし、エレノアや龍族の戦士たちは無反応だった。
それも当然の話だ。
何せ、先ほどの掛けられた言葉は日本語だったのだから。
『……通じぬのか?』
『当たり前だ! 長老、このような者どもに神代の#%&\#?%&\$%#&?%$$&\#……』
俺が唖然としてしまい無反応だったため、二匹のズラトロクは聞き取れない言葉で話し始めた。
さすがにズラトロク語は聞き取れないので困る。
俺は慌てて二匹に声を掛けた。
『待て。わかるぞ。あんたの言っていることが。……今二人が話している言葉は聞き取れないが、さっきのはわかった』
『何だと!?』
『……そうか。やはり通じるか』
『ああ、懐かしい言葉だ』
若い個体は目を剥いて俺を睨むが、年寄りの方は興味深そうに目を細めた。
十数年のブランクがある言語なので錆びついていないか心配だったが、俺の日本語は問題なく通じた。
『貴様のような人族が神聖な言語を……何かの間違いだ』
『ぬっ、現実を見よ! この者はただの人族とは違う』
若者と年寄りは再び言い争いを始めてしまったが、このままでは埒が明かないな。
それに、俺が聞きなれない言語で魔物と会話を始めたことにエレノアたちが唖然としているので、とりあえず彼女たちに状況の説明はしたい。
あのクソ鹿がエレノアを攻撃したのは許せんが、ズラトロク全体に悪感情を抱いているかと言われれば答えは否だ。
今は、相互理解を図るべきだろう。
どうやら、年寄りの方に話は通じるようだからな。
『なあ、長老さん。とりあえず、少し話を聞いてもらえるか』
『む? 何じゃ』
忌々し気にこちらに視線を向けた若いズラトロクを無視して、俺は日本語で話し始めた。
『とりあえず、最初の質問に答えておくが、あんたらの仲間を殺ったのは俺たちじゃない。ここに来たときには、既にズラトロクの死骸の山だった。さらに、妙な魔力が渦巻いていたから、聖水や聖魔法陣で浄化したんだ』
『そうか。疑って悪かったの』
『長老!?』
『この者の言うことは恐らく真実じゃ。我らの『聖核』が目的ならば、わざわざ言葉を交わすことなどせん。それに、後ろの連中は森の民じゃ。少なくとも、我らを謀って森に危機を齎そうとする者たちではない』
若いのが憤慨して年寄りが勝手に納得しているが、信じてくれるのならば一件落着だ。
ズラトロクたちのリーダーと思わしきこの長老と話を付けられれば、全面戦争は避けられるだろう。
鹿肉は魅力だが、意思疎通が図れる相手と無益な争いを起こすつもりは無い。
『何はともあれ、そっちも総意としては、無駄な争いをするつもりは無いということでいいか?』
『当然じゃ』
『なら、少し仲間と話してもいいか? とりあえず、あんたと対話ができることは伝えたい』
『うむ、よかろう。いくらでも話すとよい』
『示し合わせて一斉に襲ってくる可能性も……』
『黙っておれ! この男にそのつもりが無いことくらいわかるじゃろう。森の民にも話が通じれば、無為に血を流すことにはならぬ』
若いズラトロクはいちいち突っかかってくるのでムカつくが、俺は一旦ムカつくチンピラ鹿のことを棚上げにし、エレノアたちに向き直った。
俺がズラトロクと話が通じそうなことを簡潔に伝えると、エレノアたちは渋々納得して刀の柄から手を離した。
もちろん、完全に警戒を解いているわけではないが、戦士団の刺すような殺気は大分収まっている。
龍族の戦士たちが戦闘態勢を解除したことはズラトロクの長老もわかったようで、横目で見るとこちらへ頷き返した。
「すまないな。いきなり訳のわからない言語で勝手に話を進めて、信じてくれというのも難しいが……」
「信じます」
エレノアは躊躇なく言い切った。
「ぁ……もちろん、個人的な感情で戦士たち全員を危険に晒すわけにはいきません。ですから、武装解除などを求められても、それは受け入れられない話です。でも、私はクラウス様を信じます」
これは……俺の交渉役としての責任は重大だな。
俺は完全にズラトロク側との意思疎通を委任された形になる。
龍族の戦士たちも、ただエレノアの指示に従うだけのロボットではないので、いざとなれば各自が生存のために最善の行動を取ることはできるだろう。
しかし、戦場において戦士長のエレノアの指示は絶対だ。
歩調を乱すことは全員を危険に晒す。
比較的、自由な遊撃に回されている俺ですら、エレノアからの緊急指示には最優先で対応するほどだ。
俺とエレノアが死ぬか次の指示を出せない状況に陥らない限り、戦士たちは動けない。
危険な場所に近づかない、危機的状況下から一刻も早く脱出する、という生存のための基本的戦略すら制限しているのだ。
要は、俺とエレノアの一存で戦士たちを危険な環境で待機を命じているのが、今の状況というわけだ。
俺がズラトロクとの駆け引きを一歩間違えれば、仲間に死人が出る。
……嫌な気分だな。自分以外の命運まで背負うというのは。
「クラウス様……」
「っ! 大丈夫だ。任せてくれ」
いつの間にか俺のベヒーモスローブの袖を掴んでいたエレノアに軽く頷き、俺は再びズラトロクたちに向き直った。