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雷光の聖騎士  作者: ハリボテノシシ
学園編4年(魔大陸編)
179/232

179話 宰相の顔と凄惨な事件現場


 危険な情報共有が終わり、デヴォンシャー父娘主催の会談はひとまずお開きとなった。

 キャロラインは真っ先に席を立ち、優雅な所作で礼をしてフィリップたちに最低限の敬意を示すと、さっさと軍務局に戻っていった。

 現時点でこれ以上に掘り下げるべき話も無いので、ヘッケラーとニールセンも退出する。

 それぞれ、自分のテリトリーに情報を持ち帰って次の行動に移るわけだ。

 そしてフィリップも立ち上がり王城の事務室を後にしようとするが、ドアを開く直前、後ろからデヴォンシャー公爵の声が掛けられた。

「……オルグレン伯爵は細君が心配かね?」

 振り向いたフィリップの顔には、確かに険しい表情が浮かんでいた。

 デヴォンシャー公爵の懸念は的中しており、フィリップは席を立ったものの、頭の中は戦乱への対策よりカーラやレイアたちのことで支配されていた。

 去年の『フェアリースケール』事件、一昨年のエンシェントドラゴン戦、三年前のボルグとの死闘。

 いずれも死線を潜り抜ける羽目になった出来事で、レイアもメアリーもファビオラも、フィリップの婚約者たちは何度も危険な目に遭い、そして傷ついてきた。

 フィリップは王国貴族であり勇者だが、レイアたちの未来の夫でもある。

 フィリップには、四人の妻を守る義務がある。

 既に『黒閻』と敵対しており、彼らの行いが自身も含めて大陸全土に災いを齎す所業である以上、この段になって無視はできないのも事実だが、何を顧みることも無く戦いに赴けるわけではない。

 今度はカーラが危害を加えられるかもしれない。

 今度はファビオラの右腕以上のものを失うかもしれない。

 大規模な戦いの予兆を示されると、最近は常にそういった考えが脳裏に過るのだ。

「失礼、声に出てましたかな?」

「いや。何となく、そう見えたのだ」

 雰囲気だけで見透かされたことに、フィリップは些かバツの悪い表情を浮かべた。

 そのようなことをわざわざ口に出してきたデヴォンシャー公爵を訝しく思いはしたが、それもまた本人の前で表に出すのも憚られる。

 しかし、デヴォンシャー公爵は表情を緩めて呟いた。

「変わったな。オルグレン伯爵」



「え?」

「以前は……魔法学校に入学する前に会ったときは、もっと生真面目でプライドが高く冗談も通じない子だった。上級貴族であることを誇り、こだわり、気負い、常に融通の利かない雰囲気を醸し出していた」

 フィリップが叙爵したのはクラウスやレイアたちと出会うより前だ。

 そのこともあり、フィリップは幼少の頃にデヴォンシャー公爵と何度か顔を合わせている。

 先代のオルグレン伯爵と懇意だったこともあり、比較的デヴォンシャー公爵はフィリップに対して気安い。

 しかし、こうした物言いは齢十五のフィリップとしては、勘弁してもらいたいと言うのが本音である。

 今のデヴォンシャー公爵は宰相としての顔ではなく、微笑ましい子どもの成長を見るような目をフィリップに向けているが、当人にしてみれば幼い頃の話を掘り返されるのは羞恥を覚えるものだ。

「……今は不真面目だと?」

「ははっ、見方によってはそうだろうな。しかし……私としては好ましい変化だと思う」

 照れ隠しのように皮肉を放ったフィリップだったが、デヴォンシャー公爵は恥ずかしげも無く言い切った。

 フィリップはどう反応していいのか困り、僅かに口元を歪めるだけに留まった。

「奥方を大切にされているようだ。少なくとも、今の君なら使命やプライドに感けて身内を蔑ろにすることは無いだろう。それに、以前ほど生き急いでいないようにも思える。……貴殿を変えたのは、やはりイェーガー将軍であろうか?」

「……そうかもしれません」

 影響があったことは事実だ。

 一年二年とクラウスと付き合ううちに、フィリップも彼の気質や感性に幾度となく触れた。

 身分や権威を理解しつつも二の次のように扱い、合理的な物事の捉え方をするクラウスの感覚は、近代的という言葉がメジャーではないこの世界において、非常に斬新で衝撃的なものだった。

 オルグレン伯爵家が運送ギルドという商業の一環を取り仕切る家である以上、商売に関わる部分で名より実を取るというポリシーは理解できる。

 また、当主と筆頭家臣という関係性上、その密接な関わりから感化されるものがあるのも頷ける。

 しかし、フィリップにはクラウスとの明確な違いがあった。

 それこそ、ノブレスオブリージュだ。

 クラウスのような新鮮な価値観を持つ人間が身近に居ようと、そんなものに構うなと言われようと、フィリップは決してブレない。

 身分と名は原動力であり信念を形成するものである。

 要は、クラウスにとって立場は、利益を主体に考えて優先順位をつける対象に過ぎないが、フィリップにとっては、どちらも欠かさず重んじることが当然なのだ。

「確かに、たとえ私が貴族や勇者としての責務を放棄して逃げたとしても、カーラやレイアは私のことを見限ったりはしない。ならば状況によっては、家族を守るために責務やくだらないプライドに基づいた信念など捨てるべきでしょう」

「ふむ」

 フィリップの考えがそのような状況の仮定に及ぶだけでも、過去の彼を知っているデヴォンシャー公爵からすれば驚愕に値する出来事だ。

「ですが、私には恐らくその選択はできない。そういう意味では、根本的な部分で私は何も変わっていないのかもしれません。しかし、カーラたちは間違いなく私が信念を通すことに賛同してくれるでしょう。自分で言うのもなんですが、彼女たちは私のそういう部分も含めて愛してくれているのだと思います」

「ははっ、そうか」

 言った後に、フィリップは少し後悔した。

 デヴォンシャー公爵とは今更腹の探り合いをするような仲ではないが、それでも些か正直に惚気すぎた感がある。

 しかし、当のデヴォンシャー公爵が微笑ましいものを見る目を向けてくるものだから、フィリップとしてはなおさら居心地が悪い。

「恐らく、イェーガー将軍も同じなのだろうね。彼も君のそういった一本気な部分を、好ましく思っているのだろう」

「どうですかね。……それでは、私はこのあたりで失礼を」

 フィリップはそそくさと部屋を退出し帰路に就いた。





 エレノアの指揮のもと、俺は龍族の戦士で構成された遠征隊一行を引き連れて、ズラトロクの生息地と思わしきエリアに足を踏み入れた。

 偵察部隊の報告通り、辺りには粘り気があるような不愉快な感触の魔力が充満している。

 闇属性の魔力に似てはいるが、『死の森』全域を覆う浮遊魔力の濃さのようなものとも、ただのアンデッドの反応とも違う。

 しかし、俺たちが明確に理解できるのは、これが決して良いものではないということ程度だ。

 魔術師としても錬金術師としても理論は半人前で感覚派の俺では、それ以上のことは一見しただけでは把握できない。

 当然、龍族の戦士たちも、高度な魔導技術の知識に関しては、俺といい勝負だ。

 ラファイエットやヘッケラーか、せめてレイアがこの場に居れば違ったのかもしれないが……。

 無いものねだりをしても始まらない。

 現状ですぐに連れてくることができる分析要員といえばヴァンパイア族だが、それもまた不可能だ。

 何せ、このズラトロクの居住地という名の聖域もどき――今や、聖域とは言えない有様だが――では、今も魔物の密度が非常に高い。

 このような場所まで連れてきたところで何かがわかる確証も無いので、やはり非戦闘員を同行させるのは憚られる。

 結局、俺たちは脳筋のみの構成で、この危険地帯に踏み込むことを余儀なくされた。

 襲い来る魔物の群れを殲滅しながら、ただ針葉樹の森の奥へと進む。

 完全に手探り状態だ。

 しかし、何もこの状況は悪いことばかりではない。

 あくまでも俺の直感だが、恐らくこのズラトロクの居住地に満ちた瘴気は、ヴァンパイアの集落近くのペリュトンの異常な増殖だけでなく、サウスポートの魔物の異常発生にも関係している。 

 詳しく分析して情報を収集できないのは痛いが、俺たちだけでも明らかな異変を発見できれば、魔大陸の一連のトラブルの解決に大きく近づく。

 よしんばこの異変の根源を破壊することができれば、この経済的に悪影響しかない状況は打開できるわけだ。

 されに、龍族の戦士団のみを引き連れて行動するとい状況は、俺が縦横無尽に飛び回って火力を発揮することにおいても、非常にやりやすい。

 各々の生存応力が高く、散開してあらゆる敵の戦力や規模に対応し、俺の一撃を敵に食らわせやすいように支援してくれる。

 願わくは、この恵まれた状況に居るうちに、全ての決着を付けたいものだ。

 そして、警戒態勢を維持したままズラトロクの森をさらに進んだ俺たちは、そこで衝撃の光景を目にすることとなる。



 辺り一面の空気がより一層の不快な感触を持ち始め、不気味さを通り越して明らかに危険を感じる段になった頃。

 ベヒーモスローブとアクアフェレットの襟巻で防護しているにもかかわらず、俺は服の隙間からネバネバとした生暖かい何かが入り込み肌にへばりついてくるような感触を覚えていた。

 そして、鼻を突く腐臭。

 後に退けない俺たちは発生源を辿るようにさらに歩を進める。

 そこで、俺たちは信じがたいものを発見した。

 針葉樹の森の少し開けた場所には、数十体の大鹿がどす黒い血と臓物を撒き散らしながら倒れ伏している。

「っ! なっ……こ……」

「全部、ズラトロクなのか……?」

 エレノアは言葉を失うほどの衝撃を受け、俺もしばしの間その場に立ち尽くした。

 散乱している鹿の死骸は、一つ一つが二階建ての民家サイズだ。

 角や体の造形自体は普通のエルクに似ているが、近づくとその大きさが明らかに普通ではないことがわかる。

 アーマーディアやペリュトンも前世のエルクより立派な体格を持つがここまでではない。

 間違いなく、この巨大な大鹿がズラトロクだ。

 ……かなりヤバい状況だ。

 エレノア曰く、ズラトロクは龍種に匹敵する魔力を持つ強力な魔獣だ。

 具体的な強さは俺が実際に戦ったわけではないので正確には把握できないが、少なくとも文句なしの討伐難度Sランクに分類されるだけの力を持つ魔物と見ていいだろう。

 それが数十匹、まとめて惨殺されるという事態がここで発生したのだ。

 さらに厄介なのは、誰が見ても明らかにヤバい黒紫の霧が、辺りに立ち込めていることだ。

 ミアズマ・エンシェントドラゴンが体から放出していたのと同じような感じで、ズラトロクの死骸から噴き出しているようにも見える。

「し、周囲にアンデッドの反応はありません……。恐らく……何者かが、ここで闇魔術か死霊術を……?」

 瘴気というか怨念というか、この辺りに漂う空気は、どう考えても長居したいものではない。

 おまけにここはヴァンパイア族にとって聖地みたいなものなので、エレノアが顔を蒼白にしているのも当然だ。

 さて、状況がわかって以上はさっさと引き返すのも手だが……この有様を完全に放置して立ち去るのも考え物だ。

 これだけの惨状、ひょっとしたら本当にサウスポートにまで影響が及んでいる魔物の異常増殖に直結しているかもしれない。

「弔うか……」

「はい……」

 当然ながら、こんな怪しげな黒紫の靄を纏った状態では、肉を切り取って食う気にもならない。

 俺は龍族の戦士たちと手分けして、ズラトロクの死骸に聖水を掛けて回り、さらにレイアに貰った聖属性の結界を張る魔法陣を起動し、少しでも瘴気が晴れるように試みた。



「……よし、こんなもんか」

「……はい、もういいでしょう」

 些かげんなりした表情の俺に、エレノアも疲労の滲んだ声で答えた。

 惜しみなくぶちまけた聖水と聖魔術による浄化の試みで、どうにか霧は薄くなり、不気味に変色していたズラトロクの死骸が普通の腐乱死体に見える程度になった。

 俺と龍族の戦士たちは、手分けしてズラトロクの死骸を火魔術で焼却し、燃えカスに土をかぶせて丁重に葬る。

 簡易的な墓が出来上がったら、再度辺りに聖水を撒き、ズラトロクの死骸に被せた土にも聖水を染み込ませた。

 ……できることはやった。

 これ以上の掃除は教会や本職の錬金術師にでも頼まないかぎり不可能だろう。

 無いものねだりをしても始まらないとは言ったが、やはりこういう状況だとヘッケラーの手が欲しかったな。

「少し引き返しましょう。先ほど通った道沿いに、岩山と少し開けた場所がありました。そこで陣を張って野営にしたいと思います」

「ああ、賛成だ」

 聖水をばら撒いてある程度浄化したとはいえ、この場所に泊まるのはご免被りたい。

 塩素を撒いたところで、下水道や肥溜めで眠りたい人間は居ないだろう。

 エレノアの指示で龍族の戦士たちは撤収の準備に入った。

 便所掃除も同然の仕事の後で皆も疲れているはずだが、予想以上に彼らの動きは素早く、あっという間に荷物をまとめて行軍の準備を整える。

 それほどまでに、ここに長居するのは嫌か……。

 確かに、龍族は五感が鋭くこの森に暮らして長い。

 恐怖感や嫌悪感を伴って、この一帯の異常さを肌で感じているのだろう。

 俺よりもストレスの度合いが大きいはずだ。

 待たせても悪いので、俺も急いで置きっぱなしの魔法陣など忘れ物が無いか確認し、帰りの行程に向けて武装をもう一度調べなおす。

「クラウス様! もう出れますよ!」

「ああ、今行く……っ!」

 俺はエレノアの呼び掛けに答えて、何の気なしに周囲を“探査”でざっと索敵した。

 しかし、次の瞬間、俺は顔を蒼白にして地面を蹴った。

「クラウ……ぁっ!」

 突如、木々の間から眩い閃光を伴った紫電の奔流が放たれる。

 向かう先は、龍族の戦士たちの中心に居るエレノアだ。

 油断した……。

 それに、このエリアの濃密な瘴気と異常な魔力による感覚への干渉を意識できてなかった。

 その結果、かなり強力な魔力を持つ個体だったにもかかわらず、目と鼻の先に接近されるまで感知できなかったのだ。

 あらためて“探査”を使ったことで、ようやく異分子の姿を把握した。

「エレノアっ!」

 放たれた閃光は、俺やベヒーモスと似ているようで違う性質を持っていることがわかる。

 初めて見る攻撃に突っ込むなど愚の骨頂だ。

 しかし、今は状況の確認やら体勢を立て直すやら悠長なことは言っていられない。

 エレノアの身に危険が迫っている。

 その事実が、俺の体に凄まじい勢いでアドレナリンを分泌させた。

 俺は低い姿勢で閃光に突進すると、エレノアを後ろへ追いやるようにして彼女を庇い、そのまま魔力を込めた大剣を薙ぎ払った。


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