175話 緊急出撃
家の外に出てみると、里の広場には俺たちの他にも召集されたと思わしき龍族の戦士たちが集結していた。
以前、ブラックドラゴンの群れから助けたエレノアの部隊に居た顔も混じっている。
顔見知りの連中が会釈をしてきたので俺も返礼する。
「来たわね」
そして、戦士たちの中心に居たジルニトラが俺とエレノアに声を掛けてきた。
里の長自ら戦士たちを招集するとは、ただ事ではないな。
「救援要請を受けました。ヴァンパイア族の居住地の近くで、ペリュトンが増殖して異常に凶暴化しているようです。ズラトロクの目撃情報もあります。できるだけ単独行動は避けて、魔物の掃討に向かってください」
ジルニトラは簡潔に要点を述べたが、俺にはわからないことだらけだ。
ペリュトンにズラトロク。
どちらも名前くらいは聞いたことがあるが、それこそベヒーモスよりも情報が少ないモンスターだ。
基本的に中央大陸には生息していないのだろう。
冒険者ギルドと国の書類をひっくり返しても、討伐記録は見つからないかもしれない。
それだけ珍しい魔物だ。
当然、討伐難度などわかるはずもない。
さらに、ヴァンパイア族ときた。
吸血鬼、居るのか?
「クラウスさん、ヴァンパイア族はここから北北東の山岳地帯に居住地を築いています。あなたのお気に入りの味噌と醤油を作っているのも彼らよ」
「……なるほど、そういうわけですか」
ジルニトラが付け加えてくれた説明で、俺は合点がいった。
今まで頑なに俺を近づけなかった北方面。
そこにあるのは、森のさらに深い場所に居を構える別種族の集落だ。
先日、俺は味噌と醤油の買い付けに向かえる話が出ていたが、どうやらその製造元の集落が被害を受けているらしい。
そりゃ、お買い物どころの話ではないな。
そして、この世界の和食系の調味料がヴァンパイア産だったことが今更ながら発覚した。
「参考までに聞いておきますが……今まで俺を北に近づけなかったのは、そのヴァンパイア族を護るためですか?」
「そうよ」
宗教的な聖地っぽい何かより、遥かに現実的で重要なものだった。
そりゃ、非戦闘民族の隣人が居るのなら、俺のような危険な余所者はなかなか近づけられないよな。
それにしても……ヴァンパイア族は安全保障の面で龍族に依存している部分があるようだ。
俺のイメージだと、吸血鬼は霧になって瞬間移動を繰り返し、生半可な剣など切り裂く爪で一個小隊を簡単に殲滅するような存在だったのだが……。
どうやら、この世界の魔大陸に暮らすヴァンパイアは、凶暴さとは無縁の平和な連中のようだ。
「状況はかなり深刻なようです。ヴァンパイア族が私たちの大切な隣人であることは言うまでもないでしょう。こんな時間の緊急出撃で悪いけど、一刻も早く彼らを助けてあげて」
龍族の戦士たちは皆十分な気合を込めてジルニトラに頷いている。
不満や気乗りしない表情を浮かべている戦士は一人も居ない。
彼らもヴァンパイア族のために体を張ることに異存は無いようだ。
そして、ジルニトラは俺に向き直った。
「クラウスさんは、北に行くのは初めてね。急で申し訳ないけど……」
「構いません。戦士団の大半が出撃ということは、エレノアも出るのでしょう? 当然、俺も行きますよ」
「クラウス様……」
「ありがとう。魔物の情報とか詳しいことはエレノアに聞いてちょうだい」
さて、俺も気合入れていくか。
エレノアと醤油と味噌のために。
その日の夜は、龍族の里から少しだけ北上した位置で野営となった。
ある程度の防御態勢を維持したまま進軍できる陣形のようだ。
飛行型の魔物の襲撃に対応しやすく、お互いの位置関係を把握しやすい配置らしい。
俺にはさっぱり……かと思いきや、そこまでチンプンカンプンというわけではない。
大規模な人員を投入した魔物の討伐は、この約半年の間にも何度かあったので、俺もエレノアと一緒に討伐作戦に参加して、ある程度の練度で動けるようにはなっている。
しかも、この戦術がなかなかによくできているのだ。
他の軍隊や集団には適応できないかもしれないが……。
龍族の戦士たちが大規模な編隊を組んで行動する場合、特殊な技能や上級以上の魔術に秀でた戦士以外、分隊は二人組か四人組の単位で動かすことになる。
簡単に言えば、ツーマンセルで一人が負傷しても無事な方が救助もしくは攻撃を続けてカバーする戦術を、最大二段階で運用しているのだ。
スリーマンセルで一人が負傷しても残った二人がそれぞれ救助と攻撃を同時にこなせるようにする、という戦法のさらに贅沢な運用法である。
四人の内の一人が負傷しても、その相方が負傷者を救助している間に、もう一方の二人組がツーマンセル状態を維持しつつ戦闘を継続できる。
スリーマンセルと違い常にアタッカーを確保していないので、下手な連中が真似をしてもまとめて殲滅されるのが関の山だが、そこで龍族の戦士たちの優秀さが光る。
彼らの多くは魔法剣士だ。
高レベルの剣術を修め、無詠唱の攻撃魔術を習得しており、さらにほとんどが治癒魔術を使える。
どちらかのチームが攻撃を凌げば、瞬く間に負傷者が居るもう片方のチームも戦力を整えて前線に復帰してくる。
当然、攻撃においても龍族の戦士は遠距離近距離ともに死角が無い。
こうした強固な分隊運用を軸に、上級魔術を習得した戦士などを最低でも二人組で所々に配置し、火力の底上げも図っている。
そりゃ、ブラックドラゴンの群れが相手でも持ちこたえるわけだ。
因みに、俺はエレノアとの二人組で遊撃担当だ。
まあ、俺の突出した火力を鑑みれば当然の配置か。
決して、俺が集団行動のできない協調性の無い奴というわけではない。多分。
上空を旋回していたコカトリスを粗方撃ち落として周囲の安全を確保した俺は、自分の配置場所にテントを張って夜を越す準備を整えた。
夜に里を出たのでもう深夜だ。
「さて、それでは……」
「っ!」
俺のテント内には今もエレノアの姿があった。
俺が寝る予定のベッドに彼女も腰掛けており、顔の距離も非常に近い。
出撃は夕食も風呂も済ませた後だったので、今日はもう寝るだけだ。
この時間帯に、薄暗い森の中で、狭いテントの中――大型なのでそれほど狭くない――で、魅力的な女性と二人っきり。
しかも、ベッドに並んで腰かけているこの状況!
これはもう……。
「クラウス様、そろそろ勉強を始めましょうか」
「……ですよね」
エレノアは自分の魔法の袋から資料を取り出した。
前にも似たようなものを見せてもらったことがあるが、まあ平たく言えばこの『死の森』に生息する魔物の図鑑だな。
龍族謹製の。
そういうことだ……。
「クラウス様、どうしてそんなに残念そうな表情なのですか?」
「ははっ……あわよくば押し倒せるかな、とか」
俺が軽口を叩くと、エレノアは少し不愉快そうに眉を顰めながら俺の顔を軽く睨んだ。
いつもなら真っ赤になりながら俺の胸に顔を埋めてきてもおかしくないのに、これは予想外の反応だ。
「あ、いや……」
「さすがに状況が状況です。今は一刻も早く隣人を助けに行くことが重要です。そのためにクラウス様の力は必要不可欠ですが、あなたはこの辺りの魔物についてあまりご存じではない。私も全力でサポートするつもりではありますが、せめて知識はあなたも頭に入れておいてくださらないと困ります」
「はい、すみません」
思った以上にエレノアは怒ってらっしゃる。
普段の感覚を引きずって、少し悪ふざけが過ぎたか。
「(……そういうことは、帰ってからゆっくりと……私だって、我慢しているのですから)」
「え!?」
「何でもありません! 集中してください!」
「は、はい! ……あのさ」
「何ですか?」
「魔物の資料、多くない?」
「……龍族の里の北方面に生息する危険な魔物はペリュトンとズラトロクだけではありません。念のため、クラウス様には北部に生息する魔物に関して一通り覚えてもらいます」
「マジで?」
「マジです。……あなたにもしものことがあったら、私は……」
こうして、エレノアのエロくない夜の課外授業を真剣に受けることになった。
あんな顔をされたら、手は抜けませんって。
そして、魔物学の講義が一通り終了し、二人っきりの夜のレッスンはお開きとなった。
「さて、他に何か聞いておきたいことはありませんか?」
「そうだね……」
正直、そろそろ床に就いてもいい頃だが、俺は必死に頭を巡らせて質問を探した。
何故か?
講義と事務的な話を終えたエレノアが、再び俺の隣に座って腕を絡め、密着してきたからだ。
これは退屈なお勉強を頑張った生徒に対する、エレノア先生からのご褒美に違いない。
少しでもこのご褒美タイムを引き延ばすために、俺は必死に頭を絞る。
「ヴァンパイア族ってどんな連中だ?」
「そうですね……思慮深く勤勉な方々、でしょうか。錬金術においても生活の知恵においても、我々龍族を遥かに凌駕しています」
どうやら、味噌と醤油以外の面でも彼らの頭脳や技術は重宝されているようだ。
「なるほど。しかし、こうして龍族に救援要請を送ってきたところを見ると、戦闘に関しては不得手なのかな?」
「我々に比べればそうですね。魔術師はそれなりに居ますが、身体能力の面でも気質の面でも、戦いに向いている人材が少ないように見受けられます。数少ない狩人も居住地の近場でペリュトンを少し狩る程度のようです。聞いた話では、長時間に渡って日光を浴びていると体調が悪くなるので遠出は難しいとか」
おいおい、引きこもりじゃないか。
それでよく狩猟と採取の時代を生き残ってこれたものだ。
「月光を浴びると超強化されるとかは?」
「さあ……そのような話は聞いたことが無いですね」
「実はオリハルコンを切り裂く爪を持っていて、不死身で滅茶苦茶強いとかは?」
「申し訳ありません。わかりかねます。……でも、あり得ないかと」
残念、ウィッ〇ャーに登場したレジ〇さん並の上級吸血鬼は居ないようだ。
そんな具合に妄想を膨らませて浮かれていた俺に、エレノアは苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「クラウス様はヴァンパイア族と会ったことは無いと仰っていましたね?」
「ああ、無いな。王国では見たことが無い」
中央大陸に居るのかどうかすら疑問だ。
いや、生物学や人類学っぽい教科書や本で見たことが無い以上、近隣諸国には居ないのだろうな。
「では、言い伝えか何かで、そのように描かれていたのですか?」
「まあ、そんなとこだね。創作物の中で」
吸血鬼の描写は星の数ほどある。
映画にラノベに……恐らくゾンビよりも長きに渡って物語に登場してきた。
「クラウス様、大丈夫だとは思いますが……今後ヴァンパイア族と顔を合わせることになっても、あまり不用意に先入観を持って話すことは……」
「ああ、わかっているよ。君たちがサウスポートの連中に色々と言われてきたことも、俺は知っているから。初対面で無礼な物言いはしないさ」
伝説がどこまで本当か直接ヴァンパイアに聞いてみたい気もするが、下手な質問が地雷になる可能性もある。
もしヴァンパイア族と会談をすることになったら、最初はエレノアに頼んで、他種族への理解があり寛容な人物と引き合わせてもらった方がいいな。
「そうそう、一応我々の間でも広く知られているヴァンパイア族の特性ともいうべきものがありまして……鹿の血を好む方が多いそうです。ペリュトンが多く生息する場所に居を構えるのも、それが理由らしいですね」
鹿や鹿系の魔物の血が好物、ね。
吸血鬼のアイデンティティとも言える特性は持ち合わせているようだ。
貧血なのかな……?
「我々もペリュトンを討伐したときは、可能な限り血を採取して魔法の袋に保存し、ヴァンパイア族へ提供しています」
「へぇ……中央大陸のアーマーディアの血とかも好きなのかね」
「送れば喜ばれるでしょうね」
思いも寄らぬところで、また交易のネタを見つけた。
ただ、ネックは距離だな。
魔大陸の『死の森』を抜けた龍族の里のさらに先にあるヴァンパイア族の集落。
どうやって交易路を確保するかね……。はぁ……。